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はじめの角を曲がる
お勉強③
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麻薬、というものは、これがなくては生きていけないと使った人に思わせるようなもので、人の脳みそを溶かす恐ろしい代物らしい。
その分姉さまが生きてた世界では高値でやり取りされて、お金というものを搾り取られてなおかつ人となりもとても悪くなるものだから死んでしまう人が後を断たなかったとか。
姉さまが私のように掬い上げてくれた子どもたちのなかにも、その魔の手にかかって廃人同然になった子もいたとか。
<なにもしなくてもいい気分になれば、辛いことを忘れられれば嬉しいでしょう?あの世界は、生きることが一番辛くて苦しかった。力を身に付けてのし上がるまでにたくさん痛い思いをする。全部、生きていたいから。……でも、その苦しみから逃げ出したいって人はたくさんいたんだよ>
夜、小部屋で姉さまに教えてもらった。楽をして逃げて、向かった先は落とし穴。誰も使ったときの一時の幸福だけを求めて、先のことが見えなくなっていたそうだ。
<だから、私の世界では、滅亡の前は国が規制……制限をつけたんだ。完全にやめさせた訳じゃないよ。ほんのちょっとの量で多用さえしなければ、危険性は少ないから、体の傷を縫うときに使われたりもしたんだよ。痛みが鈍くなるからね。あれも、使い方さえ間違わなければ薬になる……>
――薬。
姉さまは、「薬を売ってた」って言ってた。
思わず顔を上げると、悲しみと、怒りと、憎悪がごちゃ混ぜになった、泣きそうな笑顔だった。
<……医療以外での使用は原則犯罪。それが滅亡までのあの世界の認識>
滅びてからは、取り締まる人がいなくなって犯罪が横行したらしい。壊れる人がどんなにいても、みんな手を出すのをやめない。そうしないと生きられない人が、確かにいた。そんな、ひどい世界で。姉さまはずっと。
<幸いね、私には守ってくれる人がいた。私自身は被害にあったことはない。……でも、私は守れなかった>
私の髪を撫でる手がぎゅっと握りしめられた。姉さまが悲しんでるのを私はどうすればいいのかわからなくて、寄り添いながら黙っていた。初めて姉さまが傷ついてるのを見て、心に痛みが走った。姉さまはたくさん私を慰めてくれたのに、私はなにもできない。姉さまより体が大きかったら、姉さまをぎゅっと抱きしめるのに。あのすっぽりと全体を包まれる心地よさはわたしには与えられない。
……小さくても、できること。
姉さまの握りしめられた手をそっと上から撫でた。
<……姉さま。私、きれいにする>
<……え?>
のろのろと持ち上がった髪の奥に深く潤んだ黒い瞳が見えた。ああ、私、この色も好きだ。たくさん、たくさん私にくれた優しさがつまってる。
<きれいにって、何を……>
<後宮内から麻薬全部なくさせる>
<……そんな、こと>
姉さまが息を呑んだ。考えもしなかったというように夜色の瞳が瞬く。
<だって、ここはもとの世界とは違くて……>
<危ないのは一緒でしょ?なら、同じように犯罪扱いされてるかもしれない。それに、あのアーロンって人は、王子の教育係。王子に何かあったらさすがに許せない人もきっといるよ>
<……でも女王陛下が任命して>
<確かめないとわからないよ。噂はあまり信じられないって姉さまも言ったじゃない。それに、もしそうだとしても>
にやりと笑う。姉さまがいつも「守り手だからね!」と胸を張るときにする、自信満々の笑顔。大丈夫だよっていつも安心させてくれる。だから姉さま。落ち込まないで。
<それでこの世界の常識と姉さまの世界の常識が食い違ったってだけで、私たちは何も傷つかないよ>
姉さまはぽかんとした。きれいな人って呆気にとられてるときもきれいなままなんだなぁと嬉しくなる。
<ど、どういう……>
<一つ勉強になるだけ。ネフィルから常識を学ぶようにって言われたことを、確かめるだけなんだから。ね?そうでしょ?>
失敗して失うとしても、それにかけた時間だけ。最近行き詰まってたし、退屈しのぎにはちょうどいい課題だ。
……それに。
『この部屋だってどんな手を使って手に入れたのか……。望まれない王女には分不相応です』
『かわいそうなお姫さまだねぇ』
どう転んでも許すつもりはさらさらない。
毒を盛られても部屋を汚されても私が本当に無抵抗だったのは。後宮を自由に歩くのに目立ったことをしなかったのはなぜなのか、よく考えもせず。
しばらく唖然としていた姉さまだけど、徐々に笑顔が戻ってきた。
晴れ間のように温かい微笑みが姉さまには一番よく似合う。
姉さまに抱きつくと、優しく、丹念に頭を撫でてくれた。
☆☆☆
さあ証拠を集めよう。
そう張り切って行動しようとした直後、すぐに手に入った。
直後。一時間後でも一分後でもなく、直後。
手に入ったというか、拾った。
「…………はは」
乾いた笑いがこぼれた。それを窓から差し込む朝日に翳す。赤黒く光を反射するそれを、呆れたように見るしかできなかった。色落ちしている革紐がだらりと手に凭れている。
