生残の秀吉

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齟齬

百八十六.盗視の顕如

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天正十一年十一月十六日 申の刻

この日の夕刻、小一郎こいちろう中村孫平次一氏なかむらまごへいじかずうじを引き連れて、貝塚御坊かいづかごぼうを訪れる。小一郎こいちろう本願寺ほんがんじ法主ほっす顕如けんにょへの目通りを願い出たが、客間に現れたのは了珍りょうちんであった。

了珍りょうちん「これはこれは小一郎様こいちろうさまっ。お勤めご苦労様にございまする。生憎あいにく法主様ほっすさまは、本日の祭祀さいしが立て込んでおりまして、目通りは日をあらためていただきたいとおおせになっておりまする。申し訳ございませぬが、本日はお引き取りをお願いできませんでしょうか。」

小一郎こいちろう「こちらに本山ほんざんを移されてから間も無いにもかかわらず、お勤めお忙しいのは何よりにございまする。本日は挨拶あいさつもうでたまで・・・。急務ではございませんゆえ御目通おめどおりはまたの機会にさせていただきまする。」

了珍りょうちんの背後には八尺の大きな掛け軸が掛けられており、そこには墨書ぼくしょで『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』と書かれてある。注視しなければ分からないが、実は『』の字のはらいのところには小さな穴が開けられており、さらにその背後の板壁の穴を通して、隣部屋となりべやから客間をのぞむことができる。このとき隣部屋となりべやでは顕如けんにょが穴越しに小一郎こいちろうらをうかがっている。

顕如けんにょ(あれが筑前ちくぜんの弟かぁ。顔はあまり似てないがぁ・・・、声はやはり耳にさわるのぉ。)

顕如けんにょは貴族意識が高すぎるせいで、けがらわしい武家との接触をやたら嫌う。とはいえそれなりに力を持った将が持ちかける話には大いに関心がある。そうしたことから顕如けんにょ居留守いるすを使って他の者に将の相手をさせ、その話の内容をこうして壁越しに盗み見・盗み聞きする手をよく使う。

顕如けんにょ(はてぇっ、今頃挨拶あいさつとは・・・。此奴こやつらもわしらに兵を借りたいと云うのではなかろうのぉ。ところでもう一人の男の手前に置かれてある風呂敷包ふろしきづつみ・・・、中は箱のようじゃがぁ、何を持ってきたぁ。ちょっとやそっとの『土産みやげ』なら、喜ばんぞぉ・・・。)

長らくいくさを続けてきた顕如けんにょだが、交渉に様々な品々をやり取りすることはあったが、金銀の財にはほとんど興味がなく、物欲もさほどない。

了珍りょうちん「さてぇっ、今挨拶あいさつと申されましたがぁ・・・。」

小一郎こいちろう「これにひかえまするは中村孫平次一氏なかむらまごへいじかずうじと申しまして、仇討あだうちにおいて大いに功を挙げた者にございまする。此度こたび、われらが名代みょうだいとして岸和田きしわだの城に入りますとともに、この御坊ごぼうの周りを厳重げんじゅうに警備をさせていただきまする。どうぞお引き立てのほど、よろしくお願い奉りまする。」

二人は深々と頭を下げる。

一氏かずうじ中村孫平次一氏なかむらまごへいじかずうじと申しまする。お困りのことがおありであれば、何でもお申し付けくださいませっ。」

顕如けんにょ(ほうっ、こっちの奴はいい声をしておるのぉ・・・。)

了珍りょうちん「これは頼もしきかな。武勲ぶくんをお持ちの方が岸和田きしわだに入られるということは、いよいよ紀州攻きしゅうぜめですかな。」

小一郎こいちろうおおせの通りでございまする。」

了珍りょうちん「そうですか。近頃この辺りに物騒ぶっそうやからが出没しておると聞き及んでおりまする。然様さようけがらわしい者にはこの御坊ごぼうに近寄らぬようにしていただきたい。じゃが、そのために大騒ぎをされても祭祀さいしに差し支えまする。『程度』というものをわきまえて、お勤めに励んでいただきとうございまする。」

