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コケても歩く
既視感
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一ヶ月後から忙しくなるというなら、今のうちに不良学生を満喫しておこうと、リエンはますます教室に近寄ることなく、図書館や散策で時間を潰すようになった。
その中でも、平日に昼食を食べるときは、時間が合えばヴィーたちと一緒に摂るようにしていた。というか、たまたま食堂で顔を合わせて、わざわざ別の席に座るのも面倒なので相席になっている。
リエンとヴィー、イオンとアルフィオはいつもの面子として、あとは周りを入れ替わり立ち替わり、学生がみっちり席を占めている。
始業式から二週間ほど経つと、リエンは大分アルフィオとまともに会話を交わせるようになっていた。最初こそ青ざめて全力で顔を背けて気配まで圧し殺すという恥じらいっぷりだったが、リエンが「一月ぶりね」と笑いかけて失態など一切なかったように振る舞ったので、気持ちが緩み始めたようだった。
そのアルフィオが、この日、少し遅れて食堂に現れたかと思うと、一人の少年の腕を掴んでリエンたちのテーブルまで歩み寄ってきた。周囲のどよめきにヴィーと顔を見合わせていると、立ってその方向を見つめていたガルダが、ああ、という顔をした。
「そういえば同じ学年でしたか。リエンさま、ベルメア少年ですよ」
「リオールがどうかした?」
「ウェズの子息に連れてこられましたね。青ざめてますよ」
「……あー……」
イオンがなぜか頭を抱えた。ヴィーがどうしたのかと尋ねたら、「アルフィオにそいつのことを紹介したの、ワタシなので」と首を振りながら言った。
「アルフィオに尋ねられたんですよ。自分は編入してきたばかりで講義についていけるか不安だから、誰を頼ったらいいかって。同じ学級に昨年首席とったやつがいるから確かに名前は出しましたけど……むしろ他のやつの方を強く勧めたのに……」
「首席なんて、一番いい相手だよ。どうして駄目そうに言うの?」
「リオール・ベルメアは平民なんですよ」
「ねえイオン、あの子――じゃなくてリオールって、虐められてるんじゃないの?」
納得できない顔をしているヴィーの横からリエンが問いかけると、イオンは「ハイ」とあっさり頷いた。
「だと思った。どうせ成績も序列をわきまえろってことなんでしょ」
「そういうことですねー」
そう話しているうちに、アルフィオとリオールがリエンたちの目の前にやっと出てきた。
「遅くなって申し訳ありません、殿下。それから、突然で申し訳ないのですが、このリオール・ベルメアも同席してもよろしいですか?私の同級なのです」
「うん、いいよ」
「私も気にしないわ」
また周囲がざわっとした。席を確保すると、アルフィオとリオールはまた人垣の向こうへ進んでいった。食事を取りに行くためだ。
「……完璧に、リオール、真っ青だったわね」
「というか、震えてたよ」
「そりゃー、これでまた目をつけられる理由が増えましたからね……。アルフィオ、そこまで考えてるといいんですけど」
アルフィオは、リエンやヴィーほどではないが、学園内ではそれなりに注目を集めている立場だ。ウェズ伯爵家は当代で急成長を果たしており、その息子もまた王子と特別親しいのだ。アルフィオと仲良くすることで王子王女とお近づきになれるかもと思う連中も山程いて、これまでそれをなんとかかわしてきたアルフィオが、初めてヴィーに引き合わせてきたのが、平民の学生。大騒ぎしない方が逆におかしい。
「……イオン、気になるならついていってあげて。さすがに私たちじゃ駄目なのはわかるわ」
「……はーい」
さすがにこの場でどうこうする者はいないと思いたいが、リエンにとって学生とは、若いだけに思考が読めない生き物だ。衝動に任せてなにかしでかしてからでは遅い。イオンもまた同じ事を考えたのか、席を立ってするすると人の波間を抜けていった。
