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第5章

第139話 貴族崩れ

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 保護した少女は、貴族崩れの盗賊に連れ去られ、隙を見て逃げ出してきた。ファラナに残した妹が心配で、3日かけて徒歩で戻ってきた。
 川から大きく離れず、川上に向かえばファラナにたどり着けると、信じていたとか。
 彼女の判断の正しさと勇気に、感心する。
 彼女によれば、貴族崩れの盗賊はファラナの北30キロほどの放棄された村に拠点があるという。

 アンティは慌てていた。1号艇と2号艇を北に退避させたからだ。
 無線ですぐに呼び戻す。
 アンティの悪い予感はあたらなかった。1号艇と2号艇は、何事もなく戻ってきた。

 片倉幸子が土に埋もれている軌道の支線を見つける。この軌道で初めての分岐なのだが、その方法は転車台とほぼ同じ、客車をターンテーブルに載せ、45度回転させて支線につなぐ。ここで再度ウマに牽かせて、館の北門に入る。ターンテーブルはハンドルを回して、ギアで旋回する。
 館は南向きで、正門は北向き。東と西にも門がある。東門は川につながっており、川までの150メートルには石の列柱で支えられたアーチ状の屋根がある。
 屋根の頂部までの高さは5メートルに達する。
 敷地は厚さ80センチの塀で囲まれている。高さは5メートル。構造は不明で、白い漆喰を塗って、化粧が施されている。塀の上は通路になっていて、安全のためか手すりがある。
 構造から考えると、防衛の意味は薄い。
 敷地の四方に塔があり、これは明確に監視塔だ。王家・王族の警護のためだ。
 南側には庭園があるが、花は枯れている。

 館は3階建てで、1階は使用人たちの居室や調理室。2階と3階が王家と王族の部屋だ。王と王妃専用の部屋があるが、この2室以外は単なる客室だ。
 屋上はない。屋根はアーチ状で、建物の中心に展望塔がある。地上からの高さは25メートル。
 ディラリはこの塔から、光通信を行った。

 片倉幸子は兵たちと一緒に土に埋もれている支線を掘り出す。土の厚さは10から30センチで、それが敷地内の車寄せまで続く。
 敷地内に転車台はない。
 客車の車庫や厩は、駅に隣接している。だが、木造だったためか、あるいは放棄する際に意図的に撤去したのか、土台が残るのみだ。

 館の敷地内には300人もの避難民がいた。ファラナ周辺には少人数の集落が点在していて、コムギの栽培が行われていた。
 辺境であり、領主はおらず、王家の直轄地だった。本来の住民はニジェール川を渡って、東に逃げたという。
 現在は、南部や東部から避難してきた人々が、住み着いている。
 無人となっていた周辺の村々には、各地からの避難民が住み着いていた。だが、盗賊の出没によって、畑を捨て、再度難民となり、ファラナに集まっている。
 グスタフのフロランがいるからだ。

 ファラナ以南には、ニジェール川に沿って大きな村だけで4あり、大小の集落は数十にも達する。
 現在の住民の数は不明だが、フロランは3000から5000だと推測している。
 バルマドゥ多民族国との協定では、ファラナはクマン国の領土だが、旧王都周辺以南を事実上放棄していたこともあり、権力の完全な空白地だった。
 沿岸部にヒトはおらず、旧王都付近がセロとの決戦場となるものと、想定していた。
 クマン国の東辺は定かではないが、ニジェール川以東には踏み込んでいない。
 この付近の東には深い森があり、ヒトが立ち入ることはできない。東西南北各100キロを超える深い森は、ファラナを起点とする東方遠征を諦める原因になっていた。

