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第5章

第133話 南部

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 バルカネルビを中心とする西部、ココワを中心とする中部、トンブクトゥを中心とする東部は、救世主の何度目かの来襲に対して、有効な方策を欠いていた。

 ただ、右往左往するだけ。
 エリシュカのような地域の指導的人物は、ごくわずかな人々をまとめるだけで精一杯だった。
 豪商、豪農たちは、自分の家族と郎党を守ること以外は考えない。
 統制を完全に欠いていた。

 バルカネルビの商館は、ここを一時的に放棄し、東の無人地帯にある飛行場に移動することに決めていた。
 西に移動し、マルカラに避難することも考えたが、250キロと距離があることから逃げ切れないと判断した。
 救世主の4輪駆動ピックアップトラックは、路上を高速で移動できるからだ。

 バルカネルビの飛行場は、救世主が造った東西に延びる滑走路を延伸して3000メートルとし、南北方向の副滑走路2000メートルを新設してある。
 管制塔、格納庫、掩体も完備していて、間仕切りのあるベッドが並ぶだけだが、宿舎もある。商館の全員を収容できる。
 空港の周囲は小河川と湖沼が多く、要害ではないが、自然の濠に囲まれている。
 輸送機はすべて、バマコ以西に後退させた。残したのは、戦闘機と攻撃機、偵察機のみ。
 商館で働いていたバルカネルビの人々で、同行を希望する全員を受け入れた。
 家族をともなっているので、子供も大勢いた。

 イロナは当惑していた。
 牽引車の車台に不格好な正方形の砲塔を載せた、6銃身機関砲搭載の装甲車輌は、どう見ても“強そう”ではない。
 それに指揮官としてやって来た“キンゴ”と呼ばれる男性は、つかみ所がない人物だ。
 自動装填装置付きの76.5ミリ野戦高射砲2門と4輌の20ミリ機関砲搭載装甲車で、飛行場の防空は万全だと言った。
 そんなことはありえない。
 だが……、彼の「飛行場の防空は万全だ」と根拠薄弱な発言で、半田千早やミルシェは簡単に信じた。
 ララまでも……。
 さらに、空襲されたら「全機空中退避」を提案する。事実上の命令だ。
 クフラックの攻撃機パイロットは納得しなかったが、ララを含むノイリンのパイロットは即時従う。クフラック側は渋々受け入れる。
 7.62ミリや12.7ミリ、76.2ミリの手動対空砲の配置も変更させた。
 実力者なのだろうが、どういった“実力”があるのか皆目わからない。

 須崎金吾は、飛行場の防空を最重要視していた。
 そして、湖水地域の防衛態勢の脆さに驚き、呆れていた。救世主が1000か2000の兵力を投入すれば、湖水地域全域の占領が可能と推測している。
 実際、ノイリンは、前回の侵攻では1000程度の兵力だったと推定している。救世主側の稚拙な占領方針から、完全占領できなかっただけだ。

 須崎金吾は、南部へ輸送艇で向かう。同伴者にクフラックの武器商人カルロッタを選ぶ。
 半田千早はその判断に訝ったが、イロナは明確な不満を表した。
「同伴者……、副官はノイリンの街人から選ぶべきだ」
 イロナにそう言われたが、須崎金吾は微笑んだだけだった。

 南部は、西のヒトの使者を受け入れた。
 代表公邸に向かう馬車の中で、須崎金吾は隣に座るカルロッタに話しかけた。
「怖くないか?」
「怖くはないけど……」
「さすがだな。
 クフラックの指導者アレクサンドリアの娘だけのことはある」
「知っていたの」
「だから、きみを選んだ。
 ノイリンとクフラックが交渉に当たれば、不測の事態があれば、他の街も少しは耳を傾けてくれる」