しばらく待って、ここまで戻ってくる間にイオンがなんと言ったかわからないが、トレーに昼食を載せて持ってきたリオールの顔色はましになっていた。反対にアルフィオがちょっと落ち込んでいたが。
「……お初にお目にかかります、ヴィオレット王子殿下。リエン王女殿下は、先日ぶりです。リオール・ベルメアと申します。本日は、ご同席の誉れに預り、光栄です」
「はじめまして。よろしく」
「元気そうでよかったわ」
ぎくしゃくしていたもののきちんと貴族式のお辞儀ができていたのは、さすがだろう。平民学生にはそういう教育のための時間も取られていると聞いていた。
「じゃあ頂こうか。時間も限られていることだし」
ヴィーの発言でイオンとアルフィオがカトラリーを持ち、リオールが恐る恐るそれに続いた。席順として一番遠いリエンはちらりと確認したが、やはり作法はしっかり習っているようだ。本人も習うだけではなく努力したのだろう、挙動は生まれつきの貴族のように滑らかだった。
「ベルメアさんって、昨年首席だったんだってね」
突然ヴィーに話しかけられて、肉の切り身を喉に詰まらせかけていたが。
「……は、はい。どうぞ、私のことは名前でお呼びください」
「ありがとう。将来はお役人になろうと思ってるの?」
「はい。お城に勤めさせていただければと思い、精進しています」
「殿下。リオールはとても勤勉なんですよ」
横から溌剌と口を挟んだアルフィオはイオンに睨まれてすぐ小さくなった。しかし、自慢げな顔は変わらない。
「朝夕と勉学を怠らないし……講義中だって講師方の質問には全て挙手してますし……教えるのもとても上手なんです。とても分かりやすいんです……」
アルフィオがリオールと親しくするのは、一番最後の理由のためだとみんなわかった。相変わらず一つのことに全力前進する子だ、とリエンは苦笑した。そのまっすぐな性格が虚飾とも縁がないのも、決闘云々のときに知っている。ヴィーが特別に親しくしているのも、その性格を好ましいと思っているためだろう。
そして、虚飾とは縁がないゆえに、アルフィオが全幅の信頼を向ける者も同様であるという証明になってしまう。また頭を抱えそうな顔をしているイオンには悪いが、もう手遅れだ。首席になれるほど優秀かつ人格の保証がつくなら、取り込んでしまった方がいい。
「そんな、私など。アルフィオさまが身に付けるのがお早いだけで、私は大したことはしていません」
「どうかな。私と出会ったときも、真面目に勉強していたじゃない」
リエンが口を挟むと、ヴィーがそういえばと呟いた。
「どこでリィと面識があったの?」
「入寮してすぐにね、散策に出かけた先で会ったのよ。そういえば、ヴィー、図書館にはもう行った?面白い蔵書、いくつか見つけたわよ」
「それ後で教えて。ああ、でも、それでなんだね。始業式のとき、リィのことでびっくりしてなかったの」
「やっぱり目をつけてた?」
「今日まで名前は知らなかったけど」
アルフィオとリオールが目を丸くしている。ヴィーは二人に視線を向けて、にこりと笑った。
「これもいい機会だし、ぼく、あなたと仲良くなりたいな。これから、時々声をかけてもいい?」
「そんな……お好きなようになさってください」
リオールは冷や汗を掻きつつ、断れるわけもないので、せいぜい恐縮して頭を下げた。これで、リオールは王子の後ろ楯を得られたわけだ。アルフィオが瞳を輝かせてリオールの背中をばしっと叩いた。
イオンは、とうとう諦めたようにため息をついていた。
それからは、ほぼ毎日のように、リオールが(とてつもなく渋々と)食事に同席するようになった。周囲の無言の不満が募っていくのを感じる今日この頃である。嫉妬と侮蔑と嫌悪と、かつてリエンが日常的に向けられていたような悪意が、今はリオールに集中砲火している。
リオールとしては、王子の後ろ楯も伯爵家嫡男の学友という立場も、全部重荷でしかないだろう。アルフィオに声をかけられるまで、貴族学生の意識はリエンやヴィーに向いており、平民の分際で首席になった少年への虐めなどそっちのけで二人に取り入ろうとあくせくしていた事実がある。編入生様々と呟いていたのも、それを見越していたからだろう。それは人には言えないわけだ。しかも、その編入生に聞かれたとなったら、あれだけ怯えていたのも納得である。
