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第3章:漂流の寄港地ー学園編
第44話:無口な彼のことばかり
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寮生活は快適で、女官に囲まれていた頃よりも、ずっと気楽で、ずっと楽しい。
部活動には、演劇部を選んだ。
敬語の練習と文化の勉強になると思ったから。
そして――次にオーギュスト様に会うときまでに、少しでも綺麗になっていたかったから。
ある日、舞台化粧の稽古をしているときに、演劇部の仲間に訊かれた。
「エレナは、誰のために綺麗になりたいの?」
私は少し考えてから、照れ隠しの笑みを浮かべて答えた。
「……20歳くらい年上の、すっごくカッコいい人のため!」
「え、それって……大人すぎない?」
「素敵な人なの。余裕があって、逞しくて。なのに、笑うときの目元がずるいくらい優しくて……」
「ふーん。でも、最近よく話してる人って、もっと年が近い感じの人じゃない?」
「……そんなはず……ない、と思うけど……」
その日の放課後、アメリに愚痴をこぼした。
「ほんとに意味不明。やたら訪ねてくるくせに、相づちだけは完璧なの。話す気がないなら、来なければいいのに」
「でも、ついつい話しちゃうんですよね?」
「……だから、アタマにきちゃうの。私が勝手に期待してるみたいで、なんだか悔しいじゃない?」
アメリは紅茶を一口飲んでから、穏やかに微笑んだ。
「その方のこと、好きなんですね」
「違うってば!」
……違う、はずなのに。
「私が好きなのは、もっと大人の――」
「でも、今話してたのって、全部、無口な彼のことですよね?」
アメリのその言葉に、胸の奥がざわざわと騒ぎ始めた。
私、いつから殿下のことばかり話していたんだろう……。
否定すればするほど、殿下の影が濃くなっていく気がした。
数日後。
レオポルドとの会話でも、同じようなことがあった。
「エレナ様のお眼鏡にかなうような男性はいましたか?」
「うーん。今のところ、オーギュスト様以上の方には出会っていないわね」
「辺境伯は別格ですよ。もっと現実的にいきませんか? 実は、騎士科の練習試合に殿下が――」
「……ちょっと待って。どうして私が振られるのが前提なの?」
「それは――」
レオポルドは言い淀んだあと、観念してこう言った。
「実は、オーギュスト様には意中の方がいらっしゃるようで」
「……うそ。年末に滞在したときには、そんな女性、いなかったわよ?」
「ご令嬢の留学先に同行されているそうです。前妻を亡くされてから、ずっとそばで支えてきた方だとか」
「……いくつなの、その方」
「30代前半と聞きました」
「……年齢的には私の方が勝ってるわよね?」
「色気や包容力という意味では、単に若いから有利とは限らないのでは」
「レオポルド、はっきり言うわね!」
「こういうのは、客観的な意見が大事ですから」
「……まあいいわ。私だって一応、人妻だし。勝負はこれからよ!」
レオポルドは少し間を置いて、言葉を継いだ。
「……殿下の話をしているときのエレナ様、いきいきとされています」
「な、なにを……」
「表情が豊かで、声も少し弾んでいる。……まるで、楽しい話をしているように」
「そんなこと、ないわよ……」
そんなはずがない。そう、思いたかった。
「そうですか。では、私の気のせいなのでしょう」
レオポルドは少し間を置いてから、封筒の束を差し出した。
「これって……」
見覚えのある筆跡に、息を呑む。
「殿下がエレナ様に書いたものです。……止められていました」
「うそ……」
あの時、何一つ届かなかったと思っていたのに――。
――きちんと食べているか。
――贈ってくれた万年筆のインクは、よく走る。
――西の森で採れるセップ茸は格別だ。森育ちのヘレナも気に入るだろう。
短い文なのに、心を打つ言葉ばかりが並んでいる。
私が欲しかった想いが、そこには綴られていた。
届かないと思っていた想いが、ちゃんと。
……どうしよう。
辺境伯領で会った時、酷い態度ばかり取っちゃった。
でも、どうして手紙が止められていたんだろう。
レオナルドに問いただしても、ただ「申し訳ありません」を繰り返すばかり。
その謝罪の裏に、ロレーヌ派の影が糸を引いていることは分かっていた。
殿下の沈黙も。
レオポルドの謝罪も。
私を傷つけないためだと、頭では理解している。
それでも――”庇護すべき存在”として扱われるたびに、私はまた”知らされぬ存在”へと戻されてしまう。
私がまだ、闘えるだけの力を持てていないから。
でも本当は――隣に立てるような存在でありたい。
