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第二章 生き別れの兄と白い狼
5 従兄弟
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緑の木々の間に、木の葉の上を走り抜ける軽い音が響く。木漏れ日を受けてミルクティー色の髪が光の雫を散らし、その持ち主である少年が息を切らしつつ駆けて行く。
彼は暁の如き淡い藍色の瞳をし、驚くほど綺麗な顔立ちをしていた。
少年から青年へと移り変わる過程の、その狭間にある年頃。長く伸びた手足はまだしなやかで、細い首筋や少女のように滑らかな肌はまだ幼さを残している。
少年は長い木立を抜け、一つの館の門をくぐる。玄関の大きなドアをノックしかけて、手を止めた。
話し声に気づいたのだ。
彼はキョロキョロと見回すと、声の聞こえてくる庭の方へまわった。
「エルガルフ様!」
そこには庭のテーブルで、執事のグレイゼルと話しているエルガルフがいた。
片手にティーカップ、もう一方にティーソーサーを持って振り返った彼は、自分の甥の姿を認めると気さくな笑みを浮かべた。
「おやシード、どうした?ずいぶん急いで来たようだが」
「……は……い」
少年は肩を大きく上下させて呼吸を整える。
「ここに座って休みなさい。いい香りだ。シードもどうだい?」
グレイゼルがてきぱきと紅茶をいれる。
少年は少しぬるめに淹れられたそれを受け取って、エルガルフの向かいに座った。
一口飲むと優しい香りが広がる。いつもながらここの執事のいれてくれる紅茶は素晴らしく美味しい。乾いた喉にすぐに飲める、その心遣いも嬉しかった。
カルシード・ヴィーゼル。
ヴィーゼル伯爵家の三男坊、金獅子騎士団所属の近衛騎士レインスレンドの弟である。
彼は白狼騎士団にいる長男レアルーダの従騎士として西のダルク領にいたのだが、この度正騎士に叙任されることが決まり王都へ戻ってきていた。
近年のトルポント王国の侵攻、フェンリル討伐により多数の犠牲が出た黒竜騎士団に、補充要員としてこの春から配属することが決まっている。
「手紙を、父から預かってきました」
懐から取り出した手紙をテーブルの上に置く。それを見てエルガルフの表情は一瞬固くなったが、落ち着いた動作でゆっくりとカップを傾けた。
カルシードは一気に飲み干したカップをテーブルに置くと、深刻な表情で尋ねる。
「やっぱり、大きな戦が始まるんですか?」
「わからない。ただ、長く続くような戦は避けたいな。国が疲弊する」
「そうですね」
カルシードの父ヴィーゼル伯爵は王国の外交官を務めている裏で、秘密裏に間諜組織も管理している。この手紙は間諜が掴んできた情報を伝えているに違いない。
王に直接奏上するのではなくではなく、誰にも知られぬように自分を使って腹心の侯爵に伝えるところを見ると、内容は重要なものなのだろう。
「ありがとう、シード」
受け取ったエルガルフは、ふと気付いたように手紙を開く手を止めた。
「お前は今年黒竜に配属されたんだったな」
「そうです。本当は白狼が良かったんですが、黒竜の騎士が減ってしまったので」
「黒竜には私の子供が従騎士として行っている。よろしく頼むよ」
「エルガルフ様の?」
「そうだ。エルフェルムだ。会ったことがあるだろう?」
子供の頃にと言われても、カルシードにはあまり覚えがない。
叔母のアルヴィラが亡くなった時、自分は八歳だ。
あの事件以来エルフェルムは体調を崩したとかで、王宮の奥深くの魔術研究所に引きこもっていて、全く表には出て来なかった。
王女の小姓になったと聞いたが、主に内向きの仕事ばかりしていたようで、社交の場にも出てきたことがない。
