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第3章〜新たな出発〜
芸術ホール③
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広いホールの天井からはロープに世界の国々の国旗が連なってぶら下げられている。私が巡った国々の旗だ。
ホールには無数の白いパネルが間隔を開けて並んでいて、その前に木の長テーブルが並べられている。テーブルの脇には長い棒に通された各国の国旗が立てられていて、国ごとの名作絵本がテーブルの上やパネルに展示されている。『ぐりとぐら』『ミッフィー』、『かいじゅうたちのいるところ』など幼い頃に読んだ絵本が沢山ある。一冊一冊を手に取って開いて観る。どれも色彩豊かで可愛らしい動物や人の絵が描かれた素敵な絵本ばかりだ。
ホールの一番奥、イギリス国旗の立てられたパネルの前に着く。200冊ほどの絵本作家の絵本が飾られている。
パネルに立てかけられている絵本の中に一冊見覚えのある表紙を発見した。湖のある野原の前に立つ茶色い虎柄の猫の絵が描かれた絵本ーー『猫のカルメン』だった。
オーロラの絵本が名作の一つに数えられていることが、まるで自分のことのように嬉しくて胸がいっぱいになった。手を伸ばし触れようとしたときだった。
「ちょっと、汚い手でオーロラの絵本を触らないでくれる?」
振り向くと、膝丈の赤いフォーマルドレスに身を包んだ同い年くらいの女が腕組みをして立っていた。ブロンドの長い髪を頭頂部で纏めている。髪型と色は変わったが一目で彼女と分かった。恋人だったオーロラを裏切り妻子持ちの男と不倫していた女ーー女優のエスメ・ホワイトだ。オーロラに振られた今も未練がましく付き纏っていると聞いた。オーロラを傷つけた癖にこんなところまで追いかけてくるなんて執拗にもほどがある。怒りで身体が震える。
私を嘲笑うように見つめる忌々しい女の顔を真っ直ぐに見返す。こんな人間に笑われる筋合いはない。彼女はオーロラを深く傷つけた。オーロラを泣かせた。とても許すことなんてできない。きっと50年後も80年後も死んでからも私は彼女のしたことを、オーロラの心を引き裂いて泣かせたことを許さないだろう。
「あんたオーロラの友達?」とエスメが尋ね距離を縮めてくる。
「そうよ、小学校のときからの友達よ。だったら何だっていうの?」
値踏みするように上から下までジロジロと見たあとエスメはふんと鼻で笑った。
「その汚い身なりで友達とか超ウケるわ! オーロラは今や世界的アーティストよ? 見窄らしい乞食みたいな人間がこの場所に何の用? オーロラに恥をかかせないでくれる? 彼女のことを思うなら、今すぐここから出て行きなさいよ!」
「出て行くのはあんたのほうよ!!」
頭に血が上り女に詰め寄った。女がたじろぎ後退る。
「は? あんた何様……」
「全部知ってるわ、あんたがオーロラにしたこと全部!! 彼女を裏切って馬鹿みたいに軽薄な男と不倫して、傷つけたことも全部!! 私を乞食って言ったわね?! 人の痛みを想像できないあんたの心の方がずっと貧しいわ!! オーロラがあんたを許しても私は許さない。絶対に、絶っっ対に許さないから!! 彼女を泣かせておいていつまで付き纏うつもり?! もう辞めなさいよ!! 私は彼女に会うために……プレゼントを渡すためにアルゼンチンから海を渡ってきたの。サーカスでクラウンを演じながらね。あんたのは愛なんかじゃない、あんたは自分が可愛いだけよ!! オーロラに縋って、自分を愛して欲しいって叫んでるだけの赤ん坊とおんなじよ!!」
エスメはふんとまた笑い、再び邪悪な笑顔を私に向けた。
「何必死になってんの? もしかしてあんたオーロラのことが好きなの?」
私は首を振った。彼女は小さく見えて非常に大きな部分を間違えていた。
「あんたは間違ってる……。私は……私はオーロラのことが好きなんじゃない!!」
無数の人の目が私に向いている。それも構わず私は叫んだ。胸の奥にずっとあった想いの結晶を、全身を切り裂かんばかりの声で叫んだ。