 代表公邸は、白亜の立派な建物だった。200万年前のアメリカ大統領府ホワイトハウスを連想させた。
 あまり広くない会議室に2人は通される。
 会議室には、すでに3人が入室していた。
 3人が席を立ち、齢60ほどの白髭の男が声を発した。
「ようこそ、西のヒト。
 我がレムリア共和国へ」
 須崎金吾は“共和国”に、非常な緊張を感じた。
「私は金吾。
 西ユーラシアのノイリンという街からやって来た。
 こちらは同伴者のカルロッタ。彼女は、クフラックの指導者の娘」
 白髭の男が自己紹介する。
「私は共和国代表のイェルハルド。
 私の右は共和国議会議長アルチュール。
 左は軍司令官ヨウシア」
 須崎金吾は、3人に頭を垂れる。ぎこちなく、カルロッタが従う。
 初回の面談で、しかも突然の来訪であるにもかかわらず、行政と議会の長に軍のトップが加わっている。
「ご来訪のご用件は……」
 議長アルチュールの問いに須崎金吾は、即答した。
「東300キロに迫った救世主の軍のことだ」
 軍司令官ヨウシアが微笑む。
「キンゴ殿、貴殿たちはすでに知っているはず。
 飛行機で、上空から見たのであろう?」
 プカラ・アイ偵察機は、南部が2つの砦を放棄したことを知っていた。
「砦は放棄。
 その砦は救世主の基地となり、近くに野戦飛行場を建設している。
 ここから300キロ。
 救世主の航空機の行動範囲に入っている」
 ヨウシアは落ち着いている。
「無駄に死なせるわけにはいかない。
 砦は長くは持たないし、援軍は送れない。
 だから、放棄した。
 救世主の飛行機は恐ろしいが、たいした数ではない。
 ここは……、レムリア共和国の首都圏シャングリラは、幾重もの自然河川と運河に囲まれている。
 首都エデンは、シャングリラの中心にある。救世主は、いくつもの川を渡らなければエデンには達せない。
 我々は河川戦と陸上戦で、救世主を退ける」
 須崎金吾は、いくつかの“謎”を確認したかった。
「ヒトのルーツを知っているか?」
 イェルハルド代表が須崎金吾を見詰める。
「知っている……。
 いいや、知りはしないが、記録は残されている。
 キンゴ殿はご存じか……?」
 イェルハルド大統領のやや嘲笑の混じった声音に、須崎金吾が静かに答える。
「私はこの世界で生まれてはいない。元の世界、200万年前の世界で生まれ、育った。
 世界の混乱も知っている」
 3人は、激しく動揺する。アルチュール議長が呟く。
「バカな……。
 そんな世代は何百年も前に絶えたはず……」
 カルロッタが発言。
「10年ほど前まで、移住者はポツリポツリとやって来た……。
 私の母は、移住第2世代だ。祖父は移住第1世代……」
 3人は互いの顔を見て、少し戸惑っている。
 ヨウシア軍司令官が話題を本筋に戻す。
「西のヒト。
 西部はいかがする?」
 須崎金吾は、適当に誤魔化す意思はなかった。
「バルカネルビの商館から撤収し、飛行場に避難集結している。
 救世主が侵攻してくれば、戦う」
 ヨウシア軍司令官が須崎金吾をにらむ。
「若いの。
 戦うと?
 どうやって?
 救世主の飛行機のほうが多いぞ」
 須崎金吾は、落ち着いていた。
「そのために何千キロもの旅をしてきた」
 イェルハルド代表が詫びる。
「ヨウシア軍司令官の非礼を詫びる。
 西のヒトには、飛行機を押さえる何か方法があるのだろう、とは思ってはいるのだが……。
 やはり、あるのだな。
 飛行機を潰したら、我らは攻勢に出る。
 西方のヒトも出撃してくれるか?
 我々は戦車を持っていない。
 助勢いただけると助かる」
 カルロッタが須崎金吾を見ている。
「我々には反撃するほどの戦力はない。
 防衛に徹する。
 反撃するとしても限定的だ。
 お願いしたいことは、もしバルカネルビの飛行場に敵が侵攻してきたら、助勢をしてほしいのだ」
 イェルハルド代表は要請に応じたが、軍司令官ヨウシアは曖昧な雰囲気だった。 

 この時期、飛行場では意見の対立があった。航空戦力のすべてをバマコに後退させ、空襲による損害を防ぐべきとする意見と、須崎金吾だけが唱える“航空撃滅戦”だ。
 須崎金吾は、救世主の飛行機が離陸したらレーダーで探知できるし、探知したら空中退避すればいいと主張し続けている。
 では、バルカネルビに航空機を置いておく理由がない。
 無意味だ。
 しかし、その先を須崎金吾は明確に説明しようとしない。単に「反撃する」と言うだけだ。