 ボンネットトラック改造の軌陸両用車は、支線を走り車寄せに停車した。

 まだ、太陽は高いが、館のすべての門が閉じられる。

 四隅の塔に1号艇と2号艇に搭載していた7.62ミリMG3機関銃を据えた程度で、防衛態勢は始まったばかりだった。

 日没の直前、ピックアップトラック改造の軌陸両者が兵50とともに到着。

 グスタフのフロランは、警戒している。彼が、この館にアンティ隊、ディラリ隊、フーガ隊を入れたのは、拒否すれば力ずくで突入してくると考えたからだ。
 3隊にはそんなつもりはまったくなかったが、フロランはそういった結果になると、確信していた。
 武装した集団は、弱いものを虐げる、と。
 だから、新たな兵50が現れると、絶望的な表情になった。
 館の人々は寄り添い、母は子を抱き、女の子はひとかたまりになって涙を流し、男性はうな垂れている。

 半田千早は、避難民たちの変化に気付いていなかった。

 元首パウラはクマン軍の作業服に、長く使っているノイリン製のボディアーマーとヘルメットを着けていた。
 ただ、ヘルメットのカバーは、草原迷彩から森林迷彩に変えていた。ボディアーマーは暗褐色の単色迷彩に変更している。
 元首の立場でありながら、ワンポイントストラップでノイリン製AK-47を下げ、腰にはノイリン製ワルサーPP自動拳銃を着けている。
 よく見れば装備はかなり違うが、遠目には一般兵士とあまり変わらない出で立ちだ。顔には迷彩ペイントを施している。
 だから、半田千早は30分近く、声の届く距離に親友がいることに気付かなかった。

 館の避難民たちは、外周壁の南側に集まり、怯えていた。何が始まるのか、それが恐ろしかった。強力な武器を持つ相手に抗う術はない。

 ついにそのときがやって来た。
 何人かが近付いてくる。
 恐ろしげな色を顔に塗っている。
「住民の方々か?」
 恐ろしげな風貌とはかけ離れた、優しい女性の声に驚く。
 フロランは覚悟を決めていた。
「ここに避難しているものは、みな怯えている。どうか乱暴はやめてほしい」
 元首パウラは一瞬、返答に詰まる。
「乱暴などしない。
 みなさんを助けに来たのだ。
 お腹はすいていないか?
 病や怪我をしたものはいないか?
 寒くはないか?」
 フロランは困惑していた。
「森の恵みと川の恵みでどうにか……」
 元首パウラが小首をかしげる。
「ここに来るまでにムギの畑を見たが……」
 フロランは油断していない。ムギを奪うつもりであることは明白だ。
「盗賊に奪われた」
 元首パウラが息を吐く。
「すまなかった。
 この地にヒトがいることを知らなかった。
 それではいけないのだが……」
 そして命じる。
「小麦粉を持て!
 住民に分け与えよ」
 元首パウラよりも首1つ背の高い古参兵が、見事なクマン式の敬礼をする。
 クマン式の敬礼は少なくなっていて、西ユーラシア式に変更されつつあるが、古参兵を中心に受け入れない兵も多い。
 元首パウラが首を正面に向け、フロランに向き直る。
「ご老人は?」
 フロランはやや肩すかしを食ったように感じている。
「グスタフのフロランと申す。
 貴殿は?」
「私は、クマン国元首パウラ。
 この国の最高位にあるもの。
 ただし、飾り物だが……」

 小麦粉の大きな袋が住民に2つ渡される。
 大柄な古参兵が伝える。
「まずは、2袋。
 足りねば、申し出よ。
 うまいパンを焼いてくれ。
 我らも食べたい」

 パウラがきびすを返すと、そこに見慣れた顔があった。
「チハヤ?
 何で、ここに」
「パウラ?
 どうして……」
 その後の夢中で話し続ける2人の会話は、誰にとっても意味不明だった。

 フロランは半信半疑だった。この館が“占領”されてから数時間たつのに、乱暴狼藉を働く兵が1人もいないのだ。
 この館にたどり着いた商家の元侍女が、元首パウラに「ご寝所を用意いたします」と告げると、意外な答えに驚く。
「よい。
 私は兵とともに地面に寝る。
 快適な部屋があるのなら、負傷者に使わせてもらいたい」
 元侍女はアワアワしている。

