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見護り

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(愛されてるなぁ)

 屋敷に来て数日だが、トワイはいつもそう思う。

 この「公爵子息」に与えられた部屋の窓からは庭が見える。
 その窓の外に広がる景色は、表面だけ切り取れば平和そのもの。

 ルルーシェに植物について教えている庭師。
 付き添うルルーシェの侍女。
 庭の警備をする騎士。
 手入れの手伝いを装って見守っているメイド達。
 皆にこやかにルルーシェを見ていて、本人も陽だまりで幸せそうに笑っている。
 いや、日傘をさしてもらっているので陽は浴びていないのだが。

 だが屋敷にいる使用人達の能力の高さは折り紙付きなので恐ろしいほどの厳戒態勢であり、殺伐としている。
 

 皆酷く優秀なはずなのに、ルルーシェと共にいる時は恐ろしさのカケラもない。

(どうして)

 窓側の椅子に腰掛け、窓の縁に膝を突き、顎を乗せる。

(どうして。どうして、そんな笑ってられんだよ)

 あの、屋敷の人々は愛らしいという笑顔がトワイには憎らしく思えて仕方ない。
 トワイは眉を顰める。


 ルルーシェは窓から庭を眺めるトワイを見つけたようで、此方に笑顔で手を振ってくる。
 トワイは振り返さずに、ぺこりとお辞儀をして椅子を立つ。

 そもそも手を振ったことなんてないのだ。
 だから振り返さなくても仕方ないのだと、心の中で言い訳をしながらソファに移る。


 ソファに身を沈めると、目頭をぎゅうっと抑える。
 明るいところを見過ぎたせいで目が痛みを訴えかけてくる。
 
(お前もアページェントに生きているのに、なんでそんな光にいるんだよ)

 トワイは寝ることにした。
 これ以上、何も考えたくはない。




 トワイは「公爵子息」という肩書きになった。
 しかし、まだ表に公表されてはいないので外で仕事もやらされる。
 今夜もまた、仕事をしてきた。

 公表されてしまえば、外での仕事はなくなる。
 まあ結局、内の仕事に回されるだけなのだが。


 仕事相手は、気づいていなかっただろう。
 何も知らぬまま、明日が来ると信じて終焉を迎える。
 これが幸せなのか、トワイはわからない。
 別にわからないままでいいと思っている。

 トワイは黒装束に身を包み、闇に紛れて「公爵子息」の部屋へと戻る途中だ。
 その部屋は「公爵子息」用とだけあって、当主部屋に近いが、ルルーシェの部屋よりは遠い。
 ルルーシェは「当主の妻」の部屋を与えられているのだから当然である。

 妻を娶るつもりはないという意思表示か、それとも。


 トワイは油断していた。
 ルルーシェは一度眠るといつもぐっすり朝まで深いのだと聞いていたから。

 仕事が終わったと気楽に廊下を歩いていた。

 油断など、してはいけなかった。
 
「ーーーートワイ?」
「……っ!」

 トワイはルルーシェに聞こえないほど小さく息を呑む。

「どうしたの?こんな夜中に」
「……」

 トワイは困った。

(それはこっちのセリフだわ)

 しかし何も返さないわけにはいかない。

「散歩です」
「ふぅん。私も一緒にいいかしら?」
「はい」

 トワイは今度こそ困り果てた。

 トワイの今着ている服は真っ黒で普通とは言いがたい。
 それを尋ねられたら、トワイはこの小鳥になんと説明すればいいのだろうか。

 散歩と言ってしまったからには外に出なくてはいけない。
 トワイは来た道を戻っているのだということに、ルルーシェが気づかなければいいのだが。


 
 
 外は微風が吹いていて、春といえど夜は寒く感じる。

 しかし満月の光に照らされる、よく整えられた庭は美しいのだと思う。


 しかし今日のトワイはつくづく、運が悪いらしい。

「トワイ、大丈夫?」
「はい?」

 不意にルルーシェがトワイの頬にふんわりと触れる。
 問われる意味がわからなくて、トワイは聞き返す。

「血がついているわ」
「ああ…………」

 どう言い訳したものかと思案したい。
 すればするほど怪しまれるので無理な話だが。

 というか、少量だろうが返り血がついていたなんて。
 手を抜きすぎていたらしい。

 トワイは舌打ちをしたい気分だ。
 ルルーシェの中のトワイ像を崩壊させないためにできないのが惜しい。


「他人の血なので大丈夫です」

 少し濁して話した。

 馬鹿ならそれでいい。
 馬鹿でないのならこれ以上は話を続けないだろうから、それでもいい。

「…………大丈夫?」
「はい」

 なのにトワイの想定を裏切って、ルルーシェは話を続ける。

(続けんなよ。馬鹿じゃなくてアホか。それとも天然か?)


