掌中の珠のように

花影

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契約2

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「大倉家の当主、義総様です」
 男性は30歳くらいだろう。綾乃が言う旦那様はもっと年寄りだと思い込んでいたので沙耶は驚いた。モデルと言っても通用するくらいスラリとして背が高く、整った顔立ちをしている。しかし、不機嫌そうな表情で冷たい印象を受ける。
「綾乃は下がれ」
「ですが……」
 義総の命令に綾乃は何か言いかけたが、ジロリと睨まれると何も言えず、頭を下げて部屋を退出した。初対面の男性と2人きりとなり、沙耶は心細くなってくるが、そんな彼女の心情など気にもかけずに彼は手近にあった椅子を引き寄せるとベッドの側に座る。
「これは1週間前の新聞だ。見なさい」
 手渡された新聞を広げ、指示された記事に目を通して凍りつく。それは自分と母親が住んでいたアパートの火事を伝える記事だった。出火元が自分たちの部屋だったことから、2人が放火して逃げたのではないかと書かれている。
「嘘……」
「火事が発生した頃は既に逃げ出して私の元にいたことになる。警察は慎重に捜査を進めていて、詳しい捜査状況をまだ公表していない。だが、母親が多額の借金を抱えていて、それを苦にしたのではないかとも噂されている」
「そんな……」
 報告書を手に義総は淡々と話を進めるが、沙耶はその事実が受け入れられない。新聞を握る手が震えて涙がポタリと落ちた。
「君を保護した時に、状況からして何らかの事件に巻き込まれたのは容易に想像できたが、こちらにも事情があってすぐには警察に通報できなかった。病院よりも近いからとりあえずここに運び込んで知り合いの医師に来てもらい、後から君を保護していることを警察内の知り合いに話しておいた」
 一向に意識が戻らない彼女の身元を割り出すために、独自で仕入れた行方不明者のリストを元に調査を進め、割り出された候補者の中に沙耶自身の名前もあがっていたらしい。
「君の話から推測できるのだが、君を攫おうとした人物はそれなりの金と地位がある人物なのだろう。今頃は逃げた君を必死で捜索しているかもしれないな。今回の首謀者にとって、ここまで金と手間をかけても手に入れたい何かが君にはあるのだろう」
 義総は自身の憶測で話を締めくくった。まだ熱がある事もあって話の半分も理解できなかったが、今の彼女が警察に駆け込んだところで容易に信じてはもらえない事は理解できた。
「何かって……」
 今までごく平凡に母親と暮らしてきた沙耶には、ただ混乱することばかりだった。何も言葉に出来ずに俯きかけるが、別れ際の母親の言葉をふと思い出す。
「お守り……」
 沙耶はサイドテーブルにお守りが並べて置いてあったのを思い出し、起こしてそれに手を伸ばそうとする。以外にも義総は彼女を気遣って体を支えてくれる。
「ああ、これか。君の身元に繋がるものはないかと探すために、お守りとは思わずに封を開けてしまった。申し訳ない」
 義総は沙耶に紫色の袋を手渡し、律儀に頭を下げてくれた。思ったよりも優しい人なのかもしれない。
「いえ……。私も中身を見るのは初めてです」
 沙耶が手渡された袋の口を開けてみる。母親のお守りからは鳥の浮き彫りが施された銀色のコインが出てきた。自分のお守りには中仕切りが作られていて、龍の浮彫が施された金色のコインとルビーの指輪が出てきた。
 ルビーは沙耶の誕生石だ。指輪にはそれ以上の意味は無く、意匠は異なるが意味ありげなこのコインの事を母親は気にしていたのだろう。
「母がこれだけは彼らに渡してはいけないと……」
「龍に鳳凰……アジア圏の意匠だな。通貨ではなさそうだが……」
 沙耶がおずおずと差し出したコインを義総は手に取って眺める。
「私の情報網を使って調べれば、これが何かはわかると思う」
「本当ですか?」
 義総の言葉に沙耶は驚いて相手の顔を見る。
「少し時間はかかると思うが、これが何か特定できれば首謀者の目的がわかり、そこから相手を特定できる可能性もある。一方で君を助けた場所から監禁された場所からたどっていく方法もある。だが、いずれにしても調査には莫大な費用がかかる上に、それがわかったからと言って君の問題は解決しない」