今まで敢えて見ないようにしてきた本心が、そっと顔を出す。
殿下の優しさに感謝すべきなのに、棘のような痛みが胸に居座り続けていた。
部活動には、演劇部を選んだ。
敬語の練習と文化の勉強になると思ったから。
そして――次にオーギュスト様に会うときまでに、少しでも綺麗になっていたかったから。
ある日、舞台化粧の稽古をしているときに、演劇部の仲間に訊かれた。
「エレナは、誰のために綺麗になりたいの?」
私は少し考えてから、照れ隠しの笑みを浮かべて答えた。
「……20歳くらい年上の、すっごくカッコいい人のため!」
「え、それって……大人すぎない?」
「素敵な人なの。余裕があって、逞しくて。なのに、笑うときの目元がずるいくらい優しくて……」
「ふーん。でも、最近よく話してる人って、もっと年が近い感じの人じゃない?」
「……そんなはず……ない、と思うけど……」
その日の放課後、アメリに愚痴をこぼした。
「ほんとに意味不明。やたら訪ねてくるくせに、相づちだけは完璧なの。話す気がないなら、来なければいいのに」
「でも、ついつい話しちゃうんですよね?」
「……だから、アタマにきちゃうの。私が勝手に期待してるみたいで、なんだか悔しいじゃない?」
アメリは紅茶を一口飲んでから、穏やかに微笑んだ。
「その方のこと、好きなんですね」
「違うってば!」
……違う、はずなのに。
「私が好きなのは、もっと大人の――」
「でも、今話してたのって、全部、無口な彼のことですよね?」
アメリのその言葉に、胸の奥がざわざわと騒ぎ始めた。
私、いつから殿下のことばかり話していたんだろう……。
否定すればするほど、殿下の影が濃くなっていく気がした。
数日後。
レオポルドとの会話でも、同じようなことがあった。
「エレナ様のお眼鏡にかなうような男性はいましたか?」
「うーん。今のところ、オーギュスト様以上の方には出会っていないわね」
「辺境伯は別格ですよ。もっと現実的にいきませんか? 実は、騎士科の練習試合に殿下が――」
「……ちょっと待って。どうして私が振られるのが前提なの?」
「それは――」
レオポルドは言い淀んだあと、観念してこう言った。
「実は、オーギュスト様には意中の方がいらっしゃるようで」
「……うそ。年末に滞在したときには、そんな女性、いなかったわよ?」
「ご令嬢の留学先に同行されているそうです。前妻を亡くされてから、ずっとそばで支えてきた方だとか」
「……いくつなの、その方」
「30代前半と聞きました」
「……年齢的には私の方が勝ってるわよね?」
「色気や包容力という意味では、単に若いから有利とは限らないのでは」
「レオポルド、はっきり言うわね!」
「こういうのは、客観的な意見が大事ですから」
「……まあいいわ。私だって一応、人妻だし。勝負はこれからよ!」
レオポルドは少し間を置いて、言葉を継いだ。
「……殿下の話をしているときのエレナ様、いきいきとされています」
「な、なにを……」
「表情が豊かで、声も少し弾んでいる。……まるで、楽しい話をしているように」
「そんなこと、ないわよ……」
そんなはずがない。そう、思いたかった。
「そうですか。では、私の気のせいなのでしょう」
レオポルドは少し間を置いてから、封筒の束を差し出した。
「これって……」
見覚えのある筆跡に、息を呑む。
「殿下がエレナ様に書いたものです。……止められていました」
「うそ……」
あの時、何一つ届かなかったと思っていたのに――。
――きちんと食べているか。
――贈ってくれた万年筆のインクは、よく走る。
――西の森で採れるセップ茸は格別だ。森育ちのヘレナも気に入るだろう。
短い文なのに、心を打つ言葉ばかりが並んでいる。
私が欲しかった想いが、そこには綴られていた。
届かないと思っていた想いが、ちゃんと。
……どうしよう。
辺境伯領で会った時、酷い態度ばかり取っちゃった。
でも、どうして手紙が止められていたんだろう。
レオナルドに問いただしても、ただ「申し訳ありません」を繰り返すばかり。
その謝罪の裏に、ロレーヌ派の影が糸を引いていることは分かっていた。
殿下の沈黙も。
レオポルドの謝罪も。
私を傷つけないためだと、頭では理解している。
それでも――”庇護すべき存在”として扱われるたびに、私はまた”知らされぬ存在”へと戻されてしまう。
私がまだ、闘えるだけの力を持てていないから。
でも本当は――隣に立てるような存在でありたい。
今まで敢えて見ないようにしてきた本心が、そっと顔を出す。
殿下の優しさに感謝すべきなのに、棘のような痛みが胸に居座り続けていた。
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