明日の「具」足

社 光

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7話

7話「カレーとはなんだ?」【3/3】

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 時刻は15時半と少し、考え事をしていると時間はすぐに経ってしまう。榊さんから送られてきた文面を何度も繰り返し確認しながら、芽衣子にこの事態を説明するにあたってもっとも穏便に済む言い方を考えているうちに気が付けばこんな時間になってしまっていた。当の芽衣子は健史郎のところへ炊飯器を探しに行ったっきり帰ってこない。私はこの3時間近くの間、作りかけのまま放置された(おそらく)絶品カレーと手元に残されたこのメッセージと一緒に過ごす羽目になっている。
 考えが一向に纏まらない。そもそも私の見舞いで来てくれた芽衣子に、私が休む原因になった人との繋がり自体察知されるのはマズイのだ。具体的にどういう末路になるかは想像もつかないけど主に私が気まずいし、多分そんなシンプルな事態では収まりが付かなくなると思う。でも……ようやく、ようやく榊さんとの繋がりが持てそうになった矢先に「別の女が家にいるから帰ってくるな」なんてこと言えるわけないし私も言いたくない。そして嘘なんてもってのほかだ。どうする……。

───ピンポーン───

 全身の肌先が総立ちになる。飛び降りる勢いでロフトから飛び出して覗き穴から玄関の向こう側を確認するとそこには憔悴しきった様子の健史郎が壁に手を着いて息も絶え絶えといった感じで辛うじて立っていた。

「どうした?!」
「どうしたもあるか!お前の知り合いのナニ子って言う奴がいきなり押しかけてきて、俺はお前に確認しに行こうとしたら炊飯器貸せだのどこにあるか知らねぇっつったら探すの手伝えだので……、2時間探し回ってようやく見つかって、用済みとばかりに放り出されて今に至る……」

 ぜぇぜぇとと胸の中を吐き出しきった健史郎はそのまま玄関の中に倒れ込んで動かなくなった。これは疲れというよりも日ごろ接しないテンション高めの20代女子に振り回されたことによる精神的疲労のせいだと思う。だけどこのままここに寝られていても邪魔なのでキッチンを経由し邪魔にならない場所、思い浮かばないので取り敢えず脱衣所の中にまで引き摺っておいた。

「で、どうしよう!?」

 閑話休題。もう15時50分!榊さんの今までの規則性から言って時間に遅れるなんてことはまず無さそうだし、ほぼ間違いなく1時間10分後にはカレーの材料を持った彼女がウチに戻ってくる。その時彼女が見たウチのキッチンに前もって用意されている本格カレーの材料を見た時……、どう思うだろう?恐らく誤解される。私が料理をほとんどしないことは知っているし、健史郎はあのザマで口裏を合わせられるかも怪しい。加えて芽衣子も炊飯器を見つけたのならご飯を炊く間ずっと張り付いてるなんてことはしないだろうからこの部屋に戻ってくる、そんなときに榊さんが帰ってきたら……私が彼女なら泣く、間違いく。

「気は進まないけど、しょうがない……」

 カカっとロフトに上がってスマホを持ってくる、私は榊さんに直接連絡を入れることにした。伝えることは2つ、「ウチの中が散らかってしまったので少し外で時間を潰して欲しい」ということと「夕飯のメニューを再考して欲しい」という事だ。どっちも、特に後者は本当に本当に彼女に言いたくない事ではあるけども、こうでもしなければ同棲開始翌日の日没を待つことなく私たちの関係は終わってしまいかねない。永遠の後悔より一時の苦痛の方がはるかにマシだ!慣れないフリック入力で急いでそのような内容の文面をこしらえ、送られてきたメッセージの番号に返信してみた。だけれどもやはりそれだけじゃ安心できない。私は自分の身勝手さに最早そこまでの新鮮味を覚えなくなってきてしまったのか、それとも榊さんの私に対する気持ちの強さを過大に見積もったのか分からないままに、ただ自分が安心したいという為だけに仕事中であるはずの彼女に向けて電話をかけてしまっていた。

───プルルル、プルルル、プルル───

 5秒、10秒、11秒。コール音を聞きながら相手を待っているこの時間がやはりどうしても好きになれない。榊さんから応答がないのはやっぱりまだ仕事中だからなんだろう。こんな無職一歩手前の奴が頭で想像するよりも地方公務員の午後という物は忙しいに決まっているのだ。それが必要とされてやって来た他所の会社のエリートであればなおさらの事。諦めて電話を切ろうとスマホを耳から離す。だけど今度はその途端に画面が通話モードに変わって驚いた私は慌てて画面を耳に押し当てた。

「あっ!すいません榊さん!あのご相談したいことがあって───」
「───ちょっと!」

───ブツン───

 一瞬で切れた電話、そして向こう側から聞こえてきた声。明らか榊さんの声ではないと分かりながらもどこか聞き慣れた声に胸騒ぎを感じてすぐに電話を掛けなおす。今度のコールは2秒も続かなかった。

「───こっち見なさい!───」
 ───こっち見なさい!───

 嫌な予感に限って当たるのが人の世というもの。電話口の叫びとシンクロして聞こえてきたもう1つの叫びは間違いなくウチの外、この部屋の窓から聞こえてきた!立ち上がって窓を開け放つと眼下には2つの人影、電話と袋、そしてビジネスバッグを抱えて身動きの取れない榊さん、そして彼女に対して今にも飛び掛かって行きそうなほどに激しく肩を揺らす芽衣子の姿があった……!