「私は彼女を好きなんじゃない!! 彼女を愛してるわ!! この世界を全部彼女にあげても足りないくらいに!!」
肩で息をする。全身が激しく脈打っている。
女が引き攣った顔で笑う。「あんたおかしいんじゃない?」と小さな声で言う。しかし、先ほど私をこき落としたときのような威勢の良さはない。たじろぎながらも私を狂った人間として扱うことで、この女は私に劣等感を抱かせようとしているのだ。
頭を冷やすためにホールの入り口に向かおうと踵を返したとき、シックなパープルのフォーマルドレスを纏った女性がこちらに歩いて来る姿が目に入った。ウェーブのかかった艶のあるブラウンの髪をハーフアップにした、紫色の目の女性ーー。
やがて彼女の目が私を捉えて静止した。時間が止まったみたいに、しばらくの間私たちはその場で立ち尽くしていた。
「アヴィー……?」
オーロラの唇から声が漏れる。懐かしい、夢にまで見た声と姿だった。深い紫色のドレスが、同じ色の瞳とオークルの肌と艶めく茶色の髪によく似合っていた。
「オーロラ!!」
駆け寄る時間さえも惜しかった。駆け寄って、その華奢な身体を力一杯抱きしめた。涙がとめどなく流れる。狂おしいほどの愛おしさと喜びに包まれ、抱きしめる手が震え心が震えた。
オーロラの両腕が私をそっと抱きしめ返す。以前より痩せた彼女の身体が震えているのが手のひらを通して伝わる。
「アヴィー、よかった……生きていて……!」
涙声が彼女の喉から溢れ出る。私の頬から伝い落ちた無数の涙が彼女の肩を濡らした。
ここまで2年の歳月がかかった。でも確かに私の腕の中にいるのはオーロラだった。紛れもない私の大切な、命よりも尊い愛おしい存在だった。
「会いたかった、オーロラ……!」
しばらく抱き合い再会の喜びを分かち合ったのち、どちらからともなく身を解いて向かい合った。オーロラの細められた紫色の目から涙が溢れていた。5年振りに見るオーロラはやっぱり最高に綺麗だった。以前より大人びたけれど、目も鼻も口も髪の毛も輪郭も、肌の色も身体つきも、全てのパーツがオーロラのものでオーロラのままだった。当たり前だけれど。
ホールには無数の白いパネルが間隔を開けて並んでいて、その前に木の長テーブルが並べられている。テーブルの脇には長い棒に通された各国の国旗が立てられていて、国ごとの名作絵本がテーブルの上やパネルに展示されている。『ぐりとぐら』『ミッフィー』、『かいじゅうたちのいるところ』など幼い頃に読んだ絵本が沢山ある。一冊一冊を手に取って開いて観る。どれも色彩豊かで可愛らしい動物や人の絵が描かれた素敵な絵本ばかりだ。
ホールの一番奥、イギリス国旗の立てられたパネルの前に着く。200冊ほどの絵本作家の絵本が飾られている。
パネルに立てかけられている絵本の中に一冊見覚えのある表紙を発見した。湖のある野原の前に立つ茶色い虎柄の猫の絵が描かれた絵本ーー『猫のカルメン』だった。
オーロラの絵本が名作の一つに数えられていることが、まるで自分のことのように嬉しくて胸がいっぱいになった。手を伸ばし触れようとしたときだった。
「ちょっと、汚い手でオーロラの絵本を触らないでくれる?」
振り向くと、膝丈の赤いフォーマルドレスに身を包んだ同い年くらいの女が腕組みをして立っていた。ブロンドの長い髪を頭頂部で纏めている。髪型と色は変わったが一目で彼女と分かった。恋人だったオーロラを裏切り妻子持ちの男と不倫していた女ーー女優のエスメ・ホワイトだ。オーロラに振られた今も未練がましく付き纏っていると聞いた。オーロラを傷つけた癖にこんなところまで追いかけてくるなんて執拗にもほどがある。怒りで身体が震える。
私を嘲笑うように見つめる忌々しい女の顔を真っ直ぐに見返す。こんな人間に笑われる筋合いはない。彼女はオーロラを深く傷つけた。オーロラを泣かせた。とても許すことなんてできない。きっと50年後も80年後も死んでからも私は彼女のしたことを、オーロラの心を引き裂いて泣かせたことを許さないだろう。
