明日の「具」足

社 光

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7話

7話「カレーとはなんだ?」【2/3】

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 「芽衣子……?」

 明るめの茶髪、小ぶりな鼻と太い眉、そしてお客の前では絶対に掛けない度の強い黒縁眼鏡をかけた休日仕様の芽衣子が私の部屋の前に立っている。右手にハンドバッグ、左手にスーパーの買い物袋、背中に大きめのリュックサックを下げ、顔を合わせていくほどに対面した瞬間の険しさが段々と明るくなっていく。私は日頃の彼女のそんな表情の後に発せられてきた言葉の数々を思い浮かべ咄嗟に掴んだドアを強く引こうとした。

「哀留、私!大丈夫、私だよ!」

 そうやって閉じられそうになったドアを買い物袋越しの芽衣子の左手が渾身の力で押さえつけ、行動とは対照的に彼女は優しい口調で私に語り掛ける。まるで迷子の子供を安心させようとしているような、そんな声で。

「だ、大丈夫……分かるよ芽衣子」
「ホントに!?だって今閉じようとしたでしょ……?」
「突然訪ねてきてそんなにズイズイ迫られたら、誰だって驚くでしょ?それより……何の用?」
「何のって……同僚が1週間も落ち込んだまま引きこもってるなんて知ってて放ったらかしになんてできるわけないでしょ!お見舞いよお見舞い!」

 そう言って左手の袋を掲げて私に見せつけると芽衣子は持っていたハンドバッグを肘にまでずらして右手を自由にし、私の左側にあった部屋の証明のスイッチを頬を掠める位のきわどさで手を伸ばし押した。

「もうお昼で起きてるのに、こんな暗くしてたら駄目じゃん哀留!最近外に出た?」
「えいえっ!?いや……昨日少し遠出はしたけど」
「本当?どこまで?」
「あぁいや……」

 この根掘り葉掘り感、久しく忘れていた気がする。顔と顔の間、僅か10㎝くらい。室内への侵入を防ぐためにさりげなく、それでいて決死の構えで両手を広げ玄関のドアにへばり付く私に芽衣子は限界にまで接近して質問を続ける。最後に外に出たのはいつか、美味しいものは食べているのか、相談できる人はいるのかといった感じのとても人情味溢れる質問の数々。でも今の私にはそのどれもこれもが的外れか豪速デッドボールといった具合。セクハラをかまして休業の原因を作った奴と同棲するかか否かで悩んでいることなんて、そんな馬鹿げた事実を彼女は想像しようがないだろうし、私も言い出せるわけがないからだ。

「ちょっと入れて」
「……なんで!?」
「いいから!!!」

 そう言った瞬間には既に芽衣子の肩口が私の脇の下に差し込まれ、グイッと上に押し退ける形で彼女は私をくぐって家の中に。不法侵入ですよ不法侵入!

「ん?」

 だけど侵入した芽衣子は玄関口の傍、流し台の前で立ち止まって少しの間リビングを眺めた後、ズカズカと奥に進んで天井や壁、ロフトのあたりを興味深そうに回し見る。私はその瞬間にマズイと感じた。彼女が今の私の部屋に抱くの正体に何となく察しがついたからだ。

「部屋、凄い綺麗になったね?」
「う、うん……まぁね。時間とか結構、あったし」

 彼女がこの部屋を訪ねるのは今日が初めてじゃない。今から4年くらい前、エビデンスに勤め始めてひと月くらい経った頃、「親交を深める」という名目で彼女は今日みたいにいきなり押しかけてきた。両手いっぱいのお菓子と軽食、そして何かしらの料理の材料を抱える今日と同じ姿で制止する私を振り切り部屋に入った彼女が目撃したのは、辺獄。僅か1年半の間に構築されたプラスチック容器や包装紙の山、そしてカーテンにまでこびりついた純度100パーセントのコンビニ食品の匂い。それらが充満するこの世の泥だまりを目の当たりにした芽衣子はその惨状への感想を口には出さなかったけど、それまでの勢いを完全に殺されてお菓子の袋を餞別に置いて退散していったのだ。
 それからは半年に1回くらい、健史郎による強制査察とアイツが頼んだ業者による強制撤去が何度か行われたもののついに綺麗な状態を1週間保つことが無かった私は今、この部屋を2週間近くの間真っ新な状態に保っている。榊さんが掃除してくれたあの時のままに。