 ララは“航空撃滅戦”というものが、200万年前にあったことを聞いていた。ドイツとイギリスの戦い“バトル・オブ・ブリテン”と日本とアメリカの戦い“ニューギニア航空戦”だ。
 彼女は何となく理解していた。須崎金吾は、救世主の滑走路を完全に破壊し、一時的であっても敵航空戦力を殲滅するつもりであることを……。
 明確な説明をしない、できない理由は、初戦がどうなるのかわからないからだ。
 ヒトでない彼女は、須崎金吾の考えをある程度理解していたが、それをノイリンやクフラックのパイロットや航法士、整備士にたいして説明しようとはまったく考えていない。

 カルロッタは飛行場の一角にあるレンガ造りの食堂で、半田千早とオルカに南部の様子を話していた。
「南部は、街並みとかは西部とあまり変わらない。
 けど、何となくなんだけど、整然としていた。
 軍服を着た兵士みたいなヒトたちがいた……。
 たぶんだけど、徴兵されたんじゃないかと……。
 南部はレムリア共和国と名乗っていたから、国としての体制があるのだと思う。
 ……で、私たちの商売なんだけど……」
 半田千早はちょっと呆れた。
「この状況で……」
 カルロッタは平然としている。
「この状況だから……よ。
 戦争は間近なんだから、武器は売り時でしょ」
 半田千早は怒りを感じた。
「相手はヒト。
 人食いや白魔族じゃないのよ!」
 カルロッタは別な考えをしている。
「救世主はヒト?
 生物としてはヒトかもしれないけど、ヒトとしての認識はあるの?
 白魔族を“創造主”と呼ぶ連中よ。その創造主に取って代わろうなんて、異常だよ。
 これは軍事行動じゃない。
 武装した異常者集団を押さえ込むための警察行動だよ。
 そのための武器を売ろうって、そのどこが悪いの?」
 半田千早は当惑した。確かに救世主は、食料を奪い、油田を奪い、ヒトを誘拐する。行いは盗賊と同じ。
 カルロッタの言っていることは、正しい。
 救世主に近付いたサール家当代当主クルエは、両手両足を切り落とされたが、10日ほど前までは生きていたとか……。
 彼の郎党はすべて、新羊と呼ばれる奴隷になったらしい。下級の郎党数人が逃げ帰り、顛末を明かしていた。
 半田千早は考えを変える。
「武器は売れると思う?」
 カルロッタは詳細に南部の武器を観察していた。
「リボルビングライフルだった」
 その形式は、西ユーラシアでは使われていない。
「ライフルの弾倉がリボルバーってこと?」
「そう。
 6連発、弾頭の口径は11.4ミリ、薬莢の長さは44ミリもある。発射薬はたぶん黒色火薬。
 回転弾倉は前後に揺動するから、弾倉と銃身の隙間から発射炎が漏れることはない。
 給弾方法はコルトSAAと同じで、ローディングゲートを開け、エジェクターで1発ずつ排莢する方式。
 給弾に時間がかかる。
 商機はあるんじゃないかな」
 半田千早の判断は違った。
「ダブルアクションでしょ?
 だとしたら、発射は早い。
 6発撃ちつくした後の給弾に時間はかかるとは思うけど、連射ができる。
 考えようによっては、ボルトアクションよりも有利だよ。
 大砲はどうだった?
 ノイリン製の75ミリ軽砲は売れないかな?」
 カルロッタは砲と聞いて、即答した。
「砲なら対戦車砲でしょ。
 クフラックの47ミリ対戦車砲のほうがいいでしょ」
「重すぎるよ!
 牽引車がいる。
 牽引車をノイリン製にすれば、ノイリンとクフラックのどちらも儲けがある。
 でも、この地域には高価すぎるでしょ。
 軽量で、榴弾と対戦車榴弾が発射できる75ミリ軽砲がいいよ」
 オルカは呆れていた。
「2人とも……。
 大砲なんて、いまからじゃ間に合わないよ。
 運んでくるのに時間かかちゃうし、使い方だって簡単じゃない!」
 半田千早とカルロッタは沈黙。
 直後、3人は微笑んでいた。

