その溺愛は行き場をさまよう

七天八狂

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11.仮初のつもりでなければ

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 八乙女のこの自分に対する執着は何なんだろう。
 単にふざけているだけだと思っていたが、それにしては度が過ぎているとも感じられる。
 というより、他人のものが欲しいからではないかと思えてきた。つまり、自分を求めている理由は、八乙女が珍しくもその飄々とした余裕を崩す相手である、久世の男だからではないだろうか。

「志信さんと西園寺さんは、婚約者とかいないんですか?」

 ふと気になって、西園寺のいなくなった二人きりの場で八乙女に聞いてみた。

「いるよ。ただ相手は留学中だから結婚式はまだ先だけど」
 
 さすがは御曹司というだけあり、当然のようにいるらしい。
 
「悠輔にもいた。というか、元々山科の令嬢は悠輔の婚約者だったんだ。生まれる前から決まってたんじゃなかったかな? 年は少し離れてるけど……」
「えっ? 本当ですか?」
 
 まさかと驚いた。生まれる前からだなんて許嫁というやつじゃないか。それなのになぜいきなり久世の相手に替わったのだろう。
 
「うそなんてつかないよ。悠輔が27だろ、山科の娘は確か大学出るくらいの歳だったから……5か6?かな。離れてるのは。とにかく、卒業したら結婚する予定だったはずだ」

 替わった理由が気になったのに、余計なことを聞いたせいで気がそれてしまう。西園寺が自分と三つしか変わらないなんて意外だ。もっと上だと思っていた。

「ちなみに志信さんは?」
 だとしたら、この男はいったいいくつなのだろう。
「ぼく? 聞いてどうするの? 守備範囲に関係あるとか?」
「そういうわけじゃありませんけど……」

 見た目には高校生と言っても通る、いや中学生でも行けるかもしれない。それなのに、あの西園寺が頭の上がらない様子を見せているのは、家名のレベルが違うからなのか、年齢のせいなのだろうか。どうでもいいことだとはいえ、ちょっと気になる。

「触って判断してみてよ」

 八乙女はすっと袖をまくり、にやにやとした笑みを向けてきた。
 隙あらばへたな真似をしようとするやつだ。その手には乗るものか。

「……知らないままでいいです」
 答えると、八乙女はこどものように口を尖らせた。
「年齢は自分で数えるものじゃなくて、相手が判断するものなんだ。雅紀くんの解答を聞いてみたかったんだけどな」
「それより、なぜ山科さんと透が婚約者になったんですか?」
「話を変えたな……。うーん、理由を知っても解決にはならないと思うけど」
「なぜですか?」
「相手を替えるなんて、せいぜい一度が限度だ。取っ替え引っ替えなんてしてたら嫌がられるからね。つまり、透になったからには絶対に解消なんてことにはならない」
「本人たちが拒否してもですか?」
「御曹司の身分を享受していて拒否なんてできないよ。ぼくだって10も下の小娘なんて御免なのに不満すら言えないんだから」

 10歳年下で留学中の婚約者がいる八乙女の年齢……は、どうでもいい。そんなことよりも、いまの話を聞いて合点がいった。久世の出した解決策は考えなしのことではなかったらしい。
 結婚から逃れるために家を出るなんて、まるで親に反抗心を抱いた中高生レベルだと思っていたが、それ以外に方法がないからという理由だったようだ。

「ていうか透が結婚したって、相手は他の女に夢中なんだからいいじゃないか」

 八乙女は言いながらカウンター席のほうへとグラスを傾けた。
 そこには、いまだ二人きりの世界に浸りきっている晶と美女がベッタリと寄り添い合っている。

「ですが、跡継ぎをつくるわけじゃないですか……」
「うわ。本当に嫉妬深いね。悠輔よりひどい」
「……普通だと思いますけど」
「だいたい、セックスなんてそんな高尚なものじゃないだろ? 握手となんら変わりないのに、大げさ過ぎるんだよ」

 全然違うと思う。身体だけの付き合いを何人もこなしてきた自分に言う資格はないが、もっと精神的なものも関わるし、普段は隠しておくものをさらけ出すというのは、握手なんかと同じではない。
 それに、自分はよくても──まったくよくはないが、久世も受け入れがたいことだと思う。
 結婚することになれば、なんにせよ別れなければならなくなる。

