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それから
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しおりを挟む秒で望みが断たれた理由も、きっと懸想していなければ納得と共感しかなかった。ひょっとして根っこの部分では入谷と唯織は同類なのかもしれない。否それはさすがにおこがましいか。
やはり何か知らないうちに彼女に迷惑をかけていたのでは。そうでもないと、嫌われること自体はどうでも、わけもなく嫌われるのはかなり傷つく。ただでさえ低い自己肯定感がめためたになってしまう。
(そうでないといいなあ)
思い返せば唯織は小中でも一回ずつはいじめのような目に遭っていた。解きほぐしてみると何のことはない男子がらみの逆恨みだったのだけど、本当に理不尽で、腹が立つよりただただ悲しかった。唯織は女子達にその男子より軽んじられたという事実が幼い心に深い深い傷をつけたのだ。
大人になってもいくつになっても、人間とはこんな愚行をおかす生き物らしい。している本人は何が楽しいのか唯織にはさっぱりわからない。わかりたくもなかった。
「まあ綺麗だもんね」
「えーそお? 埜田ちゃんのほうが美人じゃん」
「いやいや齢が違うって」
うちの子なんてもう小学生だもんと続き、このまま子どもトークになりそうな雰囲気に戦慄する。やめてお願い、ここにいて。もうちょっと頑張って。
「でもそれでどこかで見初められたとかかな? 観光客?」
「なんか二年くらい前に一回うちに来たらしいよ。その時じゃないの? すごいよね~、追いかけてきてこっちに住み着くなんてさ。しかも自宅にまで通ってくるとか」
「あ、そうなんだ」
「有嶋さんの税理士事務所に勤めてるんだって。ちょっといないイケメンだからすぐばれるよね」
「!!」
ガサ、と笹のようなかたちをした葉っぱが揺れて音が立つ。気づかれたかと焦ったがそんな繊細な人達ではなかったようで、話を続けながら通り過ぎていった。
早く動いて仕事に戻らなければとは理解しているのに身体がいうことを聞かない。話の内容はともかく、登場人物が栞奈と入谷であるのは間違いないだろう。
しかし『自宅に通っている』なら、唯織の家に行っているだけだ。とりわけ不審でもないが、ごく自然とも微妙に言い難い。仕事が理由なら唯織にもひとことあるだろうし、何より、入谷が秘密にしているのが不可解だった。
もし唯織だったら、たとえ近くにいたとしても入谷の実家になどそうそう行きたいとは思わない。興味はあっても呼ばれでもしなければ用事がない。まだ無闇に寄れる仲でもなく、失礼だろう。
そう考えると何か頼み事でもあったのかもしれないか。でも男手なら義兄がいるのだし、こちらの住所も教えてあるとはいえわざわざ入谷にまで声を掛けるだろうか?
「余計わけわかんない……」
とにかく、噂されているような醜聞があの二人にあるとは思わない。しかし入谷が謎の不在をするのも本当。まだ他の行き先があるのか、実家で何かしているのか、はたまた、一番悪い想像が信頼を裏切って実現してしまっているのか。
もはやこのまま受け身でいるのも無理そうで、唯織は壁と鉢の間に挟まっていた紙くずを回収すると事務所まで急いだ。
中から話し声がする。ノックで了承を得てからドアを開けると、栞奈と義兄がデスクトップパソコンを仲良く覗き込み、意見を交わしていた。
「ああ唯織ちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様です」
ラウンジで回収した紙くずを差し出すと、二人とも検分したのち「ごみで良いでしょうね」とくずかごに捨てる。こちらには意味がないように見える物でもごみではない場合もあるため、特に客室で得た物は一定期間保存しておく取り決めなのだった。
用件はそれだけと判断され、話の続きに戻った夫婦だったが、唯織が立ち尽くしているので不思議そうに一瞥くれる。
「どうかした?」
「……うん、あの、おねえちゃん」
勤務中は使わない呼び方がぽろりと出たので、義兄がひょいと眉を上げた。
「あー、栞奈さん、ちょっと航太くん見てくるよ」
すぐ隣の部屋にベビーベッドを持ち込んで連れてきているのだ。従業員の休憩スペースでもあるため、甥っ子はいろんな人達に可愛がられている。もうすぐ卒業するくらい大きくなったので、すこし前に義兄の実家から子ども用の布団が送られてきたとか何とか。
唯織達も怪獣やライオンのかわいい着ぐるみパジャマをあげたばかりだ。とても喜んで「着せたら写真あげるね」と言ってくれた姉が、この姉が、そんなひどいことをするとは到底思えない。
かすかに聞こえてくるすこし調子外れの義兄の歌声にちょっとわらって、やっぱりいい、と言いかけたところだった。
「なんか元気ないね。入谷さんとケンカでもした?」
「えっ」
まったくの偶然でも別におかしな勘繰りとは言えない、まあ事情を知る者なら定番中の定番な問いかけではあるがあまりのタイミングの良さに誤魔化しがきかなかった。馬鹿正直に絶句する唯織に、栞奈はちいさく息を吐くとぽんと肩を叩いてくる。
「すぐにわかるから、気にしないで仕事して」
お姉ちゃんに任せなさいと言わんばかりの押しの強い笑顔は上司としてのそれだった。雇われている以上逆らえず、すごすごと持ち場に戻るしか唯織に選択肢はない。ぺこっと頭を下げると事務所を出ていく。
しかしどんなにずぼらでも、チャランポランでも、気にしないでと言われたことを気にしないでいられる性質じゃなかった。手元に仕事がなくなると上の空になる唯織は、今日だけは正当に、矢間根に厳しく注意を受けた。
平生と変わらず肉体労働に勤しみ、明日は久し振りの休み。すこし浮かれて帰りにスーパーで生クリーム増し増しのオムレットをふたつ買って帰る。食後に入谷に美味しいコーヒーを淹れてほしいとおねだりしてみよう。
「ただいまぁ」
「おかえり」
「――んん?」
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