イオンいわく、学力で言えば、貴族より平民の方が高い傾向があるらしい。あの講義中の接待の光景を考えるとこれまた納得だ。勉学を疎かにしてもちやほやされる貴族学生と、針の筵を耐えるほどの理由で勉学に励む平民学生を、同列にして語れるわけがない。貴族にとって学園は社交の場であり、平民にとっては勉学の場、という相違もあるだろう。
しかし、貴族学生にとっては、平民ごときに勉学で負けることなどあってはならないらしい。元より恵まれた環境で育ち、本来なら学力も上であるはずなのだ。そこまではリエンもまだ理解が及ぶ。しかしだ。なぜそこで、「自分も頑張ろう」ではなく「やつを引きずり落とせ」になるのだ。
リオールはこれまで、苛烈な虐めに晒されていたらしい。無視、暴言、暴力、脅迫、嫌がらせの数々。教師には一目おかれていたリオールを完全に排除する度胸はなく、陰湿な仕業が多かったというが、それでも心折れなかったのだから、リオールは筋金入りの頑固者かもしれない。
そんな状況だ。リエンたちの登場で周囲の気が逸らされて息をしやすい日常になったのだろうに、アルフィオのせいでむしろ余計に悪意が加算されて降りかかったわけだ。
しかも、リオールを取り囲むその空気の悪さに純真なアルフィオがキレた挙げ句、ヴィーに強引に引き合わせ、縁を繋いでしまった。他の貴族学生たちを置き去りにして、だ。
王子の後ろ楯を得て多少の悪意は防がれるとしても、全てを退けることなどできはしないのに。
アルフィオはイオンに後々説教されたらしい。リエンもヴィーも、落ち込むアルフィオを前にして、何も慰めの言葉はかけられなかった。数年前の誰かと誰かを彷彿とさせて仕方なかった。
しかし、リオールはかつてのリエンとは異なり、何だかんだで年下の級友に懐かれて悪い気はしないらしい。反省したアルフィオがなるべくリオールの側にいるようにしていて、悪意が直接襲いかからないせいもあるだろう。今では王族の前でも多少くつろいでアルフィオと軽口を交わしているので、その順応性と判断能力の高さは、やはり好評価である。その辺り、ヴィーに引き合わせたアルフィオの判断は間違っていないのだが……。
(まあ、フォローはできるだけしようかな)
長年、だてに後宮で虐めに晒されてきたわけではない。
「これ、ちょっと頂くね」
そんなわけで、今、リエンはリオールの持つトレーから勝手につまみ食いをしていた。
もくもくと咀嚼し、飲み込んで再び口を開く。
「……ん、美味しい」
「リィ、行儀が悪いよ」
突然の王女の不調法に、ヴィー以外は時が止まったように固まっていた。午後から初めての小テストを頑張るぞと意気込んでいたアルフィオも、それに苦笑しつつ自らは余裕そうにしていたリオールも、お手並み拝見という顔をしていたイオンも、相変わらずひしめいていた人々も、みんなだ。
そのなかで、リエンはけろりと言った。
「だって美味しかったんだもん。後宮のご飯の味を思い出したわ」
ろくに何も知らぬ者は、聞き流したその言葉。むしろ城の料理と比較されるほど美味だと聞いて目の色を変える者もいた。
しかし、ヴィーやティオリア、イオンはぎりぎりで踏みとどまり、すっと目を細めた。リエンの後宮での待遇を、よく見て知っている人々だ。
ガルダも、慌ててリオールの手から即座にトレーを取り上げたが、リエンは「それちょうだい」と手を伸ばした。
「私、今日はこっちの方食べたいわ。リオール、悪いけど私のと交換しない?これも美味しいから。少ない分は軽食を……」
「あたし、取ってきますね」
「ありがとう、ユゥ」
「え、で、ですが」
「いいからいいから」
さっと弟の隣に腰かけたリエンに、ヴィオレットが耳打ちした。
「――リィ、体調は」
「耐性できてるから平気。お腹すっきりさせるやつだし」
「わあ確かに美味しそうですね。失礼しますね殿下」
