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閑話・番外昔話②
長谷川直人とピンクのうさぎ
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幼い頃から今まで僕はずっと甘えん坊だ。夜なんか一人で眠れなくて、怖い夢を見たと嘘をついてすぐに和ちゃんのベットへ飛び込んでいた。
貴さんと和ちゃんは同じ部屋だったから何かと茶々を入れられて嫌だったけど、いつだって和ちゃんは笑顔で迎え入れてぎゅーっと抱きしめ“もう怖くないよ”と頭を撫でてくれた。甘い香りと暖かな体温に包まって、これ以上ないほどに密着しながら眠るのだ。
ずっとずっとこうやって眠るのだと思ったが、突然和ちゃんは一人部屋へと移動した。そのすぐ後にプレゼントされたのは大きなうさぎのぬいぐるみ。“これからは俺じゃなくてこの子と寝てね”と微笑む姿は寂しそうで、僕だって寂しいのにどうしてそんなことを言うのだろうと思った。僕はそのぬいぐるみが気に入らなくて投げて怒ったけど、そんなことしても和ちゃんは眉を下げた困った顔で笑うだけだった。
夜になってぬいぐるみと寝てみたけれど、やっぱり物足りない。当たり前だ、ただのぬいぐるみだもの。僕はぬいぐるみと一緒に和ちゃんの部屋へと走った、だって絶対に“甘えん坊だね”っていつもみたいに笑顔で迎えてくれるんだと思ったから。
でも部屋の中には和ちゃん一人じゃなかった。父さんと一緒だった。様子がおかしかった。泣いてるの? 苦しいの? 僕の知らない二人の声が聞こえる。
怖かった。
ぬいぐるみを連れてきてよかった。
ぎゅっと抱きしめて部屋から離れる。暗い夜の廊下はとても怖い。ギシ……ギシ……と床を踏む音が響く。
怖かったけれど僕には和ちゃんのくれたうさぎのぬいぐるみがついている。階段をゆっくり降りて、洗面所へと向かった。洗濯カゴの中にはまだ衣類が残っていて、そこに和ちゃんのトレーナーが入っていた。ずっと部屋着にしていて、大分くたびれたそれには大好きな香りが染み付いている。
僕はうさぎにそのトレーナーを着せた。袖が余るけど、薄いピンクのうさぎに紺色のトレーナーは案外悪くなかった。
その場でぎゅっと抱きしめると、和ちゃんの匂いがして涙が出てきた。寂しくて一人でえぐえぐと泣いた。でもどんなに寂しくても僕はこれから一人で部屋へ帰らなくてはいけない。
でもやっぱり真っ暗な家の中は怖くて。階段の上を覗けば、何かが手招きをしているように感じて。
僕はその日二階に上がることができなくて、リビングのソファでうさぎと一緒に寝た。うさぎをぎゅっと抱きしめて、和ちゃんの香りに埋もれて。
朝、僕の肩を叩いて起こしてくれたのは和ちゃんだった。ずっと恋しかったその姿を目にした瞬間、その胸に抱きついて大きな声を上げて泣いた。寂しかったよ、怖かったよって。
和ちゃんは僕を抱きしめてうんうんと聞いた後、“直人が自分で着せたの?”とうさぎを指さした。僕がそうだと言えばまた抱きしめて、“ごめんね”と呟いた声は涙混じりだった。
小さくて無力だった僕はもうすぐ中学生になる。明日日本から離れ、アメリカの学校へ行くのだ。
僕は今でもうさぎと寝てる。今うさぎが着ているのはトレーナーではなく、和ちゃんのカーディガン。洋服だけたまに新調しているのだ。和ちゃんの匂いがしないと意味ないからね。
この日も新しい洋服をたくさん貰おうと和ちゃんの部屋に来ていた。それと、お願い事があったから。
和ちゃんと並んで洋服簞笥を開き、あれこれと物色する。
「ねぇ、これは? 僕、このセーター着てる和ちゃん好き」
「えーそれは俺も好きなんだけどなぁ。でも仕方ない、持ってっていいよ」
