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はじまり
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「すまない」
何度かのデートの帰り道。
そこで呼び止められた状態で言われたその台詞に、彼女は『またか』と思った。
ベイア子爵令嬢アナ。
それが彼女を表す名前であり、地位だ。
そしてそれとは別に彼女は最近こう呼ばれてもいた。
傷物令嬢、と。
二度も婚約解消された哀れな令嬢、彼女に非はないとされつつも二度も続けばそれは彼女にもなんらかの問題があったからそうなったのではと邪推を呼んだ。
決して彼女に非はなくとも、実情を知らぬ者が見れば二度も婚約を相手から解消された令嬢だ。
きっと何かしら、表立って言えないような何かがあるに違いない。
そう口さがない者は興味本位で囁きあう。
そんなものは気にするなと近しい人間は彼女のことを慰めてくれるし、そういった味方がいてくれることでアナの心は救われているが――傷つかないわけではない。
特に。
こうして、心を許した相手に再びそんな言葉を投げかけられて、貴族令嬢らしく微笑み続けられるほど彼女は老獪でもなければ強かでもない、ただの十八歳のうら若きご令嬢だったのだから。
だがそんな彼女の涙を見ても、目の前の男は眉間に皺を寄せ辛そうな面持ちのまま繰り返すのだ。
「すまない、アナ」
(ああ、神様)
続く言葉なんて聞きたくない。
だけれど耳を塞いで逃げ出すこともできないまま、アナは自分の目から涙が零れるのを拭うこともできずに、ただ目の前の男を見つめる。
それしか彼女には、許されていなかったから。
(どうして?)
ただ幸せになりたいと思っただけだ。
悪いことなどせず、できうる限り清廉に生きてきたつもりだ。
些細な嫉妬はしたと思うし、つかねばならない時には嘘を吐いたことだってある。
それでも友だちを裏切ったことはなかったし、父母のことを尊敬し、祖霊を敬うことだって怠らなかった。
礼拝だって毎回行っていたし、少しだけ退屈だと思いながらも真面目に祈りを捧げていたはずだ。
恥ずべきことはただ、婚約を解消されて笑い物になった時、言い返せなかったこと。
そのせいで友だちまで巻き込まれて、申し訳なく思った。
家族たちにも心配をかけた。
けれどそれは、こんなにも。
こんなにも、彼女の尊厳を傷つけ続けられなければならないほどの、罪だっただろうか。
「本当に……すまないと思っているんだ。だけど」
三人目にお付き合いした人にまで、こんな風に『すまない』と言われるほど、自分は悪いことをしただろうか。
アナはそう自問自答する。
だが答えは出ない。
零れた涙が、頬を伝うのをまるで人ごとのようにアナは感じたのだった。
何度かのデートの帰り道。
そこで呼び止められた状態で言われたその台詞に、彼女は『またか』と思った。
ベイア子爵令嬢アナ。
それが彼女を表す名前であり、地位だ。
そしてそれとは別に彼女は最近こう呼ばれてもいた。
傷物令嬢、と。
二度も婚約解消された哀れな令嬢、彼女に非はないとされつつも二度も続けばそれは彼女にもなんらかの問題があったからそうなったのではと邪推を呼んだ。
決して彼女に非はなくとも、実情を知らぬ者が見れば二度も婚約を相手から解消された令嬢だ。
きっと何かしら、表立って言えないような何かがあるに違いない。
そう口さがない者は興味本位で囁きあう。
そんなものは気にするなと近しい人間は彼女のことを慰めてくれるし、そういった味方がいてくれることでアナの心は救われているが――傷つかないわけではない。
特に。
こうして、心を許した相手に再びそんな言葉を投げかけられて、貴族令嬢らしく微笑み続けられるほど彼女は老獪でもなければ強かでもない、ただの十八歳のうら若きご令嬢だったのだから。
だがそんな彼女の涙を見ても、目の前の男は眉間に皺を寄せ辛そうな面持ちのまま繰り返すのだ。
「すまない、アナ」
(ああ、神様)
続く言葉なんて聞きたくない。
だけれど耳を塞いで逃げ出すこともできないまま、アナは自分の目から涙が零れるのを拭うこともできずに、ただ目の前の男を見つめる。
それしか彼女には、許されていなかったから。
(どうして?)
ただ幸せになりたいと思っただけだ。
悪いことなどせず、できうる限り清廉に生きてきたつもりだ。
些細な嫉妬はしたと思うし、つかねばならない時には嘘を吐いたことだってある。
それでも友だちを裏切ったことはなかったし、父母のことを尊敬し、祖霊を敬うことだって怠らなかった。
礼拝だって毎回行っていたし、少しだけ退屈だと思いながらも真面目に祈りを捧げていたはずだ。
恥ずべきことはただ、婚約を解消されて笑い物になった時、言い返せなかったこと。
そのせいで友だちまで巻き込まれて、申し訳なく思った。
家族たちにも心配をかけた。
けれどそれは、こんなにも。
こんなにも、彼女の尊厳を傷つけ続けられなければならないほどの、罪だっただろうか。
「本当に……すまないと思っているんだ。だけど」
三人目にお付き合いした人にまで、こんな風に『すまない』と言われるほど、自分は悪いことをしただろうか。
アナはそう自問自答する。
だが答えは出ない。
零れた涙が、頬を伝うのをまるで人ごとのようにアナは感じたのだった。
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