スイート・パルファム

天汐香弓

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和真のもとへ

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和真にとって、朝のルーティーンは平日も週末も変わらない。
五時に起き、水を飲んだらマンションの中にあるジムに足を向ける。
マシントレーニングを三十分、ランニングマシーンで三十分トレーニングをしたら、サウナに三十分浸かり、冷たいシャワーを浴びて部屋へと戻る。
買い物をして部屋に戻ると、リビングのソファーで優が膝を抱え座っていた。
「早起きだな」
「なんか、寝れなくて……」
にこっと笑った優に「そうか」と言ってソファーに腰を下ろした。
「運動、してきたんですか?」
ジャージ姿の和真に優が問いかける。
「ああ、建物の中にジムとサウナがあるんだ。行きたいなら今度連れて行ってやる」
「運動は苦手なんで……」
ふっと目を細める優が大きく伸びをした。
「運動したなら、たんぱく質いりますよね。何か冷蔵庫にあればつくりますけど」
「生憎うちの冷蔵庫には水とワインしか入ってない」
「それは困りましたね……」
「別に筋肉が云々で体を動かしているわけじゃない。ルーティーンなんだ」
そう言いながらマンションの近くのパン屋で買ったクラブサンドとコーヒーを差し出すと優が笑顔で受け取った。
「九時に友人が車を持ってくる。それに荷物を載せてうちに運び込もうと思っている」
「ありがとうございます」
「不要物は廃棄になるが構わないか?」
「それはもう、しょうがないですから。それに元々荷物も少ないですし」
抱えていた膝を床に下ろした優がふっと笑顔を見せた。
「そう言えば、両親はいつ亡くなったんだ?」
「四月の入学式の後です。入学式を両親で見に来て、帰る時に交差点で信号待ちをしている時に車が突っ込んできて。俺はたまたまかすり傷だったんですけど、両親は……」
「そうか。じゃあ、まだ気持ちの整理もついていないんだな」
「そうでもないですよ。家を処分してあそこに引っ越す時に、気持ちは全部片づけてきたつもりです。位牌とかも祖父母の家にありますし」
「そうか」
相槌を打つと、優がクラブサンドを齧った。
「ただ、母がナチュラリストだったので、色々その影響は受けてて……そう言う意味では和真さんの生活を邪魔しないと思います」
「具体的には?」
「洗濯は石鹸だし、シャンプーもリンスも石鹸シャンプーとかクエン酸リンスとかそう言うのだし、料理する時も出汁は自分でとってて、味噌の作り方も母から習いました」
「徹底してるな」
感心したように頷くと、照れたように優が笑った。
「家にはハーブを植えて、それを使ってました。今は育てられないから、隣の駅にある専門店に行きますけど」
「まだ高校生だろ?家の手伝いを随分していたんだな」
「母がそういう方向ではプロとして仕事にしていたので、小学生の頃から少しずつ教えられていて。時々母の講座にも呼ばれて助手のようなことをしてたんです」
「なるほどな」
料理がきちんとできているの理由も納得が出来て和真は感心した。
「家事手伝いのバイトについての契約書は月曜でもいいか?」
「はい。あと家賃はいくら払えばいいですか?」
「住み込みだから、家賃はいらない。生活費も出す。浮いた金は貯金するといい」
「ありがとうございます。和真さんって本当にいい人ですね」
コーヒーを飲む優が楽しそうに目を細める。
「いい人かどうかは分からんが、まあ、困ったヤツを放っておけるほど酷いヤツでもないつもりだ」
「そう言い切れるのが和真さんのいいところだと思いますよ」
食事を終えた優が両手を合わせると、昨日教えた場所にゴミを捨てる様子にてきぱきしていると感心する。
九時少し前にチャイムが鳴り、村上が交際中のバーテンダーの手塚と共にやってきた。
「今日は悪いな」
「いいさ。お前の車じゃ荷物は運びだせないからな」
そう言いながら和真と共に玄関先にいる優に視線を向けた。
「ストーカーに遭ってるんだって?大変だね」
「昨日、家の中にふたり潜り込んでたからな。目の前のワンルームだが、セキュリティもないし、流石においてはおけないだろう」
「まあ、お前のそういう優しいところ、俺は好きだけどな。俺は村上、こっちは彼氏の手塚。今日はよろしくな」
「浅葱です。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた優が男同士で交際している村上と手塚の関係を聞いても嫌な顔をしないことにホッとする。
「それじゃ行くか」
「はい」
昨日の服に袖を通した優と共にワンルームマンションに向かう。
「なあ、昨日ストーカーがいたんなら、下着とか触られてるんじゃないの?」