「あとこれも欲しい」
「好きなの持っていきな。でも匂いなんかすぐ飛んじゃいそうだけどな」
「大丈夫! 圧縮して保存するから!」
ニカッと自慢の八重歯を見せながら笑うと、和ちゃんはいきなり僕を抱きしめた。やっとこさ背丈が同じくらいになったのに僕は胡座をかいて座り、和ちゃんは膝立ちをしていたので結局は上から包まれる形だ。でも和ちゃんの中にいるのは心地がいい。
「直人がアメリカに行くなんてびっくりだよ……あんなに甘えん坊だったのに。明日にはもういなくなっちゃうなんてさ?」
「寂しい? 心配?」
「両方……だな」
「大丈夫だよ。僕、立派なお兄さんになって帰ってくる。父さんの会社を継ぐのが目標だからね、四男の僕に回ってくるように頑張らなくちゃ」
「凄いな。直人は偉いね。でもそんなに急いで大人になろうとしなくてもいいだろ」
ぎゅっと僕を抱く手に力がこもる。
僕がアメリカ留学を決意した時に一番最後まで反対していたのは和ちゃんだった。高校からにした方がいいとか、一人でホームステイするなんて無理だとか、何度も何度も耳にタコができるほど言われ、最後の方にはちょっぴり泣きそうだったのに驚いた。
和ちゃんはいつも飄々としていて何でも好きなようにさせてくれていた。だからすんなり留学も決まると思っていたのだ。
語学を覚えるなら少しでも早いほうがいいし、早く一人前になりたいと何度も何度も説得した。
結局折れてはくれたものの、隙あらばこうして“行かなければいいのに”と言ってくる。寂しそうな和ちゃんには申し訳ないけれど僕としてはとても嬉しかった。それだけ離れたくないんだとわかるから。
「僕は早く大人にならないといけないんだ」
「なんでだよ。別にいいんだよ? まだ十二歳なんだから」
「和ちゃんを守れるようになりたい」
そのためには和ちゃんに甘えてちゃダメなんだ。離れてたって一人ぼっちだってどこに行ってもやっていけるような大人にならないといけないんだ。
和ちゃんを守るために僕は強くなりたいんだ。
「守るってなにから?」
頭をゆっくりと撫でられ、まだまだ今は守られているのは僕だなと痛感する。
「こわーいおばけからだよ」
「なんだよそれ。変なの」
ふふっと柔らかく笑って華奢な身体は離れていった。そして床に転がるうさぎを手に取り、まるで小さな子供にやるようにうさぎで顔を隠して少し高い変な声を出しながらその手足を操作した。
「大人になりたいなら僕はもういらないんじゃない、直人くん」
「あはは、和ちゃん変な声」
「まだ僕と一緒に寝てくれる?」
うさぎの腹から、ちらっと顔を覗かせる和ちゃんが可愛い。
僕は今度こそ抱きしめられるのではなく、和ちゃんをうさぎごと抱きしめた。僕と和ちゃんに挟まれてぺちゃんこになったうさぎには申し訳ないけれど、ぎゅーっと腕に力をこめる。
本当は和ちゃんと一緒にアメリカに行けたらいいのに。こんなところから連れ去ってしまえたらいいのに。
子供で何もできない無力な自分を心底恨む。でも恨んでるだけじゃ意味がない。成長して強くなってあのエロ親父から何もかも奪ってやる。
今はうさぎしか連れていけない僕をどうか許して。
「和ちゃん。お願いがあるんだけど」
「ん? なーに」
「今夜は小さい頃みたいにさ……一緒に寝たいなって」
断られちゃうかなって少し怖かった。今夜は父さんが来る。普段は父親らしいことなんかしてくれないのに、僕が旅立つ前日だからみんなで食卓につこうと言っていた。
しかし和ちゃんは僕の背中を擦りながら小さく頷いた。
「やっぱり直人は甘えん坊なんだな。いいよ? 今夜は一緒に寝ようか」
「えっほんとに? やったね! 断られるかと思った」
「断らないよ。俺はいつだって優しい兄さんだろ?」
