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それから
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仕合せな心地で台所に戻ると、高弥は平次と共にあやめ屋の皆の夕餉も用意するのだった。客の膳に一番美味い時を合わせるから、奉公人たちの膳はどうしても冷めてしまう。それでも、新作の一品を皆が気に入ってくれたらいいと思いながら並べた。
「お客様があんなに喜んでくだすったんだ。美味しいんだろうねぇ」
ていは控えめに言いつつも嬉しそうに微笑んでくれた。
「なんだこの丸ぃの」
元助は帳場にいたので、あのやり取りを知らない。丸い揚げ物を前につぶやいていた。
「わたしもすごく楽しみだったの」
志津もそう言って笑った。高弥は照れを隠しつつ軽くうなずいた。
「じゃあ、頂こうか」
ていに続き、皆が箸をつける。高弥は食わずに皆の様子を見守った。一番最初に声を上げたのは浜だった。
「うわ、美味しいっ。ふわふわしてる」
頬を膨らませながら、無邪気にそんなことを言う。
「本当ね、柔らかい。そこに枝豆が不思議と邪魔にならないでぴったり合ってる」
家族を亡くしはしたものの、もともとは裕福な家の出である志津は、箸の運びが綺麗だ。上品に食べている。
「ふぅん。枝豆なんざ所詮豆だろうに。えらく化けたな」
「所詮豆って、元助さん、せっかく持ってきてくれた政きっつぁんが聞いたら怒りやすぜ」
ハハ、と軽く笑いながら平次も嬉しそうだった。白身魚をすり身にしてくれたのは平次だ。捌いたのは高弥だが、丁寧に骨を除き、すり鉢で擂った。そのすり身を平たく伸ばして骨が残っていないか丹念に調べ、滑らかなすり身にしてくれたのだ。
手間のかかることだが、手を抜かずに作ってくれた。それを高弥は見ていたのだから。
そこをていがちゃんとわかっていてくれるのも嬉しい。
「美味しいねぇ。ありがとうね、高弥、平次」
二人して同時に頭を下げた。顔がどうしようもなくにやけた。
そうして、後片づけをする。平次が鍋を洗いに台所を出ると、入れ違いに浜がきた。満面の笑みで畳の上に正座し、土間で茶碗を拭く高弥に声をかける。
「高弥さん、あの青物屋さんの若旦那のお話を聞かせてくださいっ」
「あ、政吉さんのな」
正直に言うと、忘れていた。そういえば、後でと言ったのだった。
しかし、そんなにも興味を持つとは思わなかった。洗いざらい全部喋ると、政吉に怒られそうなので、かいつまんで話すことにする。
「ええと、政吉さんはさ、ずっと店先に立っていたお由宇さんに惚れていたんだけど、最初はお由宇さんにはその気がなかったんじゃねぇかな。それが――火事で焼け出されたお由宇さんを政吉さんが一生懸命に支えて、それでお由宇さんは政吉さんのよさに気づいたんだ。そうして、焼けた店も立て直せて、政吉さんはお由宇さんの婿になったってわけだ」
高弥が語ると陳腐だ。面白おかしくはできない。
それでも、浜はへえぇ、と感嘆の声を上げた。
「最初は好きじゃなかったのに、夫婦になったんですね。そんなこともあるんですねぇ」
よくあることだろう。かくいう高弥の両親も、母は父に想いを告げられるまでは父をそういう目で見ていなかったらしい。ほんの少しのきっかけでそれが変わることがあるらしい。
志津は何かの拍子に高弥を男として見ることがあるだろうか。あったとしても、それはまだまだ先のことだとするなら、とても間に合わない。
頭の中が横道に逸れかけた時、浜はうんうんとうなずきながら言った。
「高弥さんはどうなんですか」
「へ――」
「高弥さんには誰かいい人がいるんですか」
興味津々でそんなことを訊ねられた。
ここで顔を赤くして慌てふためいたのでは、年下の浜に示しがつかない。高弥は精一杯平静を装った。
「なんでおれの話になるんだか。おれはまだ修行中の身だから」