「悠輔なんて惚れた男がいても平気でやるからね。透も目の前で誰がやってようが知らん顔だ。この間の夜もそうだったし」

 おいおい、まじかよ。なくした記憶の中にはどれほど目をつむりたいレベルのものが入っているのだろう。思い出すのが怖くなってきた。

「……いや、透だけは違う。人がやっていても気にしないくせに、自分のは絶対に見せたがらないからな」

 いつの間に戻ってきたのか、西園寺が割って入ってきた。

「えっ? 雅紀くんとのあれは?」
「……あれを見て透が本気だとわかったんだ」
 答えながら、隣の席にやってきた。
「ああ、自分のときは許さなかったくせに、雅紀くんが相手なら違うからって?」
「あいつは潔癖なんだよ」

 それは知っている。というか、元彼と今彼が仲良く酒を飲んでいるだけでなく、久世の話をしているなんて、こんな状況があっていいのだろうか。
 それに、毎度必ずと言っていいほど交わされる、あけっぴろげな会話からも逃げ出したくなってきた。
 なぜこいつらからの誘いに乗ってしまったのだろうか。
 
「おお、晶」

 深い後悔に頭を抱えていたところ、西園寺の声が聞こえて顔をあげた。
 
「偶然か?」
 
 すると、晶が一人でテーブルの横に立っていた。
 
「さすが、キレのある質問をするね。『何してる?』とかじゃないんだ」

 さすがというなら八乙女のほうもだろう。質問には答えず、それが不自然にならないよう絶妙にかわしている。
 
「透の男がなんで悠輔たちと一緒なんだ?」
 晶はかわされても平然とした態度で、問いを重ねてきた。
「どうやったら婚約破棄できるか相談受けてるんだよ」

 この野郎は、煙に巻いて欲しいところでなぜその手法を使わない?

「……破棄はしない」
「ん? できない、じゃなくて、しないって言うの?」
 意外にも驚いた様子の八乙女に対して、晶は抑揚のない声で「そうだ」と返した。
「どうした晶、俺が恋しくないのか?」
 それに対して西園寺がおかしげに茶々を入れるも、晶は彫刻のように表情をいっさい変えない。
「悠輔より透がいい。どうせ結婚しなきゃならないなら、会話の楽しい相手がいい」

 つまり、本気で気に入ったということなのだろうか。趣味が合ったから? それだけじゃなくってこと?
 生田は驚いたが、八乙女たちも同様だったようで、おしゃべりな二人が珍しくも返答に詰まっている。

「別に愛人がいても構わない。が、破棄はしない。じゃあ」

 晶はそう言って、音もなくカウンター席へと戻っていった。

「AIなの?」

 大真面目にも眉根を寄せた八乙女の言葉に、思わず吹き出してしまう。
 確かに表情は彫刻というか、もはや絵のようだったし、声に抑揚がないどころか、今どきの機械音声のほうが豊かだと言えるほどだった。
 久世と二人で10時間も喋り通したという話だが、いくら趣味が合うと言っても会話なんて弾んだのだろうか。
 いや、久世が名前で呼んでいたことから考えても、楽しい時間を過ごしたのは間違いない。
 くそ。あんなロボットみたいな女と結婚するのか。
 しかも何を上から目線で『愛人がいても構わない』だ。礼でも言わせるつもりなのか?

「どうする? 悠輔」
「俺はむしろ親父から結婚を進めるように頼まれてるんだが」
「そうなの?」
「親父も二人の性格を承知しているからな。誰かが押してやらないと進まない」
「ふむ。……で?」
「なんだよ。だったら志信が力になればいいだろ」
「ぼくとしてみれば、雅紀くんが傷心になってくれたほうが楽なんだけど」
「見え透いた嘘つきやがって」
「嘘じゃないよ。ただ、人のものを奪うほうがより楽しいってだけ」

 二人でなにやら話していたところ、はあ、と西園寺が大きくため息をついた。

「雅紀のためじゃない。透のためだ」
 いきなりこちらに話を振ってきた。
「……なんですか?」
「破棄の方法がないわけじゃない」
「えっ?」
 絶対に無理だと断言されたばかりだというのに、何を言っているのだろう。
「うん。彼女の様子を見る限り、雅紀くんはガチで不幸になるっぽいからね」
 なんてことを八乙女は予言するんだ。
「……だから、同時に透も不幸になるわけだ。それは見過ごせない」
「ほくは透なんてどうでもいいし、傷心の雅紀くんを癒すのも楽しそうだと思うけど」
「志信!」
「はいはい。……あのね」
 
 西園寺にたしなめられた八乙女はそう切り出すと、驚くことに婚約破棄をするために久世が考え出したお坊ちゃん然とした解決策よりも、さらに具体的かつ、まともな策を語り出した。
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