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第35話 ささやかな願い事
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短い時間だったにも関わらず、仲良くなったフラスさんとログさん。そんなふたりと、結婚式での再会を約束して別れ、スクルさんと私は来た道を馬車で戻る。
そして、やっと家へと着いた。日がもうすぐ落ちそうになっている。
「前にお伝えしていた通り、夜にはフォールスがこちらに来ますので。あまり遅くならないよう、俺がケツを蹴り上げて急かしておきますよ」
「もう、暴力はやめてちょうだいね。子供じゃないんだから」
少し下品な言い方に、思わず叱るような事を言ってしまう。スクルさんなら、本当にやっていそうな気がする。少し心配だ。
「ははっ、男はいつだって子供ですからね。大丈夫、紳士的に急かしますよ。お姫様は、フォールスが来るまでゆっくり休んでいて下さい。今日は、あのふたりに振り回されて疲れたでしょう?」
「振り回されたなんて、そんな事ないわ。ふたりとも本当にいい方だったもの」
ふたりと過ごした時間を思い返す。今でも、楽しい気持ちが蘇ってきて、心が明るくなる。
「でもスクルさん、あなたにあんな可愛らしい妹さんがいたなんて。知らなかったわ」
ログさんの事を話すと、スクルさんは少し困ったような顔をする。どうしたのかと首を傾げると、乾いた笑いが返ってきた。
「ははは……ま、まあ、身内の話をわざわざ話すのも恥ずかしいですし。いや、あの、ちょっと賑やかな子ですが、お姫様さえよければ、これからも仲良くしてやって下さい」
「ええ、ぜひ!」
またすぐに会えると思うと嬉しくなり、私は思わずニコニコしてしまう。スクルさんは、そんな私の背後に回り込むと、背中をそっと押してきた。
「さ、のんびりしているとすぐに夜になりますよ。しっかり休んで、ミスオーガンザに挑んでください。秘密がバレないよう、くれぐれも気をつけて」
「そうね……頑張らないと。じゃあ、もういくわね。スクルさん、長い時間付き合ってくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして。あ、そうだ……礼に一つだけ、俺の願い事を叶えてくれませんか?」
スクルさんから、そういう、何かを求められたような記憶がなく、私は少し驚く。
「お願い……何かしら?」
「さんを付けて呼ぶの……もうそろそろ、なしにしませんか?距離を感じるようで、悲しいんです」
そんな、わざわざお礼として要求するほどのものでもないだろう。私はびっくりしてしまう。
でも、スクルさんの顔は寂しそうで、どうやら本気のようだ。
「……そんな事で、いいの?」
「はい。お姫様にはそんな事でも、俺にはとても重要な事なんです。ね、お願いします」
そんな切実なお願いを、聞かないわけにはいかない。私は、少し気恥ずかしさを感じながらも、彼の名を呼んだ。
「わかったわ……スクル、これでいいかしら?」
「ええ、満点です。よくできました」
まさかの満点に、私は苦笑する。
「もう……採点の甘い先生ね」
「優秀な生徒には甘くなるんですよ……では、もう行きますね。健闘をお祈りしています」
「ありがとう。フォールスに、待ってるって伝えて」
わかりました、と言って、スクルは馬車に乗り込んでいく。私は、馬車が見えなくなるまで見送ってから、家に戻った。
自分の部屋に着いた私は、机にうつ伏せになって、今日の出来事を思い返していた。
たくさん並ぶ綺麗なドレス。楽しそうに話しかけてくれた、フラスさんとログさん。キラキラ光るアクセサリー。まるでおとぎの国のようだった。
(フォールス……ドレス、どう思うかしら)
彼に、似合わないと思われないだろうか。喜んでくれるだろうか。心配が頭に浮かぶ。
(そうだわ……フォールスが来る前に、彼が来る事だけ先に母様に伝えておこう)
私は、机から立ち上がると、母の部屋へと向かう。
ドアをノックし、そっと母の部屋のドアを開く。
母は、ベットで体を起こして、書類に目を通していた。書類から目を離すと、私を見る。
「どうしたんだいアステ。何か用事でも?」
「ええ……実は、後でフォールスが家に来るんです。それで、彼と私から、母様に報告を」
私の言葉に、母は少し驚いた表情を浮かべると、弱々しく笑った。
「はは、随分と遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ。まあいい、私が死ぬ前に間に合ってよかった」
何のことかなど、言わなくても分かったのだろう。病に臥せっていても、何でも見透かしてしまいそうなその眼差しは、強いまま。
「……何のことか、言わなくても分かるんですね」
「ああ、わかるさ。お前の顔を見ればね」
何が違うと言うのだろう。私には分からない。毎日鏡に写る自分の顔に、何か変化を感じた事もないというのに。
「詳しくは、揃ってから聞くよ。フォールスが来たら、またおいで」
「ええ、そうします」
私は、母に背を向け、扉を開けようとする。その時。
「アステ」
呼ばれて、振り返る。そこに見えた、悲しげな表情に、私は戸惑う。
「どうしたの……母様」
不安に駆られる心を、何でもないように装って、私は母に答える。でも、母は首を横に振った。
「何でもないよ。早くお行き」
「そう……では、失礼します」
私は、扉を出て、そっと閉める。
(母様……)
名前の分からない、混沌とした感情が私を襲う。悲しいのか、嬉しいのか、辛いのか、怒りなのか。
