寿命が来るまでお元気で

ゆれ

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「薬はちゃんと飲んでいるかい?」
「……はい」

 曖昧な笑みを湛えた来良に、居待月いまちづきは正確に実情を読み取ったらしく顎先に手を添えて考えるような仕種をする。穏和な性格をそのままおもてに出したような、優美なほほ笑みを浮かべていることの多い彼には珍しく、厳しい顔つきで語調も鋭く言う。

「効かないと勝手に判断して飲むのをやめてはいけない。君は医者ではないだろう?」
「はあまあ……」

 でも自分の身体のことだから自分が一番よくわかるんです。言いはしなかったが、来良は眉をハの字にして、優秀なかかりつけ医に頭を下げる。

「すいませんでした」
「うん」
 ちょっと待ってて、と居待月が立ち上がった刹那のことだ。診察室の襖ががらりと開いて小柄な青年がぴょこんと顔を覗かせる。いたとは知らなかった。足音どころか物音も殆どさせないのだから仕様が無い。

「やっほぉ来良、僕だよーん」
「おう、相変わらず元気そうだな」
「でしょでしょ」

 来良もね、とは、しかし黄麻いちびも言えなかった。手に持っていた盆から白湯の入った湯呑を居待月に渡す。まさにそれを土間で用意するところだったので、黄麻の勘の鋭さに苦笑しつつ居待月はそこへ包みをといた粉薬をさらさら流し入れ、かるく回し溶かして来良に手渡した。

「じゃあ今ここで今日の分を飲もう」
「うっ……」
「来良がんばって~」

 良薬くちに苦し、とは耳が呆れるほど聞かされているけれど。まず匂いが苦手で味よりそちらのほうがきついくらいだった。来良は長い念珠を巻きつけた手で湯呑を持ち、もうひとつの手で鼻をつまむと観念して一気に薬湯をクイッと呷る。いったいどこに何が効く筈なのかさっぱりわからないが、とにかく惨い味がするので好きではないというのもやめた理由のひとつかもしれなかった。
 勿論最たるものは無意味だからだけれど。二十はたちの誕生日がひと月後に迫り、来良の容貌はいよいよ重病人のそれに近づいていた。長身に均整のとれた体つきをしていたのだが、日々減退する食欲の所為で体重は明らかに落ち、肌の色艶も悪く唇は微熱でかさついて、ややつり気味の双眸は不健康にくまで縁取られている。

 人間界と異界をつなぐ門、その番人を来良の家は代々生業としてきた。その印として舌に『開』の青い文字が刻まれている。東西南北と四つの門を四つの家が護っており、当家が護るのは東の門で先代は来良とふたりの弟達の父だ。彼が早くに命を落としてしまったため、来良は八歳の時から門番を務めている。
 始祖以来の稀代の力の持ち主で法力も斥力も併せ持つ来良は、周囲の期待どおりにすくすく育ち才能を遺憾なく発揮した。しかし生まれたその日に高名な占い師に予言を受けており、その所為で後継者を増やさなければならなかったため、先代は類を見ない短命だったのではないかと言われている。門番はの人間より齢を取るのが遅く、長命な傾向があるのだ。それが子を持つと自分の精気を分け与えるので短くなると考えられている。

 門を開く術自体が一子相伝なので通常は子どももひとりのことが圧倒的に多い。だが来良には幸良こうら新良しんら、ふたりの弟がいる。何故なら来良が二十はたちまで生きないと予言された子どもだったからだ。あまりにも強大な力を持って生まれたために、一生分の精気をその齢までに使い果たしてしまうだろうと。

「えらいえらい」

 黄麻のちいさな手が、艶の失われた来良の夜色の髪をやわく撫でる。ふっとわらってみせると浅葱色の大きな瞳はひなたの猫のように細められた。彼が盆を差し出したので湯呑を返す。黄麻は別に診療所で働いているわけではないので、呉服屋のほうは昼休みか何かなのかもしれなかった。

 身体に目立った不調が出てきたのは一年くらいまえのことだったろうか。子どもの時から診てもらっていたので居待月に世話になり、一緒に病と闘ってきたが今はもう彼もあまり励ましの言葉をくちにしなくなった。自分の体感も含めて死期はそう遠くないと来良も既に悟っている。食欲がなく吐血がゆっくりと増えて、最近では目も耳も悪くなってきているのを法力で何とか補っている始末だ。
 準備期間だけは幸い充分にあったため、医者にかかり始めると同時に弟達にも仕事を手伝わせている。法力に優れる新良と斥力に優れる幸良は得意分野が違うのでふたりで行動するよう言ってある。どちらかだけ優れているのでは、一定以上の力を持ったあやかしには対応できないのだ。初めは何かと揉めていたようだがようやく呼吸が合うようになってきている。

(つらいもんだな)

 本当に、愛する者達を残していかなければならないことだけが、病気でなく胸をきりきりと痛ませる。ふたりだけでちゃんとやっていけるのだろうか。無理だとしてもやっていってもらわなければ困るけれど、来良は心配で夜も眠れない。打てる手は既に全部打ってある。そのつもりだが心はまた別物で、つらくて、ひとりの時は知らず泣いてしまったりもしていた。
 生まれた時から一緒にいる血を分けた大切達。ふたりが大人になっていく様を、見守ってやれないのがこれほど悔しいとは思いもしなかった。ずっとまえから決められていたことなのに。遠い目をする来良に、居待月も黄麻も、かける言葉を見つけられずただ黙って痩せた横顔を見つめた。
 
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