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本編
7 執事見習いにさよならを
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僕の執事修行が終わる前日。その日の朝、僕は肌寒さに目を覚ます。
ベッドから降り、震えながら見た窓の外には、一面の銀世界が広がっていた。
朝の仕事を終え、朝食を済ませた後、外から子供達の楽しそうな声が聞こえてきた。その中には当然、ご令嬢もいる。
彼女達は思い思いに雪と戯れている。と、窓から覗く僕に気づき、ご令嬢は大きく手を振った。
「ねえ!あなたも来てちょうだい!雪合戦するの!たくさんいた方が楽しいもの!ね、お願い!」
寒さと興奮で顔を真っ赤にして、大きな声で、無邪気に笑うその姿に、僕はたまらず窓を開く。
「全く……仕方ないお嬢様だ!すぐに行きます!」
――
雪の中で散々はしゃいだご令嬢と僕は、暖炉の前に横並びに座り、すっかり冷えてしまった体を暖めている。
ふたりきりになるつもりなどなかったのに、着替えを終えた後、メイド長と執事に強引に連れてこられてしまった。
薪が燃え爆ぜる音だけが部屋の中に響いている。ご令嬢も僕も、ただ黙って暖炉を見つめている。
そんな沈黙を破ったのは、ご令嬢からだった。
「雪遊び、楽しかったわ。付き合ってくれてありがとう。子供達も大喜びだったわ」
「いえ……僕も楽しかったです。誘って下さって、ありがとうございます」
僕たちは、くすくすと笑い合う。僕は、雪まみれのご令嬢の姿を思い出して。そしてきっと、彼女も何かを思い出しているのだろう。
でも、不意にその笑い声は止まり、途端に寂しくしんみりとした雰囲気があたりを包む。
「……ねえ……明日で、おしまいなのね。執事修行」
「そう、ですね」
それきり話は途切れ、再び沈黙が続く。
口を開けば、溢れる思いが止まらなくなりそうで、話したい気持ちと、話したくない気持ちが僕の中でせめぎ合う。
そんな時ふと、ご令嬢が僕の横顔を見ている事に気づく。
「どう、しました?」
ご令嬢は、何かを懐かしむような風に僕を見て、優しく微笑む。
「不思議ね……あなた、わたくしの大切な人に雰囲気が似ているの」
「大切な……人?」
まさか、思いを寄せている男でもいるのか、僕は不安に襲われる。だが、ご令嬢の答えは違った。
「ええ。わたくしのおじさま。小さい頃からわたくしをたくさん可愛がってくれた、とても大切な人」
「……その方が、僕に?」
「そう。顔立ちも体格も全然違うのに、どことなく雰囲気が似ているの。だからなのかしら……あなたを見ていると、すごくほっとする」
そう言うと、ご令嬢は僕の肩に、そっと頭を載せる。僕は驚いて、息が止まる。
「……ごめんなさい。今だけ……少しだけでいいから、このままでいさせて」
ご令嬢の柔らかい髪の毛が、僕の頬をそっと撫で、彼女の花のような心地よい香りが、僕の鼻をくすぐる。
僕は、彼女を抱きしめたい衝動を必死でこらえ、何でもないように取り繕って言った。
「……少しだけ、ですよ。こんなところが見つかったら、僕が叱られてしまう」
「ふふっ……!じゃあその時は、わたくしも一緒に怒られるわ」
「はは、それは心強い」
そして僕らは、冷えた体が暖まるまで、最後の、ふたりきりの時間を過ごした。
――
とうとう、僕の執事見習い最後の日が来た。屋敷の者、そしてご令嬢が僕を見送るために集まってくれていた。
僕を見るご令嬢の表情には、笑顔で隠しきれない悲しみが見える。
「寂しくなるわ。本当にもう行ってしまうの?」
「ええ。ここにいたら僕は先に進めないのです。お嬢様。どうか僕を、笑顔で送り出して下さい」
するとご令嬢は、少し不機嫌そうに、小さく頬を膨らませ、それからぼそっと呟くように言った。
「……いやよ」
「お嬢様」
困惑する僕に、ご令嬢は悲しそうに笑う。
「冗談よ……そんな子供みたいなわがまま、本気で言うわけないでしょう?」
そう言うご令嬢の表情は、必死で何かを誤魔化しているように見える。僕が去る事を、心の底から惜しんでくれているのだと、自惚れてしまいそうになる。
ご令嬢は、僕のそばに立つと、僕の手をそっと握った。
「あなたなら、新しい場所でも立派にやっていけると信じているわ。でもね……どうしてもここが恋しくなったなら、いつでも戻ってきていいのよ。わたくし、ずっと待っているから」
僕は、そっとご令嬢の手を握り返す。
「ありがとうございます、お嬢様」
でも僕は、今の僕はもう、永遠にここに戻る事はない。僕はご令嬢の言葉に否定も肯定もしないまま、とうとう別れの言葉を告げた。
「もう、行かなくては。お嬢様、皆さん。本当に、お世話になりました」
そして僕は、迎えの馬車に乗り込む。
窓の外、ご令嬢が小さく手を振る姿が見える。僕も手を振る。馬車が進み、どんどんと彼女の姿が遠く小さくなっていく。そして、その姿が見えなくなる瞬間、ご令嬢はその場に座り込み、顔を覆うのが見えた。
「いいのですか、若様」
「……いい。執事見習いの青年はもう、いないのだから」
僕は、今すぐにでも馬車を降り、ご令嬢の元へと駆け付けたい衝動を必死で堪え、窓のカーテンを閉める。
