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第5章 奈落の底で絆を深める

41 予定変更

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 綾那が心地よい微睡まどろみの中感じたのは、まず睡眠薬の類を打ち消す時に似た感覚。続けて、急速に覚醒していく中で感じたのは、酒精が体内から消えていく感覚だ。

 まるで、「解毒デトックス」が発動している時の感覚に似ている――なんて思いながら瞳を開くと、すっかり見慣れた天井が視界いっぱいに広がって、目を瞬かせる。

(あれ? 私……どうして執務室に?)

 確か今日は、大食い大会当日ではなかったか。
 早朝から張り切って会場の設営をして、大会は大盛況で――明臣と和巳の一騎討ちになって、最終的に和巳が『漢の中の漢』になった。
 そして、これから表彰式を始めようというところで、綾那は――。綾那は、顔面蒼白になった。

(ぜ、全部、夢という事でよろしいかな……!? 大事な撮影日にも関わらず寝坊して、今までのこと全部、夢オチで……! そっちの『やらかし』の方がよっぽど良い! まさか皆さんの前で泥酔して、しかもマスクまで外しちゃうなんて、そんな事――!)

 両手で顔を覆って呻く綾那に、少女のような声変わり前の少年のような、中性的な声が掛けられる。

「残念、夢じゃないよ」
「――シアさん!?」
「それにしても、しっかり記憶が残っているなんて難儀な酔い方だねえ」

 呆れたようにため息を吐いたルシフェリアに、綾那は長ソファから跳ね起きた。
 見れば、相変わらず綾那そっくりな姿をしたルシフェリアが、向かいのソファに腰掛けて悠然と足を組んでいる。

 綾那は改めて「シアさん」と唇を戦慄かせると、今にも泣き出しそうな心地で顔を歪めた。

「ど、どうしましょう……私、やってはいけない事を――」
「うーん、起きてしまった事を嘆いても仕方がないよね。この先の事を考える方が有意義なんじゃあないかな――とは言っても、もう僕に君の行く末は見えないから、何もアドバイスしてあげられないけど」
「そ、そんな」
「あ、そうそう。ひとまず「解毒」は返したからね? さすがに、危なっかしくて見ていられないよ。お酒ひとつでこんなになっていたら、この先どんな目に遭うか分かったものじゃあない」

 やはり先ほど覚えた体の違和感は、「解毒」が発動していたのか――と頭の片隅で納得した綾那は、深いため息を吐き出した。
 この先どうすると言ったって、最早お先真っ暗である。

 ただ、あの会場内に集まった若手騎士達は、颯月よりも年若い者がほとんど――という事が不幸中の幸いか。
 きっと元側妃輝夜の顔を知る者など、あの場には居ない。彼よりいくらか年上の和巳だって、当時幼過ぎて顔を覚えていないと言うくらいだ。問題ないに決まっている。

(と言うか、そうでなきゃ困る――)

 全く、酒というのはなんて恐ろしい『毒』だ。もう二度と、酔ってみたいなんてアホな願望は抱かない。
 眉根を寄せる綾那に、ルシフェリアが「ねえ」と問いかけた。

「君が眠りこけている間、暇だから会場の様子を見ていたんだけど……どうにも、旗色が悪いみたいだよ」
「――えっ? そ、それはまさか、輝夜様のお顔を知っている方があの中にいらっしゃると……?」
「ううん、そっちじゃあなくて――今日中に「偶像アイドル」の封印を解くって話で、まとまりそうだね」

 淡々と告げられた言葉に、綾那は言葉を失った。

「偶像」の事は、覚悟していた。つい二、三日前に最後まで颯月を信じると決めたばかりだし、その想いは今も変わっていない。
 しかし、それはそれとして、なぜ急に。約束の日まで、まだ一週間近くあるはずなのに。

 綾那の行く末は見えずとも胸中だけは読めるらしいルシフェリアは、小さく肩を竦めた。

「君が素顔を晒しちゃったから、万が一にも今の王様に呼び出されないよう、一時的に王都から避難させようって話になってる。少なくとも、あの赤毛の子が王都の話題を攫うまでは戻って来られなくなるかもね」
「つまり、繊維祭が終わるまで? それは……私の自業自得ですから、構わないんですけど――でも」
「赤毛の子は、君が王都から離れている間に「偶像」の封印が解かれるって危惧しているんだよ。君の目の前で解かなきゃ、意味がないんでしょう?」

