初恋の実が落ちたら

ゆれ

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月翔と小雨

01

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 立地条件は悪くないが無駄に敷居が高い所為でいつも収容可能人数に対し実働率の低いこのバーは我ながら穴場だったように思う。今日も今日とてジンライムを呷り、カウンターテーブルに頬までつきそうなだらしのない座り方をしていても、咎める者は中に立って手を動かしているバーテンダーぐらいのものなのだ。

 遠く離れた壁際の席にひとり、反対側のトイレ付近にふたり連れがひと席挟んで二組。ボックス席は四つしかないにもかかわらず、人が座っているテーブルはたったひとつだけだ。空気の良さに歌いだしたくなる。誰に絡まれることなくかぱかぱグラスを乾しては、次々と注文を投げてくる月翔らいとに若いバーテンが終に失笑して水のグラスを差し出した。

「ちょっとペース落としましょう」
「大丈夫だけど?」
「今日はあまりお時間ないんですか?」
「いや、もちろん閉店まで」
「だったらどうぞ」

 仕事柄外で潰れた経験もなければ酒をおぼえたてでもない。業界でも滅法強いと自負しているけれど、まあせっかく出してもらったものなので月翔はくちを付けた。ほのかにレモンの混ぜられた氷と浮かんでいるミントの葉の御蔭か清涼感があって悪くない。
 通いだしてからはまだ二ヶ月程度だろうか。しかし寄れそうな夜はほぼ足を運んでいた所為か最早すっかり打ち解けたバーテンダーにはこの体たらくのわけを殆ど話していた。彼らの仕事には客の話を聞くことも含まれるからだ。時にはそれを参考にオーダーを変える。そして知り得た事実を決して他言しない。それは店の信用にも関わってくることなので、ちょっと特殊な職業に就いている月翔も安心して愚痴をこぼせた。

 二ヶ月よりさらに前までは、最も親しい同僚も一緒に飲み歩いたものだった。もう家族と言っても差し支えないほど、月翔の人生に深く食い込んでいたその男は何の相談もなしに突然つがい婚をして、一切の夜遊びをぱったりとやめてしまった。
 おなじアイドルグループに所属し、ツートップと称し何かとセット扱いされて、デビューする前など事務所のマンションで同居生活だってしていた。なんなら一部のファンの間ではつがい婚の相手が月翔だったなら良かったのに、という声もあがっていたらしい。

 皮肉なことにそいつ、たから獅勇しゅうの第二性はアルファだ。それが正式につがい婚したと発表できたのだから相手は自ずとオメガに限定される。そして月翔は、獅勇とおなじアルファ。リーダーシップやカリスマ性、天性の才能等には恵まれるがオメガのように子どもを孕むことはできない。従って男アルファとの婚姻は現時点では認められていなかった。

「……はあ」

 馬が合うし家族同然の付き合いではあっても別に結婚したいとは思ってなかった。性愛の対象でもない。だが現状、二ヶ月を過ぎても今ひとつ浮上できてない自分がいるのは認めざるを得ない。あたりまえだが相変わらず仕事に来て顔を合わせ、横で笑っている獅勇に応えながらも情緒をどうしていいかわからない。勿論メンバー全員で報告を受け、びっくりして、その場ですぐに祝福はしたけれど。
 未だにモヤモヤと胸に正体不明のわだかまりが蔓延っている。友人同士が自分の知らないところで友人になっていた時のような、あの如何ともしがたい感情だ。

「森さんは婚活しないんです?」
「えー、まだいい」

 そうは言っても世間的に25歳は適齢期のようで、特に母には電話でもメールでも「誰かいいひといないの?」と隙あらばジャブを繰りだされる。アイドルも会社員もこういうところは大差ないだろう。獅勇の決断はここでも微妙に影響している。はた迷惑なことだ。

 大体大勢の主に女子に夢を見せてあげるような商売をしていながら、普通の幸せなど求めるなよと思わなくもなかった。月翔は歌もダンスも芝居もバラエティも好きで、有り難いことに自分が平均より上の容姿を持って生まれたことにも自信と誇りを持っている。そもそも光の当たる場所に立つべき宿命だったのだ。だから結婚など、たとえ相棒の獅勇のそれにでさえ興味が持てない。

 そんな話ももう何度したかわからないが曖昧な笑みを張りつかせてくだんのバーテンは聞いてくれている。以前は個室のある居酒屋かクラブで飲むことが多くて、あまり頓着せずに済んでいたけれど今はそうではないため、度なし眼鏡とキャップを着用した月翔に気づく者はそういない。みんな酔っているし勘が働いてもせいぜいちょっと似ていると思う程度だ。若い店員が酔客にからまれて大変そうだなとしか見られてなくてむしろ嬉しかった。

 幼い頃から芸能界にいて、おなじクラスの女子生徒相手に初恋を経験するより早くその場限りの性体験を味わって、結婚したいなんて望むようになるのかどうか自分でもわからない。両親は仲が良いし身近ないい手本だと思うけれど、果たして自分がそういう正解の相手を見極めることができるのか、自信を持って挑めるとは言い難かった。かと言って親に見合いを勧められるのも面倒で足が遠のいている。

 事情に明るくないのを逆手にとって忙しいと嘯いていながらこうして飲み歩く暇はあるのだ。月翔の実家は都心から高速道路で45分も走れば行ける。その気になれば顔を見せるくらいいつでもできるのだが、実際に帰省したのはもう数年前のことになるのだから仕様が無かった。
 
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