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譲れない時間と 2
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(トキネ……!)
彼は念じる。その瞬間に、魔力の波動に当てられて王宮のあらゆる場所にあるガラスというガラスが割れた。アーレンとヴェレッタという、この国最高峰の魔力の持ち主二人分の魔力をのせ、彼は王宮を蹂躙する。
今の彼には遠隔視が可能だった。トキネを探す。太陽の間のバルコニーへと視覚を飛ばす。
――いた!
イディアスに首をしめられている。もう意識がないのだろうか? グロリアがイディアスに掴みかかり、ロンバルディア公が何かを叫び、ルルシーラ王女は手すりに掴まって体を持ち上げながら哄笑し、ジュレーヌ皇女が気絶している。もう一人いる男は……ジュレーヌ皇女の護衛か? 帝国の兵士の服装をしているが、こちらも気絶しているようだ。
(トキネ!)
距離があるせいで、相当な力を使わなければ届きそうにない。あまり魔力を使えば、そこに魔力を届かせるために、通る道のものをすべて破壊しかねない。
だがアーレンは迷うことなく全ての魔力を放出した。
まっすぐにイディアスへと――トキネを守るために。
* * *
太陽の間がにわかに騒がしくなりました。バルコニーでの惨状に、誰かが気づいたようです。
「来るな! 魔法士による魔力の暴走だ! 下手に近づけば危険だ!」
そう言って人払いをしようとするのはロンバルディア公でした。顔を怒気に染めて、怒鳴るようにして兵士や貴族様を追い払っています。
なぜ……
アルバート様の言っていることは事実でした。けれど、彼は何かに焦っている。まるで事態が思い通りにならないことに憤っているかのように――
私の意識はすでに途切れかかっていました。首を絞められた酸素不足と、魔力を吸い出されたことによる生命力の喪失です。それでも何とか状況が分かるほどに保てているのは、アーレン様に散々教え込まれた魔力制御を、かろうじてながら行うことで魔力の一部を保っているからでした。
でも……もう限界。
「トキネを放して! 放してえ!」
グロリア様の声がとても遠く聞こえる。ルルシーラ王女が高笑いする声も。
異変が起こったのはまさにそのときでした。
太陽の間で悲鳴が起こりました。パリンパリンと、何かが割れる音がします。
次いで悲鳴が上がりました。次から次へと破壊音。逃げ惑う人間の気配。
イディアスがぎょっとした顔で太陽の間を振り返りました。その拍子に、私の首から彼の手が離れました。
私が酸素を取り戻すそれよりもさらに前に――
金色の輝きがイディアスを包みました。
「うぐああああああ!!」
まるで炎に呑まれたかのように、イディアスの全身が光に燃やされていく。
イディアスが頭を振り乱し苦悶の声を上げます。組み付いていたグロリア様を振り払い、しきりにもだえます。
彼の蛇ののたくるようだった邪悪な魔力が、金色に呑みこまれていく。消滅させられていく。
私は大きく息を吸いました。ちょうど同時に、イディアスの体が吹き飛び、バルコニーの手すりに叩きつけられました。
「ぐっ……!」
イディアスは一声うめき、そのままバルコニーへと倒れ込む――
それを見たルルシーラ王女が悲鳴を上げて、ショックのあまりでしょうか、そのまま気絶してしまったようです。
私はその間に何度も何度も息を吸って吐き、呼吸を整えました。
何が起こったのか――
「今のはまさか……」
グロリア様が私に駆け寄り「大丈夫、トキネ!?」と声をかけてくださいます。
「大丈夫、です……あの、今のは」
グロリア様はうなずき、
「アーレンの魔力の波動だったわ……あの子、まさかどこからかこの状況を知ったのかしら?」
私は自分の緊急事態速報魔法がアーレン様に通じたのだと悟りました。きっとそうです。そしてアーレン様は助けてくれた……
「アーレン様は!?」
まだヴェレッタ様のところにいるのでしょうか。私はさっと立ち上がり、
「グロリア様、アーレン様のいそうなところを教えてください!」
「え? でも」
「本当はもっと早くこうすべきでした。私はちゃんとあの二人の間の邪魔をすべきだったんです。アーレン様を愛しているなら、そうすべきだったんです」
魔力は大部分を吸い取られ、体はふらふらでした。
でも、ようやくはっきり前が見えた気がしました。私は、重い背中を何とか持ち上げて、背筋を伸ばしました。
そして、愛する人の名を口にしました。
「アーレン様……!」
「――探す必要は、ない……」
きらりと。
視界の端に、大好きな金色の輝きが――
それはイディアスが見せた幻想世界よりもずっとずっと目を奪われる色。私は振り向きました。
中庭の方角から、すとっと彼がバルコニーの手すりに足を下ろします。
「待たせて悪かった……トキネ」
「アーレン様!」
私は喜びに打ち震えました。どこから来たのか分かりませんが、彼は駆けつけてくれたのです、私が魔力を暴走させたあのときのように!