「うん、そうだね。ありがとう」
ニコニコと笑顔を向けながら頭を撫でてくれる和ちゃんと夜に僕の部屋で一緒に寝ようと約束をして、僕は部屋を後にした。和ちゃんにもらった洋服とうさぎを抱きしめ期待に胸を膨らます。
期待って言ったって別に何かしたいわけじゃない。ただ和ちゃんを抱きしめて眠れるだけで幸せなのだから。それを励みに僕は頑張れる。そう思った。そう思っていた。
もうほとんどの荷物はホームステイ先に送ってあるけれど、それでも明日持っていく荷物はたくさんあった。大きなスーツケースと機内に持ち込む予定のボストンバッグ。スーツケースにはうさぎを入れる余力を残しておき、今夜も一緒に寝てもらおう。和ちゃんの隣で寝かせよう。和ちゃんの匂いがたっぷりつけばいいな。
時計を確認するともう二十三時を回っていた。明日早いしそろそろ来て欲しいなと思っていると、ノックが聞こえて慌てて扉を開いた。
そこに立っていた和ちゃんはいつもと様子が違っていて心臓が高鳴った。
お風呂上がりのようで白い肌は桃色に上気し、頭にタオルを被さっていて髪はまだ半乾きのまま。目元がすこしとろんとしているのかな、ぼーっとして見える。ぽってりとさくらんぼのような赤い唇も濡れていて……子供ながらにその妖艶さに驚くばかりだった。
「入ってもいい?」
「あ、ごめんね。入って」
完全に見惚れていた僕にそっと声をかけ、和ちゃんは部屋へ入るなりベットに腰を掛けた。今日一緒に眠るベット。和ちゃんに特別な思いなんてないのだろうけど、こちらはドキドキしてどうしようもない。
落ち着かなくて僕もベットに乗り、後ろから和ちゃんのタオルを手に取った。そうしてタオルを頭にふんわり被せて何度も押し付け、髪の毛の水分をとる。和ちゃんは黙ってそれを受け入れ、首を前方へ傾けた。すると襟足で切り揃えられた髪からうなじが露わになり、そこからぶわっと甘い甘い香りがした。和ちゃんの本来持つ匂いと、石鹸の香りが混ざっていつもより強い香りを放っている。
その肌に、鼻腔をくすぐる香りに刺激され頭に血が上っていくのをドクドクと音が鳴るほど感じた。
だめだ、どうしよう。どうしたらいいかわからない。
この頃すでに目覚めはじめていた僕の“男”としての部分がこれほどに刺激されたことは今までなかった。
気がつけば僕は背後からその首筋に噛み付いていた。
「あっ!」
ビクンと大きく肩が揺れ、下を向いていた和ちゃんの顎が上を向く。それでも僕が首筋に唇を当てたままでいるとはぁっと熱い息が漏れる。
あまりに良いその反応に僕は自分が誰だかわからなくなるほど興奮した。ドクドクドクドクと体中に血が巡り、全身は熱く、目の前の甘い香りを放つその肌に触れたくてたまらない。
首の後ろが、後頭部が、熱い。
「直人、離せって……」
和ちゃんの言うことは普段何だって聞く僕が、それを無視して後ろからその身体を抱きしめた。ただでさえこんなに興奮しているのにもっと欲しくて首筋に鼻を埋める僕はまるで中毒患者のよう。そっと、とか優しく、なんてできなくてただそこに鼻を押し付け匂いを吸い込む。
和ちゃんは僕の息に一々反応をしてヒクヒクと背中を震わせた。
「あっ……あっ……あっ……!」
そのしっとりした肌は驚くほどに敏感だった。感情が高ぶりすぎて僅かに震える指先で和ちゃんの前開きのシャツのボタンを上から外し、最後まで外しきるのも待てずにそこに片手を突っ込んだ。
こんなことして和ちゃんに嫌われてしまう。しかもこんな風に荒々しく扱って。
そんな風に考える自分だって確実に存在しているのに指先は尖った先端を探り当て、やや乱暴にそこを摘む。和ちゃんは痛いと声を漏らし、そこでやっと涙のうっすら浮かぶ瞳でこちらに振り向いた。
