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第弐話
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お待たせしてすみません。
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一月末、実篤と知里は新幹線と在来線を乗り継ぐこと5時間、ようやく本家の最寄り駅に到着した。折悪くこの冬一番の寒気が列島に流れ込んでおり、暖房のきいた車内から外に出ると外気の冷たさに知里は思わず身をすくめる。
「知里、疲れていないか?」
「大丈夫」
実篤が気遣わし気に妻を見る。整った顔と高い身長は時にモデルと勘違いされるほど。その彼が仕立ての良いスーツに黒のロングコードを羽織った姿は見慣れているはずの知里でも思わずため息が出るほどかっこいい。それが証拠に幾人もの女性が陶然とした眼差しで彼を見つめていた。
「行こう」
しかし、当の本人は傍らの妻しか眼中にない。ほんの僅かだが表情を和らげると、妻を促し歩き出した。当然、周囲からの痛いほどの視線は自分にも集まる。毎度のこととはいえ知里は複雑な気分でため息をこぼした。
「少し、休んだ方がいいか?」
「大丈夫よ、さぁ君」
実篤は無理をしていると勘違いしたらしい。知里が努めて笑みを浮かべて答えると、夫の頬がほのかに赤くなる。気まずいのか、それをごまかす様に荷物を持っていない方の手で妻の手を引き歩き出す。
「い、行こうか」
知里は気付いていない。実は男達の視線を惹きつけていた事に。華やかさを抑え、上品さを主眼とした彼女の姿に夫の実篤が一番魅了されていた事に彼女は気付いていなかった。
「お迎えに上がりました、実篤様」
改札を抜けると、1人の男性が進み出て頭を下げる。最寄り駅とはいっても本家はここから車で1時間以上かかる。どうやら長老は気を利かせて迎えを寄越してくれたらしい。
「心遣い、感謝する」
実篤は男に持っていたキャリーバッグを預けると、その後に続く。もちろん、何よりも大切な妻の手は決して放す真似はせず、止めてある黒い高級車へ案内される。
先に妻を乗せ、それに続こうとしたところでまた、誰かに声をかけられた。
「お、実篤。ちょうどいい、俺も……」
実篤の姿を見て近づいてきたのは、ダメージジーンズにライダースジャケットを着た男。実篤に劣らないほど長身で、髪はオレンジに染め、耳にはいくつもピアスを付けている。軽い口調とは裏腹に言いようのない威圧感を感じて知里は思わず身をすくめた。
「断る」
実篤は一瞥すると端的に断り、彼の目の前で車のドアを閉めた。
「やってくれ」
「かしこまりました」
迎えに来た男も何事もなかったように車を出し、声をかけてきた男は無情にも置き去りにされた。
「いいの?」
「問題ない」
下の名で呼ばれたという事は親しい間柄のはず。知里が不安気に夫を見上げると、彼は少しムスッとした表情を浮かべていた。腑に落ちないがこれ以上聞くのも躊躇われ、結局そのまま口を噤んだ。
車は市街地を抜け、郊外の住宅地も過ぎた。まばらにあった民家も見なくなり、今は山道を走っている。日没間近の薄暗い景色はもの悲しさを演出しており、不安に駆られた知里は隣に座る実篤の腕に縋っていた。
「どうした?」
「い、いえ……」
誰かと連絡を取っていた実篤が尋ねると、彼女は邪魔をしてしまったと慌てて首を振る。だが、それは杞憂だったようで、彼はスマホをポケットにしまうと彼女を自分に抱き寄せた。
「こんな景色が続いたら不安になるか?」
どうやら心を見透かされていたらしい。知里が観念して小さく頷くと、実篤は彼女の頭を優しく撫でた。
「初めて来た人は大抵不安がるんだよ。もうちょっとしたら集落が見えてくる。昔から変わらない、静かなところだよ」
今の実篤からは全く想像できないことだが、幼少の頃体が弱かった彼は療養の為に本家で暮らしていたと知里は聞いていた。小学校を卒業するまで過ごしたこの地は、彼にとって故郷なのだろう。
「これを言ったら余計不安になるかな……あの集落は鬼の里とも呼ばれている」
「鬼の里? 鬼伝説があるの?」
「伝説というほど大層な話じゃないけどね」
「教えて」
妻のおねだりに実篤は苦笑しながら話し始めた。
「昔、集落の東にそびえる岩山には赤鬼が、西にそびえる荊の生い茂った山には青鬼が住んでいた。彼らは集落の人間とも友好的に暮らしていたが、ある日些細なことで喧嘩になった。2匹の鬼は怒りに任せ、それぞれの住処にあるものを投げつけた。手あたり次第投げ続けた結果、それぞれの山の景観はすっかり入れ替わってしまっていた……とこんな内容だったかな」
「その後どうなったの?」
「集落にあった神社の巫女が鬼を諫めたと言われている」
「じゃあ、仲直りできたのね」
「そうだな」
そんな会話をしているうちに、車は集落についていた。点在する民家の間を縫うように道が作られ、その先に一際大きなお屋敷がみえる。実篤の実家も大きいと思ったが、その比ではない。年月を感じさせる母屋の風格はまさに圧巻の一言に尽きるだろう。
「どうぞ」
運転手が恭しく車のドアを開けてくれる。実篤が差し出してくれた手を取り、知里はゆっくりと車から降りた。
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置き去りにされたオレンジ頭の正体は次話で。
