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元・日本の大学生くんのこれから
23 祭りの儀式
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(最後の主人公くん編です)
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抜けるような青い空の下、アトラが黒い石のナイフを振りかざす。
――――ついに時は来た! さあ、我が心臓を神に捧げよ!
そう叫ぶトナティルの声が俺の頭の中で響いたのと、何かスッとする匂いが鼻を抜けたのとはほぼ同時だった。それまでぼんやりと霧がかっていたような意識に不意に晴れ間が射す。
なんの匂いだろう。薄荷や森の奥の踏みしめられた緑の草のような香り。ああ、そうだ。昨日アトラがくれた首飾りだ。黒い石と一緒に紐に通された木の実に似た何か。アトラが俺の首に掛けてくれて、そして……
俺は目を閉じてもう一度その木の実の匂いを嗅ぐ。その瞬間、割れ鐘のようなトナティルの叫び声が突き刺さった。
「さあ今だ! オレを殺せ!!」
ドン! と突然胸を突かれて激痛が走る。な、何!? なんだ!? あまりに強い衝撃と痛みに一瞬息が止まった。
「か、は…………ッ!」
痛くて痛くてとっさに身体を丸めたとたん、どすんとどこかから落っこちる。なんとか息をしようとうずくまる俺の腕を誰かが掴んだ。反射的に振り払おうとがむしゃらにもがく。
「大丈夫だ」
聞こえた声に我が耳を疑った。低くて深い、以前少しだけ聞いたことのあるその声。
「…………アト、ラ…………?」
ズキズキと痛む胸を押さえて顔を上げると、黒い髪を後ろで束ねた褐色の肌の逞しい男が俺を抱き起して祭壇にもたれさせた。ああ、アトラだ。間違いない。彼は俺の胸元に下がる首飾りを目で示して言った。
「黒曜石は魂から悪しきものを追い出し、ヨロトルの種の香りは毒を消す。お前の中のトナティルは今、死んだ」
「え……し……死んだ?」
「お前はトナティルではないな?」
そう聞かれて思わず息を呑んだ。俺がトナティルじゃないと薄々勘づかれているとは思っていたが、こうして面と向かって聞かれたのは初めてだ。というか、会話をするのも初めてだということに今頃気づく。
アトラの真剣な眼差しに押されて、俺は恐る恐る頷いた。するとアトラも小さく頷いて俺の肩を押す。
「そこにいろ。まだ儀式は終わっていない」
「え?」
その時、祭壇の影に隠れるように誰かが蹲っていることに気が付いた。その男は酒に酔ったように真っ赤な顔をしていて、ふらふらと視点の定まらない目を空に向けている。アトラはその男を片手で祭壇の上に引きずり上げると、手にした黒い石のナイフをその胸目掛けて振り下ろした。
「ヒッ!?」
思わず漏れそうになった悲鳴を慌てて両手で押さえつける。アトラは俺の目の前で男の胸を切り裂くと中に手を突っ込んだ。そして血まみれの塊を取り出す。ガタガタと震える俺には目もくれず、アトラはその塊を空に向かって掲げ、声を張り上げた。
「今! 偉大なる夜の王に生贄の心臓を捧げる! そして身体は忠実なる神の僕、メシカの民に! 頭蓋を次なる年の神子のために捧げる!」
ウォオオォ! と地をどよもすような歓声が下界から響いてくる。
まるで悲鳴のような、怒号のような声の渦。
「祝福されし供物は今、捧げられた! 我らにとこしえの繁栄を! 漆黒に輝くテスカトルよ!」
「心臓を神に! 血と肉とを我らに!」
アトラが手にした塊を皿に乗せ祭壇の後ろにある高い台に載せる。そしてもっと大きなナイフを取ると祭壇の上に乗り上げてちら、と俺を見た。
「顔を伏せておけ」
アトラが大きなナイフを男の首に当てる。慌てて抱え込んだ膝に顔を埋めた俺の耳にゴリゴリと身の毛もよだつような音が聞こえてきた。やがてゴトン、と重い物が落ちる音がする。アトラは祭壇の上で何かをはぎ取るような仕草をして床に捨てた。それから男の身体を持ち上げ石段の遥か下の方へと投げ捨てる。するとまたワッと人々の歓声が沸き起こった。
「行くぞ」
突然言われてハッと我に返る。見ると返り血で真っ赤に染まったアトラが俺に向かって手を差し出していた。ムッと立ち込める血の匂いに思わず後ずさってしまう。するとアトラがわずかに眉を顰めた。
「どうする。おれについて来るか」
アトラが俺に答えを求めている。
「行く」
不思議と躊躇はなかった。正直何が何だかわからないし頭はひどく混乱しているけれど、アトラは信用できる。絶対にだ。それだけは確かだと思った。
彼の手を掴んでそう答えた俺をアトラが軽々と抱き上げる。みんながいる方とは反対側の斜面に向かって駆けだした。かなり急な石段を飛ぶように駆け下りていくアトラのスピードがあまりに速くて、俺は彼の首にしがみつく。
俺が暮らしていた神殿は南の方角、太陽の方に向いて建っていて、だから俺は北側を見たことがなかった。見晴らしのいい南側と違って北側は石段を降りるとそこからごつごつした岩が露出している山に続き、その向こうは木に覆われてよく見えない。
「どこに行くの」
俺が尋ねると、アトラは一瞬俺を見て口角を上げた。
「さあ。とりあえずはあの祭司長の目の届かぬところだ」
そう言われて思わず笑ってしまう。するとアトラの笑みが一層深くなった。
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抜けるような青い空の下、アトラが黒い石のナイフを振りかざす。
――――ついに時は来た! さあ、我が心臓を神に捧げよ!