「なおと……こんなことしちゃ、だめだろ……」
はぁはぁと息を荒らげながら胸を遊ぶ僕の手に優しく自らの手を重ねた。
あ、と短い声しか出ず戸惑う僕に向かい合い、じっとこちらを見つめてくる。こちらを見定めるような上目遣いの眼差しが怖いけど綺麗だった。長い睫毛は瞳の色を僅かに隠す。
目を逸らしたいのに逸らせないでいると、和ちゃんはそっと僕の胸を押し、ベットに身体を倒された。天井が見え呆気に取られていると、下半身が衝撃に襲われる。男の手だというのに骨のでっぱりも感じられない小さな和ちゃんの手が、ズボンの上から僕の形を確認していたのだ。
「えっあぅ、かずちゃん……ちょっと、なんで」
慌てはするけど止める気にはなれない。すると僕のスウェットのウエスト部分から手を差し入れられ、そのまま下着の中に冷たい手が侵入してきた。首筋は熱く肌は火照っていたのに冷え性の和ちゃんの手は冷たい。
今まで経験したことがない熱さをもった僕の性器をひんやりした手で撫でられた。
「このままじゃ寝られない?」
「かずちゃん……」
「大丈夫、すぐ終わる。怖いことじゃないさ」
そう笑う和ちゃんの表情にいやらしさはあまり感じられなかった。むしろその瞳は慈愛に満ちていて、和ちゃんは少し体をずらして僕の頭を包むように抱きしめて頭を撫で続けた。右手は僕の下半身へと伸びたまま、優しくそこを握り上下に動かす。
「あっ、かずちゃんだめだって汚いしっ、そんな」
「ふふ、汚いなんてことは絶対にないよ」
「かずちゃんっ……」
こんな快楽を感じるのは初めてで、かっこ悪いことに身を任せて和ちゃんの体に抱きつくしかできなかった。呼吸を乱しながら必死で背中にしがみつく。背丈は変わらないのに肩幅が狭いからかその背中はとても小さい。
「あっ、だめだっ、かずちゃんかずちゃん、離してっ、手、汚しちゃう」
あっという間に限界がきて、もう泣いてしまいそうだった。
「大丈夫だよ? 汚していいから出しな?」
「んぅっ……!」
僕の精通は和ちゃんの手の中で行われた。
気持ちよさと脱略感と恥ずかしさでいっぱいになり、和ちゃんにしがみついてその胸に顔を埋めたまま動けない。だってどんな顔していいかなんてわかるわけないだろ。
和ちゃんは手の中に収められた精液を零さないように慎重に萎えた性器から手を離し、下着の中から抜いた。
「ごめん、恥ずかしかったね? 初めて?」
無言で頷く。
「見る?」
「見ないよ!」
そこで初めて焦って顔を上げると、和ちゃんはけらけらと笑って僕の額に口付けた。顔が熱い。
和ちゃんは僕のことなんか気にしない。気にせずにティッシュにくるんで吐き出された精液を捨てた。多分たくさん出たと思うのによく手ですべて受け止められたものだ。よくこういうことしてるのかなとチラと頭を過ぎるがあまり考えないようにした。
「じゃあ手洗ってくるから待ってて」
「やだ、僕が寝るまで行かないで」
「えー?」
「寝たら一回洗いに行ってもいいけど、またちゃんと戻ってきて」
「仕方ないな」
一つため息をついて、和ちゃんは僕を抱きしめる。
僕はどうしたって子供だ。和ちゃんからしたら特に、未だに怖い夢を見たと甘えてベットに忍び込んでくる小さな小さな子供のままだ。
それをいいことに僕はたくさん和ちゃんに甘える。抱きついて、頭を撫でてもらって、頬にキスしてキスされて。
しかしどんなに距離が近くても、じゃれついてくる子供の相手をしてもらっているに過ぎない。いつまでもこんな風に扱われるのは絶対に嫌だ。
「和ちゃん……僕、立派になって、かっこよくなって、帰ってくるよ」
「うん、楽しみにしてる。もう俺はいないんだから、怖い夢見るんじゃないよ?」
「大丈夫だよ……うさぎもいるしね……」