そして僕は、執事見習いに別れを告げ、本当の僕へと戻った。
ベッドから降り、震えながら見た窓の外には、一面の銀世界が広がっていた。
朝の仕事を終え、朝食を済ませた後、外から子供達の楽しそうな声が聞こえてきた。その中には当然、ご令嬢もいる。
彼女達は思い思いに雪と戯れている。と、窓から覗く僕に気づき、ご令嬢は大きく手を振った。
「ねえ!あなたも来てちょうだい!雪合戦するの!たくさんいた方が楽しいもの!ね、お願い!」
寒さと興奮で顔を真っ赤にして、大きな声で、無邪気に笑うその姿に、僕はたまらず窓を開く。
「全く……仕方ないお嬢様だ!すぐに行きます!」
――
雪の中で散々はしゃいだご令嬢と僕は、暖炉の前に横並びに座り、すっかり冷えてしまった体を暖めている。
ふたりきりになるつもりなどなかったのに、着替えを終えた後、メイド長と執事に強引に連れてこられてしまった。
薪が燃え爆ぜる音だけが部屋の中に響いている。ご令嬢も僕も、ただ黙って暖炉を見つめている。
そんな沈黙を破ったのは、ご令嬢からだった。
「雪遊び、楽しかったわ。付き合ってくれてありがとう。子供達も大喜びだったわ」
「いえ……僕も楽しかったです。誘って下さって、ありがとうございます」
僕たちは、くすくすと笑い合う。僕は、雪まみれのご令嬢の姿を思い出して。そしてきっと、彼女も何かを思い出しているのだろう。
でも、不意にその笑い声は止まり、途端に寂しくしんみりとした雰囲気があたりを包む。
「……ねえ……明日で、おしまいなのね。執事修行」
「そう、ですね」
それきり話は途切れ、再び沈黙が続く。
口を開けば、溢れる思いが止まらなくなりそうで、話したい気持ちと、話したくない気持ちが僕の中でせめぎ合う。
そんな時ふと、ご令嬢が僕の横顔を見ている事に気づく。
「どう、しました?」
ご令嬢は、何かを懐かしむような風に僕を見て、優しく微笑む。
「不思議ね……あなた、わたくしの大切な人に雰囲気が似ているの」
「大切な……人?」
まさか、思いを寄せている男でもいるのか、僕は不安に襲われる。だが、ご令嬢の答えは違った。
「ええ。わたくしのおじさま。小さい頃からわたくしをたくさん可愛がってくれた、とても大切な人」
「……その方が、僕に?」
「そう。顔立ちも体格も全然違うのに、どことなく雰囲気が似ているの。だからなのかしら……あなたを見ていると、すごくほっとする」
そう言うと、ご令嬢は僕の肩に、そっと頭を載せる。僕は驚いて、息が止まる。
「……ごめんなさい。今だけ……少しだけでいいから、このままでいさせて」
ご令嬢の柔らかい髪の毛が、僕の頬をそっと撫で、彼女の花のような心地よい香りが、僕の鼻をくすぐる。
僕は、彼女を抱きしめたい衝動を必死でこらえ、何でもないように取り繕って言った。
「……少しだけ、ですよ。こんなところが見つかったら、僕が叱られてしまう」
「ふふっ……!じゃあその時は、わたくしも一緒に怒られるわ」
「はは、それは心強い」
そして僕らは、冷えた体が暖まるまで、最後の、ふたりきりの時間を過ごした。
――
とうとう、僕の執事見習い最後の日が来た。屋敷の者、そしてご令嬢が僕を見送るために集まってくれていた。
僕を見るご令嬢の表情には、笑顔で隠しきれない悲しみが見える。
「寂しくなるわ。本当にもう行ってしまうの?」
「ええ。ここにいたら僕は先に進めないのです。お嬢様。どうか僕を、笑顔で送り出して下さい」
するとご令嬢は、少し不機嫌そうに、小さく頬を膨らませ、それからぼそっと呟くように言った。
「……いやよ」
「お嬢様」
困惑する僕に、ご令嬢は悲しそうに笑う。
「冗談よ……そんな子供みたいなわがまま、本気で言うわけないでしょう?」
そう言うご令嬢の表情は、必死で何かを誤魔化しているように見える。僕が去る事を、心の底から惜しんでくれているのだと、自惚れてしまいそうになる。
ご令嬢は、僕のそばに立つと、僕の手をそっと握った。
「あなたなら、新しい場所でも立派にやっていけると信じているわ。でもね……どうしてもここが恋しくなったなら、いつでも戻ってきていいのよ。わたくし、ずっと待っているから」
僕は、そっとご令嬢の手を握り返す。
「ありがとうございます、お嬢様」
でも僕は、今の僕はもう、永遠にここに戻る事はない。僕はご令嬢の言葉に否定も肯定もしないまま、とうとう別れの言葉を告げた。
「もう、行かなくては。お嬢様、皆さん。本当に、お世話になりました」
そして僕は、迎えの馬車に乗り込む。
窓の外、ご令嬢が小さく手を振る姿が見える。僕も手を振る。馬車が進み、どんどんと彼女の姿が遠く小さくなっていく。そして、その姿が見えなくなる瞬間、ご令嬢はその場に座り込み、顔を覆うのが見えた。
「いいのですか、若様」
「……いい。執事見習いの青年はもう、いないのだから」
僕は、今すぐにでも馬車を降り、ご令嬢の元へと駆け付けたい衝動を必死で堪え、窓のカーテンを閉める。
そして僕は、執事見習いに別れを告げ、本当の僕へと戻った。
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