 バルカネルビの豪商の嫡男ディルクが郎党20騎を引き連れて、飛行場にやって来た。
 肩の筋肉が盛り上がる体格のいい男だ。そして、無礼だった。
 騎乗から名乗った。
「俺はディルク、この地の情勢を調べるように親父殿に命じられた。
 しばらく、ここの留まる。
 酒と女を用意しろ。
 俺には、その女でいい」
 指差す先にミルシェがいた。
 ノイリンの男たちが小さく失笑する。
 それは、リアルすぎる反応だった。
 ディルクは軽薄な怒りを表す。ウマから降り、ミルシェに歩み寄る。
 オルカが剣を抜こうとすると、半田千早が制した。カルロッタが「精霊の国から戻りしミルシェ、やっちゃえ!」と声援を送る。
 若者たちがミルシェに同調する。
 ミルシェは幼い頃、川で溺れ、心肺停止となり、人工呼吸と除細動器の力で蘇生した。この出来事はフルギアやヴルマンでは有名で、異教徒の街でも知られている。
 精霊の川を渡りながら、生き返ったのだから、ミルシェは不思議な力を宿しているはず、とカルロッタは考えた。

 ミルシェの肩をつかんだディルクは、次の瞬間、喉を押さえて地面を転げ回っていた。
「連れて、帰れ」
 慌てて駆けつけた須崎金吾の冷たい声が響く。
 誰かが「大口を叩くんじゃね!」と啖呵を切ると、ミルシェが何事もなかったように微笑みながら「彼は、一生しゃべれないよ」と。
 一瞬、場を静寂が支配する。
 半田千早は「ミルシェ……、モテなくなっちゃうよ……」と呟く。
 須崎金吾が振り向き「男の背筋を凍らせちゃったね。もう少し手加減すればいいのに……」と言った。
 半田千早は「私なら、片方のタマ、吹っ飛ばすくらいで勘弁してあげるのに……」と。
 男たちは目の端で半田千早を見ていた。

 半田千早、カルロッタ、オルカの3人は明日、穀物を積んだクマンの装甲トラックを警護してマルカラに向かう。

 商館には、装甲兵員輸送車1輌と戦闘車1輌が警備のため残っていたが、その他車輌と人員はすべて飛行場に集結している。
 湖水地域における西ユーラシア勢力は、連帯して救世主に対する臨戦態勢を確立しつつあった。
 飛行場のレーダーは、250キロの探知距離がある。2次元レーダーなので、方向と距離しかわからない。飛行機の飛行高度はわからない。
 もし、全速に近い速度で飛行した場合、30分でバルカネルビに到達する。
 この30分で、非戦闘員は防空壕に避難し、戦闘員は迎撃態勢を整える。
 西ユーラシアや西アフリカからバルカネルビに向かう輸送機の運航は、すべて中止となった。
 現在、バルカネルビへの補給は、陸路だけだ。

 マルカラ中継基地は拡張され、バイオ燃料の製造プラントと燃料の積み出し施設が完成していた。
 草原のど真ん中に人工的すぎる建造物が立ち並ぶ様子は、奇異としか言いようがなかった。だが、宿舎は相変わらずテントのままだ。レンガ造りの宿舎は、ようやく土台ができた程度。
 レンガの搬送は滞りがちなのに、プラントの設備資材は次々と到着する。
 この状況に隊員たちは不満を募らせている。
「燃料は、夜露もしのげない場所で俺たちが作っているんだ。
 俺たちは機械以下か!」
 その不満は当然だ。だが、ノイリン指導部は、必死だった。湖水地域を救世主に奪われたら、西ユーラシアは飢えてしまう……。
 防衛には、燃料が不可欠なのだ。

 半田千早たちは臨時の任務で、20ミリ機関砲搭載のウルツ6輪歩兵戦闘車とともにマルカラ中継基地の警備に当たっていた。
 バルカネルビの飛行場は気になるが、燃料の生産が重要なことも理解している。
 警備の目的は、サール家を中心とする湖水地域中部の武装勢力、可能性は低いが救世主、そしてワニの侵入に対してだ。ワニは尾を含めた体長7メートル以上の個体が、ウヨウヨいる。
 これが陸に上がり、餌、つまりヒトを求めてバイオ燃料製造プラントの敷地内に侵入しようとする。
 半田千早たちは、このワニを撃退する任務に就いていた。