「あっちょっとイオン!」
「……あ、ほんとだ。同じ味付けだ」
「イオンこそなんともないの?」
「慣れてますんで」
「ぼくも……」
「ヴィーはだめ」
「殿下は自分の分を先に頂きましょうねー」
突然始まったほのぼのとした団欒に気が緩む周囲だが、その人垣の奥もそうだとは限らない。リエンの前にリオールものだったはずのトレーを置いたガルダに、リエンは早速耳打ちした。
「見つけた?」
「はい」
「どこ?」
「もう逃げかかってますが、青ローブ、出口の付近の金の短髪の、背の低い少年です」
「ヴィー」
名前を呼ばれる前から、ヴィオレットはさりげなくそちらへ視線をやっていた。
「……いた。もう出ていってしまったけど、知らない人だよ」
「覚えた?」
「うん」
「なら、ゆっくりいただきましょうか」
「――あ!ワタシこの後先生に呼ばれてるんでした、先に退席させていただきますね!」
からっと自分の昼食を平らげたイオンが、白々しく手を打って断りを入れてきた。頼む前から積極的なので驚いたリエンだが、「それは大変ね、行ってらっしゃい」とこれまた白々しく声をかけたものである。
ヴィオレットも苦笑気味に手を振った。
イオンが動いたなら、下剤の入手経路もそれを盛った目的も犯人の素性も、全て放課後には明らかになっているだろう。アルフィオには、その時にでもちゃんと説明してやればいい。
(目的といっても、どうせ、リオールに恥をかかせるつもりってことだろうけど)
小テストを受けさせずリオールの長所を叩き折る、とか。人としての尊厳を落とすために、とか。
ヴィーもある程度察しているだろう。恐縮しているリオールにあれこれと話しかけて、違和感を持たせないようにしている。
ある意味、ここが学園という、後宮と同じくらい閉鎖された環境でよかったかもしれない。考えることが生温くなっているおかげで、王族に親しむ故の嫉妬が下剤程度の毒で収まるのだ。それでもリエンが毒を食べたことになるので、盛った生徒は確実に厳罰を食らうが。というか退学処分は確実だ。
(ここで太い釘を刺せば、見せしめになって、これからリオールに不用意に手を出す輩もいなくなるでしょうね)
要人の編入前に全て片付きそうで、なによりである。
その中でも、平日に昼食を食べるときは、時間が合えばヴィーたちと一緒に摂るようにしていた。というか、たまたま食堂で顔を合わせて、わざわざ別の席に座るのも面倒なので相席になっている。
リエンとヴィー、イオンとアルフィオはいつもの面子として、あとは周りを入れ替わり立ち替わり、学生がみっちり席を占めている。
始業式から二週間ほど経つと、リエンは大分アルフィオとまともに会話を交わせるようになっていた。最初こそ青ざめて全力で顔を背けて気配まで圧し殺すという恥じらいっぷりだったが、リエンが「一月ぶりね」と笑いかけて失態など一切なかったように振る舞ったので、気持ちが緩み始めたようだった。
そのアルフィオが、この日、少し遅れて食堂に現れたかと思うと、一人の少年の腕を掴んでリエンたちのテーブルまで歩み寄ってきた。周囲のどよめきにヴィーと顔を見合わせていると、立ってその方向を見つめていたガルダが、ああ、という顔をした。
「そういえば同じ学年でしたか。リエンさま、ベルメア少年ですよ」
「リオールがどうかした?」
「ウェズの子息に連れてこられましたね。青ざめてますよ」
「……あー……」
イオンがなぜか頭を抱えた。ヴィーがどうしたのかと尋ねたら、「アルフィオにそいつのことを紹介したの、ワタシなので」と首を振りながら言った。
「アルフィオに尋ねられたんですよ。自分は編入してきたばかりで講義についていけるか不安だから、誰を頼ったらいいかって。同じ学級に昨年首席とったやつがいるから確かに名前は出しましたけど……むしろ他のやつの方を強く勧めたのに……」
「首席なんて、一番いい相手だよ。どうして駄目そうに言うの?」
「リオール・ベルメアは平民なんですよ」
「ねえイオン、あの子――じゃなくてリオールって、虐められてるんじゃないの?」