ゆっくりと闇に沈んでいきながら、和ちゃんが布団を掛け直してくれるのを感じる。
待っててね、和ちゃん。
もっともっと大きくなって、帰ってくるから。
貴さんと和ちゃんは同じ部屋だったから何かと茶々を入れられて嫌だったけど、いつだって和ちゃんは笑顔で迎え入れてぎゅーっと抱きしめ“もう怖くないよ”と頭を撫でてくれた。甘い香りと暖かな体温に包まって、これ以上ないほどに密着しながら眠るのだ。
ずっとずっとこうやって眠るのだと思ったが、突然和ちゃんは一人部屋へと移動した。そのすぐ後にプレゼントされたのは大きなうさぎのぬいぐるみ。“これからは俺じゃなくてこの子と寝てね”と微笑む姿は寂しそうで、僕だって寂しいのにどうしてそんなことを言うのだろうと思った。僕はそのぬいぐるみが気に入らなくて投げて怒ったけど、そんなことしても和ちゃんは眉を下げた困った顔で笑うだけだった。
夜になってぬいぐるみと寝てみたけれど、やっぱり物足りない。当たり前だ、ただのぬいぐるみだもの。僕はぬいぐるみと一緒に和ちゃんの部屋へと走った、だって絶対に“甘えん坊だね”っていつもみたいに笑顔で迎えてくれるんだと思ったから。
でも部屋の中には和ちゃん一人じゃなかった。父さんと一緒だった。様子がおかしかった。泣いてるの? 苦しいの? 僕の知らない二人の声が聞こえる。
怖かった。
ぬいぐるみを連れてきてよかった。
ぎゅっと抱きしめて部屋から離れる。暗い夜の廊下はとても怖い。ギシ……ギシ……と床を踏む音が響く。
怖かったけれど僕には和ちゃんのくれたうさぎのぬいぐるみがついている。階段をゆっくり降りて、洗面所へと向かった。洗濯カゴの中にはまだ衣類が残っていて、そこに和ちゃんのトレーナーが入っていた。ずっと部屋着にしていて、大分くたびれたそれには大好きな香りが染み付いている。
僕はうさぎにそのトレーナーを着せた。袖が余るけど、薄いピンクのうさぎに紺色のトレーナーは案外悪くなかった。
その場でぎゅっと抱きしめると、和ちゃんの匂いがして涙が出てきた。寂しくて一人でえぐえぐと泣いた。でもどんなに寂しくても僕はこれから一人で部屋へ帰らなくてはいけない。
でもやっぱり真っ暗な家の中は怖くて。階段の上を覗けば、何かが手招きをしているように感じて。
僕はその日二階に上がることができなくて、リビングのソファでうさぎと一緒に寝た。うさぎをぎゅっと抱きしめて、和ちゃんの香りに埋もれて。
朝、僕の肩を叩いて起こしてくれたのは和ちゃんだった。ずっと恋しかったその姿を目にした瞬間、その胸に抱きついて大きな声を上げて泣いた。寂しかったよ、怖かったよって。
和ちゃんは僕を抱きしめてうんうんと聞いた後、“直人が自分で着せたの?”とうさぎを指さした。僕がそうだと言えばまた抱きしめて、“ごめんね”と呟いた声は涙混じりだった。
小さくて無力だった僕はもうすぐ中学生になる。明日日本から離れ、アメリカの学校へ行くのだ。
僕は今でもうさぎと寝てる。今うさぎが着ているのはトレーナーではなく、和ちゃんのカーディガン。洋服だけたまに新調しているのだ。和ちゃんの匂いがしないと意味ないからね。
この日も新しい洋服をたくさん貰おうと和ちゃんの部屋に来ていた。それと、お願い事があったから。
和ちゃんと並んで洋服簞笥を開き、あれこれと物色する。
「ねぇ、これは? 僕、このセーター着てる和ちゃん好き」
「えーそれは俺も好きなんだけどなぁ。でも仕方ない、持ってっていいよ」
「あとこれも欲しい」
「好きなの持っていきな。でも匂いなんかすぐ飛んじゃいそうだけどな」
「大丈夫! 圧縮して保存するから!」