 トワイは自然と眉が寄っていた。
 それにルルーシェが慌てて首を振りかぶり、言い訳をする。

「多分違うの。そうじゃないのよ」
「ではなんですか」

 苛ついた気持ちを声に乗せてしまった。
 しかしトワイはそんなことに気を配れるほど冷静ではなかった。

「わかんないわ…………」

 心細そうに言われても。

(あ?なんだよそれ)

 トワイの方がわからない。



 ルルーシェまでもが眉を寄せる。
 しかし苛立っているトワイとは違い、ルルーシェはもどかしそうだ。

 ルルーシェはトワイに抱きつき、ぎゅうぎゅうと締めてきた。

「苦しいです」
「あ、ごめんなさい」

 一歳しか変わらない女、しかも訓練していないひ弱なやつに絞められたってさほど苦くなんてないのだが、方便だ。

 物理的には苦しくなんてないのに、精神的には苦しかった気がするが、絶対に気のせいだ。


「もう散歩は充分したと思わない?」
「はい」
「部屋に戻りましょう。そして一緒に寝てね、トワイ」
「…………」
「ね?」
「…………」
「トワイ?」
「……はい」

 圧がすごかった。



 ルルーシェと寝たことに対するラカーシェの反応が怖いが、だからといってルルーシェに逆らうのもよくない。

 トワイは渋々ルルーシェの寝台で共に眠りについた。

(俺死ぬかもなぁ)

 眠るまで心の中でめちゃくちゃ溜息を吐きまくった。






「トワイ、起きて?」

 体を揺さぶられる不愉快感で脳が覚醒していく。

 目を開けると、目の前にはルルーシェがいた。

「ーーーーあ?」

 思わずルルーシェの前だというのに素が出た。

「まぁ、トワイは寝起きはご機嫌ナナメなのね」

 好意すぎる解釈に助かったがこんなに頭が緩くて大丈夫なのだろうかと思う。
 しかし直ぐに思い直す。

(この屋敷のヤツらが護るから大丈夫なのか)


 昨晩は濡らした手拭いで顔を返り血が完全に取れるまで拭かれ続けた。
 あれは地味に痛い。

 血が取れた顔を満足そうに眺めるとパタリと事切れたように眠りについたルルーシェ。
 そのまま自室に戻ろうかとも思ったが、先程まで完全に覚醒していたルルーシェの状態からすると夜の出来事を覚えているだろうと、戻らないことにしたのだ。



「おはよう、トワイ」
「…………おはようございます」

 言葉に詰まった。
 おはよう、なんて挨拶はを初めてした。

 そういえば、おやすみ、も昨日が初めてだった。
 寝かけていて呂律の回っていない、尚且つ「み」が眠気に負けて発せられなかった就寝時の挨拶。


 トワイは誤魔化すようにそっぽを向く。
 
 そして何気なく問う。

「お姉様、僕がもし悪いことをしたらどうしますか」
「まぁ。唐突ね」

(ホントに)

 言った本人が一番、己の発言に驚いているのだ。


 ルルーシェは笑顔でトワイの手を取る。

「ずっと隣にいて、私まもるわ」
「悪いことをしたのに?」
「だから?私はお姉様だから弟をまもるのよ」
「そんな理由で……?」

 首を傾げられる。

「そんな理由、ではないの。立派な理由よ?だって愛する弟よ?」
「血が繋がっていなくとも、あなたの中で僕は本当に弟なのですか?」
「ええ」

 即座に言い切るルルーシェに、トワイは驚き目を少し見開く。


 この部屋にはルルーシェとトワイ以外誰も居ないのに、声を潜めてルルーシェは囁く。

「実はね、私、お父様の本当の子じゃないのよ」
「え」
「うふふ、似てないとは思っていたでしょう?」
「…………はい」

 トワイの驚きはそこではない。

(そこじゃねぇ!血ぃ繋がってねぇって知ってたのかよ)

 バレるような発言はするなと散々言い聞かされていたのに、とうの昔にバレていたではないか。

「あの人は、お姉様に隠されてはいなかったんでしょうか」
「多分、隠してるわ。でもね、お父様達子供を舐め過ぎよ」

 怒ったように頬を膨らませる仕草をする。


「私、あの時もうすぐ三歳っていうところだったのよ。勿論当時を覚えているわ」

 昔を懐かしむような眼差しは八歳には似合わないほど大人びていた。

「ね、血の繋がりなんて関係ない。トワイは私の大切な弟よ」
「ですが、それとこれとは話が違います」
「違わないのよ。大切だから、心をまもるために最後まで隣にいるわ。どんなに悪いことをしても、あなたが私を必要としているって私が思ったら、ずっとずっとまもるわ。……大したことはできないかもしれないけれど」

 最後の小さな呟きは聞かなかったことにする。
 そうすれば全てかっこいい台詞となった。


「あなたが私を必要としているって私が思ったら」
「ええ」

 恥ずかしそうにはにかんで、それでもしっかりと肯定される。

「だって、言葉と心って違うことがあるんだもの」
「確かに、そうですね」
「でしょう?」


 もぞもぞとルルーシェが起き上がる。

「さ、話は終わり。支度して早く朝食食べましょう」
「はい。…………ありがとうございます」
「ん?どういたしまして?」

 ルルーシェは何に対してかわかっておらず、不思議そうに応えていた。

(それでいい)

 トワイもぼんやりとしかわかっていないのだから。


「フレアンヌ」
「はい」

 ルルーシェに呼ばれヌッと現れたフレアンヌにトワイはギョッとした。
 表には出していないつもりなのに、何故か気づかれ嘲笑される。





 姫が闇に囚われている、この意見を変えるつもりはないが、追加する。
 先に、闇が姫に囚われているのだ。

 闇は一筋の光を逃したくなくて、わざわざ囚われることを選び、そうすることで無意識な姫を捕えているのだ。

 だから、姫は囚われているという事実に思い当たらない。
 だって姫は己の性格故に闇を捕え、当たり前だと思っているが故に囚われていることに気付けないのだから。


 そんなことは知らないフリをする。
 
 まだ、そこには至っていないのだと思いたい。


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