 ナデートがバギーSのボンネットを開けて、点検中の半田千早に歩み寄る。
「チハヤ、輸送隊を護衛してバルカネルビに向かってくれ。
 バマコに行った護衛隊の帰還が遅れているんだ。よくはわからないが、大雨が降ったらしい。水量が多くて、渡れない川があるとか。
 手不足で、チハヤのバギーだけが護衛なんだが……。
 大丈夫か?」
 半田千早は一瞬、答えを躊躇った。
「いま行くと……、マルカラに戻ってこられないかも……」
 ナデートは、マルカラ中継基地の隊長ではなかった。この重要な基地には、ノイリンから上級の司令官が派遣されている。
 ナデートは、整備隊長兼警備隊長でしかない。
「上からの命令だ。チハヤに行かせろと命令されたわけじゃないが、俺がチハヤがいいと思った。
 知っていると思うが、偵察機の情報では、救世主はトンブクトゥの下流300キロに集結している。
 未舗装の滑走路を建設して、すでに航空機が配備されたとか。
 進撃は、数日以内に実施される可能性が高い。それが、バンジェル島の分析だ。
 いま、バルカネルビに行くということは、戦場に向かうことと同じ。
 それを承知で頼む。
 行ってくれ。
 バルカネルビには燃料が必要なんだ」
 カルロッタが車体の下から這い出し、オルカが工具箱にスパナを戻して歩み寄る。
 オルカが微笑む。
「私は、村のヒトにひどいことをした救世主をやっつけたい」
 カルロッタは足下の石を軽く蹴る。
「ワニを追い払うのは、飽きちゃった」
 ナデートがカルロッタを見る。
「おまえはダメだ。
 クフラックの指導者の娘を戦場には送れない。おまえはバマコに後退しろ」
 カルロッタが踊るようなステップで、身体を回転させる。
「私はクフラックの住人、ノイリンの命令には従わない」
 ナデートが笑う。
「そう言うと思ったよ。
 勝手にしろ、クフラックのクソ野郎。
 俺はちゃんと、ノイリンからの命令を伝えたからな」

 ナデートが背を向けると、半田千早は2人に顔を向けた。
「ラジエーターホースは補修した。デフはどう?」
 カルロッタはデファレンシャルギアケースからの油のにじみをチェックしていた。
「ドレンプラグが少し緩んでいたみたい。
 大丈夫だよ」
 オルカが不安な顔をする。
「私たちのクルマ、満身創痍って言うやつだね」
 半田千早もバギーSの整備状況が不安だった。バルカネルビにはたどり着けても、マルカラに戻っては来られないような気がした。
 それは戦闘ではなく、故障で……。

 半田千早たちが警護した輸送隊は、武装した装甲トラック16輌もの大規模コンボイだ。
 ドラム缶を積んだ燃料輸送車が6、武器と弾薬が6、食料が4。
 誰もが、これが最後の補給かもしれない、と感じている。

 トンブクトゥを中心とする湖水地域東部は、救世主に対する明確な対抗処置はとっていない。どちらかと言えば、「どうしよう」と漫然としているように見える。
 救世主を受け入れがたいが、首をすくめていれば頭上を通り過ぎてくれるのではないか、と期待しているようでもある。
 中部の指導部は恭順と決めたが、街の小規模商人、農民、鉱工業従事者たちは徹底抗戦を叫ぶ。
 前回と前々回の侵攻では、救世主は富裕層には手出しせず、貧困層から奴隷を集めた。湖水地域には中産階級は極薄い層しかおらず、貧富の差が激しい。
 救世主は、明らかにこの社会構造を突いて、階層の分断を図った。
 西部は過去と同様に、東部と中部がバッファとなって、自分たちへの実害が少ないことを期待している。
 だから、西ユーラシア勢力が租借する飛行場周辺の戦闘態勢が気に入らなかった。バルカネルビの豪商の嫡男ディルクは、西ユーラシア勢力の行動を妨害するために飛行場にやってきた。
 富裕層のほとんどは、貧困層が犠牲になれば、それでいいと考えている。
 貧困層は抵抗の意思はあるが、武器がない。富裕層は武器はあるが、抵抗の意思はない。