そう叫ぶトナティルの声が俺の頭の中で響いたのと、何かスッとする匂いが鼻を抜けたのとはほぼ同時だった。それまでぼんやりと霧がかっていたような意識に不意に晴れ間が射す。
なんの匂いだろう。薄荷や森の奥の踏みしめられた緑の草のような香り。ああ、そうだ。昨日アトラがくれた首飾りだ。黒い石と一緒に紐に通された木の実に似た何か。アトラが俺の首に掛けてくれて、そして……
俺は目を閉じてもう一度その木の実の匂いを嗅ぐ。その瞬間、割れ鐘のようなトナティルの叫び声が突き刺さった。
「さあ今だ! オレを殺せ!!」
ドン! と突然胸を突かれて激痛が走る。な、何!? なんだ!? あまりに強い衝撃と痛みに一瞬息が止まった。
「か、は…………ッ!」
痛くて痛くてとっさに身体を丸めたとたん、どすんとどこかから落っこちる。なんとか息をしようとうずくまる俺の腕を誰かが掴んだ。反射的に振り払おうとがむしゃらにもがく。
「大丈夫だ」
聞こえた声に我が耳を疑った。低くて深い、以前少しだけ聞いたことのあるその声。
「…………アト、ラ…………?」
ズキズキと痛む胸を押さえて顔を上げると、黒い髪を後ろで束ねた褐色の肌の逞しい男が俺を抱き起して祭壇にもたれさせた。ああ、アトラだ。間違いない。彼は俺の胸元に下がる首飾りを目で示して言った。
「黒曜石は魂から悪しきものを追い出し、ヨロトルの種の香りは毒を消す。お前の中のトナティルは今、死んだ」
「え……し……死んだ?」
「お前はトナティルではないな?」
そう聞かれて思わず息を呑んだ。俺がトナティルじゃないと薄々勘づかれているとは思っていたが、こうして面と向かって聞かれたのは初めてだ。というか、会話をするのも初めてだということに今頃気づく。
アトラの真剣な眼差しに押されて、俺は恐る恐る頷いた。するとアトラも小さく頷いて俺の肩を押す。
「そこにいろ。まだ儀式は終わっていない」
「え?」
その時、祭壇の影に隠れるように誰かが蹲っていることに気が付いた。その男は酒に酔ったように真っ赤な顔をしていて、ふらふらと視点の定まらない目を空に向けている。アトラはその男を片手で祭壇の上に引きずり上げると、手にした黒い石のナイフをその胸目掛けて振り下ろした。
「ヒッ!?」
思わず漏れそうになった悲鳴を慌てて両手で押さえつける。アトラは俺の目の前で男の胸を切り裂くと中に手を突っ込んだ。そして血まみれの塊を取り出す。ガタガタと震える俺には目もくれず、アトラはその塊を空に向かって掲げ、声を張り上げた。
「今! 偉大なる夜の王に生贄の心臓を捧げる! そして身体は忠実なる神の僕、メシカの民に! 頭蓋を次なる年の神子のために捧げる!」
ウォオオォ! と地をどよもすような歓声が下界から響いてくる。
まるで悲鳴のような、怒号のような声の渦。
「祝福されし供物は今、捧げられた! 我らにとこしえの繁栄を! 漆黒に輝くテスカトルよ!」
「心臓を神に! 血と肉とを我らに!」
アトラが手にした塊を皿に乗せ祭壇の後ろにある高い台に載せる。そしてもっと大きなナイフを取ると祭壇の上に乗り上げてちら、と俺を見た。
「顔を伏せておけ」
アトラが大きなナイフを男の首に当てる。慌てて抱え込んだ膝に顔を埋めた俺の耳にゴリゴリと身の毛もよだつような音が聞こえてきた。やがてゴトン、と重い物が落ちる音がする。アトラは祭壇の上で何かをはぎ取るような仕草をして床に捨てた。それから男の身体を持ち上げ石段の遥か下の方へと投げ捨てる。するとまたワッと人々の歓声が沸き起こった。
「行くぞ」
突然言われてハッと我に返る。見ると返り血で真っ赤に染まったアトラが俺に向かって手を差し出していた。ムッと立ち込める血の匂いに思わず後ずさってしまう。するとアトラがわずかに眉を顰めた。
「どうする。おれについて来るか」
アトラが俺に答えを求めている。
「行く」
不思議と躊躇はなかった。正直何が何だかわからないし頭はひどく混乱しているけれど、アトラは信用できる。絶対にだ。それだけは確かだと思った。
彼の手を掴んでそう答えた俺をアトラが軽々と抱き上げる。みんながいる方とは反対側の斜面に向かって駆けだした。かなり急な石段を飛ぶように駆け下りていくアトラのスピードがあまりに速くて、俺は彼の首にしがみつく。
俺が暮らしていた神殿は南の方角、太陽の方に向いて建っていて、だから俺は北側を見たことがなかった。見晴らしのいい南側と違って北側は石段を降りるとそこからごつごつした岩が露出している山に続き、その向こうは木に覆われてよく見えない。
「どこに行くの」
俺が尋ねると、アトラは一瞬俺を見て口角を上げた。
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そう言われて思わず笑ってしまう。するとアトラの笑みが一層深くなった。
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