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神への供物に仕える夜の従者の葛藤
20 神子の異変
しおりを挟むだがそんなおれの意識が変わる決定的なことが起こった。彼の閨に抱き女が遣わされてきたのだ。
七日間の宴が始まれば《太陽の神子》は四人の花嫁を迎え、七日の間昼夜を通して肉の交わりに溺れ続ける。それは男としての命の源である精を神に捧げるためだが、やがて去るこの世に未練を残さないように、という意味もあった。
彼は女が寝所にやって来た時、初めの内は乗り気のように見えた。だが女が口を開いた途端、ひどく驚いて後ずさり、おれにしがみついてきた。
抱き女が口淫をする時に男の徴を傷つけぬよう歯を抜かれるのは当然のことだ。なのに女の口の中を見た彼の顔は完全に恐怖に満ちていて、抱き女というものを知らなかったのは明らかだった。
そんなはずはない。自ら志願し神子の役目を勝ち取った彼が、自分が果たすべき務めとそれを助ける抱き女を知らないはずがない。なのに彼のこの反応はなんだ。
ガタガタと震えている彼を見かねて女を寝所から去らせた後も、彼はずっとおれにしがみついていた。本当なら神子と共寝をするなど許されることではないが、あまりにもひどく怯えているのを放っておくことができずその晩は彼を抱きしめて寝た。
本当に驚いたのは翌朝のことだ。
朝、彼は目覚めておれの顔を見るなり「アトラ」と呼んだ。少しばかり間の抜けた、ひどくホッとしたような顔をしておれが失くした名を呼んだのだ。多分、おれは嬉しかったのだと思う。久しぶりに意識してではなく、自然と顔がほころんだ。
案の定、翌朝一番に祭司長が現れて「昨日の女をなぜ召さなかったのか」と彼を詰問した。「間もなく最後の七日間が始まる。その時貴方は四人の花嫁を得る。その前に貴方にはもっとこの世の悦楽を楽しんで貰わねば」と。
要するに祭司長は宴の本番が始まる前に、トナティルがちゃんと女を抱き精を吐き出せるのか、そして最近様子がおかしいトナティルのことを探るために抱き女を送り込んだのだ。
祭司長の問いに彼は答えなかった。そういえば彼が変わった様子を見せるようになってから一度として祭司長や召使いたちに話し掛けたところを見たことがない、と気づく。
祭司長に責められ、意気消沈したように丸まった背中が不憫に思えて、おれは彼の肩に手を置いた。おれを見上げた彼の目がわずかに揺らぐ。そしてふと、小さく口を開いて何かを言おうとした。とっさにおれは耳を澄ませて彼の言葉を待つ。だがやはり彼の唇から音がこぼれることはなかった。
一人ですべてを飲み込むように口を閉じてうつむいた彼を抱き寄せる。彼の身体から力が抜けたのを感じて誰にも気づかれぬよう彼の頭に唇を押し当てた。他意はない。ただ彼にせめてもの慰めと励ましを与えたかっただけだ。
そしておれは確信を持つ。
今ここにいる彼は、絶対にトナティルではない。
確かに器はトナティルそのものだが、中にはまったくの別の魂が宿っている。それも強烈な矜持と自尊心と傲慢さを併せ持つトナティルとは似ても似つかぬ、ごく素朴な人間の。
なぜ中身が入れ替わったのか、今トナティルの中にいる彼は一体誰なのか。おれにはわからない。
でも今朝彼が目覚めた時に、その魂がどこの誰とも分からず悪霊の類であるかもしれないのに彼に名を呼ばれて嬉しいと思った。
それからおれは彼の言葉や仕草に極力気を配り、彼がトナティルではないことが他の者たちに知られぬように心を尽くすことにした。だが彼が日に日におれに気を許し、抱き上げた時に素直に身を預けるようになってくるにつれ、おれの心に新たな憂いが生まれる。
今トナティルの中にいる彼は、これから先自分の身に何が起こるのかわかっているのだろうか。
間もなく七日間の宴が始まる。彼は神の化身として祀られ、この世の栄華とあらゆる美酒美肴と淫蕩とを浴びせられることになるだろう。そして宴が終われば彼は偉大なる夜の王テスカトリポカへの生贄として自らの心臓を捧げなければならないのだ。
トナティルはその役目をこの上なく栄誉なことだと心から喜び、自分が選ばれたことを心底誇りに思っていた。トナティルだけでなくこの国の者なら誰でもそう思うだろう。だが今トナティルの中にいる彼はどうだろうか。
◇ ◇ ◇
おれが何を思おうが日は沈み、夜は訪れる。そしてまた朝になり、ついに《最後の七日間》の宴が始まった。
おれは出来る限り彼が安楽に過ごせるように心を砕いた。不安そうに目が落ち着きなく動いている時は肩を抱いて励ましてやり、焼いた肉の塊にうんざりした顔をしていれば祭司長の目を盗んでそれを食べてやった。さらには祭司長の差し金で媚薬入りのプルケを浴びるように飲まされ無理矢理発情させられた彼が連れてこられた花嫁たちを拒否した時は、彼らの代わりに昂る身体を慰めてやりもした。
「っふ、あっ、あっ、ん……っ」
彼の口や鼻から甘ったるい声がひっきりなしに漏れる。
この頃にはおれもトナティルの中身が別の人間に代わっていることにすっかりと慣れ、このいかにも物事に慣れていない彼を守って世話をしてやることが自分の役目なのだと思っていた。
「んっ、……っは、……ぁ……っ、あっ」
気持ちよさそうに啼く声が思いがけず耳に快くて彼の顔を仰のかせる。すると永遠のように繰り返される愛撫と途方もない快感にどろどろに蕩けた目がおれを見上げてくる。
「アトラ、アトラ」
何度もおれの名を呼びしがみついてくる彼が不憫でならない。
彼は七日後に生きたままおれに心臓を抜かれて死ぬのだ。
◇ ◇ ◇
そんなおれをあざ笑うかのように、さらにおかしな事が起こるようになった。時々、彼の様子が不意に変わるのだ。
二日目の宴の時に、突然彼の表情が変わった。何がきっかけだったのかはわからない。だが、それまで運ばれてくる酒や肉を疲れたような目で見ていた彼が、突然肉を鷲掴んで食べたのだ。そして唇を濡らす脂を舌で舐め取り、おれの方を向く。
「どうした。オマエも食え」
強い意思を思わせる黒い目とその口調、晴れ晴れと輝く顔つきは間違いなく本物のトナティルのものだった。だがさらにプルケを飲まされ四人の花婿たちが連れてこられると、再びトナティルではない《彼》が現れる。これは一体どういうことなのか。
それからというもの、折に触れトナティルと彼とが入れ替わるようになった。不安げに自分をとりまく者たちを見ていたかと思えば、突然鷹揚な笑みを浮かべてはあらゆる要求が叶えられて当然とばかりに人々に指図する。
初めは一日に一度あるかないかだった。だが日を追うごとに本物のトナティルが現れる時が増していく。それもおれが《彼》の身を案じ、少しでも安らかにしてやりたいと思った時に。
「オマエは自分の役目を忘れてはいないだろうな? 我が忠実なる《夜の従者》よ」
トナティルの形のいい唇が美しい弧を描く。その顔は獲物の死肉を咥えて満足気に笑うコヨーテのようだった。おれは黙って彼の前にひざまずき、頭を垂れる。トナティルと《彼》とは器の形は同じでも全く違う顔をしていた。
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