 ミルシェが「戦死者が2人になった」と。元首パウラは「ミルシェが救えぬのなら、神でも救ぬ」と泣いた。
 ミルシェは、保護した少女と彼女の妹がいる玄関ロビーに向かう。ここが、臨時の病院になっている。

 フロランは当初、美しいミルシェは遊び女だと思っていた。しかし、兵のすべてが「ドク」と呼び、敬愛していることがわかる。

 何かがヘンだ。
 フロランが知っている王国軍ではない。

 幼い子供たちが、遊び女ではないかと感じていた、2人の若い女性に集まっている。

 クレールとヨランダは、ありったけのクッキーを子供たちに配っていた。
 子供たちの様子は、明らかに栄養に問題がある。数枚のクッキーでどうにかなるわけはないが、何もしない、という選択肢は2人にはなかった。
 2人に、半田千早と元首パウラが加わる。コムギに乾燥させたフルーツやナッツを混ぜて焼いたフルーツバーは、軍用の高カロリー携帯食の定番だ。
 足りなくなると、厳つい兵士がポケットや背嚢から取り出す。
 ごく自然に。
 この時点で、子供たちは本能的に、自分たちには危害を加えないと確信していた。
 元首パウラと手をつなぐ、子供までいる。
 だが、大人たちはまだ安心してはいなかった。

 東門は川岸から150メートル離れている。川岸は石を積んだ護岸になっていて、T字の桟橋がある。桟橋もアーチを連ねた石造だ。
 アンティは、桟橋に止めた1号艇と2号艇から大量の酒と酒の空き瓶、低発酵発泡性のシードルを下ろしている。
 それと、1号艇から12.7ミリ重機関銃1挺を外した。
 これを1号艇のメンバーで館に運ぶ。

 ブーカは呆れていた。
「これから戦があるというのに、酒か?」

 ミルシェは、酒の瓶を手にする。
「一番アルコール度数が多いのは?」とアンティに尋ね、確認すると「全部、負傷者のところに運んで!」と指示する。

 アンティが酒の入った木箱をフロランに届ける。
「今晩中に飲んでくれ。
 これだけの人数がいれば、大した量じゃない。ほろ酔いになるくらいだ。
 瓶は捨てるな。
 全部回収する。
 それと、他に空き瓶があったら、全部出してくれ」

 リンゴから作った発泡性のシードルは、水で割って子供たちが飲んでいる。
 アルコールが少し含まれているが、甘い飲み物で、子供たちは喜んでいる。
「もっと飲みたい」と幼い女の子が、元首パウラにコップを差し出す。

 片倉幸子がフロランの元へ。
「フロラン殿。
 私は片倉。
 穀物袋のようなものは、この館にあったらすべて出してほしい」
 避難者たちへの最初の物資供出要求だった。
「穀物ではなく、穀物袋……」
「そう、穀物袋がほしいのだ」

 アンティ、ディラリ、ブーカ、元首パウラが、守備の配置を相談している。
 すでに、太陽は地平線に沈んだ。
 元首パウラが提案する。
「アンティ殿は東側、ブーカ殿はおそらくは攻勢正面となる北、戦う装備ではないディラリが南、私の護衛が西を守る。
 私とともに来た水兵の一部は戦力予備とする。
 いかがか?」
 ブーカが「異存ござらぬ。元首閣下の御意のままに」と言い、異論はなかった。
 アンティが「酒瓶が空いたら、それにガソリンを詰める。重油かタールがあるといいんだが……」と尋ねる。
 ディラリが「エンジンオイルならあるぞ」と。アンティが「それをくれ。火炎瓶を作る。他に空き瓶はないか?」と尋ねる。