「お志津さんから聞きました。高弥さんのご実家は板橋宿で繁盛している旅籠屋だって。じゃあ、宿を一緒に盛り立てていこうって約束した娘さんがいるのかなって」
そんなのはいない。
高弥の両親は息子に許嫁を用意するような人たちではないのだ。勝手に見つけろと言われる。
「いや、別にそんなこたぁ――」
ない。一人前の料理人になることばかり考えてこの年まで来た。嫁の心配など今のところしたこともない。
すると、浜は高弥をじっと見つめて、それからにっこりと笑ってみせた。
「誰もいなかったらあたしはどうでしょう」
「――え」
「だって、高弥さんはお料理上手で優しくって、綺麗なお顔で、そんな高弥さんのお嫁さんになれたら仕合せじゃあないですか」
あんぐりと口を開けた高弥に、それでもお浜は笑顔を絶やさない。
思ったことをすぐに口に出す子だとは思っていたが、本当に明け透けにものを言う。自分に置き換えてみて、高弥が志津にこんなにも率直なことを言えるかというと、まず無理だ。
女としてどうこうというよりも、そのはっきりとした物言いに高弥は度肝を抜かれたのであった。
「じゃあ、おやすみなさぁい」
などと言ってにこやかに台所を去る。フンフンと鼻歌まで歌いながらだ。
浜を嫁に――
考えてみて、今ひとつピンと来ない高弥であった。
ただ、そういうふうに言ってくれたことに関しては素直に嬉しかったけれど。
●
翌朝、昨晩の客たちが旅立っていった。高弥たちはそれぞれに朝餉の握り飯を手渡す。
「あやめ屋にお泊り頂き、ありがとうございやした。道中お気をつけて」
まだ日が昇りきらない中、あやめ屋一同で客を送り出すために外へ出た。高弥はあの姉弟の弟に目線を合わせるために屈み込む。
「じゃあ、姉さんを大事にしておくんなさい。奉公も上手くいきやすように」
弟はこっくりと大きくうなずいた。頬をほんのりと紅潮させる。
「昨日の飯、すっごく美味かったから、いつかまたここへ泊まりに来るよ」
「ありがとうございやす」
軽く笑って返すと、姉もお辞儀をしてみせた。その後ろには団扇問屋の主たちが待っている。あの兄妹の前途は明るいと、高弥はそう思いたかった。
いつか、立派になってまたここを通りかかるかもしれない。その時、高弥はすでに板橋へ戻っているだろうけれど、今、高弥と料理を作る平次がその味を守ってくれるから。
あやめ屋の皆は、彼らの背中が見えなくなるまでずっと街道にいた。
そんなことがありつつも、あやめ屋はまた商いを続ける。今日はどんな客がこの宿を訪れるのだろう。
また料理やもてなしで客を喜ばせることができるだろうか。
毎日が楽しく、高弥にとってそれは充実した日々であった。
七月も目前であり、藪入りも近づく。今度はちゃんと帰るつもりをしている。
新入りとしては半端な時期に来た浜も、あやめ屋に慣れたかどうかというこの時に藪入りに入る。そうなると、実家の居心地はよく、また奉公に上がるのが嫌にならないだろうかという懸念は皆にあるのではないだろうか。ようやく少し慣れてきたかというところなのだ、骨休めをしたついでに仕事を忘れてきたということがないように願いたい。
高弥が裏手の井戸から水を汲んでいると、志津が桶を持ってやってきた。雑巾を洗う水を入れ替えたいようだ。高弥は釣瓶で汲んだ水を志津の方へ向ける。
「お志津さん、水を換えるんでしたらどうぞ」
「ありがとう、高弥さん」
志津はにこりと笑い、どぶに汚れた水を捨てると桶を差し出す。高弥は水が跳ねないように気をつけつつ、そっと志津が持つ桶に水を注いだ。
すると、志津は軽く首を傾げながら訊ねてきた。
「高弥さん、今年は藪入りに板橋のご実家へ帰るのよね」
「へい、そのつもりをしておりやす」
昨年は、色々とありすぎて一度も戻らなかった。今年はあの時に比べると幾分ゆとりがある。
そう答えた高弥に、志津は何か照れた様子で言った。
「じゃあ、藤助さんにくれぐれもよろしくね」
