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不調
しおりを挟むいつものように海辺の崖を登り、赤葉を摘む。
ふぅっと腰を落とし、そこからただひたすら広がる海と空の景色を眺める。
最近、こうしてぼんやりと海を見て過ごす時間が増えた。
漁船と貨物船が浮かんでいるだけで、変わった船は見かけない。
「この海を渡ったら、どの国に着くんだろう」
二か月前に助けた獣人は、仲間に連れられ海を渡ったっきり戻ってこない。この島国以外のことをあまりに知らなくて、想像も出来ない。
冷たい海風が頬を打ち、身体が冷え込む前に崖を下りた。ここから住処までは、ひとつ山を越えなければならない。歩きながら、食用の野草や果物を摘み取っていく。
住処の周辺には、獣の侵入を知らせるために鈴をつけた紐を張っている。さらにあちこちに罠を仕掛けてあり、今日は兎が一匹かかっていた。
小屋に着くと早速焚き火を起こし、捌いた肉をじっくり炙る。食べられる頃合いになると、すっかり辺りは薄暗くなっていた。
はぐっと大きな口を開けて肉にかぶりつく。朝から果物しか口にしていないから、空腹のはずだった。なのに、一口食べただけで充分だった。
「……やっぱり食欲ない」
服の上から腹を擦る。一口だけなのに胸やけ気味だ。何か食べなくちゃいけないのに、食欲が湧かない。
おまけにここ最近、身体が熱っぽくだるさが続いている。
「……風邪が長引いているのかな?」
今日も早めに寝てしまおうと、炙った肉を干し、小屋の中に入った。
干し草が敷き詰められた場所に寝転ぶ。そして──新緑色の上着を自分の身体にかけた。
獣人が忘れていった服だ。獣人の膝上丈の上着は、俺の布団に丁度良かった。
──こんな上等な服を持って帰らないなんて、本当に馬鹿な奴だ。
スラム街では落とし物は拾った者のモノ。
だから、これは俺のモノ。——でも、取りに戻れば返したっていいのに。
瞼を閉じると、すぐに意識が眠りに引っ張られる──
ちりん。
侵入を知らせる鈴が鳴り、俺ははっと起き上がる。
恐る恐る、小屋の窓から顔をのぞかせるが、ここからでは何も見えない。集中し、辺りの物音を拾っていく。風が、草木を揺らす。虫が鳴き、みみずくが低く声を落とす。
──そして、足音。四本足の獣じゃない、二本足だ。
ゆっくりと、落ち着いて、一歩また一歩とこちらに近づいてくる。
遭難者か? それともならず者?
念のため、腰にナイフと斧をぶら下げ、そっと小屋から外に出た。
姿は、見えない。だが、ゆっくりこちらに近づいている。その音がする方向へ視線を向けると、ローブを頭まですっぽり被った男がいたので、どくんと心臓が跳ねる。
「あ……アンタ」
──あの時の、耳としっぽの付いた獣人か⁉
一瞬、胸が躍る。だが、近づいてきた獣人に、姿は見えなくても違うと分かった。
そして、ふっと侵入者はローブを外した。現れた獣顔に、息を呑む。
黒い毛並み、虎と似ているが、全く異なる獣。
ただ、獣男は礼儀正しく頭を下げた。ルムダン人よりよほど、ちゃんとしている。
「豹です。豹の獣人。この国にはない生き物のはずです。貴方も走りが相当早いですが、私の本気には及びません」
「豹? その声……」
俺は耳と記憶力はいい。だから、この声が洞窟から追われたとき、『深追いするな』と言った声の主で間違いないと思った。
もしかして、アイツが俺を探している? だから、この男がやってきた?