 片倉幸子は東京都内の小学校と大差ない敷地に建つ、さほど大きくはない館の1階使用人の部屋の前にいた。
 農民の男性と男の子が案内してくれた。
「俺たちがここに避難してきたときには、こうなっていた。
 たぶん、俺たちの前にここにたどり着いた連中が、食料を見つけて、なくなるまで居座ったんだ。
 食いつくしたのは、敗残兵じゃないかな」
 片倉幸子は、袋を手にする。コムギなら30キロが入る麻袋だ。
 この部屋に乱雑に放り込まれ、何枚あるのかまったく見当が付かない。
 だが、土嚢を作るには十分な量だ。
「あなたたちが、この館に来たのは?」
「1年ほど前だ。
 王国の軍が王都の南で敗北した直後。
 もっと南に領地を持っていた貴族は、手長族に叩かれ続けて、ちりぢりに逃げた。
 貴族の敗残兵は、王領や王族領、自由農民の所有地、他の貴族領、どこへでも入り込んで略奪したんだ。
 盗賊と同じだ。
 特に貴族に仕える下級の元兵士はひどかった。対抗して、地元民や召集兵が連携して、貴族兵に立ち向かったんだ。
 だけど派手な戦いは、手長族を呼ぶ。結局、手長族に攻められて、元貴族も、元農民も、一切関係なく殺されたよ。
 俺は王都の北の自由農民だった。結構広い農地を持っていたんだ。使用人もいた。
 農地を手放したくなくて、逃げ遅れた。女房と子供は死んだ。生き残ったのは、俺とこの子だけ。
 泥の中に身を隠し、木の実を食べて、ここまで逃げてきた。
 半年かけてね。
 手長族が南に押し返されたことは知っていたけれど、ここが安全だと思ったんだ。
 3カ月前までは、安全だったけど……」
 片倉幸子は麻袋を運び出したかったが、もう少し彼から情報を引き出したかった。
「3カ月前に盗賊が……?」
「盗賊は前からいた。
 この付近にはね。
 無法地帯なんだ。
 でも、手長族はここまでは滅多に来ないから、安全だ。手長族は問答無用でヒトを殺すだろ。盗賊は、むやみには殺さないから……。
 だけど、最近、この付近にやって来た盗賊は、いままでとは違うんだ。
 盗賊は多くても20人くらいだから、撃退することもできた。
 実際、いつもやられていたわけじゃない。それに、盗賊は小さな村か輸送中の馬車しか襲わない。
 だけど、最近やって来た盗賊は違うんだ。300以上いて、村にやって来ると“税”と称して、根こそぎ奪っていく。
 その税は、手長族と戦うための戦費だそうだ。だけど、連中が手長族と戦うとは思えない。
 手長族の武器を持っていて、剣と槍、弓ではどうすることも……」
 片倉幸子は、少し慌てていた。
「300の盗賊……?」
「300人は見ているけど、もっといるんじゃないかな。
 この館を300人で包囲して、税を払うよう要求したんだ。
 フロラン様は、コムギのほとんどを渡してしまった。コムギがなければ、若い女を出せと言われたので……。
 死ぬよりはいいが、森と川の恵みだけじゃ生きてはいけない。
 次の収穫でも税を取るそうだ。
 税が出せないなら、若い女を出せと……。
 耕作地を倍にしているけれど、税を倍にされたら……。
 この子は男だからいいけれど……。
 よくないな……。
 自分のことばかりじゃ」
 片倉幸子は保護した少女のことを尋ねた。
「盗賊から逃げてきた女の子は?」
「あの子は、畑にいて連れ去られたんだ。
 自分が捕まり、妹はどうにか逃がしたけれど……。
 かわいそうだけど、俺たちじゃ助けられなかった。
 でも、自分で逃げてくるなんて……。
 あの子が逃げなければ、次の収穫までは襲われないのに……。
 と、考えている連中がかなりいる。
 俺は、そうは思わないけれど。
 だけど、どうなるのかな?
 俺たち……」