藤助は、高弥の実家、つばくろ屋の番頭である。切れ者で心優しい男だ。
その藤助が、幼い頃の志津を助けたことがあるのだという。志津は藤助と出会えていなければ、生きていこうとは思えなかったかもしれないとまで言っていた。藤助にしてみれば、それほどのことをした覚えもないようだが、それでも志津は恩義を感じている。
しかしだ。
そんなふうに頬を染めて言わなくてもいいと思う。まるで恋する乙女ではないか。
美人顔の志津がそうしていると、ふと隙ができていつも以上に可愛らしく思える。そんな表情を見れて嬉しいけれど、他の男のことを語ってというのが複雑だ。
「へぇ、伝えておきやす――」
相手が藤助でも、これはやきもちだろうか。
もやもやとしたまま、高弥は水を並々と注いだ盥を持ち上げる。その時、志津があっと声を上げた。
「どうかしやしたか」
目を瞬かせて高弥が問うと、志津はゆるゆるとかぶりを振った。
「ううん、そんなに水をたくさん入れて持ち上げたら危ないって思ったの」
「いや、これくらいなら持てやす。そこまで重たくしてねぇんで」
そんなにか弱いと思われているのかと、高弥は何気に傷ついた。顔が女顔だからか、背が低いからか。見てくれは己のせいばかりではない。
しかし、高弥が内心で傷ついたことなど志津は気づいていないようだった。ふわりと穏やかに笑った。
「高弥さんも男の人だものね。初めて会った時よりも背も伸びたし、どんどん逞しくなっていくわよね」
沈んだ心が急に跳ねる。女扱いされていたわけではないが、男だとも思われていないようなところだった。それが、そんなふうに言ってもらえて、高弥は浮足立つ自分を感じた。
「おれももう十七なんで」
やっと言葉を捻り出した。何か言わなければと思ったくせに、ここで志津の気を引けるような粋なことは言えないのである。浜の率直さが羨ましい。
志津はコロコロと笑った。
「そうねぇ。高弥さんなら、ご両親も先が楽しみでしょうね」
それだけ言うと、志津は桶を抱えて宿の中へ戻った。高弥はこれをどう受け取ったらいいのか、少し悩み、そしてから落ち込んだ。
特別な好意があるという意味合いには、やはり受け取れないのである。
「お客様があんなに喜んでくだすったんだ。美味しいんだろうねぇ」
ていは控えめに言いつつも嬉しそうに微笑んでくれた。
「なんだこの丸ぃの」
元助は帳場にいたので、あのやり取りを知らない。丸い揚げ物を前につぶやいていた。
「わたしもすごく楽しみだったの」
志津もそう言って笑った。高弥は照れを隠しつつ軽くうなずいた。
「じゃあ、頂こうか」
ていに続き、皆が箸をつける。高弥は食わずに皆の様子を見守った。一番最初に声を上げたのは浜だった。
「うわ、美味しいっ。ふわふわしてる」
頬を膨らませながら、無邪気にそんなことを言う。
「本当ね、柔らかい。そこに枝豆が不思議と邪魔にならないでぴったり合ってる」
家族を亡くしはしたものの、もともとは裕福な家の出である志津は、箸の運びが綺麗だ。上品に食べている。
「ふぅん。枝豆なんざ所詮豆だろうに。えらく化けたな」
「所詮豆って、元助さん、せっかく持ってきてくれた政きっつぁんが聞いたら怒りやすぜ」
ハハ、と軽く笑いながら平次も嬉しそうだった。白身魚をすり身にしてくれたのは平次だ。捌いたのは高弥だが、丁寧に骨を除き、すり鉢で擂った。そのすり身を平たく伸ばして骨が残っていないか丹念に調べ、滑らかなすり身にしてくれたのだ。
手間のかかることだが、手を抜かずに作ってくれた。それを高弥は見ていたのだから。
そこをていがちゃんとわかっていてくれるのも嬉しい。
「美味しいねぇ。ありがとうね、高弥、平次」
二人して同時に頭を下げた。顔がどうしようもなくにやけた。
そうして、後片づけをする。平次が鍋を洗いに台所を出ると、入れ違いに浜がきた。満面の笑みで畳の上に正座し、土間で茶碗を拭く高弥に声をかける。
「高弥さん、あの青物屋さんの若旦那のお話を聞かせてくださいっ」