アーレン様は手すりからすとんとおりると、私を抱きしめました。
「無事だったか……良かった」
「アーレン様?」
抱きしめる彼の体が熱い。いつも体温の低い彼らしくない熱さです。
「どうしたんですか? 熱が――」
「……すまん。居た場所からここは遠すぎて」
アーレン様の様子が変です。声が、低くひび割れたように凍っています。
「……全力を、出しすぎた……」
ぐらりと彼の体がかしぎ、私は慌ててアーレン様の体を支えました。
「アーレン様!」
返事がありません。彼の目がゆっくり閉じていきます。「アーレン!」とグロリア様が叫びました。
「あなた魔力の全放出を行ったわね……!?」
「……!?」
私は青くなりました。魔力はそのまま生命力だと、教えてくれたのはアーレン様です。
「グ、グロリア様、それじゃあアーレン様は」
「このままだと死んでしまうわ。魔力を与えないと」
私がやるわ――と手を差し出すグロリア様。魔法士ではなくとも魔力を持ち、扱い方ももちろん心得ているグロリア様に任せるのがここは一番だと、頭では分かっていたのですが――
私は首を振りました。
「私にやらせてください」
「でもトキネ、あなたもうわずかしか魔力が」
「わずかでもいいんですよね? 魔力が空じゃなければ、死にませんよね?」
私は真剣でした。真剣そのものの顔でグロリア様を見つめました。
グロリア様は――うなずきました。
「あなたも死なない程度じゃなきゃ駄目よ、トキネ」
「はい」
私はぐったりしているアーレン様の体をバルコニーに横たえました。
ロンバルディア公がいまだ他の人たちと争っているのが聞こえます。でも、そんなことは今の私には関係のないこと。
私はそっとアーレン様の顔に顔を近づけ、
「………」
そして、静かに口づけました。
初めて、私の方からの魔力の供給です。私の中にあるかすかな流れの魔力を、アーレン様の中へと注いでいきます。
私がいつもアーレン様にそうされて心地よかったように、私の魔力も彼に心地よければいい。そう願いながら、そっと魔力を注ぎ続けました。
どれくらいの量が必要なのか分からない。でも彼の命を守れるなら……私の命はどうなったって構わない。
ただ無心に、魔力の流れを彼の中へと繋げていく――
彼をヴェレッタ様から守れなかった。でも今なら彼を守れる。この役目だけは譲れない。絶対に譲れない。
彼は念じる。その瞬間に、魔力の波動に当てられて王宮のあらゆる場所にあるガラスというガラスが割れた。アーレンとヴェレッタという、この国最高峰の魔力の持ち主二人分の魔力をのせ、彼は王宮を蹂躙する。
今の彼には遠隔視が可能だった。トキネを探す。太陽の間のバルコニーへと視覚を飛ばす。
――いた!
イディアスに首をしめられている。もう意識がないのだろうか? グロリアがイディアスに掴みかかり、ロンバルディア公が何かを叫び、ルルシーラ王女は手すりに掴まって体を持ち上げながら哄笑し、ジュレーヌ皇女が気絶している。もう一人いる男は……ジュレーヌ皇女の護衛か? 帝国の兵士の服装をしているが、こちらも気絶しているようだ。
(トキネ!)
距離があるせいで、相当な力を使わなければ届きそうにない。あまり魔力を使えば、そこに魔力を届かせるために、通る道のものをすべて破壊しかねない。
だがアーレンは迷うことなく全ての魔力を放出した。
まっすぐにイディアスへと――トキネを守るために。
* * *
太陽の間がにわかに騒がしくなりました。バルコニーでの惨状に、誰かが気づいたようです。
「来るな! 魔法士による魔力の暴走だ! 下手に近づけば危険だ!」
そう言って人払いをしようとするのはロンバルディア公でした。顔を怒気に染めて、怒鳴るようにして兵士や貴族様を追い払っています。
なぜ……
アルバート様の言っていることは事実でした。けれど、彼は何かに焦っている。まるで事態が思い通りにならないことに憤っているかのように――
私の意識はすでに途切れかかっていました。首を絞められた酸素不足と、魔力を吸い出されたことによる生命力の喪失です。それでも何とか状況が分かるほどに保てているのは、アーレン様に散々教え込まれた魔力制御を、かろうじてながら行うことで魔力の一部を保っているからでした。
でも……もう限界。
「トキネを放して! 放してえ!」
グロリア様の声がとても遠く聞こえる。ルルシーラ王女が高笑いする声も。
異変が起こったのはまさにそのときでした。
太陽の間で悲鳴が起こりました。パリンパリンと、何かが割れる音がします。
次いで悲鳴が上がりました。次から次へと破壊音。逃げ惑う人間の気配。
イディアスがぎょっとした顔で太陽の間を振り返りました。その拍子に、私の首から彼の手が離れました。
私が酸素を取り戻すそれよりもさらに前に――
金色の輝きがイディアスを包みました。
「うぐああああああ!!」