納得できない顔をしているヴィーの横からリエンが問いかけると、イオンは「ハイ」とあっさり頷いた。
「だと思った。どうせ成績も序列をわきまえろってことなんでしょ」
「そういうことですねー」
そう話しているうちに、アルフィオとリオールがリエンたちの目の前にやっと出てきた。
「遅くなって申し訳ありません、殿下。それから、突然で申し訳ないのですが、このリオール・ベルメアも同席してもよろしいですか?私の同級なのです」
「うん、いいよ」
「私も気にしないわ」
また周囲がざわっとした。席を確保すると、アルフィオとリオールはまた人垣の向こうへ進んでいった。食事を取りに行くためだ。
「……完璧に、リオール、真っ青だったわね」
「というか、震えてたよ」
「そりゃー、これでまた目をつけられる理由が増えましたからね……。アルフィオ、そこまで考えてるといいんですけど」
アルフィオは、リエンやヴィーほどではないが、学園内ではそれなりに注目を集めている立場だ。ウェズ伯爵家は当代で急成長を果たしており、その息子もまた王子と特別親しいのだ。アルフィオと仲良くすることで王子王女とお近づきになれるかもと思う連中も山程いて、これまでそれをなんとかかわしてきたアルフィオが、初めてヴィーに引き合わせてきたのが、平民の学生。大騒ぎしない方が逆におかしい。
「……イオン、気になるならついていってあげて。さすがに私たちじゃ駄目なのはわかるわ」
「……はーい」
さすがにこの場でどうこうする者はいないと思いたいが、リエンにとって学生とは、若いだけに思考が読めない生き物だ。衝動に任せてなにかしでかしてからでは遅い。イオンもまた同じ事を考えたのか、席を立ってするすると人の波間を抜けていった。
しばらく待って、ここまで戻ってくる間にイオンがなんと言ったかわからないが、トレーに昼食を載せて持ってきたリオールの顔色はましになっていた。反対にアルフィオがちょっと落ち込んでいたが。
「……お初にお目にかかります、ヴィオレット王子殿下。リエン王女殿下は、先日ぶりです。リオール・ベルメアと申します。本日は、ご同席の誉れに預り、光栄です」
「はじめまして。よろしく」
「元気そうでよかったわ」
ぎくしゃくしていたもののきちんと貴族式のお辞儀ができていたのは、さすがだろう。平民学生にはそういう教育のための時間も取られていると聞いていた。
「じゃあ頂こうか。時間も限られていることだし」
ヴィーの発言でイオンとアルフィオがカトラリーを持ち、リオールが恐る恐るそれに続いた。席順として一番遠いリエンはちらりと確認したが、やはり作法はしっかり習っているようだ。本人も習うだけではなく努力したのだろう、挙動は生まれつきの貴族のように滑らかだった。
「ベルメアさんって、昨年首席だったんだってね」
突然ヴィーに話しかけられて、肉の切り身を喉に詰まらせかけていたが。
「……は、はい。どうぞ、私のことは名前でお呼びください」
「ありがとう。将来はお役人になろうと思ってるの?」
「はい。お城に勤めさせていただければと思い、精進しています」
「殿下。リオールはとても勤勉なんですよ」
横から溌剌と口を挟んだアルフィオはイオンに睨まれてすぐ小さくなった。しかし、自慢げな顔は変わらない。
「朝夕と勉学を怠らないし……講義中だって講師方の質問には全て挙手してますし……教えるのもとても上手なんです。とても分かりやすいんです……」
アルフィオがリオールと親しくするのは、一番最後の理由のためだとみんなわかった。相変わらず一つのことに全力前進する子だ、とリエンは苦笑した。そのまっすぐな性格が虚飾とも縁がないのも、決闘云々のときに知っている。ヴィーが特別に親しくしているのも、その性格を好ましいと思っているためだろう。
そして、虚飾とは縁がないゆえに、アルフィオが全幅の信頼を向ける者も同様であるという証明になってしまう。また頭を抱えそうな顔をしているイオンには悪いが、もう手遅れだ。首席になれるほど優秀かつ人格の保証がつくなら、取り込んでしまった方がいい。
