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第二章 生き別れの兄と白い狼

2 エルの場合

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 王都へ戻ったエルディアが最初にしたことは、実家の父への報告だった。

 娘のドレス姿を見て、いつも冷静沈着なエルガルフは少々狼狽えていた。

 屋敷の玄関で執事のグレイゼルが『奥様!?』と腰を抜かしかけたのはいいとして、エルガルフにどちらさまですかと訊かれた時はエルディアは初め冗談かと思った。エルディアの女性姿が久しぶりだったもので、本当に誰だかわからなかったようだ。

 父親のくせに、と頬を膨らませると、悪かったと言って笑っていた。
 フェンリルを倒したことは聞いていたようだった。


「ルフィが生きているかも知れないんです」


 そう伝えると、彼はかなり驚いていた。
 事情を説明するうちに、エルガルフも期待できるかも知れない、と呟いた。
 

「だがルフィはもうレンブルにいる可能性は少ないと思うぞ」
 

 エルフェルムがいなくなってもう八年になる。その間、何度か周辺を探索した。近隣の村々を捜索した事もある。
 だが、彼らしき者を見た人はいなかった。
 

「では、どこへ?」

「唯一可能性があるのはトルポント王国なのだが………」
 

 彼が落ちた谷川はヴァンダル山脈に沿ってトルポント王国の南に流れ込んでいる。
 隣国まで流された可能性も考えた事もあったが、捜索するすべもなくそのままになっていた。それは、もしそうであった場合は生きてはいないであろう、との判断だったからだ。
 

「でも、フェンが一緒にいれば」
 

 エルディアと同じようにエルフェルムも刻印を持っているとすれば、生存の可能性が一気にあがる。
 レンブルにいないとすれば、一体どこにいるのか。
 七歳の子供と小狼が生き延びるためには、誰かが手助けしたとしか考えられない。


「もし生きているならば、必ず探し出します」
 

 エルディアの刻印がフェンのものであるなら、いずれ必ず姿をあらわすはず。
 ルフィも生きているならきっと戻ってくる。

 エルガルフにそう言って、エルディアは自宅を後にした。
 




     *****
 
 


 王宮に戻ったエルディアは、アーヴァインと共にリュシエラ王女に帰城の挨拶に行った。
 相変わらず薔薇の花のように美しい王女は、しばらく見ない間にさらに一層綺麗になっている。十七歳になって、そろそろ婚約者を決めなくては、という話も囁かれていた。
 

「ルディ?どうしたの、その姿」


 王女の自室に入った瞬間、挨拶する間もなくそう声をかけられた。すごく可愛いけど珍しいわね、とエルディアを見て驚いている。

 王女は私的な場にいる時は、家族と同じように彼女をルディと呼ぶ。今はアーヴァインもいるのだが、ドレス姿に思わずそう呼んでしまったようだった。
 

「ブレスをなくして戻れなくなりました」

「まあ。でも、フェンリルはもう倒したのでしょう?もう騎士になる必要は無くなったのではないの?」

「それが、今度はフェンを探すことになって………」


 フェン?フェンリルじゃなくて?と王女は少し混乱している。
 

「僕の刻印はフェンリルのものではなく、別の魔獣のものだったようなのです。ルフィと一緒に拾ったフェンという子狼で……」
 

 つらつらと成り行きを説明し、新しい腕輪が出来上がるまで、またしばらく魔術研究所に住み込む予定にしていることを伝えると、王女は少し考えるようにした。
 

「ねえ、その姿でもだいぶん魔力をコントロールできるようになっているんじゃない?」

「はい、ある程度は」
 

 フェンリルとの戦いでも、特に魔法のコントロールが効かないということはなかった。ロイゼルドにからかわれた時はあんまり驚いたので暴発したが、普段の生活上では困らなくなっているという自覚はあった。
 