まるで炎に呑まれたかのように、イディアスの全身が光に燃やされていく。
イディアスが頭を振り乱し苦悶の声を上げます。組み付いていたグロリア様を振り払い、しきりにもだえます。
彼の蛇ののたくるようだった邪悪な魔力が、金色に呑みこまれていく。消滅させられていく。
私は大きく息を吸いました。ちょうど同時に、イディアスの体が吹き飛び、バルコニーの手すりに叩きつけられました。
「ぐっ……!」
イディアスは一声うめき、そのままバルコニーへと倒れ込む――
それを見たルルシーラ王女が悲鳴を上げて、ショックのあまりでしょうか、そのまま気絶してしまったようです。
私はその間に何度も何度も息を吸って吐き、呼吸を整えました。
何が起こったのか――
「今のはまさか……」
グロリア様が私に駆け寄り「大丈夫、トキネ!?」と声をかけてくださいます。
「大丈夫、です……あの、今のは」
グロリア様はうなずき、
「アーレンの魔力の波動だったわ……あの子、まさかどこからかこの状況を知ったのかしら?」
私は自分の緊急事態速報魔法がアーレン様に通じたのだと悟りました。きっとそうです。そしてアーレン様は助けてくれた……
「アーレン様は!?」
まだヴェレッタ様のところにいるのでしょうか。私はさっと立ち上がり、
「グロリア様、アーレン様のいそうなところを教えてください!」
「え? でも」
「本当はもっと早くこうすべきでした。私はちゃんとあの二人の間の邪魔をすべきだったんです。アーレン様を愛しているなら、そうすべきだったんです」
魔力は大部分を吸い取られ、体はふらふらでした。
でも、ようやくはっきり前が見えた気がしました。私は、重い背中を何とか持ち上げて、背筋を伸ばしました。
そして、愛する人の名を口にしました。
「アーレン様……!」
「――探す必要は、ない……」
きらりと。
視界の端に、大好きな金色の輝きが――
それはイディアスが見せた幻想世界よりもずっとずっと目を奪われる色。私は振り向きました。
中庭の方角から、すとっと彼がバルコニーの手すりに足を下ろします。
「待たせて悪かった……トキネ」
「アーレン様!」
私は喜びに打ち震えました。どこから来たのか分かりませんが、彼は駆けつけてくれたのです、私が魔力を暴走させたあのときのように!
アーレン様は手すりからすとんとおりると、私を抱きしめました。
「無事だったか……良かった」
「アーレン様?」
抱きしめる彼の体が熱い。いつも体温の低い彼らしくない熱さです。
「どうしたんですか? 熱が――」
「……すまん。居た場所からここは遠すぎて」
アーレン様の様子が変です。声が、低くひび割れたように凍っています。
「……全力を、出しすぎた……」
ぐらりと彼の体がかしぎ、私は慌ててアーレン様の体を支えました。
「アーレン様!」
返事がありません。彼の目がゆっくり閉じていきます。「アーレン!」とグロリア様が叫びました。
「あなた魔力の全放出を行ったわね……!?」
「……!?」
私は青くなりました。魔力はそのまま生命力だと、教えてくれたのはアーレン様です。
「グ、グロリア様、それじゃあアーレン様は」
「このままだと死んでしまうわ。魔力を与えないと」
私がやるわ――と手を差し出すグロリア様。魔法士ではなくとも魔力を持ち、扱い方ももちろん心得ているグロリア様に任せるのがここは一番だと、頭では分かっていたのですが――
私は首を振りました。
「私にやらせてください」
「でもトキネ、あなたもうわずかしか魔力が」
「わずかでもいいんですよね? 魔力が空じゃなければ、死にませんよね?」
私は真剣でした。真剣そのものの顔でグロリア様を見つめました。
グロリア様は――うなずきました。
「あなたも死なない程度じゃなきゃ駄目よ、トキネ」
「はい」
私はぐったりしているアーレン様の体をバルコニーに横たえました。
ロンバルディア公がいまだ他の人たちと争っているのが聞こえます。でも、そんなことは今の私には関係のないこと。
私はそっとアーレン様の顔に顔を近づけ、
「………」
そして、静かに口づけました。
初めて、私の方からの魔力の供給です。私の中にあるかすかな流れの魔力を、アーレン様の中へと注いでいきます。
私がいつもアーレン様にそうされて心地よかったように、私の魔力も彼に心地よければいい。そう願いながら、そっと魔力を注ぎ続けました。
どれくらいの量が必要なのか分からない。でも彼の命を守れるなら……私の命はどうなったって構わない。
ただ無心に、魔力の流れを彼の中へと繋げていく――
彼をヴェレッタ様から守れなかった。でも今なら彼を守れる。この役目だけは譲れない。絶対に譲れない。
応援ありがとうございます!
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