寿命が来るまでお元気で

ゆれ

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 冬青がひょいと眉を上げる。パチパチと音を立てて、草木が燃えている。狐火に炙られると真っ黒い消し炭になり種すら芽吹かないという。幾つか年を経なければ元の緑は戻らない。この世のものではない力を帯びた炎だ。ゆっくりと燃焼範囲を広げながら、中心へ、四人のほうへ向かってきている。

「兄の身体を返してほしい。お前らには用のないものだろ」
「頼む」

 そう言いながら、まるで不遜にしか見えない気の強さに冬青は糸のように目を細めた。やはりそうだった。これが弟達らしい。
 しかし兄が生きているとはこれっぽっちも思ってないのには驚いた。いかな門番といえどあやかしのことわりには詳しくないのだろう。特にどこへ言いふらすでもなければ、言わば天敵同士である門番とあやかしが契るなどという前例があったとも思えない。青い門を眺めながら冬青は、つくづく数奇な運命だと半ば感心する。

 妹を取り戻したいだけの朱炎は、その用が済めば異界へ帰るつもりの筈だった。あのつがいのことはどうするのだろう。連れ帰るとは聞かなかった気がした。

「……いいでしょう。これは貸しです」

 冬青は掌を上向けて右手に息を吹きかける。それで狐火がフッと消えた。

「朱炎のもとへ案内しますが、くれぐれもお忘れなく」
「お前が嘘を吐かなければな」

 新良が低く唸った。そんなことしませんよ、と冬青が応える。胡散臭い笑みだった。なんだかいやな感じがする。やっぱりやめておいたほうがいいのではないかと思いかけて、突然獣の咆哮が響くのに一同が首を返す。先刻別れたばかりの狼が一頭そこにいた。
 一体何が、と問うより先に足の裏が微弱な震動をとらえて顔を上げる。隣で兄の幸良も「えっ?」と片足を持ち上げ、またついて、この不審な現象を確かめているようだ。気のせいじゃないとわかると余計に落ち着かない。

「――ちょっと」

 待ってほしいと言い出しかけた瞬間、大きな揺れが山を襲い、ブシュッと不穏な音を立てて地面から何かが噴き上がった。

「何?!」
「……水だ!」

 一ヶ所だけでなく複数の場所から水柱があがるのが夜の中でも見えて、新良達の足元がひときわ大きく震動を始めた。石や岩が斜面を転げ落ち、ひそんでいたと思われる動物達が慌てて逃げていく。どうなるかは間もなくわかった。

「うわっ……」
「幸良!!」
「あぶないっ!」
「樹に掴まって、」

 寝静まっていた夜の山と周囲の一帯に轟音を響かせながら、一瞬前まで地面だった場所はそこに立ち竦んでいた旅の一行と狼を巻き込んで崩れた。もうもうと辺りに立ち込めていた土埃は、幸い上のほうだけは噴き出した地下水の御蔭で舞い上がらず、しかし下った先はろくに見えなくて、ただひとり運よく難を逃れた冬青はかるく覗き込んで「あれまあ」と暢気な声をあげる。
 これは駄目だ。折角の獲物も死んでしまったら元も子もない。やはり日頃の行ないがものを言うのだな、と嘯いてひとつ嘆息する。仕方ないので朱炎の社に戻るとするか。連中に祓われ、打ちのめされた同胞の遺骸も根こそぎ持っていかれたようだ。気持ちばかりの祈りを捧げると、黒い妖狐は音もなく闇に紛れた。







 どのくらい押し流されたのかもよくわからない。取り敢えずまだ山のどこかには引っ掛かっているようだと鬱蒼とした周囲の景色から判断して居待月はふっと細く息を吐いた。
 水は既に流れてしまったか染み込んだのかもしれない、泥というよりは湿った土という硬度の足元はそれでも膝頭まで埋まっていた。ゆっくり引き抜いて立ち上がってみても転落しない程度に足場は確保されている。先程のこともあるので数回踏みしめて確認し、改めて辺りを見回す。

 誰がどこにいるのかなど夜陰でもとより覚束ない。霊力のない居待月には気配も察せず、途方に暮れる以外何ができるのかさっぱりわからなかった。山崩れがこれでおさまったのかどうかもあやしい。できることなら一刻も早く脱出したいくらいなのだが、あの黒い妖狐の様子ではここに彼らの拠点はあるのだろう。まだ用事は済んでないというわけだ。
 いずれにせよ道案内なしでは辿りつけないのだから、今は散り散りになったであろう仲間と合流するのが先決だ。医術を持つ自分に出番がまわってこないのが望ましいけれど、もし必要としているのなら早く駆けつけてやりたい。

「とにかく近くだけでも捜してみよう」

 手足を動かし、どこにも違和感のないのを注意深く確認して荷物もあらためる。あらかじめ手に持つのでなく身に着けていたため飲める水や薬などは無事だった。ひとまず安堵してすぐ近くの大木に寄り掛かる。

 上を捜すか下を捜すか。さらに崩れる危険性が高いのは上と思われる。まだ誰も見つけてないし、目的地から遠ざかるかもしれない不安はあれど、己の安全も鑑みて先に下を捜すことにした。崩れ方によってはそもそものぼることもできない可能性もある。
 とはいえくだるのも容易なわけではなかった。まずは自分が這いあがれないほどの奈落へ嵌まり込むなどして足手まといにならぬよう気を付けながら、居待月は口笛を吹いてすこしずつすこしずつ下へ移動する。
 
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