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一月末、実篤と知里は新幹線と在来線を乗り継ぐこと5時間、ようやく本家の最寄り駅に到着した。折悪くこの冬一番の寒気が列島に流れ込んでおり、暖房のきいた車内から外に出ると外気の冷たさに知里は思わず身をすくめる。
「知里、疲れていないか?」
「大丈夫」
実篤が気遣わし気に妻を見る。整った顔と高い身長は時にモデルと勘違いされるほど。その彼が仕立ての良いスーツに黒のロングコードを羽織った姿は見慣れているはずの知里でも思わずため息が出るほどかっこいい。それが証拠に幾人もの女性が陶然とした眼差しで彼を見つめていた。
「行こう」
しかし、当の本人は傍らの妻しか眼中にない。ほんの僅かだが表情を和らげると、妻を促し歩き出した。当然、周囲からの痛いほどの視線は自分にも集まる。毎度のこととはいえ知里は複雑な気分でため息をこぼした。
「少し、休んだ方がいいか?」
「大丈夫よ、さぁ君」
実篤は無理をしていると勘違いしたらしい。知里が努めて笑みを浮かべて答えると、夫の頬がほのかに赤くなる。気まずいのか、それをごまかす様に荷物を持っていない方の手で妻の手を引き歩き出す。
「い、行こうか」
知里は気付いていない。実は男達の視線を惹きつけていた事に。華やかさを抑え、上品さを主眼とした彼女の姿に夫の実篤が一番魅了されていた事に彼女は気付いていなかった。
「お迎えに上がりました、実篤様」
改札を抜けると、1人の男性が進み出て頭を下げる。最寄り駅とはいっても本家はここから車で1時間以上かかる。どうやら長老は気を利かせて迎えを寄越してくれたらしい。
「心遣い、感謝する」
実篤は男に持っていたキャリーバッグを預けると、その後に続く。もちろん、何よりも大切な妻の手は決して放す真似はせず、止めてある黒い高級車へ案内される。
先に妻を乗せ、それに続こうとしたところでまた、誰かに声をかけられた。
「お、実篤。ちょうどいい、俺も……」
実篤の姿を見て近づいてきたのは、ダメージジーンズにライダースジャケットを着た男。実篤に劣らないほど長身で、髪はオレンジに染め、耳にはいくつもピアスを付けている。軽い口調とは裏腹に言いようのない威圧感を感じて知里は思わず身をすくめた。
「断る」
実篤は一瞥すると端的に断り、彼の目の前で車のドアを閉めた。
「やってくれ」
「かしこまりました」
迎えに来た男も何事もなかったように車を出し、声をかけてきた男は無情にも置き去りにされた。
「いいの?」
「問題ない」
下の名で呼ばれたという事は親しい間柄のはず。知里が不安気に夫を見上げると、彼は少しムスッとした表情を浮かべていた。腑に落ちないがこれ以上聞くのも躊躇われ、結局そのまま口を噤んだ。
車は市街地を抜け、郊外の住宅地も過ぎた。まばらにあった民家も見なくなり、今は山道を走っている。日没間近の薄暗い景色はもの悲しさを演出しており、不安に駆られた知里は隣に座る実篤の腕に縋っていた。
「どうした?」
「い、いえ……」
誰かと連絡を取っていた実篤が尋ねると、彼女は邪魔をしてしまったと慌てて首を振る。だが、それは杞憂だったようで、彼はスマホをポケットにしまうと彼女を自分に抱き寄せた。
「こんな景色が続いたら不安になるか?」
どうやら心を見透かされていたらしい。知里が観念して小さく頷くと、実篤は彼女の頭を優しく撫でた。
「初めて来た人は大抵不安がるんだよ。もうちょっとしたら集落が見えてくる。昔から変わらない、静かなところだよ」
今の実篤からは全く想像できないことだが、幼少の頃体が弱かった彼は療養の為に本家で暮らしていたと知里は聞いていた。小学校を卒業するまで過ごしたこの地は、彼にとって故郷なのだろう。
「これを言ったら余計不安になるかな……あの集落は鬼の里とも呼ばれている」
「鬼の里? 鬼伝説があるの?」
「伝説というほど大層な話じゃないけどね」
「教えて」
妻のおねだりに実篤は苦笑しながら話し始めた。
「昔、集落の東にそびえる岩山には赤鬼が、西にそびえる荊の生い茂った山には青鬼が住んでいた。彼らは集落の人間とも友好的に暮らしていたが、ある日些細なことで喧嘩になった。2匹の鬼は怒りに任せ、それぞれの住処にあるものを投げつけた。手あたり次第投げ続けた結果、それぞれの山の景観はすっかり入れ替わってしまっていた……とこんな内容だったかな」
「その後どうなったの?」
「集落にあった神社の巫女が鬼を諫めたと言われている」
「じゃあ、仲直りできたのね」
「そうだな」
そんな会話をしているうちに、車は集落についていた。点在する民家の間を縫うように道が作られ、その先に一際大きなお屋敷がみえる。実篤の実家も大きいと思ったが、その比ではない。年月を感じさせる母屋の風格はまさに圧巻の一言に尽きるだろう。
「どうぞ」
運転手が恭しく車のドアを開けてくれる。実篤が差し出してくれた手を取り、知里はゆっくりと車から降りた。
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置き去りにされたオレンジ頭の正体は次話で。
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