従順な氷の執行人は、地獄の果てで愛を乞う

一条 柊

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第一章

03 . 胸騒ぎ

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嵯峨の瞳に意識が戻され、吸い寄せられそうになっていたその時。

廊下から慌ただしい足音が近づき、襖の外で真壁の切迫した声が響いた。



「若頭、 久我さん、失礼します!」



嵯峨は舌打ちを一つして、久我の顔を放した。久我は乱れた衣服を素早く整え、何事もなかったかのように居住まいを正す。


「入れ」


嵯峨の冷徹な声に応じ、真壁が転がり込むように入ってきた。その肩は雨でびしょ濡れで、顔色は土気色だ。



「……大滝組が動きました。横浜の倉庫が襲撃され、こちらの若い衆が二人、やられました」



よほど急いで伝えに来てくれたのだろう。
肩で息をして若頭を見つめていた。


部屋の空気が一瞬で氷結する。大滝組は、かねてより神代組の縄張りを虎視眈々と狙っていた対立組織だ。


久我の瞳に、先ほどまでの困惑は消え、鋭い「氷の執行人」としての光が宿った。




「被害の詳細は」


「一人は即死、もう一人は重体で病院に運ばれました。積んでいた荷物……例のブツも全て奪われたとのことです」



久我は嵯峨の横顔を見た。

嵯峨は静かに立ち上がり、壁に掛けられた漆黒の長ドスを手に取った。
その背中からは、先ほどまでの情事の気配など微塵も感じられない、圧倒的な強さと暴力の香りが立ち昇っていた。



「怜、準備をしろ」

「はい。直ちに若い衆を集めます」



スマホを出し、数ある連絡先をスクロールしていく


 地域的にすぐ出向くことができるのは…


そう考えながら何人かを絞り出す



「…いや、これは俺とお前で行く。他の連中が着くまで待ってられん。
そいつらには周辺の警戒を固めさせろ。……舐められたままでは、神代の看板が泣くからな」



嵯峨の言葉は絶対だ。たとえそれが、死地へ向かう命令であっても。
久我は静かに頭を下げた。



「御意」






◇◇◇



料亭を出ると、雨はさらに激しさを増していた。

漆黒のセダンの後部座席、並んで座る二人の間には、一言の会話もない。


ただ、嫌な予感がして久我の手が無意識に懐にある拳銃に触れた。

その時その様子を横目で見ていた嵯峨が、懐に触れている手とは反対の、膝で握りしめられている手を上から包み込むように握りしめた。



「死ぬなよ、お前は俺の所有物だ。俺の許可なく壊れることは許さん」



その掌は驚くほど熱く、久我の冷え切った指先を溶かしていく。

久我は、窓の外を流れる新宿のネオンを見つめながら、小さく、掠れる声で呟いた。



「……承知しております」




雨夜の街を、神代組の車が猛スピードで走り抜けていく。

邪念を振り払うように目を瞑ってから、懐の拳銃からそっと手を離して外を見る。


激しい雨が降り、綺麗な夜景を覆うその光景は、何故か今の自分を嘲笑うかのように見えた。




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