ニカッと自慢の八重歯を見せながら笑うと、和ちゃんはいきなり僕を抱きしめた。やっとこさ背丈が同じくらいになったのに僕は胡座をかいて座り、和ちゃんは膝立ちをしていたので結局は上から包まれる形だ。でも和ちゃんの中にいるのは心地がいい。
「直人がアメリカに行くなんてびっくりだよ……あんなに甘えん坊だったのに。明日にはもういなくなっちゃうなんてさ?」
「寂しい? 心配?」
「両方……だな」
「大丈夫だよ。僕、立派なお兄さんになって帰ってくる。父さんの会社を継ぐのが目標だからね、四男の僕に回ってくるように頑張らなくちゃ」
「凄いな。直人は偉いね。でもそんなに急いで大人になろうとしなくてもいいだろ」
ぎゅっと僕を抱く手に力がこもる。
僕がアメリカ留学を決意した時に一番最後まで反対していたのは和ちゃんだった。高校からにした方がいいとか、一人でホームステイするなんて無理だとか、何度も何度も耳にタコができるほど言われ、最後の方にはちょっぴり泣きそうだったのに驚いた。
和ちゃんはいつも飄々としていて何でも好きなようにさせてくれていた。だからすんなり留学も決まると思っていたのだ。
語学を覚えるなら少しでも早いほうがいいし、早く一人前になりたいと何度も何度も説得した。
結局折れてはくれたものの、隙あらばこうして“行かなければいいのに”と言ってくる。寂しそうな和ちゃんには申し訳ないけれど僕としてはとても嬉しかった。それだけ離れたくないんだとわかるから。
「僕は早く大人にならないといけないんだ」
「なんでだよ。別にいいんだよ? まだ十二歳なんだから」
「和ちゃんを守れるようになりたい」
そのためには和ちゃんに甘えてちゃダメなんだ。離れてたって一人ぼっちだってどこに行ってもやっていけるような大人にならないといけないんだ。
和ちゃんを守るために僕は強くなりたいんだ。
「守るってなにから?」
頭をゆっくりと撫でられ、まだまだ今は守られているのは僕だなと痛感する。
「こわーいおばけからだよ」
「なんだよそれ。変なの」
ふふっと柔らかく笑って華奢な身体は離れていった。そして床に転がるうさぎを手に取り、まるで小さな子供にやるようにうさぎで顔を隠して少し高い変な声を出しながらその手足を操作した。
「大人になりたいなら僕はもういらないんじゃない、直人くん」
「あはは、和ちゃん変な声」
「まだ僕と一緒に寝てくれる?」
うさぎの腹から、ちらっと顔を覗かせる和ちゃんが可愛い。
僕は今度こそ抱きしめられるのではなく、和ちゃんをうさぎごと抱きしめた。僕と和ちゃんに挟まれてぺちゃんこになったうさぎには申し訳ないけれど、ぎゅーっと腕に力をこめる。
本当は和ちゃんと一緒にアメリカに行けたらいいのに。こんなところから連れ去ってしまえたらいいのに。
子供で何もできない無力な自分を心底恨む。でも恨んでるだけじゃ意味がない。成長して強くなってあのエロ親父から何もかも奪ってやる。
今はうさぎしか連れていけない僕をどうか許して。
「和ちゃん。お願いがあるんだけど」
「ん? なーに」
「今夜は小さい頃みたいにさ……一緒に寝たいなって」
断られちゃうかなって少し怖かった。今夜は父さんが来る。普段は父親らしいことなんかしてくれないのに、僕が旅立つ前日だからみんなで食卓につこうと言っていた。
しかし和ちゃんは僕の背中を擦りながら小さく頷いた。
「やっぱり直人は甘えん坊なんだな。いいよ? 今夜は一緒に寝ようか」
「えっほんとに? やったね! 断られるかと思った」
「断らないよ。俺はいつだって優しい兄さんだろ?」
「うん、そうだね。ありがとう」
ニコニコと笑顔を向けながら頭を撫でてくれる和ちゃんと夜に僕の部屋で一緒に寝ようと約束をして、僕は部屋を後にした。和ちゃんにもらった洋服とうさぎを抱きしめ期待に胸を膨らます。
