その溺愛は行き場をさまよう

七天八狂

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17.別れるなら遠慮はしない

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 はっと気づいたときは射精をした瞬間で、排水溝に白濁したお湯が流れいくのを呆然と見つめていた。
 何しているんだろう。いや、何をしているのかは知っている。
 ソファで目覚めたあと、西園寺と八乙女を順に誘惑して、最後にここで自慰行為をしたのだ。
 朧気ながらも記憶はあるし、意識もあった。だからこそ、欲情しながらもギリギリのところ耐えることができたのだから。

 正直なところ、ここまで強烈な薬だとは思わなかった。
 いや、まだ収まったわけではないから、過去形ではない。効果は継続中である。
 三度も出しているというのに未だに疼いているなんて、さすがにやばすぎないか?
 
 久世が盛られた薬も同じものだったとしたら、このつらさも同様に味わったのだろうか。
 まさかと思いたいが、彼は同性愛者でもタチだから、しようと思えば女性でも相手にできるのではと考えてしまう。
 彼以外の同性に欲情したことのない──シラフの状態での場合だが、自分にその葛藤はわからない。
 万が一欲情してしまったのだとしても、彼も自分のように踏みとどまっていて欲しいと願わずにはいられない。
 

「意識が戻ったあとはやってないと思う」

 恥を捨てて西園寺に相談したところ、安堵できる見解を返してくれた。

「そうかな? ぼくたちだから手を出さなかったけど、あんな状態で攻められたら、薬を盛ってまでレイプした相手が引き下がるとは思えないな」
 八乙女には聞いてない。答えなくてもいいのに。
「いや、そもそも雅紀ほど強くは効いていないはずだ」
「なんで? 透は初めてだろ?」
「あれは形状的にバレないように盛るタイプのドラッグだから、一度に多くて二粒が限度だ。泥酔していない相手の場合、悟られないよう最小限にするだろうから、酒に強いあいつは一粒だと思う。雅紀はそれを七粒もキメて耐えられたんだ。二度目だとは言え、抗体なんてさほどついていない。比較するまでもない話だ」

 つまり西園寺は、意識を失わせるほうが目的で、その後に効いてきた媚薬効果のほうに期待はしていなかったはずたと言いたいらしい。自分ほど酩酊状態にはならないだろうだから、効いたとしてレイプできるレベルではないとの見立てのようだ。
 さすがドラッグをお手製するだけはあるというか、西園寺が言うと説得力が違う。
 
「なんか悠輔優しくない? 雅紀くんに惚れた?」
「それよりも、例の蓼科たてしなへ行く日は明日だ」
「……はぐらかしたな」

 八乙女は不満げに口を尖らせた。
 しかし、蓼科と聞いては王のご機嫌を取っている場合ではない。
 蓼科とは、山科氏と西園寺議員の密会場所だ。まだ先だと聞いていたはずだが、いつの間に予定が早まったのだろう。

「もうですか?」
「ああ」
「急ですね」
「……タイミングがなかっただけだ」
 
 西園寺は言いながら目をそらした。口ごもった物言いも、その不自然とも言える仕草も、彼らしくない。そればかりか、日程がわかった時点で連絡すると言っていたはずだ。
 もしや途中で協力する気が失せたのではないだろうか。
 やはり元彼と現恋人なんて、もともと友人であった場合を別として──いや、どちらにせよ親しくできる相手ではない。しかもまだ久世に気があるというのだから、なおのことだ。
 それでも協力を求めたのは、いや西園寺が自ら買って出たのは、久世が不本意な婚約を押し付けられたからだ。惚れた男のためなら、それが新たな恋人のためだとしても、助けになろうとしたのだろう。
 見た限りは本気のようだったから、それならばと信用することにしたが、本音としては面白くないのも頷ける。
 もしかしたら、油断を誘うため本気に見せかけただけで、手のひらを返すつもりだったのかもしれない。
 
「無理にご協力いただかなくても結構です」
「……どうした?」
「やはり婚約破棄だなんて無理があると思います」
「はあ? いきなり何言ってんだ」
「山科さんだけならまだしも、新たな婚約者だなんて手の打ちようがありませんから」

 言いながら立ち上がり、財布とスマホをポケットに突っ込んだ。
 そして去るべく足を踏み出したとき、耳につくほど大きなため息が聞こえてきた。

「不貞腐れてんじゃねえよ。俺が手を引いたと思ったんだろ?」

 西園寺は言いながら頬をゆるませた。やれやれといった感じで引き留めようとして見えるが、これも演技かもしれない。

「いいえ。そろそろ身の程を知るべきです」
「ほう。てことは、透のことは諦めるのか?」
「ええ。別れたいそうですから」
「それはあいつの本意じゃないだろ?」
「本意じゃなくても、政略結婚を阻止するなんて現実的ではありませんから」

