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闇夜の錦

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 玲児の家では気を張っていたからか意外と普通でいられるなと思っていたが、帰宅後に自室のデスクチェアに座ったらそのまま動けなくなってしまった。一人になった途端にこれから玲児はどうなってしまうのだろうと気掛かりでしょうがなくなった。
 少し休憩しているだけだと、直ぐに目覚めると楽観視してもいいのだろうか。玲児は幼児期に戻り、よく眠って心身ともに回復に向かっているのだと信じて待てばいいのだろうか。調べてみても似た症例は出てこなくて、他に何か原因があるのかもわからない。
 でも玲児自身は肉も少しついて顔色もよく、不安そうな表情をみせることはあっても安らかに過ごしているようだった。自分を殺してしまおうとまで思った絶望感を抱えたまま目覚めるよりきっと幸せなんだ。俺に拒絶されるよりも。
 気をしっかり持とう、秀隆さんもとても良い人だったし、玲児はいま心細さを感じているだろうから俺も支えてやらなきゃ。秀隆さんの言うようにたっぷり甘やかして笑わせてやろう。
 しかしそれはそれとして流石に疲れてしまった。シャワーは朝にでも浴びてもう眠ってしまおうかと引き出しに入れてあるプラスチック製のピルケースを取り出す。随分昼寝をしてしまったが薬に頼れば眠れるだろう。
 重い腰を上げ、下の階で薬を飲みに行く。三十分もすれば効いてくるはずだ。それまでに眠るための準備をしよう。

 
 体を横に倒してじっと待っていたらすぐに眠気はやってきた。
 うん、眠れる。すんなりこのまま落ちれる。
 しかしそのずんと落ちていく感覚にゾッとして飛び起きた。
 なんだ、だめだ、いやだ、眠りたくない。
 しかしズズズ……と身体は重くなり思考は引き摺られていく。だるくて起きていられずまた横たわる。
 そうだ。思い出してしまった。そもそも眠れなくなったのはこの感覚が恐ろしかったからだ。ここ暫くは漠然と眠れないことに悩み、私生活にも自分の気性にも支障が出て眠りたいと思っていたが、きっかけはこれだった。
 一人でそのまま落ちてしまって、帰って来れなくなりそうな気がする。このまま目覚められない気がする。誰かにしがみつきたくなる。誰かを抱いていれば存在を許されるという愚かな考えと、誰かの肌に触れることで得られる絶対的な安心感。
 そうしなければ世界が強制停止するような。認識することができなくなるような。
 いやだ、ここで終わりたくないと思うのだ。このままで終わってしまうかも、いや目が覚めたら一番苦しかった時に戻っているかも。
 なんなんだよ。
 なんで今更やってきたんだよお前。
 怖い。心臓が撫でられる。
 けれど薬を入れた身体では抵抗など無意味だ。あそこまで眠れずに悩んでいたって人間の身体なんてあっさりそれにひれ伏すのだ。あの夜毎死んでるような感覚をどうして今更思い出すんだ。
 無情にも意識は途切れる。
 この自分の存在すら危うい認識できないどこかの暗闇に、もしかしたら玲児もいるのかもしれない。

 再会して二週間の間、毎日顔を出しているのに会いに行けば玲児はいつだって喜んでくれた。仕事で時間が遅くなった日であっても、秀隆さんに連絡を入れておくと頑張って起きて待っていてくれる。寝顔でもいいから見たいだけなのにと思いながらもそれが嬉しくて、眠る前の絵本を読んでやる。
 幼くなってしまった玲児は可愛くて、愛しくて、少し怖かった。
 時折あまりに純粋で何も知らない玲児に責められている気分になるからだ。俺のせいで玲児の過ごしてきた時間がなくなってしまったと重圧がかかる。
「今日はこれだ!」
「人魚姫かぁ。俺これあんまり好きじゃねぇんだよな」
「なぜだ」
「悲しいじゃん」
 助けた王子に恋をして、右も左も分からない人間の世界にまで飛び込んだのに、結局最後は報われずに泡になってしまうなんて。絵本の中くらいハッピーエンドにしてくれよ。
 しかし玲児が明らかにしょんぼりして今にも泣き出しそうなのを見て、やってしまったと思った。慌てて絵本のページを開く。
「ごめんごめん、読もう。な?」
「いい……」
「ごめんって」
「よい。もうねる」
 仕事で遅くなってしまった俺に会いたいと、寝ないで待っていてくれたのに悪いことをしてしまった。布団に潜ってしまった玲児を揺するが、完全に拗ねてしまったようで無視をされる。
「なぁ、玲児。寝ちゃった?」
 聞けば、もぞりと少し動いてアピールしてくる。
「ごめん、玲児」
 こんななっても傷つけてしまうのか俺は。情けないな。
 ベッドに腰をかけたまま玲児に背を向けてため息をついた。すると背中をつんつんされる。
「んー?」
 そのまま軽く反応してみたらまたつんつん。振り返ってみれば仰向きに寝てわざとらしく目を閉じている可愛い姿があった。
「なんだよ、寝たふりかー?」
「む! キスするとおきる」
「なんだよそれ」
 予想外の愛らしいお遊びに笑ってしまったが、どうしようかなと思った。
「本当に起きんの?」
「む!」
「本当の本当?」
「ほんとうだ」
 物凄く悩み、うーんと唸りながらも、上半身を捻って寝たフリを続ける玲児に顔を近づける。相変わらず白い肌に黒い艶やかな睫毛が映えて美しい。我慢が限界なのかちょっとばかし睫毛が震えちまってるけど。
 色素の薄い、でもふっくらした唇にキスをした。
 瞼を開けた玲児の柔らかく下がった眉を見て、起きないじゃん嘘つきと思った。
「起きたぞ! かなしくないだろう?」
「おう、ハッピーエンドだな」
 ニコニコと朗らかに笑う優しい玲児の眉間あたりをさわさわと撫でていると、瞼がだんだん重たそうになっていく。しかしハッとして目をパッチリ開けて、俺を見た。
「隼人は王子さまか」
「そんながらじゃねぇよ?」
「そうか。王子さまならよいのに……」
 そう語る声は力が全然入ってなくて、言い終わると同時に玲児は眠ってしまった。布団を掛け直してやり、おやすみと今度は頬に口付けた。
 
