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第3章 奈落の底を見て回る
24 領主の屋敷へ
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隼人と別れた一行は、再び領主の屋敷へ向かった。
先頭を歩くのが案内役の騎士。その後ろを、まるで姉弟のように手を繋いで歩く陽香と右京。そして数歩遅れて颯月――と、彼の腕の中で横抱きにされている綾那だ。
(うう……暑い)
蒸し暑い外気温に意識を揺り起こされると、綾那はパチリと目を覚ました。
己が今どういう状況に置かれているのか、意識を手放す前はどこで何をしていたのか――そんな事を考えながら、焦点の合わない目でぼんやりと黒い騎士服を眺める。
(あれ――?)
揺れている。移動している。しかし、綾那は一歩も足を動かしていない。誰かが運んでくれているのだ。
数度目を瞬かせれば、見覚えのあり過ぎる胸章が間近でジャラジャラと音を立てている。視界と思考が少しずつクリアになって、綾那はサーッと血の気が引いていくのを感じた。
恐る恐る目線を上げれば――綾那が覚醒した事に気付いたのか――颯月に顔を覗き込まれて悲鳴を上げる。「きゃあ」なんて可愛らしい悲鳴ではなくて、「いやあぁあ!」というシャレにならない叫び声だ。
その声に驚いた陽香と右京、そして先導する騎士は目を丸めて振り向いた。しかし、叫ばれた当の颯月は慣れた様子で、「ああ、照れているだけだから気にするな」と笑うばかりだ。彼は「おろしてください」と手足をばたつかせる綾那の事を、泣き出した子供を宥めるように揺らすだけ。
陽香は――二人の茶番に付き合っていられるかといった様子で――目を眇めると、さっさと歩き出してしまった。
「そ、颯月さん、お願いですから、本当に勘弁してくださいぃ……!」
「俺はまだ、綾を抱いていたかったのに――」
今にも泣き出しそうな声で懇願すれば、颯月はようやく綾那を地面へ下ろした。酷く残念そうな顔で嘆く颯月に背を向けて駆け出すと、綾那は陽香の腕を掴んで引き留める。
「陽香、酷い……! どうして起こしてくれなかったの?」
「颯様に言えよ、颯様に! てか、あの状況で爆睡したアーニャの自業自得だしな!?」
すげない態度で正論をぶつけられた綾那は、ぐうと唸って下唇を噛みしめた。
陽香の主張はもっともであるが、綾那は昨晩から一睡もしていないのだ。そんな中、ただでさえ包容力と安心感のある颯月の腕に抱かれてしまったら、寝落ちしても仕方ないではないか。
そうして情けなく呻くだけの綾那を、陽香はしばらく無言で眺めていた――かと思えば、いきなり大きな舌打ちをした。突然舌打ちをされた綾那としては、目を丸めるしかない。
確かに、「友人として適切な付き合いを心掛けるように」と忠告されているにも関わらず、腕の中で無防備に眠るなんて、あってはならない事だ。しかし陽香のこの機嫌の悪さは、それだけが原因ではない気がする。これは恐らく、長年一緒に過ごしていたからこそ分かるものだろう。
「ええと……私が寝てる間に、何か嫌な事でもあった?」
綾那が問いかければ、陽香はひくりと口の端を引きつらせた。そして、たっぷりと間を空けてから大きなため息を吐くと、「ナギが怖い……怖いんだ――」とだけ言い残して、その後は綾那が何を聞いても一言も話さなくなってしまう。
己が眠っている間に、一体何があったのだろうか。そうして心配する綾那の背に、颯月が声を掛ける。
「気にするな。自分の軽率な発言を悔いているだけだから」
「軽率な? よく分かりませんけど……陽香、渚が怒った時には、私も一緒に謝るから――」
「だーかーらー! ナギは、お前には何も言わねえの! アーニャの前では笑顔振りまいて、裏で陰湿な事するタイプなの!! アーニャには悪いけど、こうなったらもうアリスに賭けるしかねえぞ! 絶対に「偶像」で颯様を釣ってもらう……!」
祈るように両手を組んだ陽香の言葉に、綾那は苦く笑った。細かい経緯はよく分からないが、やはり陽香は「綾那と颯月の関係に反対だ」という意見で落ち着いたのだろう。
(いや、まあ……これだけ問題が山積みな関係、反対されて当然なんだけど――)
綾那にとって、颯月が鬼門の顔であるという事を前提に――そもそも住む世界が違うわ、一夫多妻だわ、「表」のスタチューや『四重奏』の事だって、蔑ろにはできない。