 綾那は思わず、苦い顔をした。
 確かに、陽香の考えは正しい。彼女には一、二週間もすれば天使の力が戻るのではないかという話をしているし、綾那が見ていない所で颯月が「偶像」に釣られたって、意味がない事も確かだ。

 綾那がコソコソ隠れるようにルシフェリアと交流している事を、彼女は知らないのだから。

「一応約束は約束だし、君がどうしても嫌だって言うなら、適当な理由をつけて断っても良いけれど……どうする? どちらにしても君は、これからしばらく颯月あの子と離れて過ごさなければいけなくなるんじゃあないかな。騎士団長っていうくらいだから、そう頻繁に王都を離れられないでしょう」
「ああ……じゃあどちらに転んでも、思い出づくりはもうおしまいなんですね」

 綾那はしょんぼりと肩を落とした。あと一週間は颯月の『特別』で居る事が確約されていたはずなのに、なんたる失態か。
 しかしルシフェリアの言う通り、今更後悔したって仕方がない。過ぎた時は戻せないのだから。

(でも、うん……颯月さん、デートしてくれたもの。貴重な私服姿も……体の刺青も全部ではないけど、それなりに見せてくれたし。今の内にやっておきたい事は、軒並み叶えられてる。唯一の心残りは……いや――)

 綾那はそこで意識的に思考をストップさせたが、どうやら遅かったようだ。

「うーん……あの子、ああ見えて物事の順序を守るタイプみたいだから――今の関係性でキスは、どうしたって無理なんじゃあないかな」
「わっ、私のよこしまな心を、いちいち読まないでください……!!」

 綾那はグッと下唇を噛んだ。何も、わざわざ口に出さなくたって良いではないか。綾那自身、これ以上先に進めない事はよく理解しているのだから。

 どうせなら、キスだけでもしたかった――それは嘘偽りない綾那の本音であるが、颯月が『不純異性交遊、ダメ絶対』である以上、無理無理のムリなのだ。

「分かりました、「偶像」を発動させましょう。私も、知らない所で颯月さんがどうにかなっちゃうのは寂しいですから――し、信じて、いますけど……」
「ああ、やっぱり不安なんだ?」
「怖くないと言えば、嘘になります。でも願えば叶うなら、願わなきゃ……シアさん、私が居ない時に颯月さんと会ったでしょう? 突然『引き寄せの法則』なんて言い出して、どうしたのかと思いましたよ」
「さあ、どうだったかな? ……忘れちゃった」

 誤魔化すように悪戯っぽく笑うルシフェリア。
 一体どんな話をしたのかは分からない。しかし、そのお陰で颯月の貴重な私服姿が見られたのだとすれば、感謝の念を抱かずにはいられない。

(私は、絶対に『ファンの鑑』にはなれないけれど……でもきっと颯月さんが今後どうなったって、好きな事には変わりない気がする)

 嫌いになれなければ綾那が苦しいだけなのだが、こればかりは仕方がない。好きという気持ちを上手くコントロールできていたなら、そもそもここまで沼の深みに嵌っていないのだから。

 綾那は、よしと気合を入れるように両頬をパチンと叩いた。ちょうどそのタイミングで、執務室の扉が開かれる。
 中へ入って来たのは颯月で、彼は綾那が目覚めている事に驚いたのか、ぴたりと足を止めた。

「――綾? もう起き……創造神まで?」
「やあ、お邪魔しているよ」

 ルシフェリアは機嫌よさげにひらひらと手を振ったが、綾那は眉尻を下げると、即座にソファから立ち上がった。

「颯月さん、ごめんなさい……私、酔って大変なやらかしを――」
「うん? ああ……いや、可愛かったから良い。若手の事は気にするな、口を開かんようきつめに言い含めてある」
「そういう問題ではないような」
「――ただ、禅が不安がっていてな。繊維祭が終わるまで、綾を隠した方が良いと言って聞かん」

