明日の「具」足

社 光

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6話

6話「罪深きお茶漬け」【2/3】

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「待って!一旦待ってお願いだから!」
「離してください!いい加減にしないと私が警察呼びますよ!」
「じゃあ良い!呼んでもいい!だから待って話聞いて!!!」

 月明りの下で爛々と煌めくイルミネーションの更に下で腕を掴み掴まれながら絶叫する成人女性2人。これが渋谷や新橋の午後10時とかの光景だったのなら周りの目も多少は気になるだろうし、お巡りさんの4、5人はすっ飛んできそうなものだけど、生憎午後7時をまわったばかりの今の磐田駅前には私たち以外の人間はいない。みんな既に帰宅しているかもっと都会の街で夜を駆けているかのどちらかだろうから。

「痛いですっ!そんな強く掴まないでくださいよ!」
「何よ!私だって痛いわよ!手の甲とか指の背中とか真っ青なんだから!」
「だからどうしてそんなことになってるんですか!」
「説明の途中であなたが帰ろうとしたんでしょ!?」

 駄目、これじゃ堂々巡り。人目が無かったのが幸いしたけど、もしも他の人に見かけられたら心配されて駆けよられる前に遠目から通報されかねない、そんな殺伐さが多分私たちの周りには充満している。これは駄目だ!なんとか落ち着け私、ここは話を……言い訳だけでも聞かないと……!

「帰りません!もう帰りませんから話してくださいっ、なっふん!」

 掴まれた右腕を高く掲げて頭上から大きく振り下ろす。榊さんの怪我は心配だったけど本人のあの調子を見た上での抵抗だ。そのおかげで取り敢えず拘束からは逃れられた。振りほどかれ榊さんは両掌を私に向けて広げたままこっちをじっと見つめてくる。無言の訴え、自身に迫ってくる肉食獣を制止するかのような、もしくは自分に何の害意も無いことをアピールするかのような、そんな表情を向けながら言葉を飲み込むその姿を見て、さすがの私もいったん冷静になろうと思った。伸びた袖口を元の位置に、アウターのジッパーを限界まで引き上げて鼻から大きく息を吸う。キンと冷えた空気で少しくらいは頭も冷えるはず。そうでもしなければ冷静に聞いてなんかいられる訳が無かった。こんな狭量な私が、彼女の……嘘をついた人の告白なんて。

「まず聞きたいんですけど、こっちから質問して大丈夫なんですか?」
「それは……どういう事?」
「もう示談とか裁判とか気にせずにズカズカ聞いていいんですか!?」
「もっ、もちろん大丈夫!……信用してもらえるかは、別だけど」

 しおらしく視線を落としてそう囁く彼女に、まず私は右手の具合を聞いた。出来るだけ正確に今の彼女の容体を確認したかった。

「手首から先は単なる打撲。手首の周りは少し切ったんだけど、これも貴方との事故で出来た物じゃない」
「でもあの時、確かに何かに当たった感じが───」
「下げた鞄に当たったのよ、貴方の自転車のハンドルが。でもそれで怪我はしてなかった。片方に力が入ってバランスを崩したけど、鞄が地面との間に挟まってクッションになってくれたの。この怪我は……その、少し前に出来て……」

 そこで彼女は言葉を詰まらせた。その話の通りなら100%私に罪がない訳ではないと思う。でも榊さんは事故に関してそれ以上言及せず、あくまでその根本にあった「起こり」についての説明をするのに難儀しているらしい。まぁ、私だってノンケに彼女と喧嘩したという話を真顔で語れるほどの胆力なんてないし、前もってそれ系の話題で怒らせた経験のある相手だとしたらそれこそ口に出すことだってはばかられるとは思う。そこまで気にしてくれてるというのは……予想外だったけど。

「話してください」
「えっ!?……で、でも」
「でもも何ももう言ってるじゃないですか。言っておきますけど先週の事もその日の内だったから怒りましたけど、あぁいうのも慣れてる方ですからもう気にしないでください」
「……ごめんなさい」

