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18.蓼科でまさかの
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蓼科へは車で二時間半はかかる。
西園寺によると、密会は夜の予定だそうなので、それならばと半日は最終確認と準備のために費やし、夕方になる前に蓼科へと出発した。
久世には目的と行き先は濁しつつ、今夜は帰れない旨を伝えたのだが、「わかった」の一言だけであっさりと済んだ。以前大学時代の友人が遊びに来るかもしれないと話していたことがあったので、誘導したのもあるが、上手く勘違いしてくれたらしい。
「一人きりで大丈夫でしょうか」
ただ、いざ出発してみると、やはり連れて来るべきだったのではと不安になってしまった。
西園寺たちですら彼の動向を把握しているのだから、薬を盛るような相手であればそれくらい容易いだろうと思えてならない。
「二度も同じ手にかかるような男は、透じゃなくても別れろと言いたいね」
しかしそんな懸念も、王にぴしゃりとやれられてしまう。確かに大の男を強引に連れ出すなんて現実的ではないし、再び薬を盛られるなんてことになったら自分でさえも呆れてしまうだろう。
「あいつは他人を疑うようなやつじゃないから、雅紀が心配するのも無理はない」
運転中の西園寺が口を挟んできた。助け舟を出してくれたらしい。
「また二人がかりで姫扱い? いい加減にしてよ。あんなゴツい姫いないだろ?」
「……八乙女家の跡継ぎともあろう者が、透を目の敵にする理由がいまだにわからん。何人も群がってくるだろ?」
「何人もじゃなくて全員がいいんだ」
「強欲だな。櫻田と同種だ」
「それは否定しないけど、あんなに下品じゃないね」
「確かに下品なのは間違いない。婚約相手の横取りなんてあり得ない真似を平気でするんだからな」
非常識の権化かのごとくの西園寺たちですら驚くとは、よほどの相手なのだろうか。
そういえば、破断にされた側はどう考えているのだろう。
「山科氏はどういった反応をされていらっしゃるんですか?」
「晶の親父? 反応も何もまだこの話は耳に入っていないと思う。話がきたら、すぐ親父のところに連絡がくるはずだから、お叱りの電話が来ないってことはまだ知らないはずだ」
西園寺の返答に、八乙女が驚いたような声を上げた。
「じゃあ、お断りもしていないのに別の令嬢との婚約を進めてるわけ? 久世家ごときが信じられないな」
「それは透の親父というより相手が相手だから……」
西園寺がため息交じりに言うと、八乙女は「ああ、そうか」と憎々しげに顔をしかめた。
二人だけで了解されても、こちらは事情に精通していない。
どういうことなのかを聞いたところ、なるほど二人の不快げな様子にも頷ける相手だった。
櫻田家は、八乙女家に匹敵するほどの名家であるらしいのだが、現当主の櫻田真吉がその家名を悪評という形で塗り替えたのだと言う。
一代で日本有数の長者にまで上り詰めたほどのやり手でありながら、その見事な腕前とは裏腹に、強欲なまでに荒稼ぎをした手法と、居丈高で傲慢不遜な態度が顰蹙を買い始めたことが発端となり、たしなめられても聞かないばかりか、昔ながらの通例を無視するようになったらしい。
「立場だけでなく金もあるから厄介なんだ。金にモノを言わせて味方を増やしてしまったから、年寄り連中が何を言っても意味を成さない」
「んで、そんなのを見て育った娘はわがまま放題ってこと?」
「娘にはとにかく甘いという話だ。適齢期になったから、どこぞの国の王族なんかとの縁談でも決めてくるんじゃないかとの噂だったが、首相の孫に手を出すとは意表をつかれたな」
「いくらなんでも皇族には見合わないだろうからね。となると政界ってことなんじゃない? 安直なうえに下品な思考だ」
つまり、婚約者の横取りなどという非常識な振る舞いをされても、櫻田家が相手となると文句は言えないらしい。
「だったら、今夜のことも無駄になるんじゃないですか?」
