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崩壊

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 目の前に広がる光景は今までの人生の中でも一番ショッキングなものだったかもしれない。
 それなりに大変だと思われる人生を歩み、嫌なこともたくさん経験した。人からしたら今回のことなど大したことないと笑うかもしれない。それでも他人には理解できない絶対に譲れないものってあるだろ?
 今、俺の、すぐ目の前で。
 玲児の唇が奪われてる。
 あまりに驚きすぎてすぐに手が出ず、俺はただひたすらに今日という日を考えていた。
 浅人がコタツを出したとうるさいので、それなら試験勉強でも一緒にやるかと浅人の家に来たのがそもそもの間違いだった。あんなものに入って勉強などできるはずがない。浅人はいつも通りアメコミ映画を見始めるし、一応教科書を広げてはいるものの、勉強など一切手をつけていなかった。
「コタツ最高じゃない?! もう僕これないと冬越せないの」
「これ駄目だろ……いやぁ駄目だわ」
 コタツと一緒に出したという座椅子に腰掛けながら、胸元まで布団を被る。初めて入ったけれどこれは出られなくなるやつだ。すげぇぬくぬくする。
 ぼやーっと映画なんか見てるとこのまま寝てしまいそうだ……が、今日は勉強をしなければならない。
 毎月生活費は振り込まれているのだが、そこまで甘えたくはないと一切手をつけていない。しかしそれでアルバイトに明け暮れて成績が悪いのではどうしようもない。そろそろどうにかしなければ。
「お前さー、勉強するならコタツは駄目だろ」
「えーいいじゃん。まったりやろうよ」
「俺達まったりできる成績じゃねぇだろ。お前も赤点ギリギリだろ?」
「だからさ、馬鹿な僕らが集まって勉強しても意味ないって」
「はぁ?」
 初めの頃は俺の態度にビクビクしていた浅人も、最近では多少睨んだり顔を顰めてもケロッとしている。今だって人のことを無視してヒーロー達にかっこいいと声援を投げているくらいだ。星条旗みたいな衣装であんまりカッコよくは見えないけどな。
 浅人はやる気がなさそうなので無視して勉強を始めようとしたら後ろからドアを叩く音が聞こえた。はーい、と浅人が返事をすると廊下から誰かが入ってくる。
 ドアを背に座っているので後方へ顔を上げると、そこに居たのは玲児だった。
 俺を見てお馴染みの眉間のシワがいつもより深くなっている。
「なんで貴様がここに……」
「玲児ー! 僕らの救世主!」
 浅人は玲児の顔を見るなり立ち上がって駆け寄った。コートなどを預かり俺の向かいに座らせる。
 俺達は出雲との一件から会話をしていない。顔もあまり見ないようにしていたから、玲児の顔をこんな風によく見ること自体が久しぶりだった。
 そうして俺は戸惑っていた。寒い外から入ってきた玲児は白い肌がほんのり赤く染まり、肩を縮めながらコタツに入ってほっと一息ついている。なんか、なんか玲児ってこんなに可愛かったっけ。こんなにあからさまだったっけ。
 コタツに入って嬉しそうだったくせに、俺と目が合うとすぐにこちらを睨みつける。
「じろじろ見るな、気色悪い」
「別に見てねぇよ」
 つんと顔を逸らして教科書に目を落とす。そんな俺達を見て浅人は首を傾げた。
「ねぇねぇ、喧嘩でもしてるの?」
「別に」
 二人同時に答え、ハモってしまった。玲児があまりに嫌そうに顔を顰めるのでちょっと傷つく。
「ならいいんだけど! ほら、勉強教えてくれる頭のいい人がいた方がいいでしょ?」
 浅人は向かい合って座る俺らの直角上、つまり真ん中に座った。さっきまでの様子とは売って変わり、シャープペンシル片手に早速玲児に色々と質問を投げかけている。
 二人が勉強をする姿を横目に見ながら、これは居心地がよくねぇなと思った。数ヶ月前までよく三人でつるんで遊んでいたというのに、昔の恋人と今の恋人という立場になるなんて。浅人は何も知らないから今まで通りに接しているだけなのだろうし、何か適当つけてこの三人で集まるようなことをなくさなければ。
「そうだ、僕お茶入れてくるよ」
「む? 別に構うことはない」
「そんなわけにいかないよー、今日は玲児の好きな緑茶用意したんだから。待っててね」
 引き止める玲児の話など聞かず、浅人はスキップするような足取りで部屋を後にした。部屋の中ではつけっぱなしになっている映画の爆発音が虚しく響く。
 俺のことなんか気にしてないですよって顔でプリントに目を通す玲児の顔を盗み見る。
 本当に久しぶりだ。いや、実際にはそこまで久しぶりでもない。それなのに数年ぶりに顔を見たような気さえする。真剣な様子が愛おしくてじっと見てしまう。
「さっき言わなかったか。じろじろ見るな」
 こちらに目も向けずに冷たく言われる。
「なぁ玲児」
「話しかけるな」
「なんでだよ。この間のこと謝らせろよ」
 ここでやっと玲児は俺に目線だけくれた。しかしまたすぐにその目はプリントの確認に戻ってしまう。
「今日は浅人のために来た。浅人の前では普通に接する」
「謝罪も聞いてくれねぇの?」
「聞いたところでどうなる。謝罪などしなくていい」
「ごめんな、玲児。顔見せるななんて言って。久しぶりに顔が見られて嬉しかった」
 思ったことだけでも伝えようと、飾りない言葉を紡いだ。本当に玲児の顔が見られてよかった、本当にそれだけだ。
