2 / 20
第弐話
しおりを挟む
お待たせしてすみません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一月末、実篤と知里は新幹線と在来線を乗り継ぐこと5時間、ようやく本家の最寄り駅に到着した。折悪くこの冬一番の寒気が列島に流れ込んでおり、暖房のきいた車内から外に出ると外気の冷たさに知里は思わず身をすくめる。
「知里、疲れていないか?」
「大丈夫」
実篤が気遣わし気に妻を見る。整った顔と高い身長は時にモデルと勘違いされるほど。その彼が仕立ての良いスーツに黒のロングコードを羽織った姿は見慣れているはずの知里でも思わずため息が出るほどかっこいい。それが証拠に幾人もの女性が陶然とした眼差しで彼を見つめていた。
「行こう」
しかし、当の本人は傍らの妻しか眼中にない。ほんの僅かだが表情を和らげると、妻を促し歩き出した。当然、周囲からの痛いほどの視線は自分にも集まる。毎度のこととはいえ知里は複雑な気分でため息をこぼした。
「少し、休んだ方がいいか?」
「大丈夫よ、さぁ君」
実篤は無理をしていると勘違いしたらしい。知里が努めて笑みを浮かべて答えると、夫の頬がほのかに赤くなる。気まずいのか、それをごまかす様に荷物を持っていない方の手で妻の手を引き歩き出す。
「い、行こうか」
知里は気付いていない。実は男達の視線を惹きつけていた事に。華やかさを抑え、上品さを主眼とした彼女の姿に夫の実篤が一番魅了されていた事に彼女は気付いていなかった。
「お迎えに上がりました、実篤様」
改札を抜けると、1人の男性が進み出て頭を下げる。最寄り駅とはいっても本家はここから車で1時間以上かかる。どうやら長老は気を利かせて迎えを寄越してくれたらしい。
「心遣い、感謝する」
実篤は男に持っていたキャリーバッグを預けると、その後に続く。もちろん、何よりも大切な妻の手は決して放す真似はせず、止めてある黒い高級車へ案内される。
先に妻を乗せ、それに続こうとしたところでまた、誰かに声をかけられた。
「お、実篤。ちょうどいい、俺も……」
実篤の姿を見て近づいてきたのは、ダメージジーンズにライダースジャケットを着た男。実篤に劣らないほど長身で、髪はオレンジに染め、耳にはいくつもピアスを付けている。軽い口調とは裏腹に言いようのない威圧感を感じて知里は思わず身をすくめた。
「断る」
実篤は一瞥すると端的に断り、彼の目の前で車のドアを閉めた。
「やってくれ」
「かしこまりました」
迎えに来た男も何事もなかったように車を出し、声をかけてきた男は無情にも置き去りにされた。
「いいの?」
「問題ない」
下の名で呼ばれたという事は親しい間柄のはず。知里が不安気に夫を見上げると、彼は少しムスッとした表情を浮かべていた。腑に落ちないがこれ以上聞くのも躊躇われ、結局そのまま口を噤んだ。
車は市街地を抜け、郊外の住宅地も過ぎた。まばらにあった民家も見なくなり、今は山道を走っている。日没間近の薄暗い景色はもの悲しさを演出しており、不安に駆られた知里は隣に座る実篤の腕に縋っていた。
「どうした?」
「い、いえ……」
誰かと連絡を取っていた実篤が尋ねると、彼女は邪魔をしてしまったと慌てて首を振る。だが、それは杞憂だったようで、彼はスマホをポケットにしまうと彼女を自分に抱き寄せた。
「こんな景色が続いたら不安になるか?」
どうやら心を見透かされていたらしい。知里が観念して小さく頷くと、実篤は彼女の頭を優しく撫でた。
「初めて来た人は大抵不安がるんだよ。もうちょっとしたら集落が見えてくる。昔から変わらない、静かなところだよ」
今の実篤からは全く想像できないことだが、幼少の頃体が弱かった彼は療養の為に本家で暮らしていたと知里は聞いていた。小学校を卒業するまで過ごしたこの地は、彼にとって故郷なのだろう。
「これを言ったら余計不安になるかな……あの集落は鬼の里とも呼ばれている」
「鬼の里? 鬼伝説があるの?」
「伝説というほど大層な話じゃないけどね」
「教えて」
妻のおねだりに実篤は苦笑しながら話し始めた。
「昔、集落の東にそびえる岩山には赤鬼が、西にそびえる荊の生い茂った山には青鬼が住んでいた。彼らは集落の人間とも友好的に暮らしていたが、ある日些細なことで喧嘩になった。2匹の鬼は怒りに任せ、それぞれの住処にあるものを投げつけた。手あたり次第投げ続けた結果、それぞれの山の景観はすっかり入れ替わってしまっていた……とこんな内容だったかな」
「その後どうなったの?」
「集落にあった神社の巫女が鬼を諫めたと言われている」
「じゃあ、仲直りできたのね」
「そうだな」
そんな会話をしているうちに、車は集落についていた。点在する民家の間を縫うように道が作られ、その先に一際大きなお屋敷がみえる。実篤の実家も大きいと思ったが、その比ではない。年月を感じさせる母屋の風格はまさに圧巻の一言に尽きるだろう。
「どうぞ」
運転手が恭しく車のドアを開けてくれる。実篤が差し出してくれた手を取り、知里はゆっくりと車から降りた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
置き去りにされたオレンジ頭の正体は次話で。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一月末、実篤と知里は新幹線と在来線を乗り継ぐこと5時間、ようやく本家の最寄り駅に到着した。折悪くこの冬一番の寒気が列島に流れ込んでおり、暖房のきいた車内から外に出ると外気の冷たさに知里は思わず身をすくめる。
「知里、疲れていないか?」
「大丈夫」
実篤が気遣わし気に妻を見る。整った顔と高い身長は時にモデルと勘違いされるほど。その彼が仕立ての良いスーツに黒のロングコードを羽織った姿は見慣れているはずの知里でも思わずため息が出るほどかっこいい。それが証拠に幾人もの女性が陶然とした眼差しで彼を見つめていた。
「行こう」
しかし、当の本人は傍らの妻しか眼中にない。ほんの僅かだが表情を和らげると、妻を促し歩き出した。当然、周囲からの痛いほどの視線は自分にも集まる。毎度のこととはいえ知里は複雑な気分でため息をこぼした。
「少し、休んだ方がいいか?」
「大丈夫よ、さぁ君」
実篤は無理をしていると勘違いしたらしい。知里が努めて笑みを浮かべて答えると、夫の頬がほのかに赤くなる。気まずいのか、それをごまかす様に荷物を持っていない方の手で妻の手を引き歩き出す。
「い、行こうか」
