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-第1章- 生きたい俺と死にたい俺

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 この身体は『死に場所』を求めているみたいだ。

 高校二年の春。
 バスケの朝練に向かうため横断歩道を歩いていた俺は、信号無視の車にひかれた。
 強い衝撃の後、息がうまく出来なくなり目の前が霞む。
 でも……これで母さんの所へ行けるんだ。
 朦朧とした意識の中、今から死んでいくのだと理解しながら、穏やかな気持ちで目を閉じた。

 母は俺が十歳の時に事故で亡くなり、それからは父が男手ひとつで育ててくれた。
 大手商社の営業部長。父はそれなりの地位で、お金には困らなかったが、親の愛が必要な時期に一人ぼっちで家にいることが多かった俺は、他の子どもより少しだけ早く大人になった。
 
 わがままを言うことはなく、家事もそつなくこなす。
 家では一人の時間が多く、勉強する時間が十分にあったため成績は常に学年上位。
 スポーツも得意で、中学に入学してからは勧誘を受けたバスケ部に入り練習に没頭した。
 そして中学二年の夏休み、父が女性を家に連れてきた。
 優しい顔立ちにふっくらとした体形。
 一目見ただけで良い人であると分かるその人は、父の会社に弁当を届けているスタッフだと聞いた。
 すぐに俺達は家族になり、三人で暮らすようになったが、その女性を母親のように思うことはできなかった。
 そして先月、高校卒業後は家から遠く離れた国立大学への進学を希望していることを告げた。
 この家から離れたいと思っている俺の気持ちを敏感に察知していたのだろう、父も女性も心配そうな表情を浮かべていた。
 俺の母さんは、母さんだけだ……
 そこで、俺の意識は途絶えた。

 ◇◇◇◇◇

「よし、また掛かった!」
 釣りを始めて一時間。早くも十匹、手の平サイズの魚を釣った。
「ふぅ、今日は大漁だな。まだ日は高いし、捌いて干したら山菜でも採りに行くか」
 今釣ったばかりの魚を軽く開いて内臓を川へ捨てる。
 そして全ての魚を素早く流水で洗い、手持ちの籠の中へ入れると家へと急いだ。

「ただいま~」
 帰ってきたのは、木造の小さな家。
 一人で住んでいるため、もちろん返事はない。
 捌いた魚を家の台所で再度洗い、軒下に干していく。
「ここでの生活も、慣れたもんだな」
 作業をしながら、俺はこの場所に来た時のことを思い出していた。

 俺はどうやら、違う人物に転生したようだ。
『ようだ』というのは、死んですぐに自分ではない身体で目覚めたからだ。
 車にひかれて死んだはずの俺は、小さな池の淵にもたれかかった状態で目を覚ました。
 体は冷え切り、このままでは凍死すると瞬時に悟った俺は力をふり絞り陸へ上がった。そして、目に留まったあばら家に、吸い込まれるように入っていった。
「……誰もいない」
 誰かの家であれば事情を説明しなければと思ったが、
 シーンとした空気のみで人が住んでいる気配はない。
「えっと、何か暖を取れるものは……」
 囲炉裏を覗くと炭が残っていた。
 火起こしなら、小さい時に両親と行ったキャンプで経験済みだ。
 俺は材料を探すため部屋の中を見渡す。幸い、木材は十分にあり、火起こしの道具と思われる木の板や、付属の錐も壁に立て掛けてあった。
 火起こしに必要な物を全てセットした後、両手で棒を挟み、木の板に押しつけながら素早く回転させる。
「……よし」
 専用の道具のおかげか、思ったより早く数分のうちに火種が生まれた。
 そして、その火が消えないないように乾いた草で優しく包む。息を吹きかけ、そっと囲炉裏の中にある薪に置いた。
 パチパチ……
 火が薪に完全に移ったところで、濡れた衣服を脱ぐ。
 この家には大小の布が数枚置いてあったため、申し訳なく思いつつもそれを身体に巻いた。そして火の前にじっと座り、部屋と身体が温まったところで、やっと自分の今の状況について考える余裕ができた。
 家を一通り目視で確認した俺は、自分の身体を見る。
 この身体が他人のものであることは断言できるが、身長や体格はさほど変わらないようだ。
 この家には鏡が無く、顔は確認できないが、身体にはいくつもの痣や傷がある。
「これ、やっぱり俺じゃないよなぁ」
 ありえない状況だが、怯えても無駄なので冷静になるしかない。
 まず、自分から発されている言語は、日本語ではないのだ。頭では母国の言語を話しているつもりだが、口から出るのは聞いたこともない言葉。
 思いつくことはただ一つ。俺は死んで誰かの身体に入ったということだ。
 池の中に居た事実から、この身体の主は事故で溺れたのか自殺を図ったのか……いずれにせよ死んだのだと分かる。
 一体どうなってるんだ。
 基本的に何事にも動じない性格の俺だが、この時ばかりは動揺した。
 少し眠ることにしよう。起きて頭がスッキリしてから動いた方が良い。焦って無駄に体力を削るのは得策ではないと考え、俺は目を閉じて横になった。