どちらにせよ山科家との縁談がなくなるのなら、わざわざ危ない真似をしなくてもいいのではないだろか。
「いや、これはいわば保険だ。常識が通用しないってことは先が読めないことでもあるから、破断になるなんてこともあり得る。使うかどうかは別として、手札は揃えておいたほうがいい」
確かに西園寺の返答には納得できる。
「それよりも悠輔が父親に一杯食わせたいんじゃないの?」
八乙女が茶々入れるも、西園寺は真剣なほどの表情を崩す素振りはない。
「多少はあるが、それだけじゃない。目の上の瘤を取れる機会があるならやらない手はないだろ」
なるほどそういう意図もあるのか。
となると、久世のためだけでなく自身の目論見もあるわけだから、裏切るような真似はしないだろう。いや、むしろ自分以上に意欲的かもしれない。
だとすると、結果的に打ち明けてしまった計略に関して、漏れるどころか心配する必要もなさそうだ。
※※※
ようやくたどり着いたその旅館は、以前久世とともに八乙女たちに連れてこられた、高級旅館に似た趣のつくりだった。山里離れたところにある点も、部屋がそれぞれ独立した離れになっている点も似ているばかりか、個別の露天風呂もついているらしい。
こんなところがあちこちにあるのかと感心していたところ、「はあ、疲れた」とため息をついた八乙女は、さっそくとばかりに広縁へ向かって竹づくりの椅子に腰を下ろした。
何を疲れることがあるのだろう。
用事が用事なので使用人どころか運転手も付けずにやってきた。西園寺と自分は、交代で運転しただけでなく、両手に余るほどの大荷物のせいで、客室係と三人で運び入れることになったわけだが、八乙女だけはいつものごとくバッグの一つも持たなかったのである。
「露天風呂にでも入ろうかな。ねえ雅紀くん」
おまえ一人で入ってろよと八乙女に呆れつつ、西園寺に問いかける。
「何時頃でしょうか?」
「予定では三時間後だ」
「じゃあ、まだ時間はたっぷりあるね」
「親父たちはここへは何年も通っているから、いわば常連だ。まさか裏切られるとも思っていないだろうから、来る前に済ませてしまえば大した仕事じゃない」
「でしたら、早いところ取り掛かりますか?」
「ああ」
「今度は二人がかりでぼくを無視?」
ぶつぶつ言いながら八乙女は冷蔵庫から酒を取り出して一人で飲み始めた。
八乙女は何もせずとも、いや邪魔であろうが、存在だけでこの場の誰よりも価値がある。というよりも、彼がいるからこそ可能と言える計画なのだ。
この旅館はただの高級旅館ではない。セキュリティが堅固なうえに、秘密保持を売りにしており、お忍びで密会できるとして有名な場所なのである。
しかし、そのようにおもねるような真似をするというのは、つまり長いものには巻かれる性質を併せ持っている。秘密は漏れるものであり、さらに上からの圧力さえあれば簡単に口を割るわけである。
王を労うという名目で放置しているのは、八乙女家の権力を盾に目的の部屋とチェックインの予定時刻を聞き出してもらったため、あとは何もやることがないからなのだ。
一人酒盛りを始めた八乙女を置いて、西園寺と二人で小型カメラとマイクを手に密会場所となる部屋へと向かった。
鍵はどうするのだろうかと思いきや、聞く間もないほどの鮮やかさで、いとも簡単に開けてしまった。どこで身につけたのかまるで映画のような手際の良さだ。
西園寺は、父たちは密会のために来ているのだから、警察を呼ぶような真似はしないだろうと言って、犯罪まがい、いやまさに法を犯しても気にしていないらしい。
カメラは寝室やバスルーム、広縁や前室まで計五箇所に設置し、マイクは部屋中に散りばめた。データはオンタイムで同期されるため、本人たちに気づかれず撮影と録音ができてしまえば、あとは見つかろうとも構わないのだそうだ。
八乙女がぐーたらしている部屋へと戻ったあと、カメラのチェックを済ませて、あとは待機の時間となった。
「一時間程度は余裕があるな」
くわえ煙草で火をつけた西園寺を見て、自分もニコチンが欲しくなる。
「僕も、煙草吸ってきます」
「それならここで吸えばいいだろ」
「ええ。ですが、月がきれいですから」
