おとぎ話の結末

咲房

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恋人の距離

恋人の距離

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「晶馬くん」

 先輩がグリグリと僕の胸元に頭を擦りつけた。柔らかい毛先が胸元に当たってくすぐったい。ホントに大型わんこみたいだ。緩くカーブしている髪を梳くと、先輩は腕の中から上目遣いで見上げてきた。

「晶馬くん、大好き。甘えさせて?」
「いいですよ」

 僕からも先輩を抱きしめ、抱き込んだ後頭部を撫でる。
 先輩の背中は見た目より大きい。がりがりの僕と違って、服の下には敏捷な獣のようなしなやかで美しい筋肉がある。そのことを僕はもう知ってしまった。

「もっと」
「もっと?えっと、」

 どうしたらいいのかな。
 さらに力を入れて抱きしめ、先輩がしてくれたみたいに背中や肩を撫でてポンポンとあやしてみた。どうかな、と見てみると先輩は気持ちよさそうな顔で閉じていた目をゆっくりと開け、とろりとしたまぶたでチュ、と唇の先に触れるだけのキスをした。不意打ちにぶわっと赤くなる。そんな僕の顔を見た先輩は蕩けるように笑い、僕を抱きしめて耳元で内緒話のように囁いた。

「もっともっと。……ねえ、しよ?」

 え?何を?……まさか、えっち?ここで?今から?

「む、無理無理、絶対無理っ!」
「えーっ、どうして?」
「だってだって、まだ明るいし、今はもう発情期ヒートじゃないし……」

 こんな明るいうちからしたら全部見えちゃうじゃないか!変な声出てる顔とか、我慢できなくて身悶えするところとか、僕の下半身とか先輩のナニがナニしてどうなってるところとか、わーっ、見えちゃう、見えちゃうよ!無理だ無理、耐えられない!

「この前はあんなに求めてくれたのに」
「うわーっ言わないでー!僕あの時どうかしてたんです!」
「ええー、酷いよぅ。僕もてあそばれたの?」
「違っ、そうじゃないけど、って近い近い先輩待って、うわっ」

 腕の中、下から掬うように唇をかすめ取られ、そのまま触れる程度のキスを繰り返されたと思ったら、ふいに脇の下に手を入れられ、すぃ、と体を持ち上げられた。先輩がソファーに座り、僕はその上に跨る形で膝立ちになってる。
 先輩が僕の顔をじっと見上げている。

「……ダメ?」

 うわ、まつ毛長い。至近距離で見る虹彩は澄んだ湖のようで、深い水底を覗いたみたいに瞳に吸い込まれそう。すっと通った鼻筋に薄めの唇。くっきりとした口角と顎のラインに色気が凄い。
本当に綺麗な人なんだけど、それは顔だけじゃなくて、しなやかな身体も芸術品みたいだし、頭だって僕たちが想像出来ないくらい良いし、力だって強い。先輩に出来ないことなんてないんじゃないかって思っちゃう。
 どこをとっても完璧な人。ホントにこんな凄い人が僕の番になっちゃったの?
 今更ながらに緊張してきた。

「晶馬くん……」

 先輩の顔が近づいてくる。

 うわ、うわっ

「……顔、真っ赤っ赤。心臓もドクドクしてるし、何でそんなに緊張してるの?」
「だって、だって、僕ずっとあなたに憧れてて、それなのに急につがいにしてもらったから実感がないというかこの距離に慣れないというか……」
「そっか、晶馬くんは誰ともお付き合いしたことがないんだね。恋人の距離に慣れてないんだ。困ったな……。ああ、もう、しょうがないなあ。今回だけだよ、引いてあげるの。次は泣いても許してあげないからね」

 うっ、怖いことを言われてしまった。
 先輩は苦笑いをして僕を開放してくれた。

「次は予告しないで襲ってください」
「ぷっ、ははっ。いいの?了解、いきなり襲ってあげる」

 あれ?身構える隙を与えないでねって言ったつもりだけど、もしかして何か間違えた?

「じゃあまずはこの距離に慣れて」

 先輩は僕の体勢を横向きにしてひざに乗せ、体をもたれ掛けさせた。
 え、これって子供に取らせるポーズじゃないの?でも凄く近くてドキドキする。

「今日はずっとこうしていよう。そしていっぱい話をしよう。後輩の君なら知ってるけど、恋人としての晶馬くんは知らないから、君がどんな子か教えてよ」
「僕?普通ですよ。お父さんがαで、お母さんがΩ。兄さんと姉さんが‪α‬とΩっていう普通の四人家族。ただちょっと、みんな僕に過保護かな。先輩のおうちは?」
「僕んちは両親と僕の三人家族。父方が代々αの血筋で、過去にも稀少種が出てるんだ」
「名家なんだ……」
「そんな大したものじゃないよ。それにしても晶馬くんのおうちって過保護なのか。怖いな」
「何がですか?」
「番になりましたって報告に行かなきゃでしょ。”お嫁にください” じゃなくて "お嫁にしました" だよ。僕、ぶっ飛ばされるんじゃない?」
「ぶっとば、あはは、ないない。それどころかよくやったって褒められちゃうよ。僕なんかがこんな凄い人を、あっ」

