おとぎ話の結末

咲房

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旅の終わり

呪いと祝福と

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 おぼろげになった夢の名残を追いながら、僕は温もりに包まれてゆっくりと目を覚ました。
 あたたかい……。ああ、そうだった、先輩が帰ってきたんだ。大きな体が僕を後ろから抱きしめている。

「李玖せ、ゴホッゴホッ」

 呼び掛けたらひび割れた声が出てせた。のどが枯れてひりひりと痛む。そういえば目も腫れぼったくて重いし、まるで泣き叫んだあとみたいだ。
「痛……」

 先輩は僕の手を握り、胸に向かって舌を這わせていた。肌に触れるたびにピリピリとした痛みが走る。

「起きた?おはよう」
「せんぱ……」

 パタパタと涙が零れた。
 僕は今、何故か悲しい気持ちになっている。それに先輩に強く抱きしめられて手首を掴まれているこの状態は、まるで拘束みたいだ。
 いったい何が……。

「大丈夫、怖い夢をみただけだよ」

 混乱する僕に、先輩がごめんね……と呟いた。
 ごめんね?
 胸元が焼けるように熱い。じんじんと脈打つような痛みに下を向くと、胸にいくつも引っ掻き傷があって血が出ている。

「え……」

 なんで?
 夢って、なにが?
 でもこの自分で引っ掻いただろう傷も、苦しくて悲しい気持ちもよく知ってる。前はヒートのたびにこうなっていた。それでヒートが来るのがいつも怖かったんだ。
 今、お尻に感じる痺れと中が収縮している感じ、それにベタついている素肌は誰かに抱かれた直後の体だ。誰かって、それはもちろん先輩に決まっている。
 きっと僕は以前に戻っていて、また先輩に救ってもらったんだ!

「ごめ、先輩ごめんなさい」
「違うよ、きみが謝ることは何もないんだ」
「でも、」
「ううん、謝るのは僕の方だ。ごめんね晶馬くん」
「先輩が?どうして?」
「きみの苦しみが僕たちの所為せいだから」
「先輩たちの?」
「うん」

 先輩は脇の下に手を入れて僕の体を反転させ、血の出てる傷口を舐めてくれた。血が止まり、ひりつく感じがなくなっていく。
 そして僕の体を横向きに寝かせて上になった足を軽く曲げ内腿を晒させ、どこからか出したのか蒸しタオルでベタつく秘所とともに拭き始めて僕を慌てさせた。

「じ、自分で……」
「させてよ王子さま」
「!」

 王子さまは自分じゃないか。絶句して口をパクパクさせているあいだに優秀な従者は手際よく汚れを清めてしまい、恥じらう隙を与えてくれなかった。
 僕はさっぱりと拭われて真新しい部屋着を着せられ、同じく着替えた先輩の胸に凭れかけさせられた。暖かいココアが渡される。そうして僕を落ち着かせてから話が始まった。

「《運命のつがい》は一人の稀少種が世界にはなった呪いなんだ」




 昔、とある稀少種が一人のΩオメガに恋をした。
 だが一方的に見初めただけでΩには将来を誓った仲の良い恋人がいる。それでもどうしても諦めることが出来なかった稀少種は、どうにかして振り向かせる方法はないかと考えた。
 稀少種はとても優秀な医者だった。薬の知識が豊富で、国境なき医師として世界中を飛び回っていたのでどんな材料も手に入った。

「晶馬くん、世界には人間を操る虫がいるのを知ってる?」
「人を操る?」
「うん。例えば、南米の森林には人間を川へ向かわせて水に足を付けさせる寄生虫がいる。足が浸かると寄生虫は皮膚を破って外に出て、川に帰っていくんだ。人間はその寄生虫に脳を支配され、無意識に操られていたという訳。
 その医者は虫がそうやって人の脳を支配する行動に目をつけた。そういう生物で相手の心を自分に向けさせればいいのだと考えた。
 そしてとうとう一つのウイルスを見つけだした。そのウイルスは、無理やり二つに分裂させると、一つに戻ろうとして強い力を発揮する特性を持っていた。
 この分裂させたウイルスでワクチンを作ってマウスが沢山入った箱の二匹に投与してみたら、それまで相手に無関心だった彼らは互いを見た瞬間から片時も離れなくなり、暇さえあれば交尾をするようになった。それは一つに戻りたがったウイルスが引き合って脳を操った作用だけど、まるでネズミが互いを特別と認識して熱烈な恋をしているみたいだった。
 この結果を見た医者はこれを人間にも投与してみた。
 人間は、元から沢山の無害なウイルスと共生している。これもそんなウイルスの一つで、片割れに出会いさえしなければ何も起こらない。でも出会ってしまえば……。
 投与された二人は、マウスと同じように出会った瞬間から互いにひと目で血圧が上がり、ドーパミンもエンドルフィンの値も上昇した。動悸は激しく、周りはもう目に入らない。これは恋に落ちたのと同じ症状だった。
 その医者は笑顔で言った。
『互いに一目惚れだなんて、君たちは神が定めし運命のつがいだったんだね』
 そうか、この出会いは運命だったのか!そう思った二人は神に感謝した。そうして《神が出会わせた、運命の番》との大恋愛が始まった。