部屋にはそれぞれプライベートな庭園がある。露天風呂とも繋がっているため、外からはもちろん、他の離れとも行き来ができないよう、草木に隠れて囲いが設置されている。そんな自然の風景を見たら、田舎育ちがゆえか、新鮮な空気を吸いたくなったのだ。
吸いながらしばし歩き回ったあと、ベンチを見つけたので腰をおろした。
レジャーは好きだから、友人たちとスノボやサーフィンがてらの旅行はわりと経験がある。といっても目的はそちらばかりなので、温泉宿でのんびりなんてしたことはなかった。誰かとそんな時間を過ごしたいと思ったことがなかったからだが、久世となら話は別だ。
いつかこんなところで彼と一緒に……なんて考えていたら、テレパシーかと驚くタイミングで久世からの着信があった。
「どうした?」
明日は休みだという話だから、22時を過ぎているこの時間に起きていても不思議ではない。だとしても、事前に用件があると伝えているのに電話をかけてくるなんて珍しい。
『いや、どうしてるかなと思って』
珍しいのは、行動どころか目的も同様のようだ。友人と一緒だと思っているはずなのに、いったいどうしたのだろう。
「寂しくなったの?」
『そういうわけじゃないんだが……』
「明日は休みなのに僕だけ出ていてごめんね。なるべく早めに帰るから」
『ああ……』
何かが気にかかっているような反応が返ってくる。寂しいからではないらしい。
「どうした?」
『雅紀は、今どこにいる?』
「え……」
いきなり聞かれて戸惑った。
出かけると言って行き先を濁したのも、いや濁すことができたのも、久世はそういうところに突っ込んでこないからだ。
まさかのことに何も思いつかないし、かといって嘘もつきたくない。どうしたらいいのだろう。
『もしかして蓼科にいるんじゃないか?』
悩んでいたところにズバリを突かれて絶句した。
『その……山村旅館とか』
続いて、さらに細かく突かれて飛び上がりそうになる。
「ちょっと待て。どういうことだ?」
見られていた? 見られるってどこで? まさか、つけられていた? いやそんな真似をする男ではなない。
『……いや、俺もいるんだ』
さらにとんでもない答えが返ってきた。
「は? どこに?」
『山村旅館に……今部屋の外に出ている。雅紀の声が外からも聞こえるんだ』
おいおい、ちょっと待てって。
東京にいるはずの久世が蓼科にいることを知っていて、いや、それどころか同じ旅館にいるなどと言って、声を聞いたなんて……うそだろ?
「何やってんだ?」
西園寺が現れた。この状況で電話なんてしていたから不審に思ったのだろう。
冷静に整理したかったこともあり、久世に少し待ってもらって、事情を説明することにした。
「もしかして櫻田につかまったんじゃないのか?」
確かに西園寺の言うとおりかもしれない。
一人にしたせいで、無理やり部屋に入られて引きずられ……久世を? 無理だろそんなの。
セルフツッコミを入れたら、少し落ち着いてきた。
「……ごめん、透はどこの部屋なんだ?」
『華風の間だ』
この近くだ。というか隣の隣あたりだった気がする。
「なんでいるんだ?」
聞くと、西園寺の推測通りだった。
ただ、暴力的に引きずられたわけではなく、自ら同行しなければならないレベルの理由だったらしい。
「事情はわかった。電話をかけてきたってことは、今櫻田さんは一緒じゃないってこと? 出てこれる?」
『出入りはしてもいいようだが、ついてくるらしい』
「何が? ってか誰が?」
『部屋の前に立っているガードマンらしき男だ。二人いる』
「二人か。ちょっと待って」
再びスピーカーに手をあてて、西園寺を手招きする。
事情を話すと、打ち上げ花火も真っ青な速度でブチギレた。
「二人くらいなんてこともない」
怒りの矛先をぶつけられるとでも言う笑みを浮かべている。
力強いどころか面倒を起こすのではと不安になるほどだが、まあ大丈夫だろう。
「……じゃあ、そのまま透を連れてきますか?」
「いや、あいつは色々とうるさいから、何をしたのかバレるとまずい。15分後に母屋へ来るように伝えろ」
西園寺に了承し、久世にその旨を伝えて通話を切った。
