中山道板橋宿つばくろ屋

五十鈴りく

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番外編

番外編「散る日、照る日」三

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 家に着いてからも、あの娘の笑顔が目に焼きついていた。
 あの娘はなんて名前なのだろうか。

 何をしていても気になってしまうから、結局松太郎は翌日も同じ時刻に仲宿へと足を運んだ。
 まず、少し離れたところから女中が出ていくのを待った。
 あの女中は苦手だ。体は重たそうなのに、足取りは軽い。愛想はないけれど、仕事はちゃんとこなすのだろう。

 そうして眺めていると、暖簾が割れた。次こそあの娘だろうと期待していた松太郎は、見事に肩透かしを食った。
 出てきたのは男である。背の高い、縞のお仕着せ姿の若い男だ。姿勢がよいせいか、旅籠の奉公人というよりも、どこか大店にいてもおかしくないような品がある。表を掃き清めるのも手早く、無駄のない動きで終えた。

 その時、つばくろ屋の暖簾がもう一度揺れた。その割れ目にはあの娘がいた。

「あら、わたしがやろうと思っていたのに」
「そうでしたか。では、お嬢さんはまた明日お願いします」
「絶対よ。明日は先に掃いちゃ駄目だから」

 そんなにも掃除がしたかったのか。
 奉公人の男も軽く笑った。厳しかった顔がふと綻ぶ。

 ――お嬢さん。

 やはりあの娘はつばくろ屋のあるじの娘なのだ。名は聞けなかったけれど、それはわかった。
 しかし、あの男、奉公人にしては偉そうだ。主の娘に対し、親しげにしすぎているのではないだろうか。
 優秀な奉公人だから、娘の婿にと望まれる特別な待遇なのだろうか。

 なんとも、面白くない。
 松太郎は盛元の跡取りで、あの父がつばくろ屋の娘なんぞ気に入るはずがないのもわかっている。だから別に嫁にほしいとか、そんなつもりはない。そんなつもりはないのだけれど、少しだけ気になった。
 それだけのことである。
 そうして、その日もまたつばくろ屋の前を通り過ぎるのだった。


 翌日、松太郎はまた同じ時刻に外へ出た。こう日の高いうちに出歩くなんて、汗をかくだけ。以前は億劫以外の何物でもなかったのに、今はそそくさと出ていく。そんな松太郎を家の者たちはどう思っているのやら。

 どこかに女でも作ったと思われているというのが妥当なところか。事実を知ったら皆にわらわれそうだ。
 女は女でも、子供。それも声すらかけられないで見ているだけなのだから。

 ああした堅気の幼い娘にどう声をかけていいのか、松太郎は皆目見当がつかなかった。
 松太郎の周りにいるのは女郎ばかり。それも、自分の家の女郎だ。向こうが松太郎に気を遣うことはあっても、松太郎が気を遣うことはない。だから好きなことを言っても差し支えはなく、嫌な顔をされる恐れすらない。

 けれど、あの娘は違う。
 平旅籠を営む主の娘で、そうした女たちとは別の生き物と言えよう。
 そうした相手にどう接したらいいのか、松太郎にはわからない。
 別に声なんぞかけずともよいのだけれど、面と向かって話してみたい、そんなふうに思う気持ちもあるのだ。かといって、用もないのに何を話せばいいのか――

 それならよせばいい。行かなければいい。
 結論は簡単だ。なのに、心がそれに従おうとしない。それが厄介なところなのだ。

 上手く考えがまとまらないから、いつも足だけが動く。こんなに下駄の歯をすり減らしたことがあっただろうか。

 落ち着かない――
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