 ”僕なんか” ってまた言ってしまった。

「ねえ、晶馬くん。君は決して不細工でも何でもないのにどうしてそう思ってるんだろう。兄さんと姉さんに何か言われたの?家族にコンプレックスでも持ってるの?」
「ううん、兄さんと姉さんからは何も言われたことないよ。兄さんはかっこいいし、姉さんは綺麗だし、二人とも僕の自慢なんだ」
「じゃあ彼らの友達だ」

 驚いた。何で分かったんだろう。
 恥ずかしいからあんまり言いたくなかったんだけど......

「小さい頃、偶然聞いちゃったんです。一緒に遊んでくれてた兄さんと姉さんのお友達が、僕は不細工でハズレだけど、兄さんたちのおまけだから嫌々遊んでやってるって」
「……」
「だから、僕、なるだけお友達の邪魔にならないように一緒に遊ばなくなったんだ。それ以来、綺麗な人や凄い人達の集団は苦手かな。僕がいたら場違いだし、邪魔だって思われそうだから」
「晶馬くん……そんなくだらないことで傷つけられたなんて......」

 先輩は膝に乗せている僕の頭を胸に抱いて撫でた。

「君は勘違いしてるよ。その友達の中でまだ兄さん姉さんと一緒にいる人はいるかい?」

 ……あれ?そういえばいない。

「彼らは支配者であるαと魅力的なΩにたかる取り巻きだよ。兄さんと姉さんの友達じゃない。彼らは、いくら兄弟といえども自分より幼くて格下に見える者が優遇されてる事が我慢できなかったんだ。そんな奴らのくだらない虚言に傷つけられる必要なんてなかったんだよ」

 虚言?嘘なの?そうだったのかな。

「だから晶馬くんは堂々と兄さん姉さんと一緒にいたら良かったんだ」
「ううん、そうじゃないんだ。確かにあれはショックだったけど、酷いことを言われて傷付いたから一緒に遊ばなくなったんじゃなくて」

 昔、遊んでくれたあの人たちを思い出す。みんなでゲームをしたり、探検をしたり、虫取りをしたり。探検では、小さな僕には危ないからって小川で手を握って渡ってくれた。あぜ道の段差では上から引き上げてくれた。虫取りで綺麗な蝶を捕ってもらったの、嬉しかったな。

「不細工な僕の存在は邪魔だったんだ。なのにそれを知らずに図々しく遊んでもらってた。僕は彼らが大好きだったから、彼らの邪魔をしたくなくて一緒に遊ばなくなったんだ。今でも綺麗なΩの人達やαの人達が集まってる所は、場違いで邪魔だと思われてる気がして苦手。でもそれは僕に自信がなくて弱いからだよ。彼らは正直だっただけだ」

「晶馬くん……君はこんな事を聞いてもその人たちを責めないんだね……」

 僕は平気なのに先輩の方が苦しそうな顔をしている。手があやすように背中や頭を優しく撫でて、時にトントンと励ましてくれる。そのあと、瞼にキスがゆっくりと落ちてきた。
キスは、顔、髪、耳の下といたるところに降ってきて、最後に唇にたどり着いた。数度、柔らかくついばんでから、舌がそっと唇を割った。

「んぅ……」

 舌が触れあって溜め息のような吐息が漏れた。

 甘やかされている。

 薄く目を開けると、ずっと憧れていた顔がドアップで視界いっぱいに広がっている。

 あ……凄い……ホントに先輩とキスしてる……

 始めは緊張して強張っていた体も、ゆっくりと優しく労わってくれる仕種に解けていた。
 長いまつげに見とれていると、先輩がふいに目を開けた。視線がぶつかってドキリとする。僕の緊張が伝わると、ふわっと花が綻ぶように笑った。恥ずかしくて目を逸らしたかったけど、吸い寄せられるように外せない。舌を引っ込めようとすると、角度を変えてまた絡めとられた。

「ぅ……ふ……うっ……」

 顔だけじゃなく頭にも血が昇ってきてクラクラしてきた。
 とうとう先輩の胸を叩いてギブアップを告げた。

「っ、っはあ、はぁっ、はぁっ」
「……晶馬くん、鼻で呼吸してね」

 慣れてないんです、ほっといてください。
 ちょっと口をとがらせて赤い顔で横を向く僕を見て、先輩はクスクス笑っていた。ちぇっ。
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