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闇夜の錦

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 一瞬なんて呼べばいいか悩んだ末の“お父さん”だったが光の速さで釘を刺されてしまった。気まずさに一つ咳払いをしてから呼び直す。
「秀隆さん。ありがとうございます。今日呼んでもらえて本当に良かったです」
「む、まぁ仲良くやろう」
 腕を組んで頷く秀隆さんはやっぱり玲児によく似ていて、隣で眠るあどけない顔をした本人よりよっぽど玲児の事を連想させた。
 まだ俺は玲児に再会できたわけではないんだよなと痛感する。
「もう少しこのままでいさせてもらってもいいですか?」
 聞けば秀隆さんは構わないと返して、部屋を出て二人きりにしてくれた……と思ったら、閉じそうだった扉からひょっこり頭を出した。
「玲児に変なことをするんじゃないぞ。寝てるからとはいえ口付けもダメだ」
 そんなことできるわけない! 中身は子供だっていうのに変なことなんかできるか、そこまで外道じゃない。いや軽くキスくらいはしていいかなって本当は思ってたけど。
 秀隆さんは真剣そのものな様子であったが、俺は照れもあって笑いながらヒラヒラと手を振って否定した。
「大丈夫です。今の玲児に変なことなんかできませんって」
「今の?」
 はい失言。玲児の親父さんって刑事さんだっけ。逮捕されんじゃね、めっちゃ怖い顔してるもん。眉間にシワが寄ってるとマジで玲児で逆に親近感覚えちまうけど。
「秀隆さん、怒った顔が玲児に似てますよ!」
「話をはぐらかすな。その辺の話も今度詳しく聞くからな」
 捨て台詞とともに最後にもう一睨み喰らい、今度こそ扉は閉まった。
 その辺の話ってなんだよな。怖ぇな。子供のそういうのって気になるものなのだろうか。篤志さんはあまり口を出すタイプではなさそうと思うが、麗奈はまだ浮いた話を聞かないしどういうものなのか分からない。
 しかしそれがどんな存在かよく知らない俺からしても、秀隆さんはお父さんって感じがした。
 玲児のことを心配して、忙しそうなのに仕事も休んで面倒を見て。玲児が泣いてしまったからとわざわざ俺なんか呼んでくれて。玲児への接し方だって、本当に小さな子にしているみたいだった。
 叔父さんとは全然関わらなかった、というかあの人は俺を見ないようにしていたと思う。叔母さんと別れたんだよな。どうでもいいけど養ってもらってはいたし、お達者で。
 腕に玲児の重みを感じながら読んであげた絵本を開く。
 白雪姫も眠り姫も、起きている姿よりも眠っている姿の方が華やかに美しく描かれているのは何故だろう。余計に悲しくなるじゃないか。傍らで泣いている小人や妖精が可哀想だ。ああでもそうか、とても大事だったけれど守れなかったから綺麗にしてやりたいんだな。もうそれしかできないもんな。
 そして二人とも王子様のキスで目覚める、か。なんでポッと出の王子がいいところ持っていくんだかな。こういう話の定番なのだろうか。身近な人間よりも遠い憧れの存在に惹かれるものか。
 絵本のキスシーンを広げたまま、玲児の寝顔を眺める。
 俺も誰が寄り添おうとしたって玲児にずっと焦がれてたもんな。
 秀隆さんには駄目だと言われてしまったけれど、このお姫様みたいにキスしたら目覚めてくれないかな。
 けれどなんの憂いもない、世界を信じきっているような寝顔を見ているとこっそりキスする気も起きなかった。
 あまりにも無垢で綺麗すぎる。
 玲児はいつも冷たい。体温が低いから、温めるのは俺の役目。でも眠っている玲児はそれが嘘だったかのように暖かくて、いつもと違う心地良さに目を瞑った。


 誰かに触られていると認識すると同時に思考が再開される。ひんやりとした手が頬に触れていて気持ちがいい。近づいてくる気配がしてその次に唇に柔らかな感触。
 愛しい匂いがする。草木のようなこの香りはなんだろう。走って汗をかいた後は柑橘系の香りに変化するんだ。
 走った後だけじゃない。口付けたり乱れた時だって香りは変化する。
 それを思いながら密着している細い身体を抱きしめて、口付けを返した。逃げようと暴れるので後頭部に手を回し支え、舌を押し込む。
 ほら、この香り。