 半田千早は、飛行場が戦場になった場合のことを考えると憂鬱だった。救世主はヒトであるのだから、戦いたくない。
 救世主と事を構えたくない西部の富裕層が、背後から飛行場を襲う可能性は排除できない。
 もし、救世主が飛行場に侵攻してきたら、ヒトである救世主と戦わなくてはならないし、湖水地域のヒトとも戦闘になるかもしれない。
 西ユーラシアのヒトは総じて、ヒトとは戦いたくなかった。

 コンボイは250キロを8時間で走破し、バルカネルビ西端にたどり着く。川筋に沿って走れば、街の中心部を通らずに街の東端のさらに東にある飛行場まで行ける。
 現下の情勢では、街への立ち入りは避けた方がいい。
 半田千早はそう判断していた。

 バギーSのボンネットから、薄くて白い蒸気が出ている。テープを巻いて補修したラジエーターホースが圧力に耐えきれず、切れ始めているのだ。
 そんな状態で、飛行場に進入していく。
 顔見知りの門衛が「大丈夫か?」と問い、半田千早は「ミッションもヘンなんだ。2速に入らないよ」と嘆いた。
 バギーSでは、マルカラに戻れそうになかった。

 オルカの「飛行機、すごく多いね」の言葉に、半田千早は不審に思った。
 管制塔前とニジェール川沿いの格納庫前に各8機ずつ計16機もの単発機が並んでいる。 滑走路の左端をゆっくりと走って行くと、徐々に“単発機”の全貌が明らかになっていく。
 カルロッタが叫ぶ。
「木でできてるよ!」
 先頭のバギーSが管制塔前で停車すると、後続のトラックも止まった。
 飛行場長が走ってくる。
「燃料は!」
 半田千早が運転席から答える。
「6輌分」
 飛行場長が開けたドアを押さえて、下を向く。
「14キロリットルか。
 少ないな……」
 半田千早は不安だった。
「これが最後の輸送だよ。
 きっと……」
 飛行場長も承知している。
「あぁ、チハヤの言うとおりだ。
 救世主は、川の北岸を西進している。
 イロナ隊長が遅滞戦術を仕掛けているが、どこまで遅らせるか疑問だ。
 陸での連中の進撃は、手長族よりも速いからね」
 半田千早は防衛体制が気になった。
「この飛行機のおもちゃは何?」
 飛行場長が困惑の表情で答える。
「キンゴの命令なんだ。
 ララは上空からは飛行機に見えるって言っていたけど……。
 キンゴは滑走路に敵の飛行機をおびき寄せるつもりらしい。
 釣りの疑似餌と同じだって。でも、ヒトが引っかかるか?」
 半田千早は、いい加減に作られた飛行機の実物大模型に焦燥感さえ感じた。
「子供たちは、喜んでいるけど……」
 飛行場長が笑う。
「1機だけ、コックピットに椅子があるんだ。子供たちのおもちゃになっている。
 そんなことはどうでもいい。
 チハヤは、ここに残れ。オルカとカルロッタも。
 もうすぐ救世主が攻めてくる。
 人手不足なんだ」