「あんたオーロラの友達?」とエスメが尋ね距離を縮めてくる。
「そうよ、小学校のときからの友達よ。だったら何だっていうの?」
値踏みするように上から下までジロジロと見たあとエスメはふんと鼻で笑った。
「その汚い身なりで友達とか超ウケるわ! オーロラは今や世界的アーティストよ? 見窄らしい乞食みたいな人間がこの場所に何の用? オーロラに恥をかかせないでくれる? 彼女のことを思うなら、今すぐここから出て行きなさいよ!」
「出て行くのはあんたのほうよ!!」
頭に血が上り女に詰め寄った。女がたじろぎ後退る。
「は? あんた何様……」
「全部知ってるわ、あんたがオーロラにしたこと全部!! 彼女を裏切って馬鹿みたいに軽薄な男と不倫して、傷つけたことも全部!! 私を乞食って言ったわね?! 人の痛みを想像できないあんたの心の方がずっと貧しいわ!! オーロラがあんたを許しても私は許さない。絶対に、絶っっ対に許さないから!! 彼女を泣かせておいていつまで付き纏うつもり?! もう辞めなさいよ!! 私は彼女に会うために……プレゼントを渡すためにアルゼンチンから海を渡ってきたの。サーカスでクラウンを演じながらね。あんたのは愛なんかじゃない、あんたは自分が可愛いだけよ!! オーロラに縋って、自分を愛して欲しいって叫んでるだけの赤ん坊とおんなじよ!!」
エスメはふんとまた笑い、再び邪悪な笑顔を私に向けた。
「何必死になってんの? もしかしてあんたオーロラのことが好きなの?」
私は首を振った。彼女は小さく見えて非常に大きな部分を間違えていた。
「あんたは間違ってる……。私は……私はオーロラのことが好きなんじゃない!!」
無数の人の目が私に向いている。それも構わず私は叫んだ。胸の奥にずっとあった想いの結晶を、全身を切り裂かんばかりの声で叫んだ。
「私は彼女を好きなんじゃない!! 彼女を愛してるわ!! この世界を全部彼女にあげても足りないくらいに!!」
肩で息をする。全身が激しく脈打っている。
女が引き攣った顔で笑う。「あんたおかしいんじゃない?」と小さな声で言う。しかし、先ほど私をこき落としたときのような威勢の良さはない。たじろぎながらも私を狂った人間として扱うことで、この女は私に劣等感を抱かせようとしているのだ。
頭を冷やすためにホールの入り口に向かおうと踵を返したとき、シックなパープルのフォーマルドレスを纏った女性がこちらに歩いて来る姿が目に入った。ウェーブのかかった艶のあるブラウンの髪をハーフアップにした、紫色の目の女性ーー。
やがて彼女の目が私を捉えて静止した。時間が止まったみたいに、しばらくの間私たちはその場で立ち尽くしていた。
「アヴィー……?」
オーロラの唇から声が漏れる。懐かしい、夢にまで見た声と姿だった。深い紫色のドレスが、同じ色の瞳とオークルの肌と艶めく茶色の髪によく似合っていた。
「オーロラ!!」
駆け寄る時間さえも惜しかった。駆け寄って、その華奢な身体を力一杯抱きしめた。涙がとめどなく流れる。狂おしいほどの愛おしさと喜びに包まれ、抱きしめる手が震え心が震えた。
オーロラの両腕が私をそっと抱きしめ返す。以前より痩せた彼女の身体が震えているのが手のひらを通して伝わる。
「アヴィー、よかった……生きていて……!」
涙声が彼女の喉から溢れ出る。私の頬から伝い落ちた無数の涙が彼女の肩を濡らした。
ここまで2年の歳月がかかった。でも確かに私の腕の中にいるのはオーロラだった。紛れもない私の大切な、命よりも尊い愛おしい存在だった。
「会いたかった、オーロラ……!」
しばらく抱き合い再会の喜びを分かち合ったのち、どちらからともなく身を解いて向かい合った。オーロラの細められた紫色の目から涙が溢れていた。5年振りに見るオーロラはやっぱり最高に綺麗だった。以前より大人びたけれど、目も鼻も口も髪の毛も輪郭も、肌の色も身体つきも、全てのパーツがオーロラのものでオーロラのままだった。当たり前だけれど。
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