ただ分かるのは、終わりの時が、近いという事だけ。
私は、行き場のない感情に唇を噛み締め、自分の部屋へと戻った。
そして、やっと家へと着いた。日がもうすぐ落ちそうになっている。
「前にお伝えしていた通り、夜にはフォールスがこちらに来ますので。あまり遅くならないよう、俺がケツを蹴り上げて急かしておきますよ」
「もう、暴力はやめてちょうだいね。子供じゃないんだから」
少し下品な言い方に、思わず叱るような事を言ってしまう。スクルさんなら、本当にやっていそうな気がする。少し心配だ。
「ははっ、男はいつだって子供ですからね。大丈夫、紳士的に急かしますよ。お姫様は、フォールスが来るまでゆっくり休んでいて下さい。今日は、あのふたりに振り回されて疲れたでしょう?」
「振り回されたなんて、そんな事ないわ。ふたりとも本当にいい方だったもの」
ふたりと過ごした時間を思い返す。今でも、楽しい気持ちが蘇ってきて、心が明るくなる。
「でもスクルさん、あなたにあんな可愛らしい妹さんがいたなんて。知らなかったわ」
ログさんの事を話すと、スクルさんは少し困ったような顔をする。どうしたのかと首を傾げると、乾いた笑いが返ってきた。
「ははは……ま、まあ、身内の話をわざわざ話すのも恥ずかしいですし。いや、あの、ちょっと賑やかな子ですが、お姫様さえよければ、これからも仲良くしてやって下さい」
「ええ、ぜひ!」
またすぐに会えると思うと嬉しくなり、私は思わずニコニコしてしまう。スクルさんは、そんな私の背後に回り込むと、背中をそっと押してきた。
「さ、のんびりしているとすぐに夜になりますよ。しっかり休んで、ミスオーガンザに挑んでください。秘密がバレないよう、くれぐれも気をつけて」
「そうね……頑張らないと。じゃあ、もういくわね。スクルさん、長い時間付き合ってくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして。あ、そうだ……礼に一つだけ、俺の願い事を叶えてくれませんか?」
スクルさんから、そういう、何かを求められたような記憶がなく、私は少し驚く。
「お願い……何かしら?」
「さんを付けて呼ぶの……もうそろそろ、なしにしませんか?距離を感じるようで、悲しいんです」
そんな、わざわざお礼として要求するほどのものでもないだろう。私はびっくりしてしまう。
でも、スクルさんの顔は寂しそうで、どうやら本気のようだ。
「……そんな事で、いいの?」
「はい。お姫様にはそんな事でも、俺にはとても重要な事なんです。ね、お願いします」
そんな切実なお願いを、聞かないわけにはいかない。私は、少し気恥ずかしさを感じながらも、彼の名を呼んだ。
「わかったわ……スクル、これでいいかしら?」
「ええ、満点です。よくできました」
まさかの満点に、私は苦笑する。
「もう……採点の甘い先生ね」
「優秀な生徒には甘くなるんですよ……では、もう行きますね。健闘をお祈りしています」
「ありがとう。フォールスに、待ってるって伝えて」
わかりました、と言って、スクルは馬車に乗り込んでいく。私は、馬車が見えなくなるまで見送ってから、家に戻った。
自分の部屋に着いた私は、机にうつ伏せになって、今日の出来事を思い返していた。
たくさん並ぶ綺麗なドレス。楽しそうに話しかけてくれた、フラスさんとログさん。キラキラ光るアクセサリー。まるでおとぎの国のようだった。
(フォールス……ドレス、どう思うかしら)
彼に、似合わないと思われないだろうか。喜んでくれるだろうか。心配が頭に浮かぶ。
(そうだわ……フォールスが来る前に、彼が来る事だけ先に母様に伝えておこう)
私は、机から立ち上がると、母の部屋へと向かう。
ドアをノックし、そっと母の部屋のドアを開く。
母は、ベットで体を起こして、書類に目を通していた。書類から目を離すと、私を見る。
「どうしたんだいアステ。何か用事でも?」
「ええ……実は、後でフォールスが家に来るんです。それで、彼と私から、母様に報告を」
私の言葉に、母は少し驚いた表情を浮かべると、弱々しく笑った。
「はは、随分と遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ。まあいい、私が死ぬ前に間に合ってよかった」
何のことかなど、言わなくても分かったのだろう。病に臥せっていても、何でも見透かしてしまいそうなその眼差しは、強いまま。
「……何のことか、言わなくても分かるんですね」
「ああ、わかるさ。お前の顔を見ればね」
何が違うと言うのだろう。私には分からない。毎日鏡に写る自分の顔に、何か変化を感じた事もないというのに。
「詳しくは、揃ってから聞くよ。フォールスが来たら、またおいで」
「ええ、そうします」
私は、母に背を向け、扉を開けようとする。その時。
「アステ」
呼ばれて、振り返る。そこに見えた、悲しげな表情に、私は戸惑う。
「どうしたの……母様」
不安に駆られる心を、何でもないように装って、私は母に答える。でも、母は首を横に振った。
「何でもないよ。早くお行き」
「そう……では、失礼します」
私は、扉を出て、そっと閉める。
(母様……)
名前の分からない、混沌とした感情が私を襲う。悲しいのか、嬉しいのか、辛いのか、怒りなのか。
ただ分かるのは、終わりの時が、近いという事だけ。
私は、行き場のない感情に唇を噛み締め、自分の部屋へと戻った。
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