「あ、政吉さんのな」
正直に言うと、忘れていた。そういえば、後でと言ったのだった。
しかし、そんなにも興味を持つとは思わなかった。洗いざらい全部喋ると、政吉に怒られそうなので、かいつまんで話すことにする。
「ええと、政吉さんはさ、ずっと店先に立っていたお由宇さんに惚れていたんだけど、最初はお由宇さんにはその気がなかったんじゃねぇかな。それが――火事で焼け出されたお由宇さんを政吉さんが一生懸命に支えて、それでお由宇さんは政吉さんのよさに気づいたんだ。そうして、焼けた店も立て直せて、政吉さんはお由宇さんの婿になったってわけだ」
高弥が語ると陳腐だ。面白おかしくはできない。
それでも、浜はへえぇ、と感嘆の声を上げた。
「最初は好きじゃなかったのに、夫婦になったんですね。そんなこともあるんですねぇ」
よくあることだろう。かくいう高弥の両親も、母は父に想いを告げられるまでは父をそういう目で見ていなかったらしい。ほんの少しのきっかけでそれが変わることがあるらしい。
志津は何かの拍子に高弥を男として見ることがあるだろうか。あったとしても、それはまだまだ先のことだとするなら、とても間に合わない。
頭の中が横道に逸れかけた時、浜はうんうんとうなずきながら言った。
「高弥さんはどうなんですか」
「へ――」
「高弥さんには誰かいい人がいるんですか」
興味津々でそんなことを訊ねられた。
ここで顔を赤くして慌てふためいたのでは、年下の浜に示しがつかない。高弥は精一杯平静を装った。
「なんでおれの話になるんだか。おれはまだ修行中の身だから」
「お志津さんから聞きました。高弥さんのご実家は板橋宿で繁盛している旅籠屋だって。じゃあ、宿を一緒に盛り立てていこうって約束した娘さんがいるのかなって」
そんなのはいない。
高弥の両親は息子に許嫁を用意するような人たちではないのだ。勝手に見つけろと言われる。
「いや、別にそんなこたぁ――」
ない。一人前の料理人になることばかり考えてこの年まで来た。嫁の心配など今のところしたこともない。
すると、浜は高弥をじっと見つめて、それからにっこりと笑ってみせた。
「誰もいなかったらあたしはどうでしょう」
「――え」
「だって、高弥さんはお料理上手で優しくって、綺麗なお顔で、そんな高弥さんのお嫁さんになれたら仕合せじゃあないですか」
あんぐりと口を開けた高弥に、それでもお浜は笑顔を絶やさない。
思ったことをすぐに口に出す子だとは思っていたが、本当に明け透けにものを言う。自分に置き換えてみて、高弥が志津にこんなにも率直なことを言えるかというと、まず無理だ。
女としてどうこうというよりも、そのはっきりとした物言いに高弥は度肝を抜かれたのであった。
「じゃあ、おやすみなさぁい」
などと言ってにこやかに台所を去る。フンフンと鼻歌まで歌いながらだ。
浜を嫁に――
考えてみて、今ひとつピンと来ない高弥であった。
ただ、そういうふうに言ってくれたことに関しては素直に嬉しかったけれど。
●
翌朝、昨晩の客たちが旅立っていった。高弥たちはそれぞれに朝餉の握り飯を手渡す。
「あやめ屋にお泊り頂き、ありがとうございやした。道中お気をつけて」
まだ日が昇りきらない中、あやめ屋一同で客を送り出すために外へ出た。高弥はあの姉弟の弟に目線を合わせるために屈み込む。
「じゃあ、姉さんを大事にしておくんなさい。奉公も上手くいきやすように」
弟はこっくりと大きくうなずいた。頬をほんのりと紅潮させる。
「昨日の飯、すっごく美味かったから、いつかまたここへ泊まりに来るよ」
「ありがとうございやす」
軽く笑って返すと、姉もお辞儀をしてみせた。その後ろには団扇問屋の主たちが待っている。あの兄妹の前途は明るいと、高弥はそう思いたかった。
いつか、立派になってまたここを通りかかるかもしれない。その時、高弥はすでに板橋へ戻っているだろうけれど、今、高弥と料理を作る平次がその味を守ってくれるから。