一時間はゆっくりできると思っていたのに、まさか姫を救い出すミッションが舞い込むとは。
どれほど先読みしても読み切れないことはあるということらしい。
西園寺によると、密会は夜の予定だそうなので、それならばと半日は最終確認と準備のために費やし、夕方になる前に蓼科へと出発した。
久世には目的と行き先は濁しつつ、今夜は帰れない旨を伝えたのだが、「わかった」の一言だけであっさりと済んだ。以前大学時代の友人が遊びに来るかもしれないと話していたことがあったので、誘導したのもあるが、上手く勘違いしてくれたらしい。
「一人きりで大丈夫でしょうか」
ただ、いざ出発してみると、やはり連れて来るべきだったのではと不安になってしまった。
西園寺たちですら彼の動向を把握しているのだから、薬を盛るような相手であればそれくらい容易いだろうと思えてならない。
「二度も同じ手にかかるような男は、透じゃなくても別れろと言いたいね」
しかしそんな懸念も、王にぴしゃりとやれられてしまう。確かに大の男を強引に連れ出すなんて現実的ではないし、再び薬を盛られるなんてことになったら自分でさえも呆れてしまうだろう。
「あいつは他人を疑うようなやつじゃないから、雅紀が心配するのも無理はない」
運転中の西園寺が口を挟んできた。助け舟を出してくれたらしい。
「また二人がかりで姫扱い? いい加減にしてよ。あんなゴツい姫いないだろ?」
「……八乙女家の跡継ぎともあろう者が、透を目の敵にする理由がいまだにわからん。何人も群がってくるだろ?」
「何人もじゃなくて全員がいいんだ」
「強欲だな。櫻田と同種だ」
「それは否定しないけど、あんなに下品じゃないね」
「確かに下品なのは間違いない。婚約相手の横取りなんてあり得ない真似を平気でするんだからな」
非常識の権化かのごとくの西園寺たちですら驚くとは、よほどの相手なのだろうか。
そういえば、破断にされた側はどう考えているのだろう。
「山科氏はどういった反応をされていらっしゃるんですか?」
「晶の親父? 反応も何もまだこの話は耳に入っていないと思う。話がきたら、すぐ親父のところに連絡がくるはずだから、お叱りの電話が来ないってことはまだ知らないはずだ」
西園寺の返答に、八乙女が驚いたような声を上げた。
「じゃあ、お断りもしていないのに別の令嬢との婚約を進めてるわけ? 久世家ごときが信じられないな」
「それは透の親父というより相手が相手だから……」
西園寺がため息交じりに言うと、八乙女は「ああ、そうか」と憎々しげに顔をしかめた。
二人だけで了解されても、こちらは事情に精通していない。
どういうことなのかを聞いたところ、なるほど二人の不快げな様子にも頷ける相手だった。
櫻田家は、八乙女家に匹敵するほどの名家であるらしいのだが、現当主の櫻田真吉がその家名を悪評という形で塗り替えたのだと言う。
一代で日本有数の長者にまで上り詰めたほどのやり手でありながら、その見事な腕前とは裏腹に、強欲なまでに荒稼ぎをした手法と、居丈高で傲慢不遜な態度が顰蹙を買い始めたことが発端となり、たしなめられても聞かないばかりか、昔ながらの通例を無視するようになったらしい。
「立場だけでなく金もあるから厄介なんだ。金にモノを言わせて味方を増やしてしまったから、年寄り連中が何を言っても意味を成さない」
「んで、そんなのを見て育った娘はわがまま放題ってこと?」
「娘にはとにかく甘いという話だ。適齢期になったから、どこぞの国の王族なんかとの縁談でも決めてくるんじゃないかとの噂だったが、首相の孫に手を出すとは意表をつかれたな」
「いくらなんでも皇族には見合わないだろうからね。となると政界ってことなんじゃない? 安直なうえに下品な思考だ」
つまり、婚約者の横取りなどという非常識な振る舞いをされても、櫻田家が相手となると文句は言えないらしい。
「だったら、今夜のことも無駄になるんじゃないですか?」
どちらにせよ山科家との縁談がなくなるのなら、わざわざ危ない真似をしなくてもいいのではないだろか。