「そ、そっかぁ~、良かった!色々備えはしておいてたんだけど無駄になったみたいで」
「備えって?」
「ん!?アッハハイヤイヤ何でもないって!最近またインフルエンザ流行りだしてるからマスクの替えとか持ち歩いてるっていう……そんな話!でもホント安心したよ……哀留、あんな場所に引きこもってってかえって気分が沈んでるんじゃないかなって思ってたから!」

 今現在沈められてるんだよなぁ……。まぁ確信が事実に変わったっていうくらいだけど。芽衣子みたいなキャピっとした子ならそう思うのが自然だ。というかたぶん全人類がそう思う。

「……それで何の用なの?わざわざ『あんな場所』にまで来て」
「あっはは……あぁ!そうだ、これ!」

 芽衣子は思い出したように左手に下げた白い袋をテーブルに降ろして中身を広げる。内容は大きい肉、玉ねぎ、ジャガイモ、それと木の皮みたいな何かとあと細かい調味料みたいなビンが3つ、そしてこれまでの手がかりを裏付ける直方体の平べったい箱が1つ。デカデカと書かれた「こくカラ」という赤いゴシック体が私の認識と見事に合致し、その答えは彼女から聞く前に自然と自分の口から零れ出た。

「カレー?」
「そうカレー!そんな格好だし哀留お昼まだでしょ?あったかいもの食べれば元気出るって!」

 察しがついた私の呟きが認証ワードとなって芽衣子の目は一層輝きだす。テーブルの上に広げたスターターキットをそのままキッチンに移しながら私にゆっくり休んでいるように言い、同時にキッチンの使用許可を求めてきたので、私は細々とした声で「大丈夫」と一言。お客に言われたのであれば対応に困る返事に対して芽衣子はウキウキした様子で頷き、リュックから取り出したマイ包丁とまな板で調理を開始した。私は初めて見たのにそうでないような気がする彼女のその姿にお門違いな懐かしさをどことなく感じながら大人しく胡坐をかいた。






※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 ガシグシ、トントン、ジャボジャボ、コトコト……。台所に立ってからの20分間、芽衣子は一言も言葉を発することなくそういった音だけを響かせながら作業を進める。自分で言っていて再認識したけどこれは異常なことだ。あの芽衣子が、法事帰りの喪服の団体さんがいる前でも、私に昨日テレビで見た戦争映画の話題を振るような彼女が今、私の家のキッチンを使って黙々とカレーを作り進めている。それも、とっっっっても美味しそうな匂いを漂わせながら。

「め、芽衣子───」
「大丈夫。私がやってあげるから、哀留はゆっくりテレビでも見てて」

 ウチには無いんっすよテレビ。そして冗談じゃないくらいに食欲を刺激する匂いがこっちの鼻腔にまで届き始め、私のお腹はまたしても馬鹿正直にを上げる。

───ググゥウゥ───

「あはっ、なんだ!やっぱお腹空いてたんじゃん哀留!お腹は口よりもお喋りだね~」
「……しょうがないじゃん、こんないい匂いかがされたんじゃ誰だって鳴るでしょお腹」

 自分からしても珍しい素直な賞賛を送ると芽衣子は嬉しそうな様子で再びコンロに向き合い始めた。今キッチンには野菜類と水らしき液体が一緒に煮込まれている鍋と、それとは別で炒められているチキンの乗ったフライパンがあり、主に私の鼻にちょっかいをかけてきているのがこのチキンの方。コレがまた良い感じにスパイシーでどこかにハーブ的なサムシングを感じさせてくる、カレーのお店に入って香ってくるあの匂いそのままなのだ。これじゃ誰のお腹だってグゥの音をあげるってもんでしょ。

「───よし、じゃあ先にご飯を……あっ!」

 このタイミングで驚くことに察しがつかない人はいないとは思うけど、一応言っておくとウチには炊飯器などという家庭的な物は存在しない。

「どおりでチャッチャと進むと思った、哀留普段ご飯どうしてるの!?」
「レンジでチンするやつ……で、足りてたし」
「駄目駄目!お釜で炊いたヤツの方が美味しんだから!あぁどうしよう、哀留この近くで炊飯器借りられたりってする?」