 俺はライン川西岸で黒魔族と会っていた。老体を代表とする黒魔族の使節と判断している。
 ただ、ヒトと同じような感覚でいると、大きな間違いをする。眼前の老黒魔族がすべての黒魔族を代表するのか、それはわからない。
 黒魔族はヒトの使者をノイリンに送ってきた。そして、俺、半田隼人を指名して、会談を申し入れてきた。
 黒魔族の一部はヒトの言葉を介すが、ヒトの言葉を話すことはない。直接、ヒトの精神に語りかけてくる。これに応じることは、非常な疲労を伴う。
 俺は過労でぶっ倒れそうだったが、老黒魔族の話がおもしろすぎて、意識を失えずにいた。
「ヒトよ。
 我らは、そなたたちの爆弾を恐れている。
 いまは、戦う意思はない。ヒトが攻めて来ぬ限りは……。
 そなたは、我らが捕らえしヒトを解放せよと言ったが、捕らえてなどおらぬ。一緒にいるだけじゃ。
 ヒトは道具を作り、我らはヒトを守る。ある種の共存。共栄ではないかもしれぬが、決して一方的な搾取ではない。
 我らとともにいるヒトは、そなたたち野生種とは異なる。ヒトが作り出した、ヒトならざるもの」
 俺は一方的に聞いていた。質問をするには意識の転換が必要で、極端な精神的疲労を伴うからだ。
「いまから数百万年前のことだが……。
 我らの祖先はヒトを捕らえて家畜として働かせていたという。
 この世界でも、我らの祖先はヒトを捕らえようとした。
 しかし、ヒトの抵抗は苛烈で、ときには我らの住地に攻め込まれもした。
 我らギガスは我らを食うオークと戦い、ヒトとも戦う余裕はなく、オークとの戦いに専念することとなった。
 我らギガスを食えなくなったオークは、より簡単に捕らえられるヒトを獲物とするようになる。
 神は、オークを戦士に、ギガスは労働とオークの餌としての地位を与えた。
 神が何者であったのか、いつの時代のことなのか、もうわからぬ。
 我らがこの世界にやって来たとき、すでにオークはいた。オークの技術は退行を始めており、数は少ないが我らギガスのほうが優勢だった。
 オークは我らと出会えば我らを攻撃し、我らギガスもオークを殺した。
 だが、オークは我らから学んだのだ。
 ヒトを働かせることを……。
 数百年前、ヒトの集団がこの世界にやって来た。この集団はオークに捕らえられ、生き延びるためにオークのために働いた。
 ヒトを改良したのだ。
 凶暴でありながらオークの命令に従うヒト、ヒト以外の食料を育てる労働するヒト、よりよい食料となるヒト、食料となるヒトを管理するヒト、オークの生活エリアで従順に働くヒト。
 そういった種を作り出した。
 ヒトがヒトを作り出した」
 俺は、ヒトが作り出したというヒトは黒羊だと確信した。ノイリンの生命科学者たちは、黒羊は遺伝子操作で生まれ、その後、交配による古典的な品種改良された種であることを突き止めていた。
 捕虜にした救世主の遺伝子も解析した。将校たる貴族は黒羊に近く、兵卒はヒトそのものだった。
 このゾッとするような事実は、まだ一部のヒトしか知らない。
 老黒魔族の話が続く。
「オークはヒトを管理しようとしたが、ヒトが作ったヒトの一部が逃げた。
 それが、我らといるヒトだ。我らはヒトを守り、ヒトは我らが使う道具を作る。そういう約束で、何百年もともにいる。
 我らとともにいるヒトが作ったヒトは数が少なく、繁殖力も低かった。
 外見は野生のヒトと変わらぬが、そなたたちとは明確に違う。
 数百年前、我らギガスは北に残り、オークはヒトが作ったヒトを伴って南に移動した。
 最近、ヒトは南の陸地に攻め込んだと聞く。
 我らはこの寒さで食料に困っている。だから、山脈の南側に出ようとしている。
 ヒトと争う意思は“いまは”ない。我らとともにいるヒトは、野生のヒトではない。
 我らの行動を妨害しないでほしい」
 俺をかつてストラスブールと呼ばれていたここまで案内したヒトに問う。見かけは、若い男性だが、人種的な判別は不可能。我々が言うところの“世代を重ねた人々”とも違う。肌の色は白いが、北東アジア系とも北ヨーロッパ系とも異なる風貌だ。
「きみたちは、自分たちの意思で黒魔族、ギガスとともにいるのか?」
 俺は蛮族の言葉で問いかけたが、黒魔族と同じコミュニケーションで答えを返した。
「ハンダ、我らは野生のヒトではない。創造主によって生み出された、選ばれたヒト種だ。野生種と混交するつもりはない。種が劣化してしまう」
 俺は理解し始めていた。救世主が創造主と呼ぶ存在は、本来は白魔族、オークではなかった。
 生命工学に長けたヒトの集団。オークの支配下にあった生命科学者集団が創造主なのだが、長い歳月を経て支配者であるオークが創造主と呼ばれるようになったのだ。
 そして、オークから逃亡した黒羊の一部が救世主であり、救世主の支配下で労働階級となっているのが逃亡銀羊なのだ。
 ギガスとともにいるヒトは、オークから逃亡した黒羊の一部。
 眼前のヒトでありながら、我々とは異なる種が問う。
「我らの祖先は、好戦的な別種に追われたと伝えられている。その別種のほうが、あなたたち野生種に近いらしい。
 好戦的な別種は、いまでも存在するのか?」 俺は“野生種”と呼ばれて、少しうれしい。遺伝子操作だろうが、交配による品種改良だろうが、人為的操作などごめんだ。
 野生で結構!
「よくはわからないが、それらしい集団がいる。ここから、何千キロも南だが……」
 眼前のヒトに似た個体は、ヒトの単位系を介さないらしい。
「歩いて何日だ」
 俺は1日50キロ歩いたと仮定する。
「70日くらいか?」
 個体は明確な不安を示す。
「近いな……」
 俺は安心させるつもりはなかったが……。
「歩いてはいけない。
 海があるし、密林もある。
 いまのところは、安全だ」