 ウイルスを分裂させて作るからこのワクチンは二本でワンセットだ。
 実験が成功した医者は、まず一本を好きになったΩに投与した。それからもう一本を自分に打ち、Ωの元に行って腕を広げた。
『はじめまして。やっと巡り逢えたね、僕が《運命のつがい》だよ』
 相手はひとめ見るなり恋に落ちたような状態になり、その医者の胸に飛び込んだ。
 その時には既に予防接種に混ぜられたワクチンが世界各地のαとΩに投与されていて、世界のあちこちで運命の出会いが果たされていた。
 しかも最初は富豪や芸術家などの皆が憧れるαを選んで打っていたから、相手のΩたちはまるでシンデレラだと持て囃された。
 こうして《運命のつがい》はΩの憧れの存在になっていたんだ。その医者とΩの出会いも誰も疑わず、周りからは盛大な祝福の声が上がった。ただ、Ωの婚約者だけは反対した。でも誰も取り合わない。恋人にも周りにも彼の存在は無に等しくなったから。悲しみにくれた彼のその後の行方は誰も知らない。誰も気にしなかった」
「そんな……」
「酷いよね。ところで晶馬くん、君の体は発情期ヒートのとき高村くん以外を受け付けなかった。でも高村くんは晶馬くん以外とも性行為が出来た。それってズルくない?」
「え、高村さんに彼女さんがいた事がですか?」
「ううん、それじゃなくてΩは運命の相手に縛られるのにαは自由に恋愛が出来るって事が、だよ。だからΩは絶対に運命の相手から逃げられないんだ。相手がどんなに酷い奴でも相性が悪くても発情期間ヒート中はその人と過ごさなければならない。普通の発情ヒートじゃないから抑制剤ぐらいじゃ我慢できない。相手をしてもらえなければ天上の快楽の時間は地獄の苦痛の時間になる。それに対しαはその人以外とも性行為が出来るから、極端に言うならαには天上の快楽を体験できるチャンスが与えられるだけ。君たち二人の関係が正にそうだったよね。
 この仕組みはα側にばっかり得があり、晶馬くんのように苦しんだΩもいた筈なのに、弱い立場のΩの不満の声は世間に広まる前に立ち消えていった。Ωのシンデレラストーリーだけが取り沙汰されたんだ」

 確かに人々は都合のいいものを信じたがる。社会的立場の強い人に有利なシステムなら尚更だ。

「Ωの体にロックが掛かるのは、このワクチンを作った稀少種が惚れたΩを絶対に逃がさないためだった。αに都合のいい仕様は、世間に不満の声を上げさせず、稀少種の仲間に発見を遅らせる為だった。
 稀少種たちがようやく異常に気付いて医者の元に行くと、そこには沢山の子供たちに囲まれた幸せな家庭があった。医者は言った。
『この子供たちを親なし子にするつもりですか』
 千夜一夜物語のラストにシェヘラザードが言った言葉だよ。王様が寝物語の間に母となっていた妻を殺せなかったように、稀少種たちも父となっていた医者を処分出来なかった。
 蛇足だけど彼を止められず処分も出来なかった苦い経験から、稀少種を見張る『隠密』という存在が作られた。だから今はそんな不条理な事件は起こり得ない。でも世界中にばら撒かれたウイルスは、子や孫に引き継がれて今でもたまに出会うことがあるんだ。それが現代のおとぎ話、《運命の番》だ」

 言葉がなかった。
 皆の憧れの《運命のつがい》は人工的に作られたものだった。それも、恋に落ちるんじゃなく、ウイルスに心を操られるだけだったんだ。

 たった一人の稀少種が、好きになった人を得るために世界を変えた──

 そんな途方もない話に僕と高村さんが巻き込まれていただなんて。

「《運命のつがい》は決して神からの祝福ではなく、その相手も神に選ばれた訳ではない。身勝手な一人の人間が作ったΩにとっての呪いなんだ。だから晶馬くんが苦しんだのは僕たち稀少種のせいだ。《運命の番》を作ったのも稀少種で、止められなかったのも稀少種なのだから。
 君はこの呪いの被害者だ。
 性行為がとてつもない快楽なのは、ウイルスがこの行為を病みつきにさせようと体を変化させる為で、晶馬くんが淫乱になった訳じゃない。高村くんに邪険に扱われてもボロボロにされても運命から逃げられず、一方的に苦しみを受けた君に悪いところはひとつもない。君の気持ちもヒートの時の体の変化も、全てウイルスに操られた作用だよ。αの高村くんにはこの呪いによる被害はなかった。君だけが被害者だったんだ」

 確かに淫乱な自分を汚いと思ったし、運命に逆らっている罪悪感も感じていた。

「でも、僕が苦しかったのはそのせいだけじゃなかったんです」

 僕は首を振った。
 運命じゃなかったと分かっても、ウイルスに操られていたと分かっても。
 僕が自分を傷つけていたのはそれじゃないんだ。
 先輩の何もかも見透かす瞳が怖い。それでも言わなければならない。

 先輩は苦しそうな顔をした。
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