 陸上部を終えた玲児はいつもこの香りがした。
 しかし耳に拒否の言葉と控えめな泣き声が届き、俺は焦って抱きしめていた身体から離れて瞼をしっかり開けて確認する。目の前では玲児がぐしぐしと目を擦りながら泣いていて、なんてことしてしまったのかと罪悪感でいっぱいになった。
 座ってたはずなのにいつの間にか二人で並んで寝転んでいたようだ。あれ、俺もしかして寝ていたのか。嘘だろ。
 眠れなくて朦朧としている時は一瞬寝落ちしてしまうこともあったが、夜しっかり睡眠をとっているのに意識せずこんなにすんなり眠れるとは。睡眠薬を飲んだ時の強制的に暗闇に引き込まれる感覚とも違う。
 衝撃はあったが、しかし今は目の前の玲児だ。
「玲児、ごめんな? びっくりしたよな?」
 謝ればまだ目を擦りながら小さく頷く。
 ああ、本当に可哀想だ。キスどころか舌なんて入れてしまって……秀隆さんに怒られるな。
 しかし思い返せば先に唇に懐かしい感じがして、俺はそれに応えたような。
「玲児、もしかして俺にキスしてくれた?」 
 泣いてる小さな子にわざわざ聞くべきではないかもしれないが、どうしても気になって聞いてしまった。目を合わせたくて瞼を擦る両手をそっと片方ずつ手を重ねて包み込めば、強く擦りすぎた瞼が赤くなっていて痛々しい有様だった。
 玲児は赤い瞼で俺を見つめ、肩を竦めておずおずと口を開く。
「すまぬ」
「なんで謝るんだよ。俺が好きだからしてくれたんじゃねぇの? 嬉しいよ」
 答えながら瞼に指の背でそっと触って、秀隆さんに保冷剤か何かを貰いに行こうと思った。このままにしてたら明日腫れてしまう。
 しかし起き上がったら玲児に袖を引っ張られて抱っことせがまれた。瞼を冷やすのと玲児のお願いを聞くのとどちらを優先しようか悩ましい。
「目が赤くなってるから冷やしてやりたいな。冷たいの取りに行くから、その後でいい?」
「やだ」
「嫌なの?」
「む……」
「じゃあしょうがねぇな」
 俺を見上げる玲児に覆い被さるようにしてぎゅーっとしてやる。こうするといつもたどたどしく恥ずかしそうに抱き返してくる玲児の手が、今日は躊躇いなくしっかりと俺の首を抱いた。
「へんじゃないのか?」
「ん?」
「男と男できすしたら」
「変じゃないよ。俺はそう思うよ」
「でもけっこんできないぞ」
 えーと。こういう場合どうしてやればいいんだろうか。きちんと説明するものなのか。やんわりと流せばいいのか。
 本当の子供に話して聞かせる訳ではないが、納得させてやりたいな。
「結婚は……今は、できないけどさ。法律が変わるかもしれないし。色々制度もあるし」
「ほうりつ?」
「うん。それに結婚できなくても一緒にいたければいればいいじゃん。悪いことしてるわけじゃねぇもん」
 あ、でも国が違えばなんとやらだっけ。まぁそこまではいいだろうと思っていたら玲児は首を傾げた。
「わるいことだ」
「なんで?」
「へんだから……」
「なんだそりゃ」
 なんだろう。こんなに男同士だからとかこだわるっけ、玲児。女の方が好きだろうとは言われたことあるけど、それは俺個人に対してだろうし。実は気にしていたのだろうか。
「俺の……好きな人は男なんだけど。変だと思う? 悪いことか?」
 抱いてる玲児の首が横に揺れる。顎が肩にぐりぐりして可愛いな。
「でも皆がいやなきもちになる」
 か細い、不安そうな声に胸が苦しくなる。子供の頃、誰かになにか言われたのだろうか。
 安心したくて、自分の心を守りたくて幼児退行してしまったのに、なんでまだ玲児は苦しんでいるんだよ。ふざけんな。誰が何言ったか知らないけど、こんな声もう二度と出してほしくない。
 小さな玲児の不安を全部取り除いてやりたい。そうしたら玲児が帰ってきてからだって何か変わることがあるかもしれない。
「嫌な気持ちったってさ、多かれ少なかれなんだってそうだろ? 知らねぇよって言ってやればいい」
 起き上がって、しっかりと玲児と目を合わせた。既に瞼が腫れ始めてる。可哀想で見てられないな。
「俺は百人が嫌な顔したって玲児が笑顔でいられる方がいいね。世界中の人間が嫌な顔したって構わないくらいだ。でもそこまで皆が皆、心狭くないんだよ。意外とさ。大丈夫だよ」
 言ってる意味がきちんと伝わってるか心配になるが、実際伝わっていないのかもしれないが、玲児は頷いた。
