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早すぎる別れ
しおりを挟む冷たい川に手を突っ込み、じゃぶじゃぶと洗濯物を揉みこむ。
洗っているのは、獣人の衣装と包帯だ。
「はぁ~~~~」
朝から十回目の溜め息が出た。
全身だる重く、下半身には違和感が消えない。まだあの獣人に触られた感触が残っている。
冷静になればなるほど、昨日の俺はおかしかった。
……だって、信じられないだろ。
興奮した獣人を鎮めるためではなく、俺が欲求不満で彼の上に乗ったみたいになっていた。あんなに喘いで、乱れて……。
ただ、彼もケガの痛みより気持ちよさそうだったので、それは幸いだった。
何度も精を出しているのに、全く萎える気配がなかった。、獣人の性欲は凄い。
「うぅ~、アイツに出会ってから、胸も身体もざわつく」
獣人のことを考えると、ドキドキする。
それを誤魔化すように、パンッと服のシワを伸ばした。
「高そうな布……」
太ももまである長い上着は、深緑の生地に金色刺繍が施されている。光の加減で模様が浮かび上がるその織りは、素人目にもただの装飾ではないと分かる。洗っても汚れは完全には取れないが、不思議と品格を損なっていない。
はじめはただの漂流者だと思った。だが、獣人が身に付けているものはすべて一級品だった。貴族もしくは豪族の持ち物と見て取れる。
そして彼の肩にあった傷。あれは、矢傷だ。
犯罪者か、陰謀に巻き込まれたのか、あるいは、海賊に襲われたのか? いずれにせよ、彼は何かから逃れ、この国へと辿り着いたのだ。
「アイツ、……これから、どうするんだろう?」
疑問を口にしながら、俺は洗濯物を籠に入れて立ち上がった。
ここに来る前、獣人は眠っていた。次に戻ったら、目覚めているかもしれない。
なんて声をかけたらいいんだろう。
昨日はスッキリしたか? 気持ちよかったか?
「いや、そんなことを言いたいわけじゃない。はぁ、……ん?」
ふ、っと風が吹いた瞬間、甘い香りが鼻をくすぐった。横にある樹に生っているのは、桃だ。
──獣人はみかんもぺろりと平らげたから、きっと腹を空かせているだろう。
俺は籠を地面に置いて、桃をひとつ手に取った。
「……あ」
視線の先には、二匹のシカがいた。川に流れる水を飲んだあと、顔を寄り合わせじゃれついている。その様子はどこか昨日の自分たちと重なった。
もし……獣人に行く当てがなかったら……俺が面倒みてやってもいい。
山奥でひとりで倒れているくらいだ。行く当てがなくて、きっと困っているだろう。
「一緒に暮らすかって言ったら、驚くかな? ……喜ぶ、よな? だって、あんなに俺を見て嬉しそうにするんだもん」
口にすると、胸が熱くなってきた。
なんて、いい思い付きだ。
「しし……ししし」
笑いが出ると、止まらなくなる。
洞窟に着いたら、早速提案してみよう。あっ、その前に自己紹介だ。まだ名前すら伝えていなかったっけ。何もかも順番を間違えた。なら、何から言おうかな──ウキウキしながら洞窟へと足を進めた。
「……ん」
変な匂いが鼻をつく、空を見上げた。青い空には、白い煙が立ち上がっている。狼煙、合図……?