 それならちょうどいい人がいるよ!なんて返事ができる人はそうそういないとは思うけど、悲しいかな私にはそういう奴が1人いる。

「下の106号室、そこの大家さんに私の知り合いだって言えば……借りられるとは思う、けど───」
「分かった!コレ、火止めておくから哀留は何もしないで部屋で待ってて!」
「あぁいやその……」
「待っててね!」

 私が腰を上げた時にはもう玄関のドアが閉じた後。壁越しに聞こえる階段を駆け下りる音で恐らく健史郎のところに芽衣子は直行しているのだと思う。物だけは溢れてるあいつの事だから炊飯器の1台や5台は部屋の中にあるだろうけど、問題は本人が「何処に仕舞ってあるか分かっているか」なんだよね……。アイツも料理なんて1ミクロンもしない奴だし。
 それにしても、さっきまで占有されていた台所に顔を突っ込んでみたらそこはまるで異世界のようになっている。バターや玉ねぎ、にんにくの香りなんていう物は私にとって完成品を食べた時に初めて感じられるもので、少なくとも調理中のキッチンからここまで香ってくるようなことは経験には無い。「ローレル」「ナツメグ」「ガラムマサラ」といったカタカナの張られた小瓶が手の届く範囲に整列されて、フライパンの上からまるで”小インド”が展開されているかのような鋭い香りが漂ってくる。これはマズイ、健史郎のところでご飯が炊ける前に私の胃袋が先に茹で上がりそうなほどに熱くなってきていた。この目の前の美味の萌芽を一刻も早く取り込もうとメルトダウンでも起こしそうなくらいに。

「大人しくしてよう……」

 気を抜くとこの右手の人差し指と親指がフライパンの上の鶏肉に伸びていきかねなかった。せめてもの慰めにと大きく深呼吸をしてこの香りを鼻腔一杯に頬張り、誘惑に負けて手が伸びていかない距離にまで遠ざかる為に一旦ロフトの上にまで退却してきた。すると、充電器に刺しっぱなしだったスマホに緑色の光、電話番号宛てのメッセージが届いたことを知らせる光ががあるのが見えたので確認してみる。件名にはきわめて事務的な雰囲気で「榊です」とだけ書かれている。

「電話してくれていいのに」

 と言っては見たものの、年末年始のお役所仕事という事や彼女の外での立ち振る舞いから考えたら多分メッセージこっちで送る方が良いんだろう。想像するだけでも忙しそうだし、何よりあぁいう厳しめな仕事場用の声で電話はかけたくないのかもしれない。と、そんな勝手な想像をしながらメッセージを開いてみた。文頭には想像通りに忙しくて昼休憩が取れない事から連絡をメッセージで送った旨と、今後はこっちで連絡を取ることが多くなるかもという確認。そして元気に過ごしているかという、気の知れた関係としてはありふれたものだった。

「なんか、良いな」

 もしかしたら初めて榊さんと雑談というものをしたかもしれない。出来れば同じ空間で言葉を交わしてやりたかったと思うけど大丈夫、もうこれが最後ではないのだから……。取り敢えずお疲れ様ですといった労いの言葉と自分は問題ないという質問への返答、そして最後に、「家で待ってますね」という一文を添えて返信の文字を力強く押す。大丈夫、雑談は相手から帰ってきて初めて雑談なのだ。少し大胆なような気もするけど、榊さんも結構ロマンチストっぽい気がするし、大丈夫。引かれたりはしないとは、思う。

───ピピピロン───

 再度の返信は一瞬で送られてくる。だけど、そこに書かれていた内容は私の想像通りのモノだけではない。文頭から返信ありがとうなんてド丁寧な返事から始まり、ウチに招いてくれたことやこれからお世話になる事への感謝の言葉が続いて行き、最後書き留められていたのは泊めてもらう挨拶として今夜の夕食を振舞うというものだった。

『17時にはそっちに着けると思う。美味しいカレー、楽しみにしててね』



『美味しいカレー、楽しみにしててね』

『美味しいカレー、楽しみにし』

『美味しいカレー』

『美味しいカレー』

『カレーカレーカレー』



「やばい」





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





「ちょっと!ちゃんと探してよ!」
「突然押しかけてきて炊飯器探せとか何なんだよお前は!」
「良いから早くしてって、哀留が待ってる……あっ!あった!」
「それは俺のMacだよお前!」
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