「耳としっぽが付いた奴は? アイツは無事か? その……、怪我をしていたから」
なんだか緊張して、声が掠れる。
「お答えする前に、ひとつ、質問があります。貴方は人間で間違いありませんね?」
「え? あぁ」
「本当に?」
「見ての通りだ。ルムダンには人間しかいないんだ」
俺が答えているのに、豹男は独り言を呟く。
「やはり、あの御方は、熱に浮かされて勘違いをされたか……」
「なぁ、今、アイツは──」
豹男は俺の言葉を制するように、すっと手を出した。その手は人間の形をしているが、肉球があり、鋭利な爪が生えている。
「はい。あの御方は無事です。ですが貴方には一切関係ありません。全てお忘れください。アイツなどと呼んでいい御方ではないのです」
貴方には不釣り合いだと、豹男は言葉を続けた。
「はぁ⁉ なんで貶められなくちゃいけないんだ。俺はアイツの」
アイツの……何者でもなくて言い淀む。
すると、獣人は懐から袋を手にした。ちゃりんの金目の音がする。
「貴方があの御方を助けて下さったことについては、大変感謝しております。これはあの方を手当てしてくださった礼です」
「はぁ⁉ そんなもんいらねぇよ! 馬鹿にするな!」
「多少、マシな恰好が出来るでしょう」
「……っ、いらねぇ! それを置いたら、ぶっとばずぞ」
怒鳴りつけながら、自分の台詞とは思えなかった。
貰えるものはもらう。そうしなければ生きていけない。だが、アイツを助けたのは、金のためだと思われるのは心底嫌だった。
「私にはこの金が貴方に必要に思える」
「……」
お前は、薄汚れたボロを身に纏ったみずぼらしい人間。
そう言われたような気がして──ぎゅっと掠れた裾を掴む。
「ア、アンタは……アイツに言われて、俺を探しにきた⁉ 違うのか⁉」
俺がアイツを思い浮かべるように、アイツも俺を……
少しの沈黙のあと、豹男は首を横に振った。
「あの御方は忙しく、些細なことにかまっている暇はございませんので」
「些細……わ、すれたって……こと?」
「そのうち忘れるでしょう」
その言葉は、俺の心臓の奥深くに突き刺さった。
暗闇だから真っ暗ではなく、視界がふっと暗く消えた。
呆然と立ち尽くしている間に、豹男はいなくなっていた。
身分が違う。俺はスラム街で、向こうは高貴の出。初めから重ならない線。
けれど……会いたかった。
そのうち戻ってくるんじゃないかって。そう期待していたのは、俺だけだったんだ。
「──うっ!」
急に食べ物がせり上がってきて、俺はその場に蹲って吐いた。
ほとんど中身のない黄色い液体が、止まらない。頭もガンガンと岩をぶつけられたように痛みだす。
胃の中が空っぽになっても、気持ち悪さが残ったままだった。
◇◇◇
「召集令?」
農家のおっちゃんに馬車に乗せてもらいながら、俺は首を傾げた。
「そうさ。赤毛で、二十歳までの年頃の男に召集令状が出ているんだ。先日から毎日のように役人が回っている」
「へぇ?」
「なんでも、行くだけで報酬が貰えるらしい」
「ふぅん? でも、俺、二十七だしな」
年を話すと、おっちゃんがこっちを振り向いて、「えぇええ⁉」と叫んだ。
「わわ、おっちゃん、前! 前を向いてくれよ」
俺は慌てたが、おやっさんの手綱を持つ手はしっかりしているので、なんともない。
「いや……驚いた。せいぜい十七、十八くらいかと」
「あは。よく言われる。あ、ここでいいよ。代金ここに置いておくよ」
俺は代金をそっと、荷台に置いた。
商売街の露店が犇く通りを抜け、細い路地を進みスラム街を通り過ぎると、空気の色が変わる。
異なる雰囲気を纏った一角──情街通りだ。
白壁に、窓枠だけ橙色に塗られた館が連なる。建物の前に佇む女も男も、色気を纏う。
「どうも~、こんにちは! どなたかいらっしゃいませんか!」
角に建つ、ひときわ大きな屋敷の扉を叩く。すぐに返事があり、重々しい音とともにドアが開いた。現れたのは、肩幅の広い大男──この館の護衛らしい。
この街は治安が悪く、店はそれぞれ護衛を雇っている。ここも例外ではない。
「あぁん? なんだ、客じゃねぇだろう?」
護衛は金を持っていなそうな貧相な恰好の俺を見て、シッシッと手を振った。そんな失礼な対応にも慣れている。
「うん、客じゃない。ここにいるスーリャにコバが来たと伝えてくれ」
そう声をかけると、怪しむ大男は目を細めてドアを閉めた。
門前払いを食らったが、暫くすると、階段を駆けてくる音がし、勢いよく館のドアが開いた。
「コバッ!」
見目美しい男が、勢いよく俺の方に飛びついてきた。
「スーリャ!」
「会いたかったぜ、この野郎~!」