 なおも言うと、今度の西園寺は呆れ果てたとばかりに鼻で笑った。

「嘘つけよ。信用できなくなっただけだろ。だが一人でどうする? 俺らの力がなきゃどうにもできないだろ?」

 それはそのとおりだ。彼らの協力を前提として考え出した計画なのだから、一人でやるとしたらかなりの手間と時間がかかってしまう。いや、頭からの練り直しになるだろう。
 そうなると面倒どころではないが、裏切られた場合、練り直すどころかすべてが水の泡になってしまう。
 難儀な道か、一か八かの道というなら、確実なほうを選びたい。

「ええ。ですから諦めるんです」

 答えると、西園寺は豪快に笑い出した。
 
「わかったわかった。ガキがいじけてるようにしか見えないが、疑い深いのはわるいことじゃないからな」
「なんですか?」
 ガキとはなんだとむっとする。
「……確かに、一度は手を引いた」
「えっ?」
 不服を感じていたところ、推測したことをずばりと言われて驚く。
「親父んとこであいつに会ったとき、晶のほうがまだマシだって言ってたから勘違いをしたんだ」
「山科さんのほうがマシ?」
「ああ。あいつは説明が足り過ぎるだろ? 今考えれば櫻田よりは、という意味だったわけだが」
 
 つまりは久世が『雅紀よりも晶と結婚したほうがマシ』だと言ったと思い込み、それなら婚約は破棄するべきでないと考えたらしい。
 確かに久世は寡黙というか、言葉足らずなところがあるから、新たな婚約者の存在を知らなければ誤解してもおかしくない。電話をしたとき、最初は気のない様子だったのもそれが理由だったのかもしれない。

「悠輔は透ファーストだね。ぼくとは逆だ」
 八乙女は言いながら立ち上がり、こちらのほうへ歩み寄ってきた。
「ぼくは裏切るような真似をしないよ」
「……僕と透を別れさせたいんじゃないんですか?」
 問い返すと、八乙女はおかしげにくすくすと笑った。
「別れたらぼくの相手をしてくれるの?」
 
 即答でノーだ。八乙女もわかっているはずなのに、なぜわざわざそんなことを言うのだろう。
 もしかしたら、友情を示すにも素直な物言いができないのだろうか。

「相手を落とすためには、第一に気を許してもらわなければ始まらないからね。望むものを存分に与えてからが本番だ」

 言い添えた言葉を聞いて脱力する。友情云々なんて思い違い、いや願望が過ぎただけだったらしい。
 
「……俺は志信と違って独占欲はない」
 西園寺が口を挟んできた。
「嫉妬心はあるくせに?」
「それは両立できる感情だ」
「素直になるなんて珍しいね」
「疑い深いだけでなく、聞き分けも悪いようだからな」

 いつものごとく二人にだけ通じる会話を始めたと思ったら、西園寺もこちらに近づいてきた。

「俺らにレイプなんてやるような趣味はないが、落とすことに関しては自負がある。欲しくなった男がノンケだった場合は少なくないからな」

 しかも、なにやらぞっとしないことを言いながらだ。

「僕は……」
「透は別れたいわけじゃないだろ。だがおまえが身を引くというなら、もう透に遠慮をする必要はないってことだな」
 それは久世のことだよな? 八乙女だけでなく西園寺もだなんて、まさか……
「そう。さすがに透を本気で怒らせるわけにはいかないから、今はセーブしてるだけだよ」
 
 八乙女が三日月の形に目を細めたのを見て、以前には感じなかった怖気が走る。さっきと言ってることが変わっているじゃないか。
 
「だから、おまえらが別れたくないっていうなら協力してやるが、本気で別れるつもりならゲームを始めるってことだ」
 
 二人がかりで冗談を言い始めたらしい。らしいというか、そうであって欲しいという、これまた願望かもしれないが。
 薬ならまだしも、感情なんてちょっとやそっとで変えられるものではない。本気だとしてこちらにその気がない限り、どれほどの手管を見せられても意味を成さない……はずだ。
 唖然としていたところ、顎をくいと指で持ち上げられた。
 
「いいのか?」

 西園寺にびびったことはない。いまだに未練があるらしい元彼の恋人である優越感なんてものも感じたことはない。
 むしろ圧倒されたことは何度となくあるし、妬んだことも少なくない。

「……よくはありません」

 ただ、これまでに一度も覚えたことのない感情に動揺してしまっただけだ。
 久世以外で初めて、同性を相手にどきりとしてしまったというか、顔が熱くなりかけたというか、ただでさえ色気のある美貌で熱っぽく見つめられて、否定するしかできなかった。

「じゃあ、櫻田の件もぶっ潰すって話でいいよな?」
「……はい」
「案があるんだろ?」
「え……」
「ポーカーフェイスってのはな、相手がどれほど自分を観察しているかによってレベルをいじらなきゃならないんだ」
「そうそう。演技はできても、普段とは違う態度を取ったら台無しだよ」
「女にモテる自覚があるなら、男の気も引く自覚も持っておいたほうがいいぞ」
 
 今度は二人がかりで説教めいたことを始めたのだと思ったのだが、もしかしたらと思って背中に冷たいものが走った。
 もしかしたら、始まったのはゲームのほうかもしれないと。
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