「いや、これはいわば保険だ。常識が通用しないってことは先が読めないことでもあるから、破断になるなんてこともあり得る。使うかどうかは別として、手札は揃えておいたほうがいい」
確かに西園寺の返答には納得できる。
「それよりも悠輔が父親に一杯食わせたいんじゃないの?」
八乙女が茶々入れるも、西園寺は真剣なほどの表情を崩す素振りはない。
「多少はあるが、それだけじゃない。目の上の瘤を取れる機会があるならやらない手はないだろ」
なるほどそういう意図もあるのか。
となると、久世のためだけでなく自身の目論見もあるわけだから、裏切るような真似はしないだろう。いや、むしろ自分以上に意欲的かもしれない。
だとすると、結果的に打ち明けてしまった計略に関して、漏れるどころか心配する必要もなさそうだ。
※※※
ようやくたどり着いたその旅館は、以前久世とともに八乙女たちに連れてこられた、高級旅館に似た趣のつくりだった。山里離れたところにある点も、部屋がそれぞれ独立した離れになっている点も似ているばかりか、個別の露天風呂もついているらしい。
こんなところがあちこちにあるのかと感心していたところ、「はあ、疲れた」とため息をついた八乙女は、さっそくとばかりに広縁へ向かって竹づくりの椅子に腰を下ろした。
何を疲れることがあるのだろう。
用事が用事なので使用人どころか運転手も付けずにやってきた。西園寺と自分は、交代で運転しただけでなく、両手に余るほどの大荷物のせいで、客室係と三人で運び入れることになったわけだが、八乙女だけはいつものごとくバッグの一つも持たなかったのである。
「露天風呂にでも入ろうかな。ねえ雅紀くん」
おまえ一人で入ってろよと八乙女に呆れつつ、西園寺に問いかける。
「何時頃でしょうか?」
「予定では三時間後だ」
「じゃあ、まだ時間はたっぷりあるね」
「親父たちはここへは何年も通っているから、いわば常連だ。まさか裏切られるとも思っていないだろうから、来る前に済ませてしまえば大した仕事じゃない」
「でしたら、早いところ取り掛かりますか?」
「ああ」
「今度は二人がかりでぼくを無視?」
ぶつぶつ言いながら八乙女は冷蔵庫から酒を取り出して一人で飲み始めた。
八乙女は何もせずとも、いや邪魔であろうが、存在だけでこの場の誰よりも価値がある。というよりも、彼がいるからこそ可能と言える計画なのだ。
この旅館はただの高級旅館ではない。セキュリティが堅固なうえに、秘密保持を売りにしており、お忍びで密会できるとして有名な場所なのである。
しかし、そのようにおもねるような真似をするというのは、つまり長いものには巻かれる性質を併せ持っている。秘密は漏れるものであり、さらに上からの圧力さえあれば簡単に口を割るわけである。
王を労うという名目で放置しているのは、八乙女家の権力を盾に目的の部屋とチェックインの予定時刻を聞き出してもらったため、あとは何もやることがないからなのだ。
一人酒盛りを始めた八乙女を置いて、西園寺と二人で小型カメラとマイクを手に密会場所となる部屋へと向かった。
鍵はどうするのだろうかと思いきや、聞く間もないほどの鮮やかさで、いとも簡単に開けてしまった。どこで身につけたのかまるで映画のような手際の良さだ。
西園寺は、父たちは密会のために来ているのだから、警察を呼ぶような真似はしないだろうと言って、犯罪まがい、いやまさに法を犯しても気にしていないらしい。
カメラは寝室やバスルーム、広縁や前室まで計五箇所に設置し、マイクは部屋中に散りばめた。データはオンタイムで同期されるため、本人たちに気づかれず撮影と録音ができてしまえば、あとは見つかろうとも構わないのだそうだ。
八乙女がぐーたらしている部屋へと戻ったあと、カメラのチェックを済ませて、あとは待機の時間となった。
「一時間程度は余裕があるな」
くわえ煙草で火をつけた西園寺を見て、自分もニコチンが欲しくなる。
「僕も、煙草吸ってきます」
「それならここで吸えばいいだろ」
「ええ。ですが、月がきれいですから」
部屋にはそれぞれプライベートな庭園がある。露天風呂とも繋がっているため、外からはもちろん、他の離れとも行き来ができないよう、草木に隠れて囲いが設置されている。そんな自然の風景を見たら、田舎育ちがゆえか、新鮮な空気を吸いたくなったのだ。