「止めて2人とも!!!」





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





「どういうことか説明してよ哀留!」

 考えられる最悪なパターン。ご飯のスタンバイを終えて部屋に戻ろうと外に出た芽衣子がたまたま仕事を早く上がって家に前に辿り着いた榊さんと鉢合わせたのだ。最悪、最悪中の最悪の展開。

「私に説明させてもらえませんか?」
「アンタには聞いてない!黙っててよ!」
「やめて芽衣子!」

 中学の頃に深夜のつまらない恋愛ドラマでこんな光景見たっけ……、自分には縁の無いストーリーだと思いながら見てたけど、我ながら浅はかだった。芽衣子は私の言葉にも返事を返さずに鬼気迫る表情のまま榊さんに対して視線をぶつける。対する榊さんは説明する機会を奪われて顔を伏せてしまっていた。確かに、事実だけを並べればこの構図は正しい。1人は喫茶店の店員に声掛けをした張本人で、残りの2人はその時の被害者と証人なのだ。でも今は違う。あの時は私に榊さんのとこを受け入れる覚悟が無かったからあぁなったのだ。もう彼女のことも彼女を想う自分の心も怖くは無い。でも芽衣子にそのことを説明して正しく理解してもらえるとは私にはとても思えなかった。たとえその認識自体が偏見に満ちたものだったとしても。

「哀留は外に出てて、コイツとは私が話を付けとくから」
「もういよ芽衣子、私は大丈夫だから」
「良くない!コイツ、アンタの部屋を見てにやにやしなら袋に手を突っ込んでさ、こっちが声を掛けたら開き直って堂々とし始めて、余裕で携帯弄ろうとしてるんだよ!反省なんて全くしてない!もう警察に任せた方が良いよ!」
「そうじゃない、こ、この人は───」
「お付き合い、させて頂いてるんです」

 その瞬間、激しく波打っていた部屋の空気が一瞬で凪ぎ、静寂が3人を包み込む。芽衣子の目線が榊さんと私の間を何度も往復し、彼女は一文字に閉じた口に両手を合わせこれから吐き出そうとしていた数々の言葉を全てのみ込んだ。そう、これは普通の反応。ややこしいのはただでさえ色眼鏡で見られやすいこの関係を構築したのが第3者から見た被害者と加害者であるという事、そして被害者を庇う第3者が全くその過程を知らなかったという点だと思う。私は、心配し気遣ってくれていた芽衣子を裏切る形で榊さんとの関係を深めていっていたのだ。

「え、えっちょっと待って分かんない……待って……」
「芽衣子───」
「哀留も、今は喋んないで……待ってよ、そんな」

 頭を抱え、息は荒くなっていく。芽衣子は榊さんから告げられた真実を自分の中にある常識や知識だけで処理できなくなったのかゆっくりと隣に座る私に視線を投げた、まるで怯えるように。

「……彼女とは、お店で初めて会った訳じゃないんだ。全部を説明してたら時間がいくらあっても足りないし、それに……説明しても、芽衣子にはさ……その、分かんないかもしれなかったから……」
「何が?」
「……女同士が、好きになるっていうのが」

 私が喋り終わる前に、芽衣子はテーブルから立ち上がって後ろに下がる。2歩、3歩、凶暴な野犬から距離を取るかのように素早くそれでいてもたついた動き。何度も見たお決まりの反応、それをついに私は信頼する同僚の姿で見ることになる。私自身の覚悟の無さのせいで。

「それはあんまりじゃない!?」
「……!」
「さ、榊さん!?」

 警戒心を露わにする芽衣子にその様に言い放ったのは榊さんだった。綺麗な正座姿で真正面にいる芽衣子の瞳の中をじっと見据えるかのように微動だにしないまま真剣な面持ち、今まで見てきた仕事の時のような顔を芽衣子に向ける。

「あそこまで必死になって庇っておきながら、同性が好きだと告白しただけでそんな態度になるなんて」
「……黙っててって言ったでしょセクハラ女」
「確かに私も常識が無かったとは思います、でもだからって大事な友達の事まで───」

 だけど榊さんの言葉に芽衣子は耳を傾けることは無かった。自身の手荷物だったハンドバッグと空っぽのリュックサックを掴んで玄関にまで駆け出す芽衣子。身だしなみを気にする彼女が靴の踵を潰してでも素早く履こうとしている姿を見て流石に焦り、後を追おうとした私に対して芽衣子は振り向くことの無いまま叫んだ。

「来ないで!」

 人に言った事がある言葉も改めて自分に向けられれば、言葉による痛みの鮮度は再び蘇る。息を切らして扉を押し開けながら一瞬だけ自分に向けられた芽衣子の目、乾ききって光を失いながら見開かれたその瞳の中の感情は恐怖だったのか嫌悪だったのか、それは多分本人にも分かってはいないんだろう。気付いた時には扉はドスンと大きな音を立てて叩き締められ、部屋の中には私と仕事着のままの榊さん、そして台所に放置されてしまった作りかけのカレーだけが残されていた。

「……ただいま」
「───お帰りなさい」
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