照らす␣呪いの伝道者 〜【呪いの装備】しか使えない私流の攻略法〜

花咲実散

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第1章 【初咲きの夜明け】

【3話】 その剣、選ばれし勇者には引き抜けない

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「うおぉらぁっ!」


 アギョウは荒々しい雄叫びと共に、剣を掴んだ両手をバグの前腕に振り下ろす。

 ――鞘を装着したままの状態で。


「なっ!?」


 アギョウの星によって照らされたこの場の状況は、多少距離が空いてしまったエスカの目にもよく分かる。

 鞘が着いた剣など、ただの鉄棒も同然。

 もちろん鈍器としての攻撃力は十分だが、殺傷力の観点では刃に大きく劣る。

 なぜ剣を鞘から抜いて刀身を見せないのか、エスカにはとても理解できなかった。

 ……案の定、アギョウの振るった大剣は毛皮に覆われた腕にメリ込むも、それ以上押し進むことなく停止してしまう。


「ぐむっ!?」


 動きが止まったところを見逃さなかったバグのもう片方の腕が、再びアギョウの身体にクリーンヒットする。


「うっ!」


 エスカは思わず口を抑えて、悲鳴を喉の奥に押し殺す。

 明らかに人体から出て良い音ではない。人体が行なって良い挙動でもない。

  しかし、殴り飛ばされたアギョウは蝶のような不思議な浮遊感をもって宙を漂い、またしても五体満足の状態で地に足をつけた。


「今度は完璧に受け流しましたよ! 見ましたかレイヴさん!」


 本人は子供のような無邪気さで剣に向かって話しかけているが、状況はそう楽観的でいられるものではない。


「しかし、堅い……というより重いなあのバグ。殴ってる感触がまるでねぇ……」


 老人の声が、アギョウの握っている大剣から響いてきた。


「確かに、衝撃自体を吸収されるような不快感が手に残ります。単純に弾かれるよりもシンドいですよ……体力的にも精神的にも!」


 アギョウはバグの攻撃を掻い潜りながら老人の声に受け応える。


(あの人……なんで鞘から剣を抜かないの?)