吸いながらしばし歩き回ったあと、ベンチを見つけたので腰をおろした。
レジャーは好きだから、友人たちとスノボやサーフィンがてらの旅行はわりと経験がある。といっても目的はそちらばかりなので、温泉宿でのんびりなんてしたことはなかった。誰かとそんな時間を過ごしたいと思ったことがなかったからだが、久世となら話は別だ。
いつかこんなところで彼と一緒に……なんて考えていたら、テレパシーかと驚くタイミングで久世からの着信があった。
「どうした?」
明日は休みだという話だから、22時を過ぎているこの時間に起きていても不思議ではない。だとしても、事前に用件があると伝えているのに電話をかけてくるなんて珍しい。
『いや、どうしてるかなと思って』
珍しいのは、行動どころか目的も同様のようだ。友人と一緒だと思っているはずなのに、いったいどうしたのだろう。
「寂しくなったの?」
『そういうわけじゃないんだが……』
「明日は休みなのに僕だけ出ていてごめんね。なるべく早めに帰るから」
『ああ……』
何かが気にかかっているような反応が返ってくる。寂しいからではないらしい。
「どうした?」
『雅紀は、今どこにいる?』
「え……」
いきなり聞かれて戸惑った。
出かけると言って行き先を濁したのも、いや濁すことができたのも、久世はそういうところに突っ込んでこないからだ。
まさかのことに何も思いつかないし、かといって嘘もつきたくない。どうしたらいいのだろう。
『もしかして蓼科にいるんじゃないか?』
悩んでいたところにズバリを突かれて絶句した。
『その……山村旅館とか』
続いて、さらに細かく突かれて飛び上がりそうになる。
「ちょっと待て。どういうことだ?」
見られていた? 見られるってどこで? まさか、つけられていた? いやそんな真似をする男ではなない。
『……いや、俺もいるんだ』
さらにとんでもない答えが返ってきた。
「は? どこに?」
『山村旅館に……今部屋の外に出ている。雅紀の声が外からも聞こえるんだ』
おいおい、ちょっと待てって。
東京にいるはずの久世が蓼科にいることを知っていて、いや、それどころか同じ旅館にいるなどと言って、声を聞いたなんて……うそだろ?
「何やってんだ?」
西園寺が現れた。この状況で電話なんてしていたから不審に思ったのだろう。
冷静に整理したかったこともあり、久世に少し待ってもらって、事情を説明することにした。
「もしかして櫻田につかまったんじゃないのか?」
確かに西園寺の言うとおりかもしれない。
一人にしたせいで、無理やり部屋に入られて引きずられ……久世を? 無理だろそんなの。
セルフツッコミを入れたら、少し落ち着いてきた。
「……ごめん、透はどこの部屋なんだ?」
『華風の間だ』
この近くだ。というか隣の隣あたりだった気がする。
「なんでいるんだ?」
聞くと、西園寺の推測通りだった。
ただ、暴力的に引きずられたわけではなく、自ら同行しなければならないレベルの理由だったらしい。
「事情はわかった。電話をかけてきたってことは、今櫻田さんは一緒じゃないってこと? 出てこれる?」
『出入りはしてもいいようだが、ついてくるらしい』
「何が? ってか誰が?」
『部屋の前に立っているガードマンらしき男だ。二人いる』
「二人か。ちょっと待って」
再びスピーカーに手をあてて、西園寺を手招きする。
事情を話すと、打ち上げ花火も真っ青な速度でブチギレた。
「二人くらいなんてこともない」
怒りの矛先をぶつけられるとでも言う笑みを浮かべている。
力強いどころか面倒を起こすのではと不安になるほどだが、まあ大丈夫だろう。
「……じゃあ、そのまま透を連れてきますか?」
「いや、あいつは色々とうるさいから、何をしたのかバレるとまずい。15分後に母屋へ来るように伝えろ」
西園寺に了承し、久世にその旨を伝えて通話を切った。
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