後宮に出入りするときに必要な身分証明証が、今私の手元にある。
……最悪女王陛下の居住区域に侵入しようとまで思ってたのに。
私の意気込みを返せ。
その分姉さまが生きてた世界では高値でやり取りされて、お金というものを搾り取られてなおかつ人となりもとても悪くなるものだから死んでしまう人が後を断たなかったとか。
姉さまが私のように掬い上げてくれた子どもたちのなかにも、その魔の手にかかって廃人同然になった子もいたとか。
<なにもしなくてもいい気分になれば、辛いことを忘れられれば嬉しいでしょう?あの世界は、生きることが一番辛くて苦しかった。力を身に付けてのし上がるまでにたくさん痛い思いをする。全部、生きていたいから。……でも、その苦しみから逃げ出したいって人はたくさんいたんだよ>
夜、小部屋で姉さまに教えてもらった。楽をして逃げて、向かった先は落とし穴。誰も使ったときの一時の幸福だけを求めて、先のことが見えなくなっていたそうだ。
<だから、私の世界では、滅亡の前は国が規制……制限をつけたんだ。完全にやめさせた訳じゃないよ。ほんのちょっとの量で多用さえしなければ、危険性は少ないから、体の傷を縫うときに使われたりもしたんだよ。痛みが鈍くなるからね。あれも、使い方さえ間違わなければ薬になる……>
――薬。
姉さまは、「薬を売ってた」って言ってた。
思わず顔を上げると、悲しみと、怒りと、憎悪がごちゃ混ぜになった、泣きそうな笑顔だった。
<……医療以外での使用は原則犯罪。それが滅亡までのあの世界の認識>
滅びてからは、取り締まる人がいなくなって犯罪が横行したらしい。壊れる人がどんなにいても、みんな手を出すのをやめない。そうしないと生きられない人が、確かにいた。そんな、ひどい世界で。姉さまはずっと。
<幸いね、私には守ってくれる人がいた。私自身は被害にあったことはない。……でも、私は守れなかった>
私の髪を撫でる手がぎゅっと握りしめられた。姉さまが悲しんでるのを私はどうすればいいのかわからなくて、寄り添いながら黙っていた。初めて姉さまが傷ついてるのを見て、心に痛みが走った。姉さまはたくさん私を慰めてくれたのに、私はなにもできない。姉さまより体が大きかったら、姉さまをぎゅっと抱きしめるのに。あのすっぽりと全体を包まれる心地よさはわたしには与えられない。
……小さくても、できること。
姉さまの握りしめられた手をそっと上から撫でた。
<……姉さま。私、きれいにする>
<……え?>
のろのろと持ち上がった髪の奥に深く潤んだ黒い瞳が見えた。ああ、私、この色も好きだ。たくさん、たくさん私にくれた優しさがつまってる。
<きれいにって、何を……>
<後宮内から麻薬全部なくさせる>
<……そんな、こと>
姉さまが息を呑んだ。考えもしなかったというように夜色の瞳が瞬く。
<だって、ここはもとの世界とは違くて……>
<危ないのは一緒でしょ?なら、同じように犯罪扱いされてるかもしれない。それに、あのアーロンって人は、王子の教育係。王子に何かあったらさすがに許せない人もきっといるよ>
<……でも女王陛下が任命して>
<確かめないとわからないよ。噂はあまり信じられないって姉さまも言ったじゃない。それに、もしそうだとしても>
にやりと笑う。姉さまがいつも「守り手だからね!」と胸を張るときにする、自信満々の笑顔。大丈夫だよっていつも安心させてくれる。だから姉さま。落ち込まないで。
<それでこの世界の常識と姉さまの世界の常識が食い違ったってだけで、私たちは何も傷つかないよ>
姉さまはぽかんとした。きれいな人って呆気にとられてるときもきれいなままなんだなぁと嬉しくなる。
<ど、どういう……>
<一つ勉強になるだけ。ネフィルから常識を学ぶようにって言われたことを、確かめるだけなんだから。ね?そうでしょ?>
失敗して失うとしても、それにかけた時間だけ。最近行き詰まってたし、退屈しのぎにはちょうどいい課題だ。
……それに。
『この部屋だってどんな手を使って手に入れたのか……。望まれない王女には分不相応です』
『かわいそうなお姫さまだねぇ』
どう転んでも許すつもりはさらさらない。
毒を盛られても部屋を汚されても私が本当に無抵抗だったのは。後宮を自由に歩くのに目立ったことをしなかったのはなぜなのか、よく考えもせず。
しばらく唖然としていた姉さまだけど、徐々に笑顔が戻ってきた。
晴れ間のように温かい微笑みが姉さまには一番よく似合う。
姉さまに抱きつくと、優しく、丹念に頭を撫でてくれた。
☆☆☆
さあ証拠を集めよう。
そう張り切って行動しようとした直後、すぐに手に入った。
直後。一時間後でも一分後でもなく、直後。
手に入ったというか、拾った。
「…………はは」
乾いた笑いがこぼれた。それを窓から差し込む朝日に翳す。赤黒く光を反射するそれを、呆れたように見るしかできなかった。色落ちしている革紐がだらりと手に凭れている。
後宮に出入りするときに必要な身分証明証が、今私の手元にある。
……最悪女王陛下の居住区域に侵入しようとまで思ってたのに。
私の意気込みを返せ。
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