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第一章 魔獣の刻印

8 答えの出ない問い

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 エルディアとして従騎士になることをロイゼルドに許してもらったその夜、これまで通り浴場に向かう彼の後ろについて歩いていた。
 
 入り口の扉を閉め、奥の脱衣場へと続く引戸を開く。
 

「おい、どこまでついてくるつもりだ」
 

 ロイゼルドが呆れたように入り口で振り返った。
 

「え?」
 

 ほんのり頬を紅くして、彼が口を尖らせる。
 

「お前はここで待っていろ。一人で入る。頼むからこれまでのことは忘れてくれ」
 

 そう言ってエルディアの持っていた着替えを取ると、ピシャリと戸を閉めた。
 
 ああ、そうか。
 男と思っていたから。
 
 頬を染める彼の顔を思い出し、可愛いな、と思うと同時に笑いが込み上げて来た。
 八つも年上の主に悪いと思いつつ、クスクスと笑いながら壁にもたれる。
 
 ちょっと気の毒だけど、優しい人だな、と思った。
 
 
 声に出して笑ったのは久方ぶりだった。
 
 魔力のコントロールの為に魔術を学び、それでも時々暴発する自分の為に、アーヴァインが魔導具ブレスを発明してくれた。
 つけてみると、何だか自分が自分でないような変な感じがして、どこか別の人物になったような気がした。
 何があっても自分でないから冷静でいられる、そういう魔術がかかっているようだった。

 実際、鏡をみると髪が銀色に変わっており、外見も多少変えてしまうようだ。
 鏡越しにルフィに会えたような気がして嬉しくなった。
 
 しかし、魔力が落ち着き余裕が出ても、これまで色々壊すたびにアーヴァインに怒るな・泣くなと散々言われていたので、長年感情を押し殺すことにすっかり慣れていた自分は、今度は笑えと言われても上手にできなくなっていた。
 
 表情のない顔というのは警戒される事が多く、これまで人形のようだとか生意気だとか、思ってもみない言葉を投げかけられることも多かった。
 自分の鉄面皮は、何を考えているのか判別しにくく、相手に不安を与えるらしい。
 それがわかってからはなるべく言葉で伝えるように努力していた。

 それでも、どうしても取り払えない壁がある。

 どうしてか若い女性は自分が話しかけると、赤くなって固まってしまうことが多かった。
 反対に男性は腰が引けた感じですぐにいなくなってしまう。
 
「お前の顔が悪いんだ」と相談したアーヴァインにばっさり言われて傷ついた。
 持って生まれた顔はどうすることもできない。
 
 しかし、ロイゼルドがそういう素振りを見せることは一切なかった。
 無理に表情を引き出そうとすることもなく、ごく普通に接してくれている。
 
 色々と説明しなくても、ちょっとした自分の仕草で察してくれているようだ。
 そういう感情の機微には鈍そうなのに、案外気配に鋭い。
 
 彼の側はとても居心地が良かった。
 
 

 そんなことを考えているうちに戸が開いて、濡れた髪のままロイゼルドが出てきた。
 
 深い赤みのある栗茶の髪からポタリポタリと雫が垂れている。
 

「ロイ、髪を拭かないと」
 

 そう言うと、母親のようだと文句を言われた。
 

「待っててやるから早く入れ」
 

 そう言って中に押し込まれる。
 
 従騎士になって一番助かるのが入浴だ。
 養成学校の見習い騎士達は団体行動が基本なので、部屋は相部屋だし風呂も一斉に入る。
 魔導具のおかげで男に見えるとはいえ、流石にそれは無理だった。
 
 副団長の従騎士なら主の後、誰も来ない時間に入ることができる。
 部屋も主の隣に個室を与えられていた。
 
 恵まれていると思う。
 
 服を脱いで身体を洗い、湯に浸かった。
 
 自分の腕を見る。
 
(細いなあ)
 
 騎士になると決めてから、父には死なないようにとそこそこ鍛えられた。
 従姉妹の王女の小姓になってからは、彼女を暗殺者から守れるようにとナイフや鎖術なども練習した。
 魔術に頼っていてはいけないと、体術も教えてもらって鍛えてきた。

 それなのに一向に筋肉がつかない。
 頑張っているのに悔しい。
 
(ロイは細身に見えて筋肉多いよね)
 
 肩も背中も脇腹も一切無駄な肉がなく引き締まっていて、腹筋も綺麗に割れていた。
 幾度も戦いをくぐり抜けてきたのであろう傷跡が残る、水に濡れた鍛えられた肢体を思い出して、ふと我に返って赤面する。
 
 駄目だ、忘れないと。
 
 湯の中にザブリと潜りふるふると首を振って、頭に浮かんだ映像を振り払う。
 
 ロイゼルドの従騎士になって彼について王宮に行くと、決まって侍女たちの視線を遠くから感じていた。
 
 彼自身は気が付いていないようだが、ロイゼルドは女性達に大層人気がある。
 背が高く均整の取れた軍服姿は、はっきり言って男でも惚れると評判だ。
 精悍で整った顔立ちをした彼の、色っぽい紫紺色の瞳に自分の姿を映してほしいと願っている令嬢も多い。
 
 二十日程前、王宮の謁見の間で騎士団の任命式が行われた。
 新しく騎士になった者達が次々と読み上げられ、最後にロイゼルドの黒竜騎士団副団長への昇格が告げられた。
 王の前で膝をつき剣を受け取る彼の姿を見ていた列席の貴婦人達は、二十二の若さで騎士団の副団長を拝命した彼の凛々しい姿に溜息をついていた。
 リュシエラ王女の後ろに隠れて控えていた自分も、美形は絵になるなと感心して見ていたものだ。
 
 確かに彼はこれから先、数多の令嬢達から結婚相手の候補に挙げられるだろう。
 遠くない将来、誰かにとってのかけがえのない夫になり父になるだろう。
 また、王の下で重職に就き、国を守る要となっていくだろう。
 
 自分が側にいて大丈夫だろうか。
 
 一人前の騎士に認められ、自分がロイゼルドの下から巣立つまで三年はかかる。
 その間にも自分は彼を危ない道に連れて行こうとしている。
 自分のわがままで彼だけではない、黒竜騎士団全員を危険な目に合わせるかもしれない。
 従騎士になってから、その事ばかりが頭によぎるようになった。
 
 アーヴァインは言った。
 
 この腕の魔術紋様は魔獣と惹きあう。近くに行けば必ず魔獣の方から姿を見せるに違いない、と。
 
 

 身体を拭き衣服を身に付けて外へ出ると、ロイゼルドが壁に寄り掛かって待っていた。
 見張りをしてくれていたようだ。
 

「ありがとうございます」
 

 礼をいうと、当たり前だろと頭をぽんぽん叩かれる。
 
 エルディアの胸が痛くなった。
 
 大切な人達を巻き込んではいけない。
 守れるほどに強くなりたい。
 
 でも、あの黒銀の魔物の前で人は余りにも無力だった。
 
 今度は倒すことが出来るのだろうか。

 自分はこの呪いを解くことが出来るのだろうか。
 
 服の上から左腕の刻印をぎゅっと握りしめて、エルディアは答えの出ない問いを繰り返した。
 
 
 
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