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1.劇団解散の知らせ
しおりを挟むこの日、私は愕然とした面持ちで目前の男を見つめていた。手渡された手紙をぐしゃりと握りつぶしながら。
『劇団スペード解散のお知らせ』
奥歯をぎりっと噛み締め、俯いた顔を上げる。
私の所属している劇団スペードは15年前に発足した独自の劇場を持つ小さな劇団だ。
月に一度という頻繁に催される舞台が売りであり、劇団が誕生した当初からの固定ファンがいるような地元の人にも愛されている劇団だった。団員同士の深い絆によって作られる演劇公演は毎回大盛況とはいかないものの、知る人ぞ知ると演劇界ではそれなりの評判を得ていたはずなのに。
「ど、どういうことですか、団長! どうして解散になるんですか。お客さまだって足を運んでくださっていますし、春の公演を目前に解散するなんて……」
滑らかな口調で詰め寄る私はいつにもなく動揺していた。
元々口数の多い方でない私がここまで焦燥感に駆られて言葉数が増えるのは稀なことだろう。
団長に詰め寄っても仕方がないと分かりながらもあまりの事実に自分を止める術など思いつかなかった。
「花宮くん、そう言ってくれるのは嬉しいんだが。……実はね、不景気で……昨年から赤字続きでこのまま劇団を維持し続けるのは困難なんだ……どうか分かってくれ」
私は団長の言葉に顔を歪ませる。
彼もまた、劇団を心の底から愛している一人であった。それなのに。
5年間も在籍した劇団の解散を受け止めきれなかった。だが、それも現実なのだ。
ふらふらと部屋を退出した私はそのまま建物を出て、表通りにたどり着く。
都会から外れた繁華街を5分ほど西に歩いたその先に、この劇団スペードはあった。そこは私、花宮こはるの女優としての活動の本拠地でもあり、自分が自分としていられる唯一の場所でもあった。
私は繁華街を通り過ぎ、当てもなく歩いた。いつもと同じように電車に乗り、座席に座っていると目の前にはテレビでもよく見る女優の広告が目に入る。
大手化粧品メーカーの『ルナトーン』の広告で、大人の女性に人気のある国内ブランドだった。
『鮮やかな新色が登場!』
リップスティックを手にこちらへ笑みを送っているのは日本でも知らないものは誰一人としていないだろう大女優。
51にもなっても衰え知らずのその美貌で微笑むその女に私は小さく鼻を鳴らし、視線を背けた。
仄かに薄暗い感情が芽生え、私は蓋をするようにぎゅっと瞼を閉じる。
「次は新小岩、新小岩。お出口は右側です」
アナウンスで目を開け電車を降りる。
ぼんやりと無意識に歩いていると気づけば一人暮らしをしているアパートの前へ辿り着いていた。
寄り道もせず、ただ自宅へと帰ってきた自分の生真面目さに苦笑した私はポケットに入っていた鍵を取り出す。
憂鬱な顔でアパートの203号室までたどり着くと、そこには黒いスーツを着用した男性が立っていた。
最近この近くで不審者による痴漢行為が横行しているとのチラシを見た記憶があり、警戒した私は足を止めてその男を観察する。
男は手に煙草を持ち、手すりに手をかけてぼんやりとしていた。
けれど視線を感じたのかこちらに気がつき、私に顔を向けた。
「……っ、!」
思わず息を呑む。
その男の端正な顔立ちのせいもあったが、それ以上に見覚えのある顔だったからだ。
「…………やっときたか、こはる」
地を這うような低音ボイスに思わず身体を震わせる。口を戦慄かせ、目を見開いた私は咄嗟に後ずさった。
「……な、なんであなたがここに……」
切長な瞳にすっと通った鼻梁。モデルのように整ったパーツが小さな顔に収められている。
スーツのせいで余計にスタイルの良さを存分に引き立たせているその男は私のよく知る人物。
昔からの幼馴染であるーーーー月ノ島玲二だった。
たしか9つは離れていたはずで30は越えているはずなのだが、その端正な顔立ちは衰え知らずだ。
私が成人してからほとんど会っていなかったはずの彼が何故ここにいるのだろうか。
疑心暗鬼に陥りながらも玲二に近づく。
「3年ぶりだな、こはる。元気だったか?」
「……ええ、まあ。…………それで、なぜここに?」
「お前を待っていたから」
玲二は端的に答え、手に持った煙草を銀の携帯灰皿へと入れる。
聞きたいことは山ほどあったが、元より苦手であった玲二に親密に話しかけるのは違うと躊躇し、恐る恐る足を近づける。
1メートルもない距離まできたところで足を止め、背の高い玲二を見上げた。
「どうして……なにをしにきたんですか」
玲二は小馬鹿にしたように小さく鼻で笑い、私との距離を急激に縮める。その長い指先で私の顎を掴み、不敵な笑みを浮かべた。
「……お前を助けてやるためだ」
男でありながらその妖艶な姿に心臓が跳ねるが、それを表に出さないようにする。けれどそんな感情も見透かしたような双眸が私を貫く。
「劇団を救ってやる。俺がお前の所属する劇団を買い取り、オーナーになる」
玲二は傲慢に、横柄に、躊躇なく言い切った。思わず呆気に取られた私は目を瞬かせて彼を見つめる。
「いきなりなにをーー」
「お前の所属している劇団、解散するんだってな。たしか、経営難だったか?」
「どうしてそれを……」
尋ねれば「俺に分からないことはひとつもない」と言い切る。その傲慢さに呆れつつ、内心動揺していた。
玲二は劇団を救ってくれると言っていた。正直なところ、劇団が解散してしまうと聞いて絶望していた私にとっては最高の話でもあった。
藁にも縋りたいほどの絶望に身を浸していた私にとって救いの手が舞い降りたのかと一瞬思ったが。
「…………劇団を救ってくれるって……何か裏でもあるんでしょう?」
玲二は幼馴染ではあるが赤の他人。それも数年前に顔を合わせたきりの関係だ。
突然私の前に現れたこともそうだが、何故そのようなことを言い出したのか気にもなっていた。
玲二は「ああ」と頷き、朧げに視線を逸らす。
質問する私に対し玲二は真顔になり、どこか言葉を躊躇しているようにも思えた。
だがそれも一瞬で終わり、玲二は憎らしいほどの整った顔で嘲笑うような顔つきで答える。
「端的に言うーーーーこはる、俺の妻になれ」
その瞬間、私の周りの空気が固まったような心地がした。
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