 捕虜は2人いた。1人は無傷で捕虜になり、ミルシェに足を刺された。
 もう1人は、肩を負傷している。
 2人は助けが来ると自信満々だったが、尋問が始まると震え上がった。特にミルシェに足を刺された男は、何を聞いても素直に答える。2人とも20歳前の若者で、安物ではない剣を佩いていた。
 半田千早とカルロッタは、肩を負傷している捕虜の尋問を担当する。
 聞きたいことは多くない。
 兵力と装備。それと、指揮官の素性。

 捕虜は、半田千早とカルロッタをなめきっていた。それは、対面した瞬間にわかった。
 尋問は納戸のような部屋で、埃っぽく、衛生的ではない。
 もう少しマシな使っていない部屋があるが、あえて狭くて不要な家具や長持(衣服などを入れる木箱)などが乱雑に入れられている物置のような場所を選んだ。
 カルロッタが問う。半田千早は捕虜の真後ろ数メートルに立つ。背を壁に預けている。
 カルロッタと捕虜は、粗末な椅子に座り、2人の間には粗末を絵に描いたような木製テーブルがある。
 捕虜は両手を身体の前で縛られている。両足は通常より半分の歩幅で歩けるように、ロープで縛っている。
「名前は?」
 カルロッタの質問に、捕虜は軽い嘲笑で返した。
「下賤な輩〈やから〉に教える名はない」
 半田千早が背後でワルサーPPのスライドを引く。金属の音がして、捕虜はやや落ち着きがなくなる。
 カルロッタが同じ質問を繰り返す。
「名前は?」
 捕虜も同じ答えを返そうとした。
「ゲセン……」
 半田千早が捕虜が座る椅子の左背もたれ側の足を撃つ。.38APC弾の軽い発射音が部屋に響く。
 足を失った椅子に腰掛けていた捕虜はバランスを失い、不意を突かれて床に転がる。
 仰向けになり。痛みに顔を歪める。負傷している左肩を床に叩き付けたのだ。半田千早が捕虜を見下ろす。
 彼女が新しい椅子を置き、捕虜を立たせ、座らせる。
 カルロッタが表情を変えずに3度目の質問をする。
「名前は?」
 捕虜は頑固だった。若者特有の反抗的態度だ。
 カルロッタは少し笑った。
「今度は、椅子の脚ではなく、おまえの足を撃つ。
 名前は?」
「ベンノルト。オーケソン家の嫡男……」
 カルロッタは、オーケソン家には反応しなかった。
「手長族の武器はどうした。
 手長族からもらったのか?」
「奪った」
「嘘だな。
 戦場を漁ったのだろう?
 腐肉を食らう動物のように」
 捕虜は沈黙する。
「……」
 カルロッタの指摘は、正しいことになる。
 尋問が続く。
「兵力は?」
「1000は集まるぞ。
 おまえたちは皆殺しだ」
 カルロッタは、1000は誇張だと思った。
「その兵1000の拠点はどこだ?」
 捕虜は答えない。
「……」
 カルロッタは、兵1000を信じたふりをする。
「1000の兵はどこにいる。
 この付近なら、兵1000が集まれる場所は限られる。
 どこにいる?
 どこかの村を占拠しているのか?
 それとも野営か?」
 捕虜の背後で、半田千早が安全装置を外す。カチリという小さな音が、奇妙なほど耳に響く。
「分散しているんだ。
 20から50のグループに分かれている。
 国王陛下が集合を命じたはずだ」
 カルロッタは“国王陛下”に食いつく。
「国王陛下?
 どこの国の国王だ?」
 捕虜は自信ありげに答える。
「新国家建設の道を示す、新しき王だ。
 我らの聖地で、戴冠される」
 カルロッタが小バカにしたように捕虜の言葉を繰り返す。
「我らの聖地で戴冠される、ということは、まだ戴冠していないってことか。
 つまり、自称“国王陛下”ってことだな。
 それなら、私もおまえの後ろの女もお姫様だ。
 その国王を名乗る盗賊の親玉はどこにいる」
 捕虜は答えなかった。
 様子から、カルロッタと半田千早は、知らないと判断した。