「そんな、私など。アルフィオさまが身に付けるのがお早いだけで、私は大したことはしていません」
「どうかな。私と出会ったときも、真面目に勉強していたじゃない」
リエンが口を挟むと、ヴィーがそういえばと呟いた。
「どこでリィと面識があったの?」
「入寮してすぐにね、散策に出かけた先で会ったのよ。そういえば、ヴィー、図書館にはもう行った?面白い蔵書、いくつか見つけたわよ」
「それ後で教えて。ああ、でも、それでなんだね。始業式のとき、リィのことでびっくりしてなかったの」
「やっぱり目をつけてた?」
「今日まで名前は知らなかったけど」
アルフィオとリオールが目を丸くしている。ヴィーは二人に視線を向けて、にこりと笑った。
「これもいい機会だし、ぼく、あなたと仲良くなりたいな。これから、時々声をかけてもいい?」
「そんな……お好きなようになさってください」
リオールは冷や汗を掻きつつ、断れるわけもないので、せいぜい恐縮して頭を下げた。これで、リオールは王子の後ろ楯を得られたわけだ。アルフィオが瞳を輝かせてリオールの背中をばしっと叩いた。
イオンは、とうとう諦めたようにため息をついていた。
それからは、ほぼ毎日のように、リオールが(とてつもなく渋々と)食事に同席するようになった。周囲の無言の不満が募っていくのを感じる今日この頃である。嫉妬と侮蔑と嫌悪と、かつてリエンが日常的に向けられていたような悪意が、今はリオールに集中砲火している。
リオールとしては、王子の後ろ楯も伯爵家嫡男の学友という立場も、全部重荷でしかないだろう。アルフィオに声をかけられるまで、貴族学生の意識はリエンやヴィーに向いており、平民の分際で首席になった少年への虐めなどそっちのけで二人に取り入ろうとあくせくしていた事実がある。編入生様々と呟いていたのも、それを見越していたからだろう。それは人には言えないわけだ。しかも、その編入生に聞かれたとなったら、あれだけ怯えていたのも納得である。
イオンいわく、学力で言えば、貴族より平民の方が高い傾向があるらしい。あの講義中の接待の光景を考えるとこれまた納得だ。勉学を疎かにしてもちやほやされる貴族学生と、針の筵を耐えるほどの理由で勉学に励む平民学生を、同列にして語れるわけがない。貴族にとって学園は社交の場であり、平民にとっては勉学の場、という相違もあるだろう。
しかし、貴族学生にとっては、平民ごときに勉学で負けることなどあってはならないらしい。元より恵まれた環境で育ち、本来なら学力も上であるはずなのだ。そこまではリエンもまだ理解が及ぶ。しかしだ。なぜそこで、「自分も頑張ろう」ではなく「やつを引きずり落とせ」になるのだ。
リオールはこれまで、苛烈な虐めに晒されていたらしい。無視、暴言、暴力、脅迫、嫌がらせの数々。教師には一目おかれていたリオールを完全に排除する度胸はなく、陰湿な仕業が多かったというが、それでも心折れなかったのだから、リオールは筋金入りの頑固者かもしれない。
そんな状況だ。リエンたちの登場で周囲の気が逸らされて息をしやすい日常になったのだろうに、アルフィオのせいでむしろ余計に悪意が加算されて降りかかったわけだ。
しかも、リオールを取り囲むその空気の悪さに純真なアルフィオがキレた挙げ句、ヴィーに強引に引き合わせ、縁を繋いでしまった。他の貴族学生たちを置き去りにして、だ。
王子の後ろ楯を得て多少の悪意は防がれるとしても、全てを退けることなどできはしないのに。
アルフィオはイオンに後々説教されたらしい。リエンもヴィーも、落ち込むアルフィオを前にして、何も慰めの言葉はかけられなかった。数年前の誰かと誰かを彷彿とさせて仕方なかった。
しかし、リオールはかつてのリエンとは異なり、何だかんだで年下の級友に懐かれて悪い気はしないらしい。反省したアルフィオがなるべくリオールの側にいるようにしていて、悪意が直接襲いかからないせいもあるだろう。今では王族の前でも多少くつろいでアルフィオと軽口を交わしているので、その順応性と判断能力の高さは、やはり好評価である。その辺り、ヴィーに引き合わせたアルフィオの判断は間違っていないのだが……。