 玲児がまたふんと鼻を鳴らしたのでやっぱり怒ってるよなと思っていると、その顔はだんだんと赤く染まっていく。恥ずかしいのか身を縮めて顔の下半分をコタツ布団で隠している。
「俺は嬉しくない」
「ほんと?」
「心の準備もしていない時に急に顔を見せるな……心臓に悪い……」
 キビキビした口調がだんだんと弱々しくなってきたと思ったら、玲児はコタツ布団を両手で持ち上げで完全に顔を隠してしまった。
 玲児は俺の顔を見るのに心の準備が必要らしい。なんだそりゃ。
「顔隠すなよ」
 手を伸ばして布団を引っ張るが、玲児もそう簡単には譲らない。
「貴様が見せるなと言った! もう見るな!」
「ごめん」
 言いながらも引っ張る。
「浅人が下にいるんだぞ、もう俺に構うな」
「あ、それは可愛くねぇぞ」
「自分に可愛さなど求めていないから構わん」
「あーそう?」
 いくら頑張っても玲児は顔を出してはくれなそうだし、仕方なくノートを開いた。教科書をパラパラと開いていくとイマイチ理解できていない不等式にぶつかる。
「玲児せんせー。ここわかんないんですけどー」
 また布団をくいくい引っ張りながら呼びかけると、彼は渋々といった感じで顔を出してくれた。恥ずかしいのか布団被ってて熱かったのか、顔はまだ赤い。むっとした顔をしているが、教科書の俺が指し示す箇所をきちんと確認してくれているのが玲児らしい。
 身を乗り出してきた為に前髪が鼻先をくすぐる。お、結構近いな。相変わらず睫毛が長い……和人さんや浅人も長いのだがバサバサと派手で、玲児の睫毛はすだれてるのが色っぽい。
「人の話を聞いてないだろう?」
 こちらを全く見ていないくせにバレバレらしく怒られてしまった。
「聞いてるって。内容は聞いてないけど」
「それを聞いてないと言う」
「全然こっち見ないけど俺の顔見るとドキドキしちゃうの?」
 少し突っ込んだことを聞いておきながらこちらがドキドキしていた。きっとまた怒らせてしまうだろう。
 しかし玲児は顔を赤くすることも怒ることもなく、前のめりになっていた身体を引いた。
「お前が何をしたいかわからん」
「なんでだよ。俺はお前と……」
「それは知っている。知っているが、浅人のことを思えば無理ではないか」
「別れたっていい」
「そう言う割には別れようともしていないのだろう……」
 ずっと怒っていた玲児の眉毛が、いつの間にか悲しそうに下がっていた。怒らせるのではなくまた傷つけてしまったのかもしれない。
 確かにやり直すことを拒否された後も、玲児のために別れようとかそういう行動は起こしていなかった。傷ついた浅人の傍にいると言いながら、玲児にもらえないぬくもりを与えてもらっている。玲児に受け入れてもらえない苛立ちを、他に好きな奴がいても受け入れてくれる浅人に甘えて解消しているのだ。
 それなのに玲児が目の前にいればすぐこれだ。何もかもが中途半端すぎる。
 何を言うべきか言葉を探していると、扉をノックする音が響いた。そしてお盆を片手に持ち、ぐらぐらさせながら扉を開ける。
「ごめんね、時間かかっちゃった。貴人兄さんが来ててさ、話してたんだ」
「たかとにいさん? 和人さんじゃなくて?」
「貴人さんが来ているのか?」
 玲児は俺となんか何もなかったような澄ました顔で立ち上がり、浅人を手伝うと廊下へと顔を出しきょろきょろと首を左右に動かす。
「貴人兄さんなら和人兄さんの部屋にいるよ」
「そうだったか。挨拶をしに行ってもいいか?」
「もちろん!」
 浅人が笑顔で答えると、玲児はそわそわと落ち着かない様子で部屋を飛び出して行ってしまった。
 状況がよくわからないが、なんとなく面白くない。さっきまで座っていた場所に戻らず隣に座ってきた浅人から湯のみを受け取り、様子を伺う。
「貴人兄さんって?」
「和人兄さんと双子の兄さんだよ」
「あの人双子なのか……和人さんが二人いるとか怖ぇな」
 完璧な笑顔を見せながら契約書を見せつける和人さんが二人いるのを想像すると背筋が寒くなった。しかし浅人は顔を顰める俺をケラケラと笑う。
「あはは、和人兄さんと全然似てないよ。もっとかっこいい感じ。玲児のお父さんが警察官なんだけど、貴人兄さんが悪さしてた頃にお世話になったんだって。その頃から知ってるらしいから僕より付き合い長いんだ」
「え? 玲児の親父さんって警察官なの?」
「そうだよ。貴人兄さんも影響されて今じゃ警察官! 漫画みたいだよねぇ」
 玲児の親父さんが警察官って聞いただけでも物凄く怖そうだなと思った。俺なんか会ったら殴られるんじゃねぇの……いや会うことなんかないと思うけど。
 それよりも気になるのは玲児だ。貴人兄さんと聞いただけであんなに慌てて。あいつらしくもない。後で和人さんに用事とかなんとか言って見に行くか。
 あまりいい気分のしていない俺の顔を、ふいに浅人が覗き込む。目が合うと笑って抱きついてきた。
「玲児呼んだのは僕だけど、二人きりの方が嬉しいね」
「んーまぁ、そうか?」
「もー。ね、チューして」
「ええ?」
 玲児が戻ってきたらどうすんだよ、とも思ったが、キスくらいすぐ終わるしいいかと思った。
 キスなんて大したものじゃない。
 心の底からこの時はそう思っていた。キスぐらいなら万が一見られたって平気だろ、なんて。
 しかし俺はわかっていない。見る側からしたらこれっぽっちも平気じゃないってことを、わかっていなかった。
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