 俺はぶっ倒れる寸前で、会談を切り上げた。黒魔族がライン川を渡らなければ、ヒトは攻撃しないとの約定が整った。
 いつまで守られるか、わからない約定が……。

 金沢壮一は明確に焦っていた。
 シェプニノがワルターM601ターボプロップエンジンのリエンジニアリングに成功し、ピラタスPC-7初期型のコピー生産を始めたからだ。
 アイロス・オドランは、パニックだ。ノイリン、クフラック、カラバッシュに続いて、シェプニノも航空機製造に名乗りを上げたのだ。
 さらに、シェプニノはどこから手に入れたのか皆目不明だが、ロッキードP-38という第二次世界大戦期の双発双胴単座戦闘機のターボプロップ化にも着手しているらしい。
 金沢壮一は再度、PZL-130オルリク単発複座練習機のリエンジニアリングを手抜きをせずにゼロから始めるべきと主張している。
 しかし、簡単ではないのだ。この世界では手に入らない素材が使われているから、完コピは難しい。
 コーカレイがベルP-39エアラコブラのリエンジニアリングを開始したこともあり、航空機開発の情勢は混沌としてきた。
 ターボプロップエンジンにしても、ノイリン西地区のプラット・アンド・ホイットニー・カナダPT-6系、ノイリン北地区のロールスロイス・ダート系、シェプニノのワルターM601系と“競合”が増えつつある。
 俺が移住してきた当時では、考えられない技術開発競争が始まっている。

 湖水地域南部の河川哨戒艇からの情報では、湖水地域の東10キロまで救世主軍が迫っている。
 燃料の節約とここ数日の雨で、偵察機は格納庫の中。
 イロナ隊の遅滞戦術は功を奏しているが、総兵力1000を数輌の戦車でどうこうできるわけではない。
 嫌がらせ程度だ。
 イロナは手持ちの燃料が欠乏したため、バルカネルビ飛行場への後退を決意していた。

 決戦の時は近付いている。飛行場周辺が戦場になる。救世主は湖水地域の村や街での略奪は行わず、まっすぐ飛行場に向かっている。
 誰もが、本当に南部は援軍を派遣してくれるのか、不安でいた。ごく最近交わされた約定だが、こういった約定は情勢次第で簡単に反故になる。
 そういうものだ。

 半田千早は、俺との無線で「救世主は戦闘用に遺伝子操作されたヒトの可能性が高い」と聞き、悲しさと不安で押しつぶされそうだった。
 俺は救世主は“遺伝子操作された生物兵器”だから、戦っても気に病むことはない、と伝えたかった。
 しかし、彼女はそうはとらなかった。理不尽に遺伝子操作されたかわいそうなヒトとは、戦いたくなかった。

 須崎金吾は、すべての装甲車輌を壕に入れ、全周に対する防御態勢を固める。

 イロナは、44口径105ミリ砲搭載の新型戦車を割り当てられ戸惑っていた。
「こんな大きな大砲で、何を撃てというの?」

 半地下式の格納庫1つが非戦闘員の避難施設となった。
 子供たちは、何度も避難の練習をした。最初は楽しかったが、救世主の侵攻が近付くと、泣きべそをかきながらの必死の訓練になった。

 ララは母親のヘルメットとボディアーマー姿を見て、ショックを受けるほど「全然似合ってない」と感じていた。
 半田千早から「ララのママ、銃よりもソロバンが似合うね」と言われ、「ソロバン?」と問い返した。
 半田千早が「原始的な計算機だよ」と答えていたが、ララはどうしてもそれが見たかった。その思いは、短時間で制御できないほど高まっていく。
 恐怖が引き起こす現実逃避が、本能的に脳内で起きているのだ。

 誰もが「こんなところで死にたくない」と思っていた。
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