部屋を見回した手塚の言葉に優が顔色を変える。
「それはあるかもしれないな」
村上がそう言うと優を振り返った。
「下着、クロゼットの中か?一度確認してみろ」
和真がそう言うとおそるおそるクロゼットを開けた優が飛びのいた。
「うわぁ……」
手塚がドン引きした声をあげたようにクロゼットの中は下着だけではなく洋服も散らかっていて、これをもっていくのは無理だろうと判断した。
「ゴミ袋あるか?」
「少しなら」
「じゃあ、俺、買ってくる。全部処分するんだろ?」
「そうだな。かけられてる可能性あるからな」
村上の申し出に和真が頷くと優の手からゴミ袋を取り上げる。
「お前は触らない方がいい。汚ないものかけられてる可能性あるからな」
「キタナイもの?」
「やーね、ザーメンよ」
手塚の言葉に優がぎょっとした顔をしたのを見て和真がため息をついた。
「学校の道具の方を車に積んで来い。ああ、ひとりで行くなよ」
「は、はい……」
「車の鍵は持ってるから、一緒に行きましょ」
「ありがとうございます」
手塚と優が荷物を車に運ぶ間に村上がゴミ袋を持って帰ってくると制服以外の洋服をすべて押し込んだ。
「制服も念のためクリーニングに出した方がいいと思うぞ」
「そうだな」
和真と村上が話をsしていると、手塚と優が冷蔵庫の前で話をしていた。
「進藤さん、この冷蔵庫新品なんだけど捨てるの?もったいなくない?」
手塚の言葉に振り返って冷蔵庫の前に立った。
「そういや、ひとりぐらしして一か月か。全部新品か」
「はい。でもオーブンとトースターは和真さんの家になかったから持っていけたらなぁって……」
「料理するのに必要なら持っていけ。冷蔵庫はそうだな……誰か店に来るヤツで欲しいヤツがいるなら、そっちに任せるが、これから解約するにしても多分置けて月末までだと思うぞ」
和真の言葉に手塚がぱっと笑顔になった。
「ひとり心当たりがあるから電話してみるわ」
そう言ってどこかに手塚が電話をはじめるとl優が和真を見上げた。
「それと、冷蔵庫の中の出汁と味噌は持っていってもいいですか?」
「ああ。自慢のだろ?楽しみにしてるから持っていけ」
そう言ってグリグリと頭を撫でてやると優がぱっと笑顔になる。
「ありがとうございます」
「なんだ?出汁?」
「ああ、高校生なのに出汁からきちんととっているんだ」
「へぇ、珍しいな」
感心したような村上の言葉に優が照れたような表情をした。
「それも車に入れた方が……ああ、でも熱くなるからここを出る時に持っていくか。冷蔵庫の中に他に何か入ってるのか?」
「野菜が少しだけ」
「じゃあそれも持って行って、中を掃除してくれないか?手塚さんが譲り渡し先を探してくれたみたいだし」
指で丸のマークをしている手塚に優が頷く。
「あとは何をもっていけばいいんだ?」
和真が問いかけると優が部屋の中央にある小さなちゃぶ台を指差した。
「宿題をする時に必要なので……」
「じゃあそれを車に積み込むか」
村上がちゃぶ台を車に積み込む間に冷蔵庫の掃除を済ませると、残りの荷物を持って部屋を後にした。

和真の部屋に荷物を入れている間に和真と村上が制服をクリーニングに出しに行った。
「どうだ?片付けは終わったか?」
「はい」
少ない荷物だったこともあり簡単に片づけ終えた優が頷く。
「それじゃ、服を買いに行くか」
「俺たちは帰るぜ」
「あの、ありがとうございました」
帰ろうとする村上と手塚に優が頭を下げると、ふたりがにこやかな笑顔を向けた。
「まあ、あれだ。頑張れよ」
「はい」
村上の意味深な言葉の意味に気付かないまま頷いた優に和真が苦笑する。
「そうだ、ワイン」
和真が冷蔵庫の横のワインセラーからワインを一本取り出すと、村上に渡した。
「サンキュ」
「飲み過ぎるなよ」
賑やかに出ていったふたりを見送って和真が車のキーを手にした。
「俺たちも行くか」
「なにからなにまですみません」
「構わないって」
ポンと背中を押してやると、優と共に地下の駐車場に降りる。
「今日は買い物だから、こっちの車で行くぞ」
フェアレディZのドアを開けると、優が目を丸くする。
「もう一台あるんですか?」
「ああ。ほら乗れよ」
「すごい……」
感心しながら優が乗り込む。
「それじゃ、行くぞ」
車が滑るように走り出し、並木沿いを走ると一軒の店の駐車場に車が停まった。
「ここにするぞ」
和真について店に入ると、舌ての良さそうな服が並んでいた優が目を瞠った。
「和真さん……」
「これはどうだ?」
一着シャツを手に取った和真が優の方へと見せる。
「え、えっと……いいと思います」
「じゃあ、あとこれとこれも……それとズボンも見せてくれ」
側にきた店員へシャツを渡すとズボンがディスプレイされているところへと向かう。
「ズボンは試着した方がいいだろうな。細いし」
そう言いながらズボンをいくつか見繕うと優を振り返った。
「履いてみろ」
「あ、はい」
ズボンを受け取ると試着室に入り履いてみる。
どれもやや小柄な優を引き立ててみせてくれるものなうえ、肌触りも良いもので恐縮しながら値札を見て、これは自分では買えないものだと気が付いた。
「あの……」
試着室から出た優が待っていた和真をおずおずと見上げた。
「どうだ?サイズは?」
「サイズは大丈夫です」
「じゃあ、これと同じサイズで他にあるか?」
「あの……」
「ん?」
不思議そうに首を傾けた和真の袖を優がつかむ。
「あの、これちょっと値段が……」
「ああ、なら気にするな。これは奴らに賠償請求する分だ」
「ばいしょう?」
「気にするな。悪い、あとズボンが二着必要なんだが」
「でしたらこちらはいかがでしょう」
店員がそう言って商品を差し出すと和真が優を振り返った。
「どうだ」
「はい……いいと思います」
「じゃあ、それと靴下を包んでくれ」
「はい、かしこまりました」
「あの、学校は白い靴下なんですけど」
「それはまた別で買うさ」
和真の言葉に優があっけにとられながら頷く。
損害賠償をするからと言っても直ぐにお金が入ってくるわけではないだろうに、どうしてこんなに簡単にものを買うのだろう。そう思いながら店を出ると、再び車に乗せられた。
「あと必要なものは?」
「パジャマがわりのジャージと下着……です」
「分かった」
車が走り出し少しいくと再びショップの駐車場に車が停まった。
「ここは?」
「メンズランジェリーのショップだ」
「え……メンズランジェリー?」
和真について店に入ると、金色のマネキンが所々に並び、それぞれにレースの下着や紐で出来た下着が並んでいて、驚きに目を瞠った。
「これ、下着?」
「そんなに驚くことか?案外履き心地がいいぞ」
あっけらかんとしたようすの和真に、おそるおそる優が手にとってみる。
「それはOバックって言って後ろに穴が開いてるんだ。尻が引き締まっていいぞ」
「そうなんですか?」
「これはペニスの収まりがいい」
布面積の小さな下着を見せられ優の頬が赤く染まっていく。
「でも後ろが……」
「紐が食い込むから尻が引き締まるんだ」
「そう、なんですね……」
「普通のだったらこれだな」
そばにあった縁にレースのある下着を見せられ、優が「じゃあそれにします」と頷いた。
「これも買ってやるから試しに履いてみるといいさ」
レースの縁取りのついた下着を数枚とセクシーランジェリーを数点購入した。
「和真さんもこういうの履くんですか?」
「俺はビキニを履いてるぞ」
「そう、なんですね……」
実際に履いていると言われた優があっけにとられながら車に乗り込む。
「あとはジャージと白の靴下か」
「多分スポーツ用品店にいけばあると思います」
優の言葉に頷き検索をかけて近くのスポーツ用品店に向かうと残りのものを購入した後、スーパーで今日と明日の食材を購入して帰宅した。
「うちに来たからって言って、ここから出たら危ないことにかわりがないからな。買い物はコンシェルジュに頼め」
「はい」
購入したものを片付け、優が夕食の支度に取り掛かる。
手際の良い手つきに感心しつつ待っていると「並べていいですか?」と優が声をかけてきた。
「ああ、頼む」
小鉢二点とおろしハンバーグと味噌汁とあたたかなご飯が並ぶ食卓に目を瞠りながら椅子に腰をおろした。
「ハンバーグは半分豆腐です。ちょっとあっさりした味になりますけど……」
「いや、健康的でいいと思う。いただきます」
ハンバーグを食べると大根おろしに混じる紫蘇の風味もあいまって箸が進む。
小鉢のきんぴらはごぼうだけでなく人参と大根の皮も共に炒め煮されていて食感もいい。
もう一つの小鉢は春菊のすき焼き風の煮物で、クセの強いはずの春菊が美味しく感じる。
味噌汁はすりおろした山芋が入った味噌汁で、出汁の美味さと香りの良い味噌の風味も相まって食がすすんだ。
「本当に美味かった……」
気がつけばすべて平らげていて、想像上の味に感心していると優が照れたように微笑んだ。
「和真さんのお口にあって良かった」
「仕事終わりの楽しみが出来たな」
「良かったです。ところで、俺、生クリーム買い忘れて……バニラの香り明日でもいいですか?」
優の言葉に和真が考えこんだ。
「村上にも嗅いでもらいたいから、いつでもいい学校帰りに会社に寄ってもらえないか?」
「村上さんも香水を作る方なんですね」
「ああ」
「では明日はどうでしょう?制服がクリーニングに出されてて行けないので」
「明日は会議もないから構わない。一緒に出勤しよう」
「ありがとうございます」
立ち上がった優が食器を片付ける。
洗い物をはじめた優の手際の良さに感心しながら、その姿をなにとはなしに見ていた。
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