──もしかして、洞窟で寝ているアイツが見つかった⁉
この国は、移民は許されていない。厳しい処罰が待っている。それが人ではなく獣人の場合はどうなるのか。場合によっては、彼の命が危ない。
急ぎながらも、足音を立てぬよう慎重に洞窟へ向かう。
予想していた通り、狼煙は洞窟前で上がっていた。
「……っ、待ってろ。助けてやるからな」
腰にはナイフが二本。これで、攪乱させて彼を逃がしてやるんだ。
木陰に隠れながらタイミングを見計らっていると、洞窟の中から誰かが出てきた。
フードを被った奴が二人……。
誰も見ていないと油断したのか、ひとりが頭のフードを外した。それを目にした瞬間、恐怖で肌が粟立つ。
驚いたことに、虎だった。二本足で歩く虎。
「……っ⁉」
──あれが獣人⁉ 助けたアイツとは全然違う。今見ている奴は、完全に動物の顔だ。同じ獣人でも、別物だ。
なら、あの虎は人間を食べるもしれない。デカい口は人の頭を丸飲み出来るだろう。牙だってあんなに鋭い。
「……が、無事でよかった」
虎が、喋った。
「あぁ、我が国に連れて帰ろう」
ふたりとも、この世界の共通語を使っている。
彼らが“無事でよかった”“連れて帰ろう”と話しているのは、あの獣人のことだろうか。
アイツに連れがいた。……獣人の国に帰る?
思わず後ずさると、足元で、落ち葉の乾いた音を立てた。
「……誰だっ!」
わずかな音に気付いた虎獣人がこちらを見て吠えた。
その瞬間、条件反射のように俺は全速力で駆け出していた。洗濯物も、プラムも、何もかも放り捨てて逃げる。背後から獣人が追いかけて来る音が聞こえる。獣人が追ってきている。食べられる、殺される。
恐怖が頭の中を支配して、ただ、走っていた。
傾斜を滑り落ちるような勢いで下ると、背後から「深追いするな」というもう一人の声が聞こえた。恐怖で振り向けなかった。
はぁはぁ……。
走って走って、山を下り切ったところで、ようやく後ろを振り向き、誰もいないことを確認する。
その場にしゃがみ込んで、息を整えた。瞼を閉じると、目頭が熱くなるのを感じる。
──俺とは、初めから違ったんだ。
「ぁ」
あーあ。いつものように、そのひとことで諦めよう。
そう思ったが、あの獣人のことが脳裏に浮かび、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「……だけど、礼ぐらい言われてもいいよな? そうだよな」
看病して、お礼の一言も言われないなんて。割に合わない。
冷静さを欠いて逃げ出したが、彼の仲間なら俺のことを食わないかもしれない。共通語を使うなら話し合いだって出来るはず。
そう思うと、じっとしていられなくて立ち上がり、逃げて来た山道を足早に戻る。
下りは早いが、登りは倍以上の時間がかかる。それがもどかしい。
洞窟の前に着くと、狼煙は消えていた。
嫌な予感がして、急いで洞窟に入り、そして、もぬけの殻になった洞窟内を見て、足が震えた。
「……う、そ」
そこには誰もいなかった。もぬけの殻。
敷いていた干し草や血のあと、すべてが綺麗に片づけられている。まるで、初めから俺一人しかいなかったかのように。
さっきの狼煙は合図じゃない。アイツの痕跡を燃やして消していたんだ。
俺は慌てて、洞窟を出た。足跡を必死に探してみるけど、どこにも見当たらない。
どうして、早い。もう少し、ほんの少し、俺を待ってくれようとは思わなかったのか。
「はっ……————はっ、はぁ」
とんでもない後悔が襲ってきた。
——逃げるんじゃなかった。なんで俺は彼から離れて逃げたんだ。
息が苦しい。胸も身体も全部、張り裂けてしまいそうになりながら、山を駆けのぼった。高い場所から、視界が開け、海が広がる。
そこに一隻の船があった。見たこともない船だ。その船の上にローブ姿のふたりがいる。あれはさっき追いかけてきた……
口の端が震える。
「ま、って……待って! 待ってよぉ!」
気づけば叫んでいた。なのに船は進んでいく。
行ってしまう。俺のことなど、気にせず──
「行っちゃったあ!」
目から大量の涙が一気に溢れ、膝から崩れ落ちた。どしゃぶりのように目から涙が止まらなくなる。
こんな風に大泣きしたことは、初めてだった。
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