そうして俯いた綾那の肩を、おもむろに颯月が抱き寄せる。弾かれたように顔を上げれば、彼はうっとりするような甘い笑みを浮かべていた。
「な、なんですか……?」
「いいや、別に? 綾は何も気にしなくていい」
気にするなと言われても、宇宙一格好いい男に間近で触れられて、気にならないはずがないのだが――。
綾那はウッと胸を押さえた後、蚊の鳴くような声で「お陰様で仮眠が取れました」と、ようよう礼を述べた。颯月は満足げな表情で頷いたものの、何やら居た堪れない気持ちになる。
「あの、呑気に眠っていた身でアレですけれど、今向かっているのは領主さんのお屋敷ですか?」
「そうだよ、とりあえず話すだけ話してみよう。やれる事をやって、それでもダメだったら――その時はもう、面倒くさいから逃げる事だけ考えようかな」
あれだけ堅くきっちりしていた右京が、気付けば随分と砕けた考え方をするようになっている。悪魔憑きの姿を一行に見られて、しかも陽香にペット扱いされた事で、色々と吹っ切れて自棄を起こしているのだろうか。
(でも、前よりとっつきやすくなってて良い気がする)
綾那は笑みを浮かべて続きを促した。
「お姉さんが伊織に逆恨みされている件は――まあ最悪、紫電一閃に任せてみたら? そっちもダメなら逃げちゃえば良いよ。無駄な事はさっさと終わらせて、アイドクレースに戻ろう」
「なんだ、ようやく俺の下で働く決意が固まったのか?」
「だから、まだ騎士団に入るかどうかは決めてないってば……誰が大っ嫌いな人の下で働きたいと思う?」
「うーたんは素直じゃないな」
毒を吐く右京に、颯月は軽口を返した。もちろん右京は眦を吊り上げたが、しかし彼が「うーたんはやめて」と言葉を発する前に、先導の騎士が足を止める。どうやら、話している内に領主の屋敷へ到着したらしい。
屋敷の周囲は騒然としていて、綾那が壁を壊したせいか、庭には立ち入り禁止のテープが張られている。大工らしき業者の姿も複数人見受けられて、彼らは忙しなく屋敷の出入りを繰り返しているようだ。
先導の騎士は「到着を伝えて参りますので、こちらで少々お待ちください」と言い残して、一人屋敷の中へと入って行った。
「そうか、ゴリラが壁ぶち抜いた件も詰められんのか」
まるで他人事のように「全く、困ったもんだ」と呟いた陽香に、綾那は「壊せって言ったのは、陽香なんだけどなあ」と眉尻を下げる。
とは言え監視カメラに収められているのは、拳一つで壁をぶち抜く綾那の姿だろう。結果そのお陰で、街に被害が出る前にキラービーを退治できた訳だが――どうせ、それとこれとは話が別だ。
「もし賠償問題になっても、私まだ無一文なのに――」
騎士団の広報として雇われたと言っても、綾那はまだ満足のいく結果を出していない。そもそも、やっと働き始めたところに色々な出来事が重なって、デュレリアまで旅に出ているのだ。
この旅がアイドクレース騎士団の広報活動に繋がるはずもなく、賃金だって発生しない。むしろ、旅の間も颯月のポケットマネーで衣食住が保障されている事を、有難く思うべきなのだ。
「いっそ賠償問題になれば俺一人で解決できるから、かえってその方が助かるんだけどな」
「えっ、いや、でも――」
「綾が起こした問題の責任は、全て俺がとる。婚約者なんだから当然だろう?」
颯月は空いた方の手で綾那の髪の毛を梳くと、ひと房持ち上げて口づけた。両手で顔を覆い隠して「ふぐぅ……っ、無理無理のムリぃ――!」と呻く綾那に、陽香が胡乱な眼差しを向ける。
「じゃ、話し合いで解決できずに逃げ出す時は、アーニャがこの屋敷全部ぶっ壊すって事で。後の事は颯様がなんとかするだろ」
「いや、あの……せっかく戦争のない世界なのに、これ以上火種を撒くのはどうかと思う……」
そうして屋敷の入り口前で話し込んでいると、いきなり真上から「アア!」という声が降ってくる。ふと見上げれば、屋敷の開いた窓から身を乗り出すようにしている、軽率そうな男――「転移」もちの男の姿あった。
先頭を歩くのが案内役の騎士。その後ろを、まるで姉弟のように手を繋いで歩く陽香と右京。そして数歩遅れて颯月――と、彼の腕の中で横抱きにされている綾那だ。
(うう……暑い)
蒸し暑い外気温に意識を揺り起こされると、綾那はパチリと目を覚ました。
己が今どういう状況に置かれているのか、意識を手放す前はどこで何をしていたのか――そんな事を考えながら、焦点の合わない目でぼんやりと黒い騎士服を眺める。
(あれ――?)