一氏かずうじ御住職ごじゅうしょく御言葉おことばっ、この身にきざみまして勤めを果たしとう存じまするっ。」

顕如けんにょ(ふむっ、態度はよいが、如何いかんせん武骨者ぶこつものじゃのぉ。頭はそうよさそうではないわぃ。了珍りょうちんが云う『物騒ぶっそうやから』とは門徒らであることは知るよしもあるまい。われらは筑前ちくぜんを信用してるわけではない。少しでも気に入らぬことがあれば、いつでもその寝首ねくびをかいてやるわぃ・・・。それにしても勿体もったいぶるのぉ。まだ風呂敷ふろしきの中味を見せんのかぁ。)

了珍りょうちん「それにしても、わたくしめは岸和田きしわだの城には小一郎様こいちろうさまがお入りになると思うておりましたがぁ・・・。小一郎様こいちろうさまなら心強かろうてぇ・・・。)

顕如けんにょ了珍りょうちんよぉ・・・、そんなの誰でもえぇじゃろうてぇ・・・。)

小一郎こいちろう有難ありがた御言葉おことばれど紀州攻きしゅうぜめが始まりますと、わたくしめは副将としての勤めを果たさなければなりませぬ。その支度したくもあり、しばらくはみやこ播磨はりま大和やまとせねばなりませぬ。それゆえ、それまでの紀州きしゅうへのにらみは、この孫平次まごへいじに任せたく存じまする。孫平次まごへいじは武勇にひいでているだけではなく、和泉いずみの地にも詳しい者ですので、この役に適任かと存じまする。」

了珍りょうちん「そうですかぁっ、それは一層頼もしいですなぁ・・・。それで紀州攻きしゅうぜめはいつ頃になりましょうや。」

小一郎こいちろう「今年の内にはっ・・・。」

了珍りょうちん「ほぉぉっ・・・ではもう間も無くですかなぁ。わたくしめも皆様方の御武運ごぶうん御祈おいのりしておりますよ。」

小一郎こいちろう一氏かずうじは『ははぁっ』といって再び頭を深く下げる。

顕如けんにょ(どうでもえぇ話じゃのう。それよりもぉっ・・・。)

了珍りょうちん「それではわたくしも、祭祀さいしの途中でありますので・・・。」

了珍りょうちんが立ち上がろうとすると、小一郎こいちろうが引き留める。

小一郎こいちろう「あいやっ、しばらくお待ちくださいませっ。筑前守ちくぜんのかみより預かり物がございまして、御住職ごじゅうしょくから法主様ほっすさまにお渡しいただきたいのですが、お願いできませぬでしょうか。」

そう云って小一郎こいちろう一氏かずうじから例の風呂敷包ふろしきづつみを受け取り、了珍りょうちんの前に差し出す。

顕如けんにょ其方そなたらの命運はそのつつみの中味次第しだいかもなぁ・・・。)

了珍りょうちん「さてさてぇっ・・・、われら仏門の身に手土産てみやげなど不要でありますのにぃ・・・。」

了珍りょうちん風呂敷ふろしきを開けると、あんじょう、立方体の木箱があらわれる。木箱のふたを押さえる紺色こんいろひもき、ふたを開けてのぞむ。すると了珍りょうちんの眼はみるみる大きくひろがっていく。

顕如けんにょ(なっ、何じゃぁ。ここからでは見えんっ。了珍りょうちんよぉ、何が入っとるんじゃぁ。)

了珍りょうちんがゆっくりと箱から取り出したのは、枇杷色びわいろ釉薬ゆうやくの茶碗である。

了珍りょうちん「こっ、これは高麗こうらいのぉ・・・。中でも井戸いどの名器ではございませぬかぁ・・・。」

了珍りょうちんは背後の顕如けんにょを意識し、わざと茶碗を高く持ち、てのひらで回してみせる。その質素で気品のあるさま顕如けんにょ魅入みいられ、すぐにも飛び出したくなる。

顕如けんにょ(なっ、何と茶器かぁ・・・。あの溝鼠どぶねずみがあのような名器をぉっ・・・。)

小一郎こいちろう流石さすが御目おめが高いっ。法主様ほっすさまに気に入っていただければ幸いにございます。」

顕如けんにょ(っくぅぅっ・・・、下賤げせんのくせにぃ、何ともわしをくすぐるのが上手うまやつじゃぁ。)
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