 どれくらい経ったのだろうか。
 最初に池の側で起きた時は早朝だったのだろう。今は日が高く上っている。
 囲炉裏の近くに掛けていた服も乾いているようで、触るとパリッとしていた。
「外に出てみるか」
 震えていた身体も、今は指先にまで血が通っているようだ。立ち上がり扉を開けると……そこには見たことない程に綺麗な緑が広がっていた。
 おとぎ話に出てくるような美しい森。池は透き通っていてキラキラと光を反射している。
 ひとまず喉を潤そうと池に手をつけ水を飲んだ。数回繰り返すと、乾きがやっと癒えた。
「……食料を探さないと」
 こうなった理由は分からないが、頂いた貴重な命だ。今は『何のためにここに来たのか』など考える余裕はない。
 とにかく生きよう。そう決めて立ち上がった。

 それから俺は近くを散策し、この場所より大きな池と付近の川に魚が沢山いることを知った。大きい魚を多く捕れば腹が満たせる。
 すぐに家に帰り、仕掛けになりそうな籠の網を作って設置した。そして森の動物をじっと観察し、食べている木の実と避けているモノを分けた。それらを家にある書物に丁寧に書き留める。

 何日かは日々の食べ物のことに集中していたが、魚を干したり木の実や果物を干したりすることで出来た備蓄のおかげで、食事以外も気にする余裕が出てきた。
 部屋の中を一通り物色すると、使えそうなものが多く非常に役に立つ。
 以前誰かが使っていたのか、仕掛けの網や刃物などは充実しており、さまざまな加工品を作ることができた。
 ここへ来て一番役に立ったのは、学校で培った教養ではなく、趣味で見ていた某動画サイトで得た知識だった。特に、一時夢中になって見ていたサバイバル動画の手法には何度も助けられた。
 それから、生きるために必要最低限の物が揃うと、行動範囲も自然と広がった。

 そして、この身体で目覚めてから三カ月が経とうとした頃、ついに町を見つけた。
 恐る恐る様子を伺ったが、町全体の雰囲気は穏やかで平和そうだ。
「ここ……どこの国だ?」
 明らかに日本ではない。建物や歩く人々はヨーロッパを連想させるが、着ている服や持ち物がどうも時代を感じさせる。教科書で見た中世の雰囲気とでもいうのか、とにかく現代であるとは考えづらかった。
 過去へタイムスリップしたのだろうか。
「ありえるな……」
 そもそも別の人物に転生しているのだ。それくらいの不思議さも受け入れよう。
「とりあえず場所を確認しよう」
 この身体では日本に帰ることはできないだろうが、せめて自分のいるこの場所がどこであるのかくらいは把握しておきたい。何より、もしかしたらこの身体の主の家族が、この町にいるかもしれない。
 久々の人との会話に緊張しつつ、適当な店に入り、地図を見せて欲しいと頼んだ。

「はぁ……」
 帰り道で盛大な溜息をつく。
 先程入った店の女性に見せられた地図は、自分の知っている世界地図ではなかった。つまり……俺はいわゆる異世界に転生したのだ。
 流石の俺もその事実にかなり驚いたものの、怪しまれないように動揺を隠し、この町について何個か質問をした。
「貴方の目、とても珍しい色をしてるわね。肌も白くて綺麗だわ。旅の方なの?」
 女性は、俺の容姿について言及した。
 この身体の主はこの町出身ではないのだろう。家族がいるかもしれないという期待も消えた。

