遠い空のデネブ

雪鳴月彦

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第一章:俺たちの日常

俺たちの日常 8

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 部活が終わっても、まだ夏の名残を充分に含んだ空気は蒸し暑い。

 九月に入って二週目。夏休み明けの気怠い感覚が少しずつ抜け始め、学校の中にも日常の気配が戻りつつあった。

「ごめん、お待たせ」

「うん、別に良いよ」

 部活が終わり、いざ帰ろうかとなった矢先に、忘れ物があるから教室に戻ろうと妃夏が言い出したのが十分前。

 校門で待ってるから一人で行けばと言った俺に、「それは怖いでしょうよ」駄々をこねられ、仕方なく教室の前まで同行してやった。

 まだ夏の延長とは言え、日の入りは早くなってきているせいで、まだ六時過ぎだと言うのに校内は既に闇に飲まれてしまっている。

 職員室を含め、所々明かりが漏れている教室もあるおかげで、廊下の電気が消されていてもホラー映画みたいな雰囲気は皆無だけれど、それでも一人で行動するのが怖いと言う妃夏はなかなかの小心者だろう。

 ――小さい頃からお化けが苦手だったけど、この年になっても相変わらずか。

 胸中で苦笑しつつ、教室の電気を消した妃夏と並んで昇降口へと歩きだす。

「こんな時間に校内歩くの、ちょっと新鮮だね。景色が違って見える感じ」

 俺が一緒だから余裕があるのか、妃夏は物珍しそうな様子で廊下を振り返ったりしながら上機嫌な声を漏らしてきた。

「そうだな。いちいち部活終わってから校内を散策することもないし、せいぜい文化祭のときくらいしか縁がないもんな」

「うん。たまには良いね、こういうのも。小説に生かせそう」

「そんな、放課後の校舎歩き回るくらい、いつでも好きなだけやればいいじゃんかよ、一人で」

「だから、一人では怖いってば」

「その怖さを味わうのも、経験になるだろ?」

「そういうのは想像で補うからセーフ」

「都合良いな」

 くだらないやり取りをしながら靴を履き替え、外へと出る。

 暗い空を見上げれば、所々に小さな星の輝きを見つけることができた。

「はぁーあ、今日は何だか、人生で一番フワフワした一日だったなぁ。まだちょっと夢見てるみたい」

 俺と同じように空を見上げた妃夏は、ぐぅ……っと両腕を伸ばしながら感慨深そうにそんな言葉を吐きだした。

「だろうな。落選した俺は正直肩を落としてるのが本音だけど、目の前で結果出す奴を見ると現実感が湧いてくるって意味では、こっちも良い体験ができた気がしてるよ」

「現実感? どういうこと?」

「俺の追っている夢は、リアルなんだなって。漠然と作家になりたいってずっと思いながら行動してきたけど、同じ夢を一緒に追いかけてた妃夏が、途中とは言えすぐ側で最終候補まで進む快挙を成し遂げたわけだからさ、自分だって結果さえ出せれば本当にこの手に掴める実在する夢なんだって実感できたんだ」

 話しながら、真面目な顔で耳を傾けている妃夏を横目で見る。

「だから俺にとっても、今日は特別な一日になったよ」

「……何だろ、話を聞いてるだけなのに、妙に気恥ずかしい気持ちが湧いてくるんですけど」

 そそくさと視線を逸らし、明後日の方を向いてしまった妃夏に俺はにんまりと笑いを浮かべながら

「改めて、最終選考進出おめでとう。本音は俺も残りたかったけど、妃夏が残っただけでも嬉しいよ」

 からかいと本音が半分半分の気持ちで伝えると、妃夏は一瞬だけ驚いた顔をこちらへ向けすぐにそっぽを向くと、

「……ありがとう。あたしだって、才樹にも残っててほしかったなって思ってるよ。一緒に名前が並んでたら、どんな気分になれたのかな」

 恥ずかしそうに、そう言葉を返してきた。

 俺と妃夏のペンネームが並んだ選考結果。そんなの、最高に決まっている。

「今回は叶わなかったけど、いずれさ……並べるように頑張るよ。名前もそうだけど、お互いの本が」

 自分たちの書いた本が、書店やネットショップに並ぶ光景を現実にするのも、俺が密かに抱く一つの夢だ。

「お互いの本かぁ……来るかなぁ、そんな日が。あたしもまだまだ頑張らなきゃね」

 俺の言葉にしみじみとした口調で同意を示し、妃夏はまばらに星が輝く夜空を見上げる。

「あ、北極星。あたしの星だ」

 話を逸らすように、妃夏は夜空に浮かぶポラリスを見つけ指をさす。

 妃夏の誕生日である四月三十日を表す誕生星。

 一年中変わることない位置に見え、方位を確かめる目印ともなるあの星を、妃夏は小さい頃から一番好きな星だと言い続けている。

 いつだったかは、ポラリスみたいにぶれることなくみんなから見てもらえるような、そんな小説をあたしは書きたいと、魅入ってしまうくらいの眩しい笑みで告げられたことがあったなと、ふと記憶が蘇る。

「相変わらず、ブレないね。あたしたちが目指す目標みたい」

 妃夏はフフフと笑い、指さした手を開き今度はポラリスを掴もうとするかのように、キュッとその手を空に向けたまま握る。

 そんな幼馴染の横顔は、真っ直ぐに夢を追う人間特有の力強さが感じられて、俺もこんな風になれているなら良いなと、ついそんなことを考えた。
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