近衛騎士である兄ですら、ほとんど見かけたことがないと言っていたくらいだから、自分が出会うこともなかった。
幼い頃の自分は基本的にヴィーゼル伯爵領で暮らしていたので、たまに王都に来た時くらいしか従兄妹たちとは会っていない。
五歳か六歳だったか、そのくらい小さな頃、金と銀の双子の兄妹と遊んだ覚えがないわけではないが、十年以上前の子供の頃の記憶などないにも等しい。顔など全く覚えていなかった。
ただ、叔母の葬儀で皆から離れ、呆然と座る金髪の少女を見た。
その記憶だけは鮮明に残っている。
まるで絵画で見る妖精のように綺麗で、生きているのかも疑わしいほどに現実離れしたその姿を見て以来、カルシードは彼女のことが忘れられない。
しかし、エルフェルムは兄の方だ。
一体彼女は何者だったのだろうか。
その疑問を大人たちには聞けぬまま今に至る。なんとなく気恥ずかしくて聞けなかったのだ。
仲の良い年の離れた次兄にだけは話したが、彼も知らなかったようで、ただ面白そうに笑っていた。
「エルガルフ様、エルフェルムは銀髪ですよね?」
「そうだが、どうした?」
やはりそうだ。彼女ではない。
「金髪の女の子はエルディア?」
フェンリルに襲われ殺されたという妹か?
あれは本当に生身の人間ではなかったのだろうか。
「そうだ」
「エルディアはフェンリルに殺されたんですよね?」
「……………」
エルガルフは黙っていた。
「俺、アルヴィラ様の葬儀の時にエルディアを見た気がします」
エルガルフの口元が笑みを形作る。
「エルディアは生きているよ」
「え?」
「エルディアもエルフェルムも生きている。ただ、今はエルディアの姿を見せられないんだ。陛下もご存知だが、一応国の機密事項だ。黙っていろよ」
「機密事項………」
「まあ、レンブルに行けばいずれわかるだろうが………詳しいことはエルフェルムに直接聞いてみろ。エルディアのことはあれに任せている」
エルガルフは面白そうに笑っていた。
その笑みは、エルディアのことを尋ねた時の次兄の笑みによく似ていた。
彼は暁の如き淡い藍色の瞳をし、驚くほど綺麗な顔立ちをしていた。
少年から青年へと移り変わる過程の、その狭間にある年頃。長く伸びた手足はまだしなやかで、細い首筋や少女のように滑らかな肌はまだ幼さを残している。
少年は長い木立を抜け、一つの館の門をくぐる。玄関の大きなドアをノックしかけて、手を止めた。
話し声に気づいたのだ。
彼はキョロキョロと見回すと、声の聞こえてくる庭の方へまわった。
「エルガルフ様!」
そこには庭のテーブルで、執事のグレイゼルと話しているエルガルフがいた。
片手にティーカップ、もう一方にティーソーサーを持って振り返った彼は、自分の甥の姿を認めると気さくな笑みを浮かべた。
「おやシード、どうした?ずいぶん急いで来たようだが」
「……は……い」
少年は肩を大きく上下させて呼吸を整える。
「ここに座って休みなさい。いい香りだ。シードもどうだい?」
グレイゼルがてきぱきと紅茶をいれる。
少年は少しぬるめに淹れられたそれを受け取って、エルガルフの向かいに座った。
一口飲むと優しい香りが広がる。いつもながらここの執事のいれてくれる紅茶は素晴らしく美味しい。乾いた喉にすぐに飲める、その心遣いも嬉しかった。
カルシード・ヴィーゼル。
ヴィーゼル伯爵家の三男坊、金獅子騎士団所属の近衛騎士レインスレンドの弟である。
彼は白狼騎士団にいる長男レアルーダの従騎士として西のダルク領にいたのだが、この度正騎士に叙任されることが決まり王都へ戻ってきていた。
近年のトルポント王国の侵攻、フェンリル討伐により多数の犠牲が出た黒竜騎士団に、補充要員としてこの春から配属することが決まっている。