彼は、俺の両頬を掴んでぶちゅぶちゅと頬にキスをする。スーリャは男だが、口紅をひいているせいで、俺の頬はキスマークだらけになる。その顔で、ニッと微笑む。
「スーリャ、元気にしていたか?」
「あぁ、この通り。コバはちょっと痩せたか? ちゃんと食ってんのかよ」
スーリャは俺から身体を離した。
男とは思えない美しい顔立ち。気の強そうなつり目。パツンと切りそろえられた艶やかな黒髪は、腰まで伸びている。彼が着ている足首まである衣は、太腿まで深くスリットが入っていて、彼のすらりと伸びた美しい足をより強調している。
「ますます美人になったな」
褒めると、スーリャはパチンとウィンクする。
背後にいた護衛は、頬を染めた。美しい彼と目が合うだけで、皆、頬を染める。
ここは、街一番の高級売春宿で、スーリャはその美を売っていた。
「そこのお前、俺の部屋に食事を運んでくれ。それから、コバが来ているあいだ、俺のことを絶対に呼ぶな。客には待たせておけ」
横暴ともいえるような態度で護衛に命じる。それが許されるのは彼が店の一番人気を誇っているからだ。
俺は館内に案内され、スーリャ専用の個室に通された。棚には美しい宝石や衣装がずらりと並んでいる。だが、それは肌を飾るだけのもの。彼のためのものだが、彼のものじゃない。
「座れよ、兄弟」
兄弟、と呼ばれるのは、スラム街で兄弟同様に育ったからだ。俺は山暮らし、スーリャは娼館へと別々の道を歩んだが、今でも彼を本当の弟のように想っている。
ベッドに腰を掛けると、スーリャも俺の前に椅子を持って来て向かい合って座った。俺たちはへへっと笑い合った。
「そういえば、コバも赤毛だよな? 王都には行ったのか?」
「召集令のこと?」
「あぁ」
二十歳までの赤毛の男。
「行かないよ。年齢が当てはまらないしね」
「まぁな……けどよ、その見た目、間違われないか気を付けろよ」
「間違うって?」
スーリャの含んだ言い方が気にかかり、説明を促すよう目配りをする。
「……ここだけの話。召集令はたったひとりを探すためのものだ」
「国中すべての十代を集めて、たったひとり?」
「あぁ、この召集令は、別の大国が指示している。ルムダンは小っちゃい国だから言いなりなんだ。相当な圧力をかけられている」
スーリャは役人、しかも管理職クラスの人間と繋がりがある。こういった情報も彼の方が耳に入りやすい。今のところ年齢制限を設けているが、その制限をなくそうって話が出ているらしい。
「間違われたら、どうなるんだろう?」
「金持ちに囲われるかもよ」
「まっぴらごめん」
くっく。と笑うスーリャは、この話はおしまいとばかりに葉巻を持った。立ち上がり窓を少し開けると、外にいる誰かに手を振っている。そして、こちらに振り返る。
「で。どうしたんだ?」
「どうもしないよ。ただ会いたかったんだ。……スーリャの顔を見れば元気になれると思って」
「な、なんだよ突然⁉ そんなの……俺もだし……?」
急に照れ始める彼に微笑みながら、立ち上がって着ている服を脱いだ。
「ん? 突然なんだよ?」
「見てくれ」
彼に背中を見せて振り向くと、スーリャは火をつける前の葉巻をポロリと落とした。
「……っ、なんだこれ、背中に……赤い羽根?」
ちょうど肩甲骨のあたりだ。そこには人間の毛じゃない、動物の体毛のようなものがちょこっと生えている。
スーリャはそこにそっと触れる。
「……本当に生えている」
「あぁ。それにさ、なんでか、ずっと腹が張っているんだ」
今度は正面を向き、腹を擦りながら言った。
「そう……だな? 特別、腹が出ているわけじゃないが、コバにしちゃ……肉付きがいい」
「うん。その少し前には酷い吐き気に襲われてさ。身体もだる重くて、自分の身体じゃなくなるような感覚がするんだ。上手く言えないけど……きっと、俺は何かおかしい病気になっちゃったんだ」
そう伝えると、スーリャは勢いよく立ち上がって俺の両肩を掴んだ。
何か言おうとして口を開けたが、声にならないようで、閉じて、それから俺をベッドに寝かせた。
「もっと早くに俺を頼れよ」
「はは」
「笑うな。すぐに医者呼んでやるから」
「そんな金はない……」
言い終わる前に、バシンッと勢いよく扉を閉められてしまった。
──一目、会いたかっただけだったのに、余計な心配をさせちゃったな。
木目の天井をじっと見ていると、眠気が襲ってくる。
最近やたらと眠くって、横になると瞼を開いていられない。すっと閉じると、引き込まれるように夢の中に入った。
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