 ルシフェリアから聞かされた通りの展開に、綾那は目を伏せた。そして、ややあってから小さく頷く。

「シアさんから、大体聞かされています……「偶像」の事も」

 綾那の言葉に、颯月は「そうか」と短く答えた。
 二人はしばらくの間、言葉なく見つめ合った。しかし軽快な足音が近づいて来たため、開いたままの扉の向こうへ目線を移動させる。

「颯様、アーニャ起きてるか? 一緒にシア探しに――え、シア居んじゃん!!」
「やあ。うーん、今日もなかなかの呪われっぷりだねえ、そろそろ祝福をかけ直しておこうか」

 出会い頭に物騒な言葉を浴びせられた陽香はギョッとしたが、小さく頭を振ると「いや」と口を開く。

「今は無駄に力を使わせたくないんだ、どうしても今日「偶像」の封印を解いて欲しくて――」
「ああ、その話なら、ちょうどこの子としていたんだ。僕はいつでも良いよ」
「――マ?」

 ルシフェリアは言いながら、陽香に手を翳した。その途端、彼女の身体が白い光に包まれる。
 恐らく、彼女に降りかかる呪いとやらに対抗するための祝福をかけ直してくれたのだろう。

 陽香は目を瞬かせると、どこか放心状態で「サンキュー」と礼を言った。とんとん拍子に事が運び、肩透かしを食らった気分なのかも知れない。
 彼女はそのままついと綾那に目線を投げると、なんとも言えない複雑な表情になった。

「えっと……アーニャも、良いんだよな? てか酔い、醒めてたのか」
「あ、う、うん。撮影途中であんな事になって、ごめんね」
「いや、「解毒」がなかったんだから仕方ねえって。表彰式までばっちり撮り切ったから、動画については心配すんな」
「ありがとう――アリスは?」
「まだ訓練場で待機してもらってる――んだけど……シアと颯様、連れてっても良いか?」

 陽香の問いかけに、綾那は首を傾げた。自分は連れて行かないのか――と。
 颯月も同様の疑問を抱いたらしく、不思議そうに口を開いた。

「綾は?」
「いや、なんか……本人の目の前で釣った事ねえからさ。今までと違って、予期せぬ事が起きるんじゃあねえかと思って。颯様の結果がどっちだったにしても、あたしが知らせに来るから……アーニャはここで待っててくれよ」
「え、でも――そっか、私が傍で見てるとズルになるのかな……」
「まあ、「かも」って話だけど、一応な? 今までと同じ条件で戦わなきゃあ、公平な試合にならんだろ」

 どこまで真剣な物言いの陽香に、綾那は「試合なんだ」と首を傾げて苦笑した。
 続けて颯月を見やると、諦観ではなく、寂しげなものでもない、ただ柔らかな笑みを浮かべる。

「颯月さん、行ってらっしゃい。ここで待っていますね」
「……ああ、待っていてくれ。陽香が迎えに行くまでもなく、俺がアンタを迎えに来るから――ここ数日、俺は綾のせいで体に悪い我慢ばかりしてきた……だがそれも今日限りで終わりと思えば、感慨深いな」

 颯月は意味深長な笑みを湛えて、綾那に背を向けた。そうして執務室から出ると、一旦足を止める。

「これでようやく、そそげるな」

 それだけ言い残して、彼は一人で歩いて行った。あの日の恥とは、まず間違いなく綾那がキスをせがんだ夜の事を言っている。
 彼は綾那の願いを聞き入れられなかった事を、「男の恥だ」と言って酷く苦悩していた。

 ――本当に、期待しても良いのだろうか。綾那が不安で泣き出す前にキスをしに来てくれるだろうか。

 二人の会話の意味を知るはずのない陽香は、頭上に『?』を飛ばしていたが、しかしすぐハッとするとルシフェリアに「行くぞ、シア!」と声を掛け、部屋から出て行った。

「それじゃあ、行ってくるよ――君と颯月あの子に、光の祝福がありますように」

 慈愛の天使に相応しい穏やかな表情を見せたルシフェリアに、礼を返す。
 そうして執務室に一人残された綾那は、長ソファに浅く腰掛けると、果たして迎えに来るのは颯月と陽香どちらだろうかと思案する。

 どうか颯月であるように――と願いながら、途端に早鐘を打ち始めた鼓動を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返したのであった。
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