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Ⅲ 有為転変はエルフの習い 編

ラカンの誤解とアドルティスの嘘

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「おい、アドルティス」
「な、なんだ、ラカン」
「お前、ちゃんと洗ったのか」
「も、もちろん」
「あっそう。ならよ」

 そう言ってうかつにも手鏡を握ったままの俺の右手を取ってニヤリと笑う。

「さっき、ナニ見てたんだ、お前」
「な……ナニって…………」

 俺は思わず目を逸らす。ラカンはそんな俺を鼻で笑うと手鏡を握り締める俺の手の横をすり、と指で撫でた。俺の身体は馬鹿みたいに素直にビクッと跳ねる。

「なぁ、アドルティス。俺が洗ってやろうか」
「いや、いい」
「そう言うなよ」

 俺は一瞬『えっ♡ まだ昨日の熱が残ってジンジンしてる俺のココやアソコを♡ ラカンが太い指や分厚い手のひらで♡』と浮かれそうになった自分の脳味噌を張り倒して昨日のこの浴室でのアレを思い出させると、必死にラカンの腹が立つほどぶっとい腕を突っぱねながら言い募る。

「いや、でもそう言ってあんた、昨日ここでどんなことになったか忘れてるんじゃないだろうな!」
「なんだ。ちゃんと覚えてたのかよ」

 ラカンはそう言ってあっさり俺から手を離した。それが一瞬さみしくて、俺はそんな自分を脳内で激しく罵る。
 恨みがましく半目で見上げると、ラカンは何がそんなに面白いのか、ひどく機嫌の良さそうな顔で俺を見下ろしていた。
 ラカンにしては珍しいそんな顔に見蕩れて、そして朝から彼の一挙手一投足に翻弄されてばかりの自分がひどく惨めになる。

「……そういうラカンこそ、一体何を考えているんだ」

 つい声が低くなるのを抑えられなかった。自分の所業を棚に上げてよく言うな、と自嘲しながらも、俺は尋ねずにはいられなかった。

「なんであんた、そんなに普通なんだ? 俺があんたを酔い潰して、その隙に何したのかわかっていてなぜ怒らないんだ」

 なんで俺なんて抱いたりしたんだ、とは聞けなかった。答えが恐ろしくて。
 そして、ラカンの答えは俺の息の根を止めるようなものだった。

「だって、お前好きなんだろう?」

 一瞬、本気で心臓が止まったかと思った。

 スキってナニが? スキってダレを? 

 そこで俺は思い出したくないことを思い出してしまった。そうだ。最初に寝てるラカンを襲った時、いきなりラカンに反撃をくらって、なぜかラカンに積極的に尻を突かれてうっかり口走ってしまったのだ。ラカンへの、八年を超える一方的な感情を。

――――すきだ。ラカン、すきだ。ずっとすき。

 ああああまずい。どうしよう。絶対気持ち悪いだろう、こんなの。ずっと友人、というか相棒だと思ってた相手が自分にそんないやらしい思いを抱いてたなんて知ったら、絶対気持ち悪いだろう。

 俺は元々ラカンと一緒に受ける仕事以外は一人でこの街周辺で済むような依頼しか受けない。だが『剣鬼』の勇名を頼って多くの指名依頼が舞い込んでくるラカンは、結構長期や遠くに行く討伐依頼や護衛仕事も多い。
 だから俺は、ラカンとの友情(?)が途切れてしまわないように、そりゃあ旬の牡蠣だの今年の新酒だのと必死に理由をこじつけては勇気を出して呑みに誘ったりなんだりしてきたのだ。
 だがそれも今度こそお仕舞いかもしれない。この先二度と一緒に酒場に行ったり依頼を受けたりできないかも、などと思わず萎れていたら、ラカンが予想外なことを言った。

「一体いつからそんなにセックスにハマっちまったんだ、お前」
「……………………は?」
「いや、だってお前好きなんだろ? セックス」

 俺は返事ができなかった。
 も、もしかして、ラカンは俺が単に男とするのが好きで、それで相手に困ってラカンを襲ったと思ってるんだろうか。そうか、昨日やけに俺が誰か他の男ともこういうことをしているのかどうかを気にしていたのはそういう意味だったのか。
 なんというか、一気に脱力した。うっかり床に座り込みそうになって必死に身体を支える。
 …………良かった、んだろうか。いや、良かったんだよな。ラカンが勘違いしてくれてて。だってラカンにしてみたら『俺がラカンに惚れてずっとそういう目で彼を見ていた』というよりも『俺個人が淫乱であちこちで男と寝ていた』って方が実害がないもんな。
 俺は慌てていつもの無表情を取り繕って答えた。

「まあ、そうだな。迷惑かけて済まなかった」
「それはいいが、本当にお前気をつけろよ」
「何を」
「だから、どこの誰ともわからないヤツとあんなことするんじゃないぞ」
「するわけないだろう」
「……そうか、わかった」

 そう言うと、ラカンの眉間の深い深い皴が消えた。
 そういえば、昨日ベッドで言ってたな。他の誰ともこんなことするな、って。
 そうか、ラカンは心配してるのか。俺がセックスがしたいばかりにろくでもない男を引っ掛けてトラブルに巻き込まれるのを。
 途端に、俺はラカンのあったかくて頼りがいのある手で包まれたような気持ちになる。我ながら呆れるくらい単純だ。

 思えばラカンと出会ってからの八年間、俺は本当に毎日が楽しくてたまらなかった。
 木々の葉で遮られる森の景色とは全然違う光景。街を行きかう様々な種族の者たち、いろんな匂いと色と感情が入り混じる混沌とした世界は何もかもが目新しくて興奮した。
 そして見知らぬ人々と一緒に暮らし、働き、戦う。見たこともない魔獣たちとの命のやり取りでさえ心躍る初めての体験だった。
 そんな中でいつも一番近くにいたのがラカンだった。

 ラカンとは多くの時を一緒に過ごして来た。
 たくさんの経験を積んで白磁から銅、銅から銀にランクが上がった時にだって傍にいて「やったな」って言ってくれたのはラカンだった。
 そして難攻不落と言われていた東の岸壁の迷宮を踏破して最下層に巣くっていたグエラギルスを倒した時にラカンがルーマ地方で三人目の金級になって、そして初めての『剣鬼』の称号を得た瞬間に立ち会えたのは俺にとっては一生の思い出だ。ラカン自身ははランクや称号なんて別にどうでもいいって思ってるみたいだけど。

 ラカンは俺の経験の浅さや融通の利かなさとか、人付き合いの下手さとか、欠点だらけの俺を知っていて、それでも俺をまるで対等の仲間のように扱って見捨てたりも甘やかしたりもしなかった。
 きっと、冒険者としてここにいる俺を一番気に掛けてくれているのはラカンだと思う。一族はもちろん家族でさえも俺が森を出てまだ見たことないところに行ってみたいと言った時に『理解できない』『好きに生きたらいい』としか言わなかったのに。

 ああ、やっぱり俺はラカンが好きだ。どうしたって一方通行で独りよがりな想いだけど。
 俺は肩の力を抜いてラカンを見上げて言った。

「なあ、腹減っただろう。朝食を作るから食べて行くといい」
「おう」
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