 もう1人の捕虜は、元首パウラとブーカが尋問したが、ミルシェに足を刺されたことで、抵抗の心は消えており、質問には何でも答えた。
 だが、基本は何も知らないようだ。自分たちの宿営地は語ったが、そこには30人ほどしかおらず、全体の指揮者の居所は知らなかった。
 捕虜2人の尋問を総合すると、総兵力は300から500程度。指揮者は“国王”を名乗り、部隊を10から15に分けている。
 1つの部隊は、20から50人ほど。国王は“近衛兵”が警護している。
 ディラリが「兵隊さんごっこだな」と蔑んだが、元首パウラは「ヒトを殺めて、ヒトを苦しめて、何が国王だ!」と激怒した。
 ブーカが「地下に武器庫でしょうか、鍵のかかるかなり広い部屋があります。鍵も見つけました。ここに捕虜を閉じ込めましょう」と提案し、元首パウラは「捕虜のためにも、そのほうがよい。目に触れるところに置いておけば、己が身で己が行為のツケを払うことになる」と。
 ブーカも、避難者が捕虜を惨殺してしまう可能性を感じていた。ただ、彼は、その行為を否定するつもりはない。単に、捕虜の利用価値がまだあると思っているだけだ。

 庭園に歩哨を除く、全員が集まる。やや遠巻きに、避難民もいる。
 元首パウラは、2階のバルコニーに立っている。
「みなさん、私はクマンのパウラ。初めてお目にかかる方も多くいる。
 どうか、お見知りおきを。
 東のヒト、よくクマンの地までおいでいただいた。感謝する。
 ファラナの推定位置だが、新都から約700キロ、バマコから420キロ、東のヒトが住む湖水地域西端から950キロある。
 バマコからは曲がりくねった川を遡る必要があり、実際の行程は650キロに達する。
 現在、海岸では雨が降っているようだ。この季節の夜の雨は珍しくない。だが、この雨で光の通信は新都に届かない。
 北のヒトは、バマコかバンジェル島との無線を試みているが、電波の状態が悪く、連絡できていない。
 だから、援軍は期待できない。
 我らで賊を退けるしかない」
 元首パウラは、ここで言葉を切る。
 クマン兵から「ウォー!」と雄叫びが上がる。
「北のヒトと東のヒトも、我らにお味方いただける。
 我らクマンと東のヒトは、ここファラナで邂逅した。我らすべてがこの地で生命を失えば、ようやく得た友誼も失われる。
 この地に住むヒトの安全も失われる。
 力を合わせて、ファラナを守ろう」
 再度、クマン兵の歓声が轟く。
「賊の統領は“国王”を名乗っている。
 その“国王”の名はカスバル1世。
 クマン南辺境の貴族だったらしい。
 我らは賊を捕らえ、裁きにかける」
 クマン兵が勝ち鬨〈かちどき〉を上げる。パウラの名を叫ぶ兵もいる。「元首様」の声もある。

 不思議だが、このときまで湖水地域のヒトは、パウラがクマン国の元首であることに気付いていなかった。
 単に半田千早の友だち程度の認識だった。

 エリシュカは、この事実に慌てている。クレールは、この幸運は聖霊の導き以外にない、と感じた。ヨランダは、湖水地域を救う道が見えたと思った。
 3人は顔を見合わせる。
 エリシュカが「謁見の申し入れをする」と告げると、2人は頷いた。

 元首パウラとの謁見の場は、3人が期待していたシーンとはかけ離れていた。
 国家元首との謁見は、国王が玉座に座り、謁見者が一段低い場で片膝をついて行うものだと考えていた。
 湖水地域において、大商人との謁見とは、豪邸の広間で土産物を捧げて、取り引きを願い出る。そういう儀式だ。