 玲児が眠った後は毎日秀隆さんと話をしている。
 飯が作れないと言うので昼間来た時は簡単に俺が作って飯食ったり、夜の時は俺は飲めないけど晩酌に付き合った。出雲に教わった料理スキルが役に立ってしまった。
 人と関わったことって自分を構成するのにかなり影響するんだなと最近よく思う。出雲がいなきゃ人にご飯作ろうなんて思わなかっただろう。そうして秀隆さんに玲児の面影を見る度に、玲児も自分の父親に影響を受けて構成されてきたのだと感じる。
 秀隆さんとはやはり共通の話題は玲児なので、学校での様子を聞かれたり、逆に俺が子供の頃の話を聞いたりした。
 玲児は小さな頃女の子が好みやすいものが好きでからかわれてしまい、幼稚園に行けなくなってしまったことがあるらしく、最初にちび玲児と会った時の躊躇いはそのせいかと納得した。しかしその時に家族でしっかりケアしていたとも聞いて、愛されているなと、良い家族なんだなと思った。
 俺はずっと玲児は自分のものだなんて言い散らしていたけれど、玲児を作り上げた環境のことなんか考えたこともなかった。
 玲児のことが好きだ大事だと言いながら、俺はちゃんと玲児のことを一人の人間として見れていたのだろうか。
「玲児ってずっと話し方変わらないんですか?」
「そうだな。俺の真似かと思ったが、祖母は時代劇を一緒にたくさん見たからだと……」
「俺は秀隆さんの真似っつーか、似たんだと思うけどな。すっげー似てますもん」
 ほらその目を細めてやや煽り加減に笑うとことかそっくりだ。
 秀隆さんは見れば見るほど玲児に似ていてたまにドキリとするほどだった。凛としているけれど玲児より気怠げで色っぽい。玲児も将来こんなふうになるのかなと思っては、ちゃんと戻るよなとチクリと現実が刺さる。
「それにしても目付きが良くないな。疲れているのか?」
「いや、全然っすよ」
「そんな目をして芸能界にいると誘われるぞ。もし誘いがあったら断って俺に相談しなさい」
「それこの間も聞いたけど……まぁそうします」
 秀隆さんは警視庁捜査五課(組織犯罪対策課なんていってるけどヤクザの相手してるってことだよな、道理で貴人さんのガラが悪いわけだ)に所属していてその中でも銃器や薬物の対策をしているらしく、顔色の変化に非常に敏感だった。
 ちょっと寝れなかったり前日の睡眠薬が残っていてぼーっとしていると指摘されるから参ってしまう。おかげで睡眠薬の世話になっていることも二日目で速攻バレた。寝入りが最悪だったあの日だ。
「ちゃんと睡眠薬は身体に合っているのか? 次の通院は?」
「たぶん火曜の午後」
「多分じゃないだろう、ちゃんと行くんだぞ」
 はーいと気のない返事をしながら秀隆さんの空になっていたグラスに日本酒を注ぐ。
 まだ会って二週間なのに玲児と似ているからなのか、この人のコミュニケーション能力が高いからなのか、めちゃくちゃ話しやすくて困る。好きな人の父親なんだからもっと気を使いたいのに。リラックスして変なこと口走らないようにしないと。
 そんなことを思っていたら秀隆さんはじっとグラスを睨みつけ、ぐいっと半分ぐらいの量を流し込んだ。呆気にとられて口を開けたままその様子を見ていたら、いきなり背筋を正して名前を呼ばれた。
「隼人くん」
「え、なんですか急に。怖いんすけど」
 ビビりながらもつられて背筋が伸びる。
「玉貴はずっと君のことが許せないって言っている。うちの娘は膝を壊したのも、適応障害になったのも、自殺未遂をしたのも君に原因があると」
 今まで核心をつくような話は全くしてこなかったので、ついに来たかと唾を飲み込んだ。
 しかし秀隆さんを見ればその顔はちっとも怒っていなくて、戸惑うように僅かに眉根を寄せて静かな瞳で俺を見つめていた。
「隼人くんとこうして話すことで君がどんな人間なのかきちんと知ろうと思った。恋愛のことだ、一方の言い分では分からないことが多いだろう」
「そんなふうに考えてくれてたんですか……」
「君は玲児のことをとても大切に思ってくれている。俺と話す姿勢にも好感がもてる。すぐに君のことが気に入ったよ。だが……」
 そこで言い淀んだ秀隆さんは姿勢を崩してソファに寄りかかり、腕を組んだまま俯いて黙り込んでしまった。こめかみを押さえて、考え込んでいる、いや続きを言うのを躊躇っている。
 俺も何も言えず賑やかだったリビングが静寂に包まれる。しばらくして秀隆さんは俯いたまま目線だけこちらに向けた。
「隼人くん、君は……ものすごく危ういバランスで生きてないか? 俺は心が負けてしまった人間をたくさん見てきた。自分でもなぜそう思うか分からないが、君は彼らに近いものを感じてる」
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