 肩と顔を落とした彼女は深く落ち込んでいるように見えた。本当に勝手な感情ではあるけど、一時は憧れもした人のそんな姿がこんな人目に付く場所に晒され続けるのは私も嫌だし、立ったままではどうしても気が急いてしまう。私は榊さんを近くのバス停のベンチへと促した。帰宅時間の隙間で本数も乗客も少なく、今さっき背後で去って行く低いエンジン音を聞いたばかりだったので少しの間は静かに話せるはずだ。
 座面に水気やらゴミやらが無いかを確認して榊さんに先に座って貰おうとすると動揺した様子で逆に先に座ってと言われてしまった。逃したくないっていう事?それとも単に気持ちの整理がつかないだけかは分からない。いや、私の勘繰りすぎなんだろうな、多分。とにかくこういう場合に譲り合うのは不毛なので一言断りを入れて私はサッサと腰を下ろした。

「どうぞ」
「え、えぇ……ふぅ……」
「女と一緒に座ったことないんですか?」
「なっ!!!あるわよそれくらい!馬鹿にしないで!」

 顔を真っ赤にしてまくしたてながらドカッと音を立てて榊さんも隣に座ってくれた。1人分だけ空いた2人の間隔、このくらいの方が話しやすい。特にそういった話は───

「じゃあつまり、喧嘩した時に彼氏さんにやられたってことですか?その手は」
「はっくっ……いや、違……違わないけど違くて……なんて言えばいいか」
「遠慮しないで言ってください。どのみち悪いのが私なのは変わらないんですから」
「な、何でよ!?さっき言ったでしょ、この怪我は──」
「怪我の理由が何であっても、自転車で接触した私がその場から逃げた事実は変わりません。そこを認めていただけないと私からは貴方に質問する権利なんて、ありませんから」

 榊さんはほんの少しの間を置いてその言葉に納得したように首を縦に振ってくれた。そうだ。元はと言えば私の不注意と不誠実から始まった関係だ。彼女にどんな理由があろうと私にはそれを聞き届ける責任がある。

「……この怪我は、私が自分でつけたの」
「?……自分でって、どうやって?」

 自分で自分をあそこまで傷つける、それほど追い詰められて───

「か……壁を、殴って」
「……は?」

 ストレートな感情。純粋な困惑の音が私の口から漏れだした。嘘でしょ、この人が、こんなスマートな大人が……彼氏とのけんかで壁を殴って怪我をして、その責任を見ず知らずの人間に擦り付けようとしたっていうの!?

「言っておくけどっ、コンクリートとかモルタル剥き出しのとかそういう頑丈な奴じゃなくて木のやつ!板張りの自然的なそんなに固くない壁だから!」
「つ、つまり……貴方は、その……木でできた壁を彼氏さんとの喧嘩で殴って、そこで手を痛めたってことですか……?」
「痛めたっていうより、貫通したの。腕は割れた面の間から引き抜いた時に切ったみたいで……」

 やめて聞きたくない!これ以上罪科を重ねないで!私の心の中で(勝手に)も積み上げられてきた、「デキる大人、榊 奈央」の偶像が、彼女からの告白を聞き進めていくほどにガラガラと崩れ去って行く。落ち着いて対する相手を性質を熟知し対話に臨むかつての憧れが消え失せ、出来るキャリアウーマンの像も不鮮明になってしまいそうなこのままでは、私が彼女に抱く印象は、「こらえ性の無いロマンチスト勘違いノンケ」という非の打ちどころでだけで出来上がった不名誉極まりないものになってしまいかねない。

「何でそんなことに……」
「ま、まぁそこはいいでしょ?貴方にはその……縁の無い話しだと思うし」
「レズは男と接する機会が無っていうことですか?」
「いやっそうじゃないけど!……でも付き合ったりは、しないんでしょ?」

 まぁそうではある。私が否定もせずにどう言葉を返そうかと考えている横で、榊さんは何やら申し訳なさそうな雰囲気を醸し出していた。そんな気持ちになるなら言わなきゃいいのに。ともあれこれでハッキリした、彼女自身が行った事実を認め、私自身の責任もこれ以上問わないと言ってくれるのであれば……、私としてはもう彼女に聞くべきことは1つしかない。