 元首パウラは、皮を剥いだ太い丸太を椅子にして座る。彼女の前に焚き火。焚き火には大鍋がかけられている。
 干し肉と野菜のスープが、食欲をそそる香りを発している。子供たちが、器とスプーンを手に、スープの出来上がりを待つ。
 焚き火を挟んで、中央にエリシュカ、左右にクレールとヨランダが椅子代わりの丸太に座る。
 半田千早が紹介する。
「パウラ。
 3人は湖水地域の商人だ。
 西部の街、バルカネルビのクレール。
 中部の街、ココワのエリシュカ。
 東部の街、トンブクトゥのヨランダ。
 湖水地帯には、南部という地域もある。そこには大きな街エデンがあるが、我々との交流はまだ薄い。
 3人の街は地域を代表する大きな街だが、3人はその街の代表ではない。だが、街の危機を救うため、危険を冒してここまで来た。
 話を聞いてもらいたい」
 元首パウラが無言で発言を促す。
「私はエリシュカ。中部の街ココワの商人。
 いま、あなたたちが湖水地域と呼ぶ私たちの住地は、燃料の供給が止まってしまっている。
 油が断たれた理由だが、救世主というヒトではない種に影響された集団が、川の下流に関を設けて、交通を断ったから」
 元首パウラが「知っている」と言うと、エリシュカは驚いた。
「なぜ、知っている?」
「バルカネルビには、クマンのヒトも大勢いる。報告は逐一されている。
 私たちは、手長族というヒトではないヒトに似た動物と戦っている。
 この状況で、もし東から新たな敵が攻め込んできたら、国は、ヒトは滅びてしまう。
 だから、救世主や創造主のことは、調べていた。
 あなたたちの苦境も知っている。
 だから、東に燃料を送るルートを探しに、ファラナまでやって来た」
 エリシュカは一瞬、不安になる。
「私たちの住処を犯すつもりじゃ?」
 元首パウラが言下に否定する。
「そのつもりならば、サール家との戦いの際に、あの一帯の一部を占領している。
 軍勢の大半は、クマンの兵であった」
 エリシュカは「その通りだ」と聞こえぬ声で呟いた。国家の概念がなく、街や村の集合体でしかない湖水地域は、比較的少数の軍勢で全体を占領できる。
 街単位、村単位で占領していけばいい。対立している街があれば、それを利用できる。片方に味方すれば、兵を使わずに占領できる。
 湖水地域が救世主と対抗するには、国家の意識を持たなくてはならないが、実際はほど遠い。街と街の間には確執があり、商人間や豪農間にも恨み辛みがある。
 この個人的感情が、湖水地域のヒトにとって、最も重要なことなのだ。
 エリシュカは、元首パウラの発言は真実だということを知っていた。
「いま、重要なことは燃料。
 燃料を買う金貨はある。チハヤからクマンの燃料の価格もおおよそは聞いている。
 クマンに燃料供給の便宜をお願いしたい」
 元首パウラは、どう答えるべきか逡巡している。以前の彼女なら無条件に支援を約束したが、支援すべき相手を間違えると、混乱に拍車をかける。
 湖水地帯のように行政機構が存在しないか、曖昧な場合は、特にそうだ。程度の低い、独裁者を生み出してしまうこともある。
「誰に燃料を渡すべきか、よくよく検討しなければ……」
 エリシュカは、元首パウラの言をもっともだと思った。
「その通り。
 ココワにも、バルカネルビにも、トンブクトゥにも、救世主と組もうと考えているヒトがいる。
 救世主と組めば利益を独占でき、なおかつ、自分の一族は安泰だと。
 救世主は燃料を供給するだろう。
 当初の対価は穀物。
 しかし、すぐにヒトの供出を求めてくる。
 奴隷だ。
 私は、そんなことには耐えられない。
 救世主は、自分たちが新たに獲得した奴隷を“新羊”と呼んでいる。
 創造主を真似ているんだ。
 そんな連中に私たちの住地を蹂躙されるわけにはいかない」
 元首パウラが半田千早を見る。
「チハヤは、どう思う?」
 彼女には罪悪感がある。父と母が湖水地域の燃料の流通を叩き壊した。加えて、その後のフォローがない。
「燃料がないと、湖水地域の経済は崩壊する。
 マルカラでバイオ燃料を増産しているけど、それだけでは需要を満たせない。必要量の3分の1がやっと。
 商館と飛行場が、マルカラのバイオ燃料とバマコの鉱物燃料を緊急供出しているけど、どこまで持つか?
 このままだと、船が動かなくなる。輸送ができなければ、食料のなくなった街は瓦解する。
 それを防げるのは、パウラじゃない。
 この3人。
 パウラ、この3人に協力してあげて。この3人なら、湖水地域を救えると思う。
 その気概があるんだ。
 湖水地域は、クマンや西ユーラシアと違って、女性にはチャンスが与えられない。女は男に従属する存在とされているんだ。
 そんな社会で、この3人は湖水地域のために新たな交易路を求めて、ここまで来た。
 パウラ、3人の力になってあげて」
 元首パウラは、瞑目しているように見えた。
「燃料が重要な物資である以上、適正な価格で取引しないと……。
 そうでないと、湖水地域の普通のヒトが苦しむことになる。
 あなたたちが、暴利を貪らないという保証は?」
 エリシュカは即答した。
「だから、ここまで来た。
 まさか、クマン最高位の方にお目にかかれるとは思わなかったが、販売価格については、協定を結んでもよい。
 約定を違えたら、取引停止でかまわない」