期待って言ったって別に何かしたいわけじゃない。ただ和ちゃんを抱きしめて眠れるだけで幸せなのだから。それを励みに僕は頑張れる。そう思った。そう思っていた。
もうほとんどの荷物はホームステイ先に送ってあるけれど、それでも明日持っていく荷物はたくさんあった。大きなスーツケースと機内に持ち込む予定のボストンバッグ。スーツケースにはうさぎを入れる余力を残しておき、今夜も一緒に寝てもらおう。和ちゃんの隣で寝かせよう。和ちゃんの匂いがたっぷりつけばいいな。
時計を確認するともう二十三時を回っていた。明日早いしそろそろ来て欲しいなと思っていると、ノックが聞こえて慌てて扉を開いた。
そこに立っていた和ちゃんはいつもと様子が違っていて心臓が高鳴った。
お風呂上がりのようで白い肌は桃色に上気し、頭にタオルを被さっていて髪はまだ半乾きのまま。目元がすこしとろんとしているのかな、ぼーっとして見える。ぽってりとさくらんぼのような赤い唇も濡れていて……子供ながらにその妖艶さに驚くばかりだった。
「入ってもいい?」
「あ、ごめんね。入って」
完全に見惚れていた僕にそっと声をかけ、和ちゃんは部屋へ入るなりベットに腰を掛けた。今日一緒に眠るベット。和ちゃんに特別な思いなんてないのだろうけど、こちらはドキドキしてどうしようもない。
落ち着かなくて僕もベットに乗り、後ろから和ちゃんのタオルを手に取った。そうしてタオルを頭にふんわり被せて何度も押し付け、髪の毛の水分をとる。和ちゃんは黙ってそれを受け入れ、首を前方へ傾けた。すると襟足で切り揃えられた髪からうなじが露わになり、そこからぶわっと甘い甘い香りがした。和ちゃんの本来持つ匂いと、石鹸の香りが混ざっていつもより強い香りを放っている。
その肌に、鼻腔をくすぐる香りに刺激され頭に血が上っていくのをドクドクと音が鳴るほど感じた。
だめだ、どうしよう。どうしたらいいかわからない。
この頃すでに目覚めはじめていた僕の“男”としての部分がこれほどに刺激されたことは今までなかった。
気がつけば僕は背後からその首筋に噛み付いていた。
「あっ!」
ビクンと大きく肩が揺れ、下を向いていた和ちゃんの顎が上を向く。それでも僕が首筋に唇を当てたままでいるとはぁっと熱い息が漏れる。
あまりに良いその反応に僕は自分が誰だかわからなくなるほど興奮した。ドクドクドクドクと体中に血が巡り、全身は熱く、目の前の甘い香りを放つその肌に触れたくてたまらない。
首の後ろが、後頭部が、熱い。
「直人、離せって……」
和ちゃんの言うことは普段何だって聞く僕が、それを無視して後ろからその身体を抱きしめた。ただでさえこんなに興奮しているのにもっと欲しくて首筋に鼻を埋める僕はまるで中毒患者のよう。そっと、とか優しく、なんてできなくてただそこに鼻を押し付け匂いを吸い込む。
和ちゃんは僕の息に一々反応をしてヒクヒクと背中を震わせた。
「あっ……あっ……あっ……!」
そのしっとりした肌は驚くほどに敏感だった。感情が高ぶりすぎて僅かに震える指先で和ちゃんの前開きのシャツのボタンを上から外し、最後まで外しきるのも待てずにそこに片手を突っ込んだ。
こんなことして和ちゃんに嫌われてしまう。しかもこんな風に荒々しく扱って。
そんな風に考える自分だって確実に存在しているのに指先は尖った先端を探り当て、やや乱暴にそこを摘む。和ちゃんは痛いと声を漏らし、そこでやっと涙のうっすら浮かぶ瞳でこちらに振り向いた。
「なおと……こんなことしちゃ、だめだろ……」
はぁはぁと息を荒らげながら胸を遊ぶ僕の手に優しく自らの手を重ねた。
あ、と短い声しか出ず戸惑う僕に向かい合い、じっとこちらを見つめてくる。こちらを見定めるような上目遣いの眼差しが怖いけど綺麗だった。長い睫毛は瞳の色を僅かに隠す。