あやめ屋の皆は、彼らの背中が見えなくなるまでずっと街道にいた。
そんなことがありつつも、あやめ屋はまた商いを続ける。今日はどんな客がこの宿を訪れるのだろう。
また料理やもてなしで客を喜ばせることができるだろうか。
毎日が楽しく、高弥にとってそれは充実した日々であった。
七月も目前であり、藪入りも近づく。今度はちゃんと帰るつもりをしている。
新入りとしては半端な時期に来た浜も、あやめ屋に慣れたかどうかというこの時に藪入りに入る。そうなると、実家の居心地はよく、また奉公に上がるのが嫌にならないだろうかという懸念は皆にあるのではないだろうか。ようやく少し慣れてきたかというところなのだ、骨休めをしたついでに仕事を忘れてきたということがないように願いたい。
高弥が裏手の井戸から水を汲んでいると、志津が桶を持ってやってきた。雑巾を洗う水を入れ替えたいようだ。高弥は釣瓶で汲んだ水を志津の方へ向ける。
「お志津さん、水を換えるんでしたらどうぞ」
「ありがとう、高弥さん」
志津はにこりと笑い、どぶに汚れた水を捨てると桶を差し出す。高弥は水が跳ねないように気をつけつつ、そっと志津が持つ桶に水を注いだ。
すると、志津は軽く首を傾げながら訊ねてきた。
「高弥さん、今年は藪入りに板橋のご実家へ帰るのよね」
「へい、そのつもりをしておりやす」
昨年は、色々とありすぎて一度も戻らなかった。今年はあの時に比べると幾分ゆとりがある。
そう答えた高弥に、志津は何か照れた様子で言った。
「じゃあ、藤助さんにくれぐれもよろしくね」
藤助は、高弥の実家、つばくろ屋の番頭である。切れ者で心優しい男だ。
その藤助が、幼い頃の志津を助けたことがあるのだという。志津は藤助と出会えていなければ、生きていこうとは思えなかったかもしれないとまで言っていた。藤助にしてみれば、それほどのことをした覚えもないようだが、それでも志津は恩義を感じている。
しかしだ。
そんなふうに頬を染めて言わなくてもいいと思う。まるで恋する乙女ではないか。
美人顔の志津がそうしていると、ふと隙ができていつも以上に可愛らしく思える。そんな表情を見れて嬉しいけれど、他の男のことを語ってというのが複雑だ。
「へぇ、伝えておきやす――」
相手が藤助でも、これはやきもちだろうか。
もやもやとしたまま、高弥は水を並々と注いだ盥を持ち上げる。その時、志津があっと声を上げた。
「どうかしやしたか」
目を瞬かせて高弥が問うと、志津はゆるゆるとかぶりを振った。
「ううん、そんなに水をたくさん入れて持ち上げたら危ないって思ったの」
「いや、これくらいなら持てやす。そこまで重たくしてねぇんで」
そんなにか弱いと思われているのかと、高弥は何気に傷ついた。顔が女顔だからか、背が低いからか。見てくれは己のせいばかりではない。
しかし、高弥が内心で傷ついたことなど志津は気づいていないようだった。ふわりと穏やかに笑った。
「高弥さんも男の人だものね。初めて会った時よりも背も伸びたし、どんどん逞しくなっていくわよね」
沈んだ心が急に跳ねる。女扱いされていたわけではないが、男だとも思われていないようなところだった。それが、そんなふうに言ってもらえて、高弥は浮足立つ自分を感じた。
「おれももう十七なんで」
やっと言葉を捻り出した。何か言わなければと思ったくせに、ここで志津の気を引けるような粋なことは言えないのである。浜の率直さが羨ましい。
志津はコロコロと笑った。
「そうねぇ。高弥さんなら、ご両親も先が楽しみでしょうね」
それだけ言うと、志津は桶を抱えて宿の中へ戻った。高弥はこれをどう受け取ったらいいのか、少し悩み、そしてから落ち込んだ。
特別な好意があるという意味合いには、やはり受け取れないのである。
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