「じゃあまぁ、これだけは聞かせてもらえますか?先週のお店で、私の耳元で言った言葉の意味を」
「あっ……アレは……、昔見た映画で同じセリフがあって、その───」

「アレは、ホントの気持ちなんですか?」
「ふぇあっ……!」

 動揺の交換会はこれで最後。1人分空いていた間隔を一気に詰めて私は榊さんの隣、足同士が触れ合う寸前にまで近づいてそう聞く。白い息が肌にかかる程の近さで、はち切れそうな心臓と食道の圧に耐える私の囁きも間違いなく彼女の耳に届く、それくらいの距離。そうやって彼女の真意を問いただした。あの言葉、あの時の気持ちが恋人に無下にされたからのやけっぱちでないのか否かを。

「……」

 自身の足元に視線を落としたまま、榊さんは言葉を発しない。彼女の返答を待つこの僅かな時間の中で、聞いた側の私自身でさえまるで真綿で首を絞められるような苦しさを感じていた。でも……まともな答え、ましてやなんてものは期待してはいなかった。ただ、ずっとこの胸につっかえている栓を抜きたかっただけ。そう思って聞いたのだ。

「……か、って……初めて思った。あの部屋で、薄く照らされたアナタの姿を見て、生きてきて初めて、心からそう……思えた」
「……」
「初めは気の迷いだと思った。嘘をついて貴方を脅迫して、部屋にまで押し掛けて……引っ込みがつかなくなったことの負い目で気持ちが変になってるんだって。でも、眠ってしまってたアナタの顔を見つめれば見つめる程……自分の中の認識も嗜好も、まるで間違いだったみたいにぼやけてしまって……気付いたら私、アナタしか見ていなかった。帰ってからも、仕事の中でも、アナタを思い浮かべ続けてた───」
「もういいです」

 語らせるのが申し訳なくなって口を開いてしまった。こういう言葉は大概、言った2日後くらいに死ぬほど後悔するものだから。「あんな言葉で表してしまった」事に。
 榊さんがゆっくりとこっちを見つめる。怯えるように小さな瞳の中で、多分彼女は苦しんでいるのだと思う。今まで生きてきた認識とのズレと、新しい自分を受け入れる怖さに。そんな事がすぐに分かってしまう私自身がひどく低俗な人間に思えてしまう程に純粋な彼女の迷いに対して、これからかけるべき言葉も、自分の心への決着のつけ方も、もう私の中では決まっていた───


「もし本当の気持ちだと認めて下さるのなら、私のお返事は1つしかありません」
「……もういい、もう止めにしましょう───」

 言葉の締めに近づく連れて物音と空気の流れが増す。荷物をまとめて服の乱れを直し、左手で彼女は頬を1回だけ擦った。すっと立ち上がって私を見下ろしながら呼吸を整えその口をゆっくりと開こうとした瞬間、私の時間は止まる。ほんの一瞬、1回の深呼吸を終える位の間。そんな僅かな錯覚の間に私も自分の心に決着をつけることができた。フーっと息を吐いて言葉を発する。彼女が言おうとしているのよりも早く大きく正確に。絶対にその言葉を言わせない為に。

「私も好きです、貴方の事が」

 満点の夜空、イルミネーションで彩られた真冬の静かな空、そして輝く月明りを背後に立つ彼女を見上げて、私はそう言った。

「───!!!」
「本当の気持ちです!今の私にとって、これが本当の───」
「そ、そうじゃなくって……」

 顔を伏せて息を呑みながら声を絞る榊さんが指さした方向、振り向けば周りには人が溢れていた。忘年会終わりのサラリーマンや大学生、クリスマスの前倒しで外に出かけていた家族連れ、そして今まさ到着したバスの中から出て来た都会へ向かうのであろう何人もの男女が。

「はへ、へ……」

 全身の血が顔面に集まって沸騰する。視線を戻した時には既に榊さんはバスの中に逃げ延びていて、私はこの宙ぶらりんになった一世一代の告白を意地でもエラーさせない為に、あの裏切り者を追いかけてバスに飛び乗った。
 

 
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