目を逸らしたいのに逸らせないでいると、和ちゃんはそっと僕の胸を押し、ベットに身体を倒された。天井が見え呆気に取られていると、下半身が衝撃に襲われる。男の手だというのに骨のでっぱりも感じられない小さな和ちゃんの手が、ズボンの上から僕の形を確認していたのだ。
「えっあぅ、かずちゃん……ちょっと、なんで」
慌てはするけど止める気にはなれない。すると僕のスウェットのウエスト部分から手を差し入れられ、そのまま下着の中に冷たい手が侵入してきた。首筋は熱く肌は火照っていたのに冷え性の和ちゃんの手は冷たい。
今まで経験したことがない熱さをもった僕の性器をひんやりした手で撫でられた。
「このままじゃ寝られない?」
「かずちゃん……」
「大丈夫、すぐ終わる。怖いことじゃないさ」
そう笑う和ちゃんの表情にいやらしさはあまり感じられなかった。むしろその瞳は慈愛に満ちていて、和ちゃんは少し体をずらして僕の頭を包むように抱きしめて頭を撫で続けた。右手は僕の下半身へと伸びたまま、優しくそこを握り上下に動かす。
「あっ、かずちゃんだめだって汚いしっ、そんな」
「ふふ、汚いなんてことは絶対にないよ」
「かずちゃんっ……」
こんな快楽を感じるのは初めてで、かっこ悪いことに身を任せて和ちゃんの体に抱きつくしかできなかった。呼吸を乱しながら必死で背中にしがみつく。背丈は変わらないのに肩幅が狭いからかその背中はとても小さい。
「あっ、だめだっ、かずちゃんかずちゃん、離してっ、手、汚しちゃう」
あっという間に限界がきて、もう泣いてしまいそうだった。
「大丈夫だよ? 汚していいから出しな?」
「んぅっ……!」
僕の精通は和ちゃんの手の中で行われた。
気持ちよさと脱略感と恥ずかしさでいっぱいになり、和ちゃんにしがみついてその胸に顔を埋めたまま動けない。だってどんな顔していいかなんてわかるわけないだろ。
和ちゃんは手の中に収められた精液を零さないように慎重に萎えた性器から手を離し、下着の中から抜いた。
「ごめん、恥ずかしかったね? 初めて?」
無言で頷く。
「見る?」
「見ないよ!」
そこで初めて焦って顔を上げると、和ちゃんはけらけらと笑って僕の額に口付けた。顔が熱い。
和ちゃんは僕のことなんか気にしない。気にせずにティッシュにくるんで吐き出された精液を捨てた。多分たくさん出たと思うのによく手ですべて受け止められたものだ。よくこういうことしてるのかなとチラと頭を過ぎるがあまり考えないようにした。
「じゃあ手洗ってくるから待ってて」
「やだ、僕が寝るまで行かないで」
「えー?」
「寝たら一回洗いに行ってもいいけど、またちゃんと戻ってきて」
「仕方ないな」
一つため息をついて、和ちゃんは僕を抱きしめる。
僕はどうしたって子供だ。和ちゃんからしたら特に、未だに怖い夢を見たと甘えてベットに忍び込んでくる小さな小さな子供のままだ。
それをいいことに僕はたくさん和ちゃんに甘える。抱きついて、頭を撫でてもらって、頬にキスしてキスされて。
しかしどんなに距離が近くても、じゃれついてくる子供の相手をしてもらっているに過ぎない。いつまでもこんな風に扱われるのは絶対に嫌だ。
「和ちゃん……僕、立派になって、かっこよくなって、帰ってくるよ」
「うん、楽しみにしてる。もう俺はいないんだから、怖い夢見るんじゃないよ?」
「大丈夫だよ……うさぎもいるしね……」
ゆっくりと闇に沈んでいきながら、和ちゃんが布団を掛け直してくれるのを感じる。
待っててね、和ちゃん。
もっともっと大きくなって、帰ってくるから。
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