(まあ、フォローはできるだけしようかな)
長年、だてに後宮で虐めに晒されてきたわけではない。
「これ、ちょっと頂くね」
そんなわけで、今、リエンはリオールの持つトレーから勝手につまみ食いをしていた。
もくもくと咀嚼し、飲み込んで再び口を開く。
「……ん、美味しい」
「リィ、行儀が悪いよ」
突然の王女の不調法に、ヴィー以外は時が止まったように固まっていた。午後から初めての小テストを頑張るぞと意気込んでいたアルフィオも、それに苦笑しつつ自らは余裕そうにしていたリオールも、お手並み拝見という顔をしていたイオンも、相変わらずひしめいていた人々も、みんなだ。
そのなかで、リエンはけろりと言った。
「だって美味しかったんだもん。後宮のご飯の味を思い出したわ」
ろくに何も知らぬ者は、聞き流したその言葉。むしろ城の料理と比較されるほど美味だと聞いて目の色を変える者もいた。
しかし、ヴィーやティオリア、イオンはぎりぎりで踏みとどまり、すっと目を細めた。リエンの後宮での待遇を、よく見て知っている人々だ。
ガルダも、慌ててリオールの手から即座にトレーを取り上げたが、リエンは「それちょうだい」と手を伸ばした。
「私、今日はこっちの方食べたいわ。リオール、悪いけど私のと交換しない?これも美味しいから。少ない分は軽食を……」
「あたし、取ってきますね」
「ありがとう、ユゥ」
「え、で、ですが」
「いいからいいから」
さっと弟の隣に腰かけたリエンに、ヴィオレットが耳打ちした。
「――リィ、体調は」
「耐性できてるから平気。お腹すっきりさせるやつだし」
「わあ確かに美味しそうですね。失礼しますね殿下」
「あっちょっとイオン!」
「……あ、ほんとだ。同じ味付けだ」
「イオンこそなんともないの?」
「慣れてますんで」
「ぼくも……」
「ヴィーはだめ」
「殿下は自分の分を先に頂きましょうねー」
突然始まったほのぼのとした団欒に気が緩む周囲だが、その人垣の奥もそうだとは限らない。リエンの前にリオールものだったはずのトレーを置いたガルダに、リエンは早速耳打ちした。
「見つけた?」
「はい」
「どこ?」
「もう逃げかかってますが、青ローブ、出口の付近の金の短髪の、背の低い少年です」
「ヴィー」
名前を呼ばれる前から、ヴィオレットはさりげなくそちらへ視線をやっていた。
「……いた。もう出ていってしまったけど、知らない人だよ」
「覚えた?」
「うん」
「なら、ゆっくりいただきましょうか」
「――あ!ワタシこの後先生に呼ばれてるんでした、先に退席させていただきますね!」
からっと自分の昼食を平らげたイオンが、白々しく手を打って断りを入れてきた。頼む前から積極的なので驚いたリエンだが、「それは大変ね、行ってらっしゃい」とこれまた白々しく声をかけたものである。
ヴィオレットも苦笑気味に手を振った。
イオンが動いたなら、下剤の入手経路もそれを盛った目的も犯人の素性も、全て放課後には明らかになっているだろう。アルフィオには、その時にでもちゃんと説明してやればいい。
(目的といっても、どうせ、リオールに恥をかかせるつもりってことだろうけど)
小テストを受けさせずリオールの長所を叩き折る、とか。人としての尊厳を落とすために、とか。
ヴィーもある程度察しているだろう。恐縮しているリオールにあれこれと話しかけて、違和感を持たせないようにしている。
ある意味、ここが学園という、後宮と同じくらい閉鎖された環境でよかったかもしれない。考えることが生温くなっているおかげで、王族に親しむ故の嫉妬が下剤程度の毒で収まるのだ。それでもリエンが毒を食べたことになるので、盛った生徒は確実に厳罰を食らうが。というか退学処分は確実だ。
(ここで太い釘を刺せば、見せしめになって、これからリオールに不用意に手を出す輩もいなくなるでしょうね)
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