揺れている。移動している。しかし、綾那は一歩も足を動かしていない。誰かが運んでくれているのだ。
数度目を瞬かせれば、見覚えのあり過ぎる胸章が間近でジャラジャラと音を立てている。視界と思考が少しずつクリアになって、綾那はサーッと血の気が引いていくのを感じた。
恐る恐る目線を上げれば――綾那が覚醒した事に気付いたのか――颯月に顔を覗き込まれて悲鳴を上げる。「きゃあ」なんて可愛らしい悲鳴ではなくて、「いやあぁあ!」というシャレにならない叫び声だ。
その声に驚いた陽香と右京、そして先導する騎士は目を丸めて振り向いた。しかし、叫ばれた当の颯月は慣れた様子で、「ああ、照れているだけだから気にするな」と笑うばかりだ。彼は「おろしてください」と手足をばたつかせる綾那の事を、泣き出した子供を宥めるように揺らすだけ。
陽香は――二人の茶番に付き合っていられるかといった様子で――目を眇めると、さっさと歩き出してしまった。
「そ、颯月さん、お願いですから、本当に勘弁してくださいぃ……!」
「俺はまだ、綾を抱いていたかったのに――」
今にも泣き出しそうな声で懇願すれば、颯月はようやく綾那を地面へ下ろした。酷く残念そうな顔で嘆く颯月に背を向けて駆け出すと、綾那は陽香の腕を掴んで引き留める。
「陽香、酷い……! どうして起こしてくれなかったの?」
「颯様に言えよ、颯様に! てか、あの状況で爆睡したアーニャの自業自得だしな!?」
すげない態度で正論をぶつけられた綾那は、ぐうと唸って下唇を噛みしめた。
陽香の主張はもっともであるが、綾那は昨晩から一睡もしていないのだ。そんな中、ただでさえ包容力と安心感のある颯月の腕に抱かれてしまったら、寝落ちしても仕方ないではないか。
そうして情けなく呻くだけの綾那を、陽香はしばらく無言で眺めていた――かと思えば、いきなり大きな舌打ちをした。突然舌打ちをされた綾那としては、目を丸めるしかない。
確かに、「友人として適切な付き合いを心掛けるように」と忠告されているにも関わらず、腕の中で無防備に眠るなんて、あってはならない事だ。しかし陽香のこの機嫌の悪さは、それだけが原因ではない気がする。これは恐らく、長年一緒に過ごしていたからこそ分かるものだろう。
「ええと……私が寝てる間に、何か嫌な事でもあった?」
綾那が問いかければ、陽香はひくりと口の端を引きつらせた。そして、たっぷりと間を空けてから大きなため息を吐くと、「ナギが怖い……怖いんだ――」とだけ言い残して、その後は綾那が何を聞いても一言も話さなくなってしまう。
己が眠っている間に、一体何があったのだろうか。そうして心配する綾那の背に、颯月が声を掛ける。
「気にするな。自分の軽率な発言を悔いているだけだから」
「軽率な? よく分かりませんけど……陽香、渚が怒った時には、私も一緒に謝るから――」
「だーかーらー! ナギは、お前には何も言わねえの! アーニャの前では笑顔振りまいて、裏で陰湿な事するタイプなの!! アーニャには悪いけど、こうなったらもうアリスに賭けるしかねえぞ! 絶対に「偶像」で颯様を釣ってもらう……!」
祈るように両手を組んだ陽香の言葉に、綾那は苦く笑った。細かい経緯はよく分からないが、やはり陽香は「綾那と颯月の関係に反対だ」という意見で落ち着いたのだろう。
(いや、まあ……これだけ問題が山積みな関係、反対されて当然なんだけど――)
綾那にとって、颯月が鬼門の顔であるという事を前提に――そもそも住む世界が違うわ、一夫多妻だわ、「表」のスタチューや『四重奏』の事だって、蔑ろにはできない。
そうして俯いた綾那の肩を、おもむろに颯月が抱き寄せる。弾かれたように顔を上げれば、彼はうっとりするような甘い笑みを浮かべていた。
「な、なんですか……?」
「いいや、別に? 綾は何も気にしなくていい」