 エスカのもっともな疑問をよそに、アギョウは両手で握っていた剣を右手に持ち直しながら後ろに跳躍する。


「とにかく、現状お前の手持ちでアレに通りそうなのは……『栄光の手マンドグロール』しかねぇな!」


「倒せなかったときのことを考えたら使いたくはないですねっ! クールビズのメイドさんも巻き込みかねないですし……グホッ!」


 バグの掌が直撃しね上げられるアギョウ。

 会話をしながらだったとはいえ、決して油断していた訳ではない。


「おいおい! さっきからスピード上がってるぞ!」


「それに学習能力も高いですよ! この新種!」


 空中で身をひるがえしたアギョウは着地を試みるが、つま先が地面に着く前に更にバグの追撃が襲い掛かった。


「むぅっ!」


 一度見た回避行動のパターンを分析し、逃げのルートを潰すようにして次の攻撃を仕掛けてくる。

 空中で更なる打撃を受けたアギョウだったが、またしてもそれを華麗になす。

 バグはそのまま宙を戯れるアギョウに何度も拳を振るうが、彼はそれをのらりくらりと受け流し続ける。

 まるで空中に放り投げられた布切れを殴るような徒労感と無力感。苛立ちを覚えたバグの前腕にますます力が込められる。

 バグが十度目の拳を振り上げたタイミングで、アギョウが小さく呟いた。


「『遊縫天衣ウェザーハイド』」


 その瞬間、アギョウが羽織っていたマントが生物のようにうねり、たなびき、羽ばたいて空間を叩く。

 マントが生み出す推進力によって飛ぶように空中を移動し、バグの猛攻から離脱した。


「お勉強が得意な君ならお分かりいただけただろう……そんな中途半端な攻撃、私には通用しないと」


 身を反転し着地しながら挑発の台詞を吐きかけるアギョウの口元からは、血が漏れ出ている。全く通用しないなどということはない。

 しかし、そんなことはオクビにも出さない。

 飽くまでも笑いながら、目を見開きながら自身が無傷であることを演じ続ける。


「もっと本気で来なさい。一撃で仕留めるつもりでっ!」


「フルルルルルルルァ!!」


 アギョウの挑発が通じたのかは定かではないが、その瞬間バグに大きな変化があった。

 全身の空気を大きな二つの鼻穴から勢いよく吐き出し、大地に突き立てた四肢に力を込める。

 焦茶色の全身の被毛が逆立ち、微細な痙攣けいれんを繰り返す。

 両腕を振り上げたバグは肉球から突き出た鉤爪かぎづめをめいいっぱいに伸ばし……。


「グァァァァァァァァァァァッ!!」


 ――自分自身を抱きしめるように腕を交錯させ、両腕の肩から手首までを自ら切り裂いた。


「!」


「ひぃっ!?」


 野生の生物としては考えられないおぞましいまでの自傷行為に、エスカの顔が引きつる。

 しかしそれだけでは終わらない。

 その傷の割れ目をなぞるように、更に爪を組み込ませる。

 掌を何度も往復させて毛を毟り、皮をめくり、肉をかき混ぜえぐり出す。

 噴水のように湧き出る血とバグの叫び声が溶け合い、狂った神話の一ページが出来上がる。

 皮下から溢れ出た筋繊維一本一本が蛇の如く腕中を這いずり回り、激しく絡み合い、より太い一筋の線となった。

 それらが織り合わされ積み重なり、バグの腕を中心にして全身に纏わり付く。
 

「ふむ、これは……」


 この時、アギョウの表情から初めて笑顔が消えた。


変異核醒へんいかくせい……マジかよコイツ……」


 先ほどまで元気に張り上げられていた老人の声も、恐怖に震え次第にか細くなる。

 大樹の如く巨大な熊のシルエット。その圧倒的な質量に、更に硬化した肉塊の装甲が施され……禍々しい鎧を着込んだ鬼神の姿が形成された。
 
 
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……ッ!」


 体内に溜め込まれた膨大な熱が剥き出しの筋肉から放出され、全身から湯気が立ち込める。


「…………はっ」


 遠くから眺めているだけのエスカですら、そのバグの放つ強大な威圧感に呼吸をするのも忘れてしまう。

 ――しかし。


「問題ありません……むしろ好都合ですよ!」


 バグの吹きかける死へと誘う吐息に、アギョウは高らかな声で返してみせた。

 その言葉に刺激されたのか……バグはゆっくりと構えを取り、攻撃の意思を前面に押し出す。

 今までの腕力に任せた大振りとは違う。上半身を捻り、膝を曲げ、全身全霊を右の掌一つに込める。

 増殖し膨張した筋骨を無理やりに捻り上げ、節々から不気味な悲鳴を鳴らす。

 溜め込まれた次の一撃がどれだけの破壊力を生むのか、想像するに易しい。今までのように受け流すことは敵わない。


「よぉし! こい!」


 しかしアギョウはその場で前傾に屈み、真正面から対峙する。

 避けるという選択肢を自ら排除する。

 走ってくる子供を胸中に迎え入れようと手を広げる、慈愛に満ちた父親のように。
 
 
 ――――そして。


 限界まで引き絞られたバグの前肢が次の瞬間、音もなく爆ぜた。
 
 人の胴ほどはある凶悪な鉤爪は、アギョウの胸に向けて正確無比に振り下ろされる。

 迫りくる特大の死に対してアギョウが取った行動は、たった一つ。

 左腕に着いていたバックラーを、体の正面に構える。それだけだった。

 その小盾は、迫りくる衝撃を一手に担うにはあまりに脆弱。

 衝突と同時に自身諸共跳ね飛ばされることは必至。

 目を背ける暇さえないほどの刹那、アギョウの死が確定したはずだった。


「――え?」


 しかしエスカは……エスカトーネ・フィルインはその時目にした。

 幼き頃に夢想した、おとぎ話のような出来事を。

 小さな勇者が巨大なモンスターを打ち倒す、その光景を。


「ゴフゥオッ!!」


 アギョウの盾に触れた次の瞬間、バグの体が後ろに大きくのけ反った。

 まるで、白目を剥いて口から唾液を撒き散らした。


「!」


 アギョウはその隙を逃さず、倒れかけているバグの股間から腹、鳩尾みぞおち、胸と蹴り上がり顔面に到達する。


「お返し……だっ!」


 そのまま手に持っていた大剣を逆手に持ち直し、バグの左目に全力で突き立てた。

 泥を叩くような不気味な水音が弾け、鞘に収まったままの剣が勢いよく眼孔に沈み込んでいく。 


「うおぉぉぉぉぉぉっ!」


 そのまま刺さった剣をかき回しながら全体重をバグの顔面にかけ、踏みつけるように後ろに押し倒した。

 バグの圧倒的な質量が大地に叩きつけられ、森の木々が一斉に震え上がる。


「フ……ムンっ!」


 赤、黒、黄……様々な色の粘液が付着した剣を抜き取ったアギョウは、バグの様子を確認することもなくノータイムでエスカの元へ全速力で駆け寄った。


「逃げるっ! 掴まりなさい!」


「あ、あい!」


 なんの補助もない跳躍で高木の頭まで到達してしまう身体能力には、もはやなんの疑問も抱かない。

 大剣を腰に差したアギョウはエスカを背中に担ぎ、全速力で駆け出した。

 気になったエスカがチラリと後ろを振り返ると……バグが倒れ込んだ状態で完全に静止している様子が目に映った。

 追ってこないという確信が湧き上がり、それに伴って栓を外したようにエスカの瞳から大量の涙が溢れ出す。


(助かった……アタシ、助かったんだぁ……!)


 エスカは思わず……目の前の大きな大きな背中に顔をうずめ、流れて止まない恐怖と安堵の混じった涙を拭い去った。

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