「え……」
「危険を冒してまでこれ程の強硬手段を用いたその相手は、交渉しただけでは簡単に手を引いてはくれないだろう。金か、名誉か、欲に憑りつかれた人間を諦めさせるにはそれ以上の何かが必要だ」
 理解の範疇を超えた事態に沙耶は絶句する。
「どうするかね?」
「……調査費用はどの位かかるのですか?」
「さあな……調べてみないと分からないが、少なくとも百万単位の金は必要だな。問題を全て解決しようと思ったら、桁が1つ2つ増えるのを覚悟しておいた方がいい」
「そんなに……」
「君のように複雑なケースは稀だが、今までにも窮地に陥った人間を助けたことはある。生きたいと思うならば手を貸そう」
 足を組み、顎に手をやって義総は値踏みするように沙耶を見つめている。
「母を助ける事も出来すか?」
「未だ生きているとは限らないぞ」
「分かっています。でも、諦めきれません」
 沙耶は別れ際の母の顔を思い出すと、上掛けをギュッと握りしめる。
「費用はどうするつもりだ?」
「一生かかっても払います」
「気の長い話だ」
 義総は冷ややかな視線を向ける。
「……」
「だが、このまま見捨てるのも寝覚めが悪いな。何か出来る事はあるか?」
 意味深に沙耶を見つめてくる。
「私…家事ぐらいしかできません」
「家事は綾乃の他にメイドが2人いるから困っていないな」
「私、何でもします! お願いです、母を助けてください!」
 沙耶は体を起こし、すがるような目で義総を見る。
「何でもすると言って後悔しないか?」
「は……はい」
 沙耶の返事を聞くと、義総は椅子から立ち上がってベッドの縁に座る。
「え?」
 沙耶が戸惑っていると、義総は彼女の顎に左手を添えて唇を重ねる。
「ん……んっ…」
 更に右手で彼女の耳を触りながら重ねた唇を吸い、僅かに開いた口の中に舌を入れて彼女の舌を絡ませてくる。
 沙耶は突然の事に驚き、慌てて体を離そうとするが、そのままベッドに押し倒される。
「あ……」
 顎に添えていた左手はさわさわと首筋を撫で、夜着の襟元から中へ滑り込んでくる。そして未熟な胸の膨らみを弄り、固くなり始めた先端を捏ねて強く摘む。
「あ、いやっ」
 背筋にゾクリと悪寒が走り、沙耶は義総の体を押し退けようとする。拒絶の意思表示にようやく義総も体を離した。
「どうした? 君は何でもすると言わなかったか?」
「……」
 沙耶は答えられない。体の震えを止めようと、自分の体を抱きしめる。
「覚悟が出来ていないなら、軽々しく口にするな。早急に答えを出せと言わないから、体が治るまでに考えておきなさい」
 義総は冷たく言い放つとベッドから立ち上がり、部屋から出て行こうとする。
「ま…待ってください」
 沙耶は慌てて体を起こすと、反射的に義総の後を追おうとする。しかし、足に激痛が走ってバランスを崩し、ベッドから落ちそうになる。
「おっと……無理をするな」
 義総がとっさに腕を差し伸べ、落ちそうになった彼女の体を支える。そして優しくベッドに横たえてくれる。
「お願いです、大倉様、母を助けてください」
 彼女はそのまま彼に縋りついた。
「私が動いて母親が助かるとは限らないぞ」
「分かっています。それでも……お願いします」
「費用を請求する代わりに私の愛玩として側に置き、君の体を求める事になってもいいのか?」
 義総が念を押すと、沙耶は小さく頷いた。
「覚悟は……決めました」
 沙耶は義総を見上げる。彼女はうっすらと涙を浮かべていた。彼はそんな彼女の顎に手を添える。
「君は磨けば光りそうだ。私の持ち物に相応しい教養と礼儀作法を身に付けてもらう」
「……」
「返事は?」
「…はい」
 涙が一筋、沙耶の頬を伝って流れた。義総はそんな彼女の唇にそっと口づけた。
「まずは体を治せ。詳しい話はそれからだ」
 義総はそう言い残すと部屋を出ていく。そして声を張って誰かを呼び、何やら指示を与えているのが聞こえてくる。
 沙耶は1人になるとこらえきれなくなり、ベッドに伏すと上掛けを被ってすすり泣いた。


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病人相手にちょっと味見……。
本格的なエッチシーンはもうちょっと先です。
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