「じゃあ、ちょっとアーヴァイン様、ブレスが出来るまでエルを王宮で預かっても良いかしら?」

「ええっ?」
 

 この姿では小姓は出来ない。一体何をさせるつもりなのか。
 やけに楽しそうな王女の顔が怖い。
 

「この姿では、わたくし気になってしまって」

「ご存分にどうぞ。研究所に部屋を用意する手間がはぶけます」
 

 アーヴァインはうっすら笑って頷いた。

 この時、どうして気付かなかったのか、後でエルディアは非常に後悔した。
 
 


「ルディ、貴女あなたは侯爵家の令嬢よね。しかもわたくしの従姉妹いとこですわよね」

「一応そういうことになっています」


なんだか嫌な予感がする。


「では、いずれこの姿に戻った時には、王家の血を引く令嬢としてこの国のために働いてくれるのよね?」

「?」

「わたくし一人では外交も大変ですの。貴女が助けてくれると嬉しい」

「僕でお役に立てるのであれば………」


 王女はうふふと微笑んだ。
 

「でも、このままじゃ完璧な淑女レディとは言えないわ。この国のためよ。この機会に覚えて貰って良いかしら?」

「え…………?」
 

 普通の貴族の子女は、幼い頃から淑女教育を受けて育つ。

 王女はその期間を魔術と剣術に費やして来たエルディアに、今更社交の知識と技能をつけさせるというのだ。
 しかも三ヶ月で。

 ある程度は小さな頃、そして王宮で小姓として教育される中で身につけていたが、あくまでも男としてのものである。
 女性としてはエルディアの所作はまだまだだった。
 

 彼女はもの凄く厳しかった。
 一切妥協のない教師だった。
 王太子のアストラルドが心配して、


「リュシー、そのくらいにしてあげたら?」


と覗きに来たが、


「アスター兄様は邪魔しないで下さいな」


と、追い返されていた。


 
「殿下、僕は社交会に出る予定はないので、別にダンスの練習なんて必要ないです!」

「ルディ、足が痛いよ」

「ごめんなさいっ、アストラルド殿下!」

「んー、可愛いから許す」


 ダンスの練習も必要だからと王太子が相手に駆り出されているのだが、何度彼の足を踏んだことか。


「ルディ、『僕』って言わない!」

「はいぃっ!」

「背筋をもっと伸ばして。男の子みたいに脚を開かない!かかとは浮かせて歩くのよ!」

「先生、もう無理ですう!」

貴女あなたはできる子でしょ!」

「ひぃーん、殿下助けて」

「よしよし、リュシーそろそろ休憩にしよう」

「まだよ、お兄様!どこに出しても恥ずかしくない子に育てるのよ」
 
 

 リュシエラ王女の淑女教育は、騎士団の訓練より厳しかった。
 三ヶ月間、みっちりと仕込まれた。

 指の先、爪の先まで優雅に振る舞うように、微笑む時の視線の先、首を傾げる顎の角度まで叩き込まれた。

 ドレスの裾のさばき方はもう任せてくれと言いたい。どんな階段だろうと駆け降りてやる。
 周辺国の全て、いや大陸中の貴族の名前と顔を覚えさせられた気がする。一生分の頭脳と体力を使ったくらい大変だった。

 そんなつもりはなかったはずなのに、結局ロイゼルドの言ったようになってしまった。
 

 しかし、女の格好はもうこりごりだ。
 やっと完成した腕輪を腕に通しながら、エルディアはようやく戻った銀髪をくしゃっとかきあげてため息をついた。

 やっと騎士団に戻れる。
 黒い軍服に久々に袖を通して、しっくりとくるその感触にホッとする。


 レンブルに戻ると伝えると、王女から最高級化粧品を大量に貰った。もう男装に戻ったのだが、この化粧品はどうしたら良いのか。もう当分自分の顔を化粧することもないだろう。
 しばし思案して、リゼットへの土産にすれば良いのだと納得した。

 ロイゼルドとリゼットに早く会いたい。
 はやる気持ちを抑えながら、エルディアは三ヶ月ぶりにふたたびレンブルへと旅立った。
 
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