気にするなと言われても、宇宙一格好いい男に間近で触れられて、気にならないはずがないのだが――。
綾那はウッと胸を押さえた後、蚊の鳴くような声で「お陰様で仮眠が取れました」と、ようよう礼を述べた。颯月は満足げな表情で頷いたものの、何やら居た堪れない気持ちになる。
「あの、呑気に眠っていた身でアレですけれど、今向かっているのは領主さんのお屋敷ですか?」
「そうだよ、とりあえず話すだけ話してみよう。やれる事をやって、それでもダメだったら――その時はもう、面倒くさいから逃げる事だけ考えようかな」
あれだけ堅くきっちりしていた右京が、気付けば随分と砕けた考え方をするようになっている。悪魔憑きの姿を一行に見られて、しかも陽香にペット扱いされた事で、色々と吹っ切れて自棄を起こしているのだろうか。
(でも、前よりとっつきやすくなってて良い気がする)
綾那は笑みを浮かべて続きを促した。
「お姉さんが伊織に逆恨みされている件は――まあ最悪、紫電一閃に任せてみたら? そっちもダメなら逃げちゃえば良いよ。無駄な事はさっさと終わらせて、アイドクレースに戻ろう」
「なんだ、ようやく俺の下で働く決意が固まったのか?」
「だから、まだ騎士団に入るかどうかは決めてないってば……誰が大っ嫌いな人の下で働きたいと思う?」
「うーたんは素直じゃないな」
毒を吐く右京に、颯月は軽口を返した。もちろん右京は眦を吊り上げたが、しかし彼が「うーたんはやめて」と言葉を発する前に、先導の騎士が足を止める。どうやら、話している内に領主の屋敷へ到着したらしい。
屋敷の周囲は騒然としていて、綾那が壁を壊したせいか、庭には立ち入り禁止のテープが張られている。大工らしき業者の姿も複数人見受けられて、彼らは忙しなく屋敷の出入りを繰り返しているようだ。
先導の騎士は「到着を伝えて参りますので、こちらで少々お待ちください」と言い残して、一人屋敷の中へと入って行った。
「そうか、ゴリラが壁ぶち抜いた件も詰められんのか」
まるで他人事のように「全く、困ったもんだ」と呟いた陽香に、綾那は「壊せって言ったのは、陽香なんだけどなあ」と眉尻を下げる。
とは言え監視カメラに収められているのは、拳一つで壁をぶち抜く綾那の姿だろう。結果そのお陰で、街に被害が出る前にキラービーを退治できた訳だが――どうせ、それとこれとは話が別だ。
「もし賠償問題になっても、私まだ無一文なのに――」
騎士団の広報として雇われたと言っても、綾那はまだ満足のいく結果を出していない。そもそも、やっと働き始めたところに色々な出来事が重なって、デュレリアまで旅に出ているのだ。
この旅がアイドクレース騎士団の広報活動に繋がるはずもなく、賃金だって発生しない。むしろ、旅の間も颯月のポケットマネーで衣食住が保障されている事を、有難く思うべきなのだ。
「いっそ賠償問題になれば俺一人で解決できるから、かえってその方が助かるんだけどな」
「えっ、いや、でも――」
「綾が起こした問題の責任は、全て俺がとる。婚約者なんだから当然だろう?」
颯月は空いた方の手で綾那の髪の毛を梳くと、ひと房持ち上げて口づけた。両手で顔を覆い隠して「ふぐぅ……っ、無理無理のムリぃ――!」と呻く綾那に、陽香が胡乱な眼差しを向ける。
「じゃ、話し合いで解決できずに逃げ出す時は、アーニャがこの屋敷全部ぶっ壊すって事で。後の事は颯様がなんとかするだろ」
「いや、あの……せっかく戦争のない世界なのに、これ以上火種を撒くのはどうかと思う……」
そうして屋敷の入り口前で話し込んでいると、いきなり真上から「アア!」という声が降ってくる。ふと見上げれば、屋敷の開いた窓から身を乗り出すようにしている、軽率そうな男――「転移」もちの男の姿あった。
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