「手紙を、父から預かってきました」
懐から取り出した手紙をテーブルの上に置く。それを見てエルガルフの表情は一瞬固くなったが、落ち着いた動作でゆっくりとカップを傾けた。
カルシードは一気に飲み干したカップをテーブルに置くと、深刻な表情で尋ねる。
「やっぱり、大きな戦が始まるんですか?」
「わからない。ただ、長く続くような戦は避けたいな。国が疲弊する」
「そうですね」
カルシードの父ヴィーゼル伯爵は王国の外交官を務めている裏で、秘密裏に間諜組織も管理している。この手紙は間諜が掴んできた情報を伝えているに違いない。
王に直接奏上するのではなくではなく、誰にも知られぬように自分を使って腹心の侯爵に伝えるところを見ると、内容は重要なものなのだろう。
「ありがとう、シード」
受け取ったエルガルフは、ふと気付いたように手紙を開く手を止めた。
「お前は今年黒竜に配属されたんだったな」
「そうです。本当は白狼が良かったんですが、黒竜の騎士が減ってしまったので」
「黒竜には私の子供が従騎士として行っている。よろしく頼むよ」
「エルガルフ様の?」
「そうだ。エルフェルムだ。会ったことがあるだろう?」
子供の頃にと言われても、カルシードにはあまり覚えがない。
叔母のアルヴィラが亡くなった時、自分は八歳だ。
あの事件以来エルフェルムは体調を崩したとかで、王宮の奥深くの魔術研究所に引きこもっていて、全く表には出て来なかった。
王女の小姓になったと聞いたが、主に内向きの仕事ばかりしていたようで、社交の場にも出てきたことがない。
近衛騎士である兄ですら、ほとんど見かけたことがないと言っていたくらいだから、自分が出会うこともなかった。
幼い頃の自分は基本的にヴィーゼル伯爵領で暮らしていたので、たまに王都に来た時くらいしか従兄妹たちとは会っていない。
五歳か六歳だったか、そのくらい小さな頃、金と銀の双子の兄妹と遊んだ覚えがないわけではないが、十年以上前の子供の頃の記憶などないにも等しい。顔など全く覚えていなかった。
ただ、叔母の葬儀で皆から離れ、呆然と座る金髪の少女を見た。
その記憶だけは鮮明に残っている。
まるで絵画で見る妖精のように綺麗で、生きているのかも疑わしいほどに現実離れしたその姿を見て以来、カルシードは彼女のことが忘れられない。
しかし、エルフェルムは兄の方だ。
一体彼女は何者だったのだろうか。
その疑問を大人たちには聞けぬまま今に至る。なんとなく気恥ずかしくて聞けなかったのだ。
仲の良い年の離れた次兄にだけは話したが、彼も知らなかったようで、ただ面白そうに笑っていた。
「エルガルフ様、エルフェルムは銀髪ですよね?」
「そうだが、どうした?」
やはりそうだ。彼女ではない。
「金髪の女の子はエルディア?」
フェンリルに襲われ殺されたという妹か?
あれは本当に生身の人間ではなかったのだろうか。
「そうだ」
「エルディアはフェンリルに殺されたんですよね?」
「……………」
エルガルフは黙っていた。
「俺、アルヴィラ様の葬儀の時にエルディアを見た気がします」
エルガルフの口元が笑みを形作る。
「エルディアは生きているよ」
「え?」
「エルディアもエルフェルムも生きている。ただ、今はエルディアの姿を見せられないんだ。陛下もご存知だが、一応国の機密事項だ。黙っていろよ」
「機密事項………」
「まあ、レンブルに行けばいずれわかるだろうが………詳しいことはエルフェルムに直接聞いてみろ。エルディアのことはあれに任せている」
エルガルフは面白そうに笑っていた。
その笑みは、エルディアのことを尋ねた時の次兄の笑みによく似ていた。
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