 良かった、といいこいいこしてやってベッドから離れる。そろそろ冷やすもの持ってこないと。
「下行ってくるからちょっと待っててな」
「すきなひとってだれだ」
 背中越しに思いがけずに発言を蒸し返されて振り返る。横になったまま唇を尖らせた拗ねた顔でこちらを見ているが、玲児だよと言うのは違う気がしていた。だからさっきも好きな人、といったのだ。
「あー、恥ずかしいから内緒」
「むぅ。気になるぞ」
「じゃあ玲児の好きな人は?」
「む……えっと、ないしょだ」
 赤くなる頬を見て笑顔を返し、俺は部屋を後にした。


 リビングに下りて時計を確認したらもう午後五時を過ぎていた。昼過ぎに来たからだいぶ寝てたな。やらかした。
 秀隆さんはソファに座ってまた仕事の電話をしているようだった。張り込みが無駄になったらしい、いや聞いちゃだめだな。前に家に帰ってこないことも多いと聞いたことがあるし、多忙なのだろう。
 しかし俺がいることに気がつくと待っていろと手で合図をしてすぐに電話を切ってくれた。スマートフォンをしまうのを見届けてすぐに頭を下げる。
「すみません、気がついたら寝ていて」
「いや見に行ったら、二人ともよく寝ていたからそのまま寝かせてしまった。時間は大丈夫か」
「今日は平気です。明日は仕事なんですけど……じゃなくて、保冷剤とか借りたくて。玲児が泣いて目が腫れちゃって」
 言いかけて、なんで泣いたんだよって話だよなと自分にツッコミを入れたくなった。完全に俺が泣かせたしな。するなって言われたことして言い訳のしようもない。
 それも謝罪するか思いながらも視線を外して言い淀んでいたら、立ち上がる気配がした。見れば秀隆さんはキッチンに向かったようで、小さな保冷剤を手に戻ってきた。
「タオルはどこにあったかな……玉貴がいないと家のことがわからん」
「そういえば玉貴ちゃんは今どうしてるんですか」
「祖母の家にいる。暫く何もせず休みなさいと言ってある」
 言いながらもどこかに消えたと思ったら無事にハンカチを見つけたようで、保冷剤を包んで渡してくれた。何か言われるのではと思って保冷剤をもったまま動けないでいたら、怪訝な顔をされてしまった。
「なんだ? 早く持って行ってあげなさい」
「あーっと……ありがとうございます」
 聞かないでくれたのだろうか。一見怖そうなのだが優しい人なんだよな。しかも玲児の優しさに似ている。こうやって玲児は育てられたんだろうと感じ取ることができるんだ。
 もっとそれを知りたい。だからこそ甘えないで真面目に向き合おうと思った。
 廊下からリビングに戻ろうとする背中を引き止める。背筋の伸びた、でも俺が知っているよりも硬そうな筋肉質な背中だ。
「秀隆さん! 俺が泣かせたんです、玲児のこと。すみません」
 無言で振り返った表情が読めないが構わず続けた。
「しかも秀隆さんに言われてたのに寝起きにキスして驚かせて、マジで何やってんだって感じなんですけど……」
 勢い任せで話したが本当に自分の馬鹿さ加減に呆れてしまうな。秀隆さんは腕を組んでこちらを睨みつけていて、これは一発もらうかもと足を踏ん張った。
 けれどそんな俺を見て秀隆さんは吹きだした。
「面白い子だな。わざわざ言わないだろう」
 口に手を当て笑う姿を見ていたらいたたまれない気持ちになってきて、それを誤魔化すためにデカめの声で反論してしまった。いい所見せたいのにみっともねぇな。
「まぁ、そうなんですけど! 俺毎日でも来たいし、うやむやにしないでちゃんと話そうと!」
「しかもキスして泣かれたのか、いい気味だ」
 正確には舌を入れたかから泣かれたのだが自分のためより秀隆さんがショックを受けるんじゃないかと思って言わなかった。てかいい気味って! やっぱりよく思われてないのな、俺。
「そうしょぼくれるな、冗談だ。ほら、早く行きなさい。玲児を待たせるな」
 秀隆さんはそう言うけれど、いい気味だと思われていても仕方ない。本当は殴りたいのを我慢していたとしても、いや殴られたって文句はない。
 けれど玲児を育てたこの人にこれ以上は嫌われたくないな。感謝と敬意を持っていこう。
 俺はとにかく丁寧に頭を下げ、二階へと上がった。


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