 アンティ隊が担当することになった東門と東の外周壁は、他とは異なる重大な問題があった。
 外周壁から川までは150メートル。小船を使って、川側から上陸されても、陸側から回り込まれても、防衛しやすい。
 外周壁四隅の監視塔には、すでにノイリン製MG3機関銃を配備してある。北東と南東の機関銃座だけでも、阻止できる。
 だが、東門から川まで延びるアーチ状の屋根は、防衛には厄介だ」。
 この下は、外周壁上からは完全な死角だ。攻め手は門まで、簡単に迫ることができる。

 最も攻撃される可能性が高いのは北側、次が西側、川がある東側と回り込まなければならない南側は、攻撃正面にはならないとブーカは考えていた。

 片倉幸子は、美しい列石に支えられたアーチ状の屋根を撤去しようと考えたが、列石の固定は頑丈で、短時間では無理だ。
 彼女は東門を開けさせ、東門を出たところの地面に半楕円を棒きれで描く。
「ここに土嚢を積んで陣地を造る」
 1階の1室に放り込まれていた穀物袋を運び出し、敷地内の軌道を掘り出した際の土を詰める作業が始まる。
 最初はアンティ隊だけが作業していたが、すぐに子供たちが加わり、避難民の若者グループも協力してくれた。
 陣地が形になると、意図を理解した大人も加わる。
 相変わらずフロランは懐疑的だが、それでも協力してくれた。
 土嚢の高さは、1.5メートルにもなった。ここに12.7ミリ重機関銃を配備する。

 作業が終わったのは、日付が変わった頃だった。

 朝靄が晴れていく。昨夜はクマンの回光通信機は役に立たなかった。アンティ隊の無線にも、どこからも応答がない。
 北門から300メートル。
 一列横隊の騎馬が300。西に移動する騎馬が200。盗賊とは思えない機敏な動き。
 戦力予備もいるようだ。
 明らかに正規軍だ。

 半田千早は、西の外周壁上からその様子を見ていた。
「パウラ、私は東門に戻る。
 予想よりも多いかな?」
 5倍の敵を相手にする、防衛戦が始まろうとしていた。
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