 その日から、俺は何度も町へ降りた。
 買い物もできないので散策するだけだが、この世界で生活すると決めたからには金が必要だ。
 町で何か金になる商売はないかと探し歩いた。
 そしてある日、道端で見世物をする男を見かけ、路上で見世物をするには誰かの許可がいるのか尋ねた。
「許可は必要ないよ。ここは旅人に優しくて、気前の良い町なんだ」
 そこで俺は、前世の知識を活かして金を稼ごうと考えた。
 町の人々に話を聞いたところ、ここは娯楽が少なく、皆が楽しみにしているのは、一年に一回巡って来るか来ないかの劇団による公演。そして旅人の歌い手がたまにやってくるくらいだという。
 数日考えた結果、俺はこの町で手品を披露することにした。元々手先は器用であるし、あちらの世界でマジック好きの友人から何個か簡単なものを教わったことがある。
 それらを応用させた手品は、最初は怪しんで遠巻きに見られたが、今では手品をする定位置に先回りして客が集まるまでになった。
 そして、手に入れた金を持って入った洋服屋で、初めて自分の姿をしっかりと見た。
 池に映る姿でぼんやりとは感じていたが、顔も身体も驚くほど元の世界の俺に似ている。しかし目の色は緑がかった青、髪は薄い茶色だった。そしてこの姿はこちらの世界で好ましいものらしく、手品を見に来た客に容姿を褒められることが多々あった。

 お金が手に入り、最低限だった生活も徐々に豊かになっていく。
 家は隙間が埋まり、風が入ることはなくなった。木の実と味のない川魚ばかりだった食卓には、肉や野菜も並ぶようになった。
 植物の本も購入し、食べられるものが判断できるようになってからは以前より森での収穫が楽になった。
 そしてついに、貯めた金で寝心地の良い布団を手に入れ、ここは完全に家と呼べるものになった。
 森はいつも穏やかで美しく、池の近くに遊びに来る動物達は俺に慣れてきたのか近くまで寄ってくる。町に行けば、声を掛けてくれる人達が沢山いて、よくしてくれるパン屋の息子とは友達のような関係だ。
 お湯を作らなければ冷たい水浴びをするしかなく、冬は凍えるほど寒い。
 便利なモノで溢れる世界から来た俺にとっては不便なことだらけだが、新しい発見ばかりで毎日が充実していた。

 ◇◇◇◇◇

 ここでの生活を始めて一年。
 一通り全ての季節を経験し、順風満帆に見える俺にも悩みができた。
 どうやらこの身体は『死にたがっている』ようなのだ。

 ガサガサッ
「うわッ! ……またか」
 森の木の上で目が覚め、思わず大声を出す。
 ここから飛び降りようとしていたようだが、小枝が足に上手く引っ掛かり助かった。……宙づり状態ではあるが。
「おいおい、落ちてたら洒落になんないぞ」
 どうやって登ったのか、その高さは三メートルはある。
 ゾッとしながら器用に太い幹に掴まり、シュルシュルと降りていく。
 このような朝は今回だけではない。生活が落ち着いてきた辺りから、俺は眠ったまま歩いて外に出るようになった。
 最初は玄関付近で眠っていたり、裏庭の畑の近くで朝を迎えることが多かった。
 最初は、夢遊病になってしまったのかと悩んだりもしたが、それにしても度が過ぎている。
 その後はさらにエスカレートしていき……池の中で目が覚めた時は、理解ができず大量に水を飲んだ。次に崖の前で目が覚めた時は、恐ろしくて身体が震えた。
 その行動はいつも自分の身を危険にさらすものばかりであり、俺はこの身体が自分の意思とは関係なく『死に場所を求めて彷徨っている』のだと気付いた。
 それを理解してからは、対策を考えるため日記を付けている。
 丸々二か月を要して導き出したのは、『疲弊している』『考え事がある』『お酒を飲んでいる』場合には起こらないということ。
 それが分かってからは、身体を動かしてわざと疲れ果てたり、難しいことを考えて眠るようにしていた。
 酒は、こちらの世界では飲める年齢だが、あちらの世界ではまだ未成年であることを考え、いざという時のために戸棚に取ってある。
「今回は、完全に油断した」
 昨日は隣町での手品の臨時収入が沢山あったため、奮発して良い肉をお腹一杯食べたのだ。気分良く寝そべり、そのまま眠ってしまった自分を恨む。
「裏の畑でも耕して、疲れよう……」
 今日の予定が決まり、作業着に着替えるために家の中へ入った。
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