掌中の珠のように

花影

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救出5

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「お邪魔していいかな?」
 遠慮がちに声をかけられて振り向くと、Tシャツにカーゴパンツというスタイルの幸嗣が戸口に立っていた。手にスマホを持っている。
「幸嗣様……」
 昨夜の痴態を思い出せば、まともに顔を見る事も躊躇われたが、彼も危険を冒して沙耶を救いに来てくれたのだ。勇気を振り絞って顔を上げる。
「あの……ありがとうございました」
「良かった。正気に戻ったみたいだね」
 仲良くベッドに座っている2人の側まで来ると、幸嗣はホッとしたように沙耶の頬に口づける。義総はそれ以上触るなと言わんばかりに彼女の腰に回していた腕に力を込め、頬を染めている彼女を自分の方に抱き寄せた。
「ところで何の用だ?」
 沙耶が絡むと弟に対する態度は冷たい。
「青柳が連絡欲しいだって」
 幸嗣は手にしていたスマホを義総に渡す。彼は仕方なくそれを受け取ると、絶大な信頼を寄せる頼もしい部下に繋げる。
 兄の注意が逸れている今がチャンスとばかりに幸嗣は沙耶の隣に座り込む。そして彼女の腰に腕を回して引き寄せ、頬や額に口づけてくる。兄弟らしく、いたわり方が似通っている。
「ご心配をおかけしました」
「本当に良かった」
 嫌がるそぶりを見せない沙耶に気を良くした幸嗣は、彼女の顎に手を添えて唇を重ねる。
「全く……油断も隙もない」
 そうしている間に義総の用事が済み、ちゃっかりと沙耶と密着している弟を彼女から引きはがしてベッドの外へと追い出してしまう。
「ひどいなぁ」
 幸嗣は文句を言いながらも諦めておらず、再びベッドの縁に腰かける。義総はそんな弟には目もくれず、腕に取り戻した沙耶の額に口付け、顔を覗き込む。
「沙耶、お母さんが見付かった」
「……本当に?」
 沙耶は目を見開き、義総を見上げる。
「ああ。ガラムが逃走に使う予定だった貨物船から発見された。病院に収容されたが、随分と衰弱していて……意識が無いらしい」
「お母さん……」
「行くか?」
「は、はい。お願いします!」
 気分が悪いなどと言っている場合ではなかった。沙耶はすぐに体を起こそうとするが、急に動こうとするので目が回ってその場に座り込んでしまう。
「綾乃を呼ぶから、着替えを手伝ってもらいなさい。私もすぐ着替える。幸嗣、お前はどうする?」
「もちろん行くよ」
 座り込んでしまった沙耶を2人は協力してベッドの縁に座らせる。そこでようやく彼女は薄い夜着を羽織っただけの状態だったことに気付き、慌てて肌蹴てしまった前を合わせる。
「綾乃が来るまで待ちなさい」
 義総はもう一度沙耶の額に口づけると、自分も着替えるために部屋を出ていく。もちろん、残ろうとする弟も引きずるようにして連れ出した。



 義総に呼ばれた綾乃は、殆ど入れ違いに入ってきて、沙耶が無事だった事を抱き合って喜んだ。昨夜は彼女を保護した知らせを受けてすぐにこのマンションに来たのだが、薬の所為で正気を失っている沙耶には会わせてもらえず、呼ばれるまでずっとやきもきして過ごしたらしい。
 喜んでばかりもいられず、綾乃はすぐに外出の準備を整えてくれる。まだ1人で立ち上がれない状態の沙耶を支えてバスルームへ連れて行き、先ずはシャワーで汗を流すのを手伝ってくれる。
 湯上りに実は精力剤が入っているという特性ジュースを飲ませてもらい、一息ついたところで体を締め付けないデザインのワンピースに袖を通した。
「準備できたようだな」
 着替えが済んだところで、スーツに着替えた男2人が迎えにきた。まだ眩暈がする沙耶を義総が抱き上げ、部屋を出て地下の駐車場に連れて行く。昨日のミニバンは無くなっており、代わりにいつもの黒い高級車が用意されていた。
 後部座席に沙耶を抱いたままの義総が乗り込み、運転席には幸嗣が座った。まだ本調子ではない沙耶を気遣い、綾乃も同道すると言って助手席に座ると、既に日が暮れかけた街中へ車は動き出した。
「大丈夫か?」
 同じことを沙耶も義総に訊ねたかったが、また答えをはぐらかされそうだったので大人しく頷いた。義総は彼女の肩を抱き寄せ、自分に寄りかからせる。彼の話では母親が運び込まれた病院は車で1時間ほどかかるらしい。
 義総に頷いたものの、まだ眩暈がする。目を閉じて義総に体を預けていると、そのままうとうととまどろんでいた。
「着いたぞ」
 義総に揺り起こされ、気付けば病院の敷地内に入っていた。大きな総合病院で幸嗣が裏口に車をつけると、既に青柳が待っていた。
「お待ちいたしておりました」
 沙耶が義総に支えられるように車を降りると、青柳は深々と頭を下げる。まだ眩暈がする沙耶を義総はすぐに抱き上げて有能な秘書を促す。
「すぐに案内してくれ」
「かしこまりました。こちらです」
 青柳が先頭に立ち、沙耶を抱えた義総が続いて綾乃がその後に続く。
 一行は特別な患者に用意される個室に案内された。担当の医師と看護師が出迎え、沙耶は義総に支えられながら中に入る。
「お母さん……」
 見るからにやつれ果てた母がそこに横たわっていた。沙耶はふらつきながら母が横たわるベッドの側によって彼女の手を握る。
「お母さん……」
 突然の別離から一月以上経ち、変わり果てた母の姿に沙耶の目から涙が溢れてくる。義総も綾乃も邪魔にならないよう、部屋の入口で母子を見守り、医師や青柳から沙耶の代わりに話を聞く。
 監禁され、一月以上もの間続けられた凌辱と拷問。しかも運が悪く妊娠し、それでも続けられた拷問により沙織は流産していた。更には必要な情報を聞き出された後は殆ど食事も与えられずに放置され、思った以上に彼女は衰弱している。
 車を駐車場にとめてきた幸嗣も一緒に話を聞き、横たわる沙織の姿を見て若い彼は感情を抑えきれずにきつく拳を握りしめる。
「許せない……」
「今は抑えろ」
 怒りを顕わにする弟を義総は諌めるが、弟以上の怒りを彼は抑え込んでいた。一方で綾乃はしきりに目頭を押さえている。
「お母さん……」
 幾度目かの呼びかけに沙織の瞼がわずかに動く。
「お母さん」
 沙耶が呼びかけると少しだけ目を開ける。沙耶が視界に入ったのか、彼女は僅かに微笑んだ。
「お母さん」
 だが、すぐに目を閉じてしまい、沙耶はその場で泣き崩れた。
 そして……翌未明に沙織は静かに息を引き取った。


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うぅ……。一番辛いシーンです。
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