知里は気付いていない。実は男達の視線を惹きつけていた事に。華やかさを抑え、上品さを主眼とした彼女の姿に夫の実篤が一番魅了されていた事に彼女は気付いていなかった。
「お迎えに上がりました、実篤様」
改札を抜けると、1人の男性が進み出て頭を下げる。最寄り駅とはいっても本家はここから車で1時間以上かかる。どうやら長老は気を利かせて迎えを寄越してくれたらしい。
「心遣い、感謝する」
実篤は男に持っていたキャリーバッグを預けると、その後に続く。もちろん、何よりも大切な妻の手は決して放す真似はせず、止めてある黒い高級車へ案内される。
先に妻を乗せ、それに続こうとしたところでまた、誰かに声をかけられた。
「お、実篤。ちょうどいい、俺も……」
実篤の姿を見て近づいてきたのは、ダメージジーンズにライダースジャケットを着た男。実篤に劣らないほど長身で、髪はオレンジに染め、耳にはいくつもピアスを付けている。軽い口調とは裏腹に言いようのない威圧感を感じて知里は思わず身をすくめた。
「断る」
実篤は一瞥すると端的に断り、彼の目の前で車のドアを閉めた。
「やってくれ」
「かしこまりました」
迎えに来た男も何事もなかったように車を出し、声をかけてきた男は無情にも置き去りにされた。
「いいの?」
「問題ない」
下の名で呼ばれたという事は親しい間柄のはず。知里が不安気に夫を見上げると、彼は少しムスッとした表情を浮かべていた。腑に落ちないがこれ以上聞くのも躊躇われ、結局そのまま口を噤んだ。
車は市街地を抜け、郊外の住宅地も過ぎた。まばらにあった民家も見なくなり、今は山道を走っている。日没間近の薄暗い景色はもの悲しさを演出しており、不安に駆られた知里は隣に座る実篤の腕に縋っていた。
「どうした?」
「い、いえ……」
誰かと連絡を取っていた実篤が尋ねると、彼女は邪魔をしてしまったと慌てて首を振る。だが、それは杞憂だったようで、彼はスマホをポケットにしまうと彼女を自分に抱き寄せた。
「こんな景色が続いたら不安になるか?」
どうやら心を見透かされていたらしい。知里が観念して小さく頷くと、実篤は彼女の頭を優しく撫でた。
「初めて来た人は大抵不安がるんだよ。もうちょっとしたら集落が見えてくる。昔から変わらない、静かなところだよ」
今の実篤からは全く想像できないことだが、幼少の頃体が弱かった彼は療養の為に本家で暮らしていたと知里は聞いていた。小学校を卒業するまで過ごしたこの地は、彼にとって故郷なのだろう。
「これを言ったら余計不安になるかな……あの集落は鬼の里とも呼ばれている」
「鬼の里? 鬼伝説があるの?」
「伝説というほど大層な話じゃないけどね」
「教えて」
妻のおねだりに実篤は苦笑しながら話し始めた。
「昔、集落の東にそびえる岩山には赤鬼が、西にそびえる荊の生い茂った山には青鬼が住んでいた。彼らは集落の人間とも友好的に暮らしていたが、ある日些細なことで喧嘩になった。2匹の鬼は怒りに任せ、それぞれの住処にあるものを投げつけた。手あたり次第投げ続けた結果、それぞれの山の景観はすっかり入れ替わってしまっていた……とこんな内容だったかな」
「その後どうなったの?」
「集落にあった神社の巫女が鬼を諫めたと言われている」
「じゃあ、仲直りできたのね」
「そうだな」
そんな会話をしているうちに、車は集落についていた。点在する民家の間を縫うように道が作られ、その先に一際大きなお屋敷がみえる。実篤の実家も大きいと思ったが、その比ではない。年月を感じさせる母屋の風格はまさに圧巻の一言に尽きるだろう。
「どうぞ」
運転手が恭しく車のドアを開けてくれる。実篤が差し出してくれた手を取り、知里はゆっくりと車から降りた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
置き去りにされたオレンジ頭の正体は次話で。
0
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます
久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」
大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。
彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。
しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。
失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。
彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。
「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。
蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。
地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。
そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。
これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。
数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。
財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す
花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。
専務は御曹司の元上司。
その専務が社内政争に巻き込まれ退任。
菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。
居場所がなくなった彼女は退職を希望したが
支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。
ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に
海外にいたはずの御曹司が現れて?!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる