生残の秀吉

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齟齬

百六十八.多弁の幽斎

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天正十一年五月二十五日 巳の刻

昨日、坂本さかもとの城において秀吉ひでよしによる大々的な茶会が開かれた。『大々的』といっても参席者は主に今井宗久いまいそうきゅう津田宗及つだそうきゅうといったみやこさかいの豪商と近辺の武将といったところで、秀吉ひでよしが近々京入みやこいりすることが知れ渡っているせいか、この日の公家の参加はほぼ見られなかった。坂本城さかもとじょう琵琶湖びわこに突出したいわゆる『水城』で、湖畔には大・小の二つの天守が並んでいる。とりわけ夕陽ゆうひを背にしたその光景は大層美しく、信長のぶながだけでなく多くの茶人・歌人たちが好んでうたげもよおす場でもあった。昨日の茶会は小天守でもよおされ、秀吉ひでよしの心は久しぶりに解放された。勝戦かちいくさとはいえ、いくさが終わるまでは互いの策の動向に気を休めることができず、終わったら終わったで数多あまたの書状・下知状を書き配らなければならない毎日が続いており、秀吉ひでよしはようやく心の内をおもしろおかしく晴らすことができたのである。

一夜明けて・・・、官兵衛かんべえが大天守からしかめっつらで出て来る。その口元は何かぶつぶつと小さな不満を吐き出しているかのようである。地をにら官兵衛かんべえ幽斎ゆうさいが声を掛ける。

「これはこれはっ、官兵衛殿かんべえどのではござらぬかぁ・・・。」

「おぉっ、幽斎殿ゆうさいどのかぁ・・・。今日は如何いかがされましたかぁ。」

「先ほどまで歌の会がありましてなっ。うみを眺めながら一句んで参ったところにございまする。この後、筑前殿ちくぜんどのに呼ばれておるのですが、約束の刻限こくげんまではまだしばらくありましてぇ・・・。どうですぅ・・・、あちらのあずま屋にてひまつぶしでもいかがですかぁ。」

二人は本丸を出てすぐのところにあるあずま屋に向かう。

筑前殿ちくぜんどのがお呼びとはぁ・・・。そうかぁっ、筑前殿ちくぜんどの幽斎殿ゆうさいどのみやこに入ってもらうようお願いするつもりですなぁ。ここのところ筑前殿ちくぜんどの御公家衆おくげしゅうに頭をかかえている御様子ごようすでぇ・・・、幽斎殿ゆうさいどのに手伝ってもらいたいのでござろう。」

「そういうことでございますかぁ。それはうれしゅうございますなぁ。みやこで暮らすことになれば、余生を好き勝手に楽しむことができまする。」

幽斎殿ゆうさいどのはすっかり品良くなられましたなぁ。言葉使いや振る舞いもそうじゃがぁ、みやこの方が気楽というんじゃから、気ままでようございますなぁ。」

「たま殿どのせがれの元に戻ってから、せがれは一段と頼もしくなってきましてのぉ・・・。わたくしが丹後たんごで成すことはもはやございませぬ・・・。ところで、訊くところによると、筑前殿ちくぜんどの参議さんぎになられるとか・・・。いやはや御立派ごりっぱになられましたなぁ。わたくしめも昔、大殿おおとの御所入ごしょいりを手伝っておりましたから、非力な年寄りでも筑前殿ちくぜんどの御支おささえすることもできましょう。もし筑前殿ちくぜんどのの要件が京入みやこいりのことでしたら、喜んで参りまする。」

あずま屋のまぶしい日差しをさえぎる陰の元で、二人は琵琶湖びわこに向かって板敷に座す。官兵衛かんべえは改めてここが風光明媚ふうこうめいびな場所であることに気付く。官兵衛かんべえの心のかげり幾許いくばくか取り除かれたと察した幽斎ゆうさいが尋ねる。

「先ほどお城から出られて来られる折、何やらつぶやいておった、いやっ、何か愚痴ぐちをこぼしておられるご様子にも見受けられましたがぁ・・・。」

官兵衛かんべえは右手を頭にやり、くさがる。

「おっ、お恥ずかしいところを見られてしまいましたかぁ・・・。いやいやっ、朝からずっと筑前殿ちくぜんどのに説教をくらっとったものでしてなぁ・・・。」

筑前殿ちくぜんどの官兵衛殿かんべえどのをおしかりにぃ・・・。また珍しきことですなぁ。」

「いやいやっ、『おしかり』っちゅうほどではのぉてぇ・・・。ここのところ『おめぇも茶のことを学ばんといかんっ・・・。』、『宗易殿そうえきどの御指南ごしなんをいただけっ・・・。』、とうるそぉございましてなぁ。」

「はっ、はっ、はっ。筑前殿ちくぜんどのらしいですな。では官兵衛殿かんべえどのはあまり茶の席はお好きではござらぬのですかぁ。」

「うぅぅんっ、へだてなく皆と話せるんはえぇんじゃがぁ・・・、わしはどうも脇差わきざしを預けにゃならんというのが気持ち悪くてのぉ・・・。」

幽斎ゆうさいはやけにうなずく。

「なるほどぉ、分かりますっ・・・、分かりますよぉ。わたくしも最初はそうでした。ですが、まぁっ、慣れれば何てことなくなるものですよ。」

幽斎殿ゆうさいどのおっしゃるなら、ちぃと学んでみてもよいかのぉ・・・。じゃが宗易殿そうえきどのを眼の前にして、筑前殿ちくぜんどのにあぁもしつこく『御指南ごしなんをいただけっ。』と無理強むりじいさせられたら、こっちも意地になってもうて、宗易殿そうえきどのに『お願いします。』とづれぇわぃ。」

「ならば官兵衛殿かんべえどのに茶の御指導ごしどうさずけるよう、わたくしのよしみのもの・・・そうですなぁっ、津田殿つだどののお知り合いを当たってみましょうかぁ。大坂おおさか官兵衛殿かんべえどの御屋敷おやしきに出入りするよう、申し付ければ良いですかなっ。」

「まっ、まことでございますかぁっ、幽斎殿ゆうさいどのぉっ、かたじけのうございまするぅっ・・・。いやいやっ、それはそれは有難ありがたいことでぇ・・・。あっ、じゃがぁ・・・、わしが他の者から茶の手解てほどきを教わればぁ、宗易殿そうえきどの機嫌きげんそこねてしまいますかのぉ・・・。」

然様さような心配は無用でございまする。茶の手解てほどきなぞ、誰に教わっても同じでございまする。それくらいのことであの宗易殿そうえきどのが眼くじらを立てることなぞございますまい。それよりもぉ・・・。」

幽斎ゆうさいの戸惑いを官兵衛かんべえは不思議がる。

「んっ、どうかいたしましたかぁ。」

「っあぁっ、いやっ、これは申し上げにくいことなのですがぁ・・・、宗易殿そうえきどの商人あきんどの間では少しばかり評判が悪ぅございましてなぁ・・・。」

「えっ、そうなんかぁ・・・。何故なにゆえじゃぁ。」

自分で切り出しておきながら、幽斎ゆうさいはこの後発する言葉が秀吉ひでよしの耳に入るのを恐れる。

筑前殿ちくぜんどのには御内密ごないみつにいただけますかぁ・・・。」

「もちろんじゃぁ。」

れば・・・、宗易殿そうえきどのは他の商人衆あきんどしゅうを出し抜くところがございましてなぁ。あきないにおいてはよくあることなのですがぁ、宗易殿そうえきどのの場合はいささかたちが悪いというかぁ・・・。」

「へぇっ、そないなことは初耳じゃぁ。」

「例えば、昨日の茶会の茶頭さどうを誰が務めるかにつきまして、宗易殿そうえきどのは誰にも相談せずにみずから決めてしまいました。確かに宗易殿そうえきどの筑前殿ちくぜんどのにおつかえしているとはいえ、斯様かような大事を今井殿いまいどの津田殿つだどのに一言もなかったことで、商人衆あきんどしゅうは大層御立腹ごりっぷくだったようでぇ・・・。」

「昨日の茶会はそうだったんかぁ・・・。わしには皆の機嫌きげんがそないに悪いようには見えなんだがぁ・・・。」

筑前殿ちくぜんどのの手前、露骨に顔にあらわすわけにはいきますまい。ですが、筑前殿ちくぜんどの宗易殿そうえきどのが姿を現すまでは、少々険悪けんあくな雰囲気でございましたよ。」

「っかぁぁっ